第二百四十五話 ~上泉信綱~
<天文十七年(1548年)九月 上野国 邑楽郡 金山城>
蟀谷から首筋を伝う汗が粘りつく。
俺は残暑のせいだと自分に嘘をついた。
「殿! またも見張櫓の確保に失敗いたしました!」
「敵軍の意気高く! 無念ですが兵を退きました!」
俺は押し黙り首を一度だけ縦に振った。
金山城の攻略の戦いは完全に膠着状態と化していた。
堅牢な掘や切岸、狭い道に屈折した虎口が我が軍の侵入を防いでいた。それらをようやく抜けたとしても大量の火縄銃による蹂躙射撃が待っている。三か月経つと言うのに、宇都宮軍のその火薬量は異常とも言える量だ。
石垣に囲まれた山城。武蔵国、上野国、下野国の三国の要となる堅城新田金山城攻略の糸口は未だに見えていなかった。
「定満。 ……まさか、下野国には硝石が大量に生産できる硝田でもあるのだろうか?」
「聞き及びませんな」
俺の軍師、宇佐美駿河守定満は短く言い切った。
俺もそう思いたい。だが、相手方から鉄砲の弾が切れる素振りがない。俺の知らないルートから仕入れているのか、硝石を使わなくても火薬が作れているのか、もしくは硝石を作り出しているか、だ。
「そうだな。そんな詮索には今は意味がない」
「肝要なことは、この金山城を落とすこと。そこに注力すべきでしょうな」
定満の言葉に、皆も頷いた。
夜襲も試みたが、失敗に終わっていた。
一月前、相手方の鉄砲の狙いが定まらない筈の夜に奇襲を掛けた。だが、相手方は寝ずの番を行っており、大量の篝火で夜目を利かしていた。それでも城壁まで辿り着けた者もいたが、そこには狂暴な刃と化した敵軍の兵が死に物狂いで止めにかかってきた。剛剣を振るい、歴戦の兵をひとり、また一人と討ち取っていったそうだ。
「神後宗治か……」
「聞きしに勝る剣の腕ですな」
佐渡軍剣術の総師範、羽茂道場師範の剣聖上泉信綱。かつてはその一番弟子だったという男が、金山城内部で立ち開かっていた。
「相手方は続々と糧秣を入れております。滾滾と水が湧き出る井戸もあるそうです。兵糧攻めも利くとは思えませぬ」
「しばらくすれば草木も枯れ、冬将軍が近づいて参ります。それまでには……」
「決着を付けねばなるまい、な。」
「さもなくば兵を退くか……」
そう言って不無は自分の言葉を顔を顰めて打ち消した。
俺も兵は退きたくない。一度戻って冬を越せば、また一からやり直しとなる。大砲がより運びこめていればいいのだが、品川湊からの陸路の道筋も未だに開いていない。
来年攻めるにしても、今回以上に固くなった金山城を攻めるのは酷だ。相応の被害が予想される。
バンッ!
「分かい申した! おいが突っ込んできもす!」
「樺山! 無茶を言うな! 流石のお主でも四方から弓矢鉄砲を撃たれては生きて帰るのは難しかろう!!」
「むう……」
薩摩の勇将樺山善久が焦るのも無理はない。彼が率いる兵にもかなり大きな損害が出ている。
一人で十人を相手どれるほどの強兵たちも、怪しげな薬の力で興奮した相手方の相討ちも構わぬ玉砕戦法で一人、また一人と掘の下へと落ちていった。
皆の焦燥は俺以上だ。そんな時ほど俺は平静を装わねばならん。首筋の汗滴一つ、兵の命を思えば苛立つこともない。
あとは、「彼ら」が来てくれるのを……
ガチャガチャ!!
「御注進! 御注進!!」
「来たかッ!!?」
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「遅れ申した! 椎名越中守則秋ッ! 越中からの兵三千を率いて馳せせんじ、参じました!」
ブッ
久々に見る厳つい顔。六尺の体躯の男が盛大に噛んだ。真面目な顔をして失敗するその姿に俺はついつい気を許し噴き出してしまった。髭の大男が顔を赤らめているのは行軍の疲れだけではなかろう。
「待っていたぞ、則秋!」
「ははっ!!」
「それに師範殿も!」
「…… 我が不出来な弟子の不始末。誠に申し開きが御座いませぬ」
日ノ本一の「剣聖」と噂される佐渡軍剣術総師範、上泉信綱は目を閉じ厳かに頭を下げた。悩みや迷いない表情と立ち振る舞い。俺は「剣聖」の揺るがぬ決意を感じ取った。
「師範殿のせいではなかろう。 …… 全ては世の乱れの為だ」
「……」
「頼んでも、よいか?」
「…… 承知しました」
剣聖の目指すところは、実は剣のない世かもしれない。世の乱れが無くなれば、剣をもつ必要もない。だが、その世は遠い。だから剣聖は刀を振るう。それは恐らく今回が最後だろう。
「宗勝もよく来た! お主とお主の一族の腕が必要だ!」
「…… 勿体なき御言葉」
摂津国の戦いで三好政長を狙い撃った腕をもつ狙撃手水越宗勝。俺が組織した「狙撃隊」の筆頭だ。越中国で一族の練度を高めさせていた成果を発揮してもらいたい。
「来て早々であるが、明日には仕掛けたい。力を貸してくれ!!」
「無論!」
「皆の者、明日には決めるぞ!!」
「「応ッ!!」」
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<天文十七年(1548年)九月 上野国 邑楽郡 金山城 城内>
チッ チチチッ!
鳥たちが一斉に飛び立った。
佐渡軍の総攻撃が始まったのは、昼時を過ぎた頃だった。
「放てっ! テイッ!!」
ドオオン! ボシュ! ボシュッ!!
佐渡国の十門に満たない大砲からの砲撃は威力が余りにも乏しかった。
「ははっ! そんな僅かな力で我が城を崩せるものかっ!」
城の中の兵は音だけの虚仮脅しとそれを嘲笑った。
だが、その後だった。
「…… 何だか煙が消えぬな」
「むしろ増しているような……? よもや?!」
宇都宮兵が感じ取った異変は間違いなかった。
七門の大砲から放たれたのは、佐渡国が研究を重ねてきた白い煙を猛烈な勢いで噴き出して視界を奪う「煙幕弾」だった。その効果は抜群で、もくもくと白い煙が立ち込めて城内の視界を徐々徐々に遮っていった。
そして、それが全軍突撃の合図だった!
「ウオオオオオッ!!!」
「きばいもす!! 進みもそやッ!!」」
四方から金山城城内を目指して佐渡軍精鋭七千がにじり寄ったのだ!
「く、来るぞ!!」
「くそっ! 煙が邪魔で狙いが付けられん!!」
「見えねば、見える場所から撃つのだ! 煙の薄い方へ!!」
宇都宮軍の士気は高い。城内で鉄砲兵を指揮している者も兵達も有能で想定外の事態にも機敏に対応した。だがっ!
ダン! ダダーン! ドン!
「ガ、ガハッ!?」
「ば、馬鹿な……?!」
煙の切れ目へと動いた城内の鉄砲兵達に降り注いだのは、水越宗勝率いる佐渡狙撃手による精密射撃だった。
「そこへ行くのは、『見え』てたよ……」
そう呟いた水越宗勝。愛用の長身狙撃銃から出る煙の先を黒い布で覆い、撃つ場所を悟られぬようすぐさま狙撃地点を変えるため動き出した。相手方の狙いから身を隠す為一斉射の後に場所を変えるのも水越流の心得になっていた。
更に椎名則秋率いる士気の高い越中の兵の勢い。それに負けじと我を張る越後、薩摩の兵達。
一重、また一重と金山城の備えが剥がされていった。
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「守れ! まもれぇ!!」
「ぐ、グアッ!!」
城内は既に修羅場と化していた。
雪崩れ込んだ佐渡軍は一つ、また一つと虎口、櫓を占拠していった。
城の中の兵は狂暴化する薬を飲んで死兵となり佐渡軍を阻もうと刃を振るった。夥しい量の互いの血がドロリと壁にこびり付いた。
「死ねええッ!!!」
「フンッ!」
ザシュ!!
光の筋のような瞬きの後宇都宮軍の兵の片腕が吹き飛んだ。返す刃でその男の体は袈裟懸けに二つに千切れ飛んだ。「剣聖」上泉信綱の剣筋だった。
「…… 面妖な薬で心が乱れたな。殺気が漏れ過ぎだ」
「師範殿! この先に剛剣遣いが居ります! 既に十余人が手負いとなり誰も手が出せませぬ! お願いいたします!!」
「…… ウム』
周囲に気を配りながら、佐渡国随一の剣士は進んだ。ある予感を強く感じながら。
「…… 宗治。会いに来たぞ」
信綱の予感は的中した。かつての一番弟子であり、「空前絶後の秘剣使い」と呼ばれた神後宗治その人だった。
「…… 先生」
まだ青年と言っていい神後宗治はあどけない笑顔を上泉信綱に見せた。
「ッ!!!?」
信綱は戦慄を感じた。
十、いや、二十。これまでを数えれば恐らく百はくだらない魂を奪った剣士とは思えない程に澄んだ瞳をしていたからだ。
「宗治。十二分に働いたであろう。儂と共に降るのだ」
「先生らしくありませんね。無理と知っているでしょう?」
神後宗治は男の体を貫いていた刀を無造作に引き抜いた。赤黒い塊がドボォと音を立てて流れ落ちた。宗治が血糊を払うのと同時に骸が床に崩れた。
「『恩』、か」
「育ててくれた年老いた父母。病に倒れ息も出来ず立ち上がれもしない。その二人が宇都宮様から頂いた薬で一時、ほんの一刻だけですが安らかな顔を見せてくれたのです。きっと二人は西方極楽浄土へと旅立ったのです。宇都宮様には感謝の気持ちしかありません」
「…… 死に至る薬でも、か?」
「人はいずれ死ぬ。なれば楽に死ねるのは救いでは?」
「それがお主の辿り着いた矜持か」
剣聖は柄を持つ手に僅かに力を込めた。
空気が変わった。
緩んだ空気が一気に重く気の弱い者は息も出来ないほどの重圧を感じるものへと変化した。
「嬉しいなあ。生き死にを賭して先生と剣を交わうことができるのは本当に幸運です」
「…… 来い。せめて我が剣で送ってやろう」
『剣聖』上泉信綱の愛刀がゆらりと切っ先を擡げた。周囲の者達はその刀が地面を二つに割る錯覚を覚えた。
「怖いなあ。じゃあボクも秘密の薬を使いますね」
すると神後宗治は籠手裏に仕込んでいた包み紙を取り出した。
「このままじゃ先生には勝てないんでね。悪く思わないでください」
「…… 愚かな」
サラサラサラ
包み紙に入っていた粉薬を甘い蜜のように飲み干した神後宗治。直後にビクビクッっと肩を揺らした。目はぐるりと回った。その狂った瞳は直後にギョロリと上泉信綱を見定めた!!
「さァ、先生ェ? イきますヨ?」
ザッ!!!
縮地! 猛烈な速さで宗治の狂剣が信綱の胴を薙いだ!
剣聖の胴が二つに割れる!!
キイィン!!
それは錯覚だった。上泉信綱の刀は猛烈な斬撃を受けても刃こぼれしていなかった。超人的な鍛錬を重ねた信綱は筋力も並外れていた。全くの無傷である。
「……でモ、ォかしいナぁ? いつもは片手で受ける先生ガ、両手をツカいましたネ?」
「腕を上げたな宗治」
ギンッ
二人は距離を取った。剣聖の両手は小刻みに震えていた。剣聖の超人的な筋力をもってしても宗治の刃を受けきることは難しかったのだ。
直後に猛烈な斬撃が飛び交った!
ギン! ガン!!
ズン! ジャリリッ!!
「修行を思イ出しマス!」
「そうだな!」
一撃必殺の斬撃。それが何度も何度も繰り返し弾かれ煌めいた。
周囲の者は圧倒され身動き一つ取れなかった。
「あの時、無理にでもお主を引き留めておけばいいと何度も悔やんだ」
「失ったトキはモドらナいんデスヨ? 先生ィッ!!?」
ギィンッ!!!
激しい鍔迫り合い。技では無く力と力のぶつかり合い。ギギギと両者の愛刀も流石に悲鳴を上げた。
「アアッ!! タノしィ!! 先生といつまでモ斬り合いたィ!!」
「そうもいかぬな」
ドォン!!
バチィ!!
いつの間にか金山城の城内は炎に包まれていた。城内を守る兵も残り僅かとなっていた。
勝者と敗者。既に戦いの結末は見えていた。そして二人もどちらかが死ななくてはならないのも分かっていた。
「失った時が戻らないのを知りながら、尚も忠義を貫くか?!」
「『恩』を忘れたラ、ボクは人ではナクなってしまう! ダカラッ!!」
「宗治ゥ!!!」
最後の刃が二人を斬り割く!!
ザシュッ!!!
「不落の城」。難攻不落。
鎌倉幕府討幕を果たしたことで名高い新田義貞ゆかりの新田金山城は、かの上杉謙信や武田勝頼ですら落とすことができなかった、「落ちない城」として有名です。
ブックマーク、評価ありがとうございます。
リアクションは四種類から選べて、とても励みになっています。感想もお待ちしております( ˙꒳˙ )!




