第二百四十三話 ~成田長泰~
毎週金曜日17時に更新!(予定!!)
<天文十七年(1548年)五月 武蔵国 埼玉郡 忍城>
北に利根川、南に荒川。
幾つもの支流に挟まれた、葦が生茂る低湿地の狭間に浮かび立つ城。
ここ忍城で、佐渡軍の使者と成田氏当主との会談が行われていた。
___________
(…… これが、名高き佐渡軍の参謀、不無殿の業か。何という軽やかに流れる弁舌か……)
成田下総守長泰は唸った。
「…… 不無。なれば、下総守|殿は佐渡軍に投降はせぬと申されますか」
「…… 左様」
滔々と流れる水のようにすらすらと流れる言葉の淀みの無さから「一瀉千里」の異名で称えられる佐渡軍の智を支える重臣との会談。忍城を主城としている成田氏当主である成田長泰はその圧倒的な言葉の質と量にたじたじとなり、用意していた断りの言葉を辛うじて告げるのが精いっぱいだった。
長泰の父親泰が武蔵国の国衆忍大丞を攻め滅ぼしたのは凡そ六十余年程前。成田氏はその二年後に築城されたこの忍城を拠点として、以来、山内上杉家に従いながら確実に影響力を伸ばし続けてきていた。
(我は、古くは藤原氏にも繋がる『丸に竪三つ引き』紋の命運を守らねばならぬ。返答を誤れば先祖代々に申し開きが立たぬ。我が守り抜かねば、多くのものが失われるであろう……)
長泰そのように強く感じていた。
「不無、解せませぬな。主家筋であられる山内上杉氏は我が軍に敗れ四散。成田殿が我を張る理は既に無くなっておられますぞ」
「……関東は、下野国国主であられる宇都宮尚綱殿の元にまとまりつつあり申した。山内上杉家はその宇都宮家に半ば従属。故に我は山内上杉家が無くなろうとも宇都宮殿に従う者にござりますれば、お察しくださりませ」
成田長泰は黒袈裟姿の佐渡国参謀の言葉を明確に断った。
「ご意志は固いようで」
不無は落胆の色を見せず、成田長泰の目をじっと見つめた。
……
……
しばし目を交した後、
不無は再び口を開いた。
「我が殿、佐渡国国主羽茂本間照詮殿が、巷では『悪鬼』と呼ばれておるようですが」
「ですな」
「それは誤りですな。なぜならば」
「む? 何故でしょう?」
不無は物腰柔らかく微笑みながら言い切った。
「悪鬼なぞ生易しい。本物の『天魔』『羅刹』の如き御方です。一度敵と見なせば地の果てまでも追いまわし命を奪います。『絶対に』。さもなくば佐渡国や越後国、はては陸奥国を統べるなぞ夢のまた夢。新しきは下総守殿の御主君、山内上杉憲政殿も、ですな」
ゴクリ
成田長泰をはじめ、成田氏の家臣団は思わず生唾を飲み込んだ。
宇都宮軍に扇動され、半ば嘲わらうように謳われていた「悪鬼」の嘲り声。だがそれは「物事を正確には現してはいない」とされ、より鮮烈な羽茂本間照詮の『苛烈さ』の噂に上書きされ、関東一面に既に広がりをみせていた。
「沼田城は一両日に陥落」
「山内上杉憲政が油断した五日後、ほんの数刻で戦の勝勢を決めた」
「刃向かう者は、民も何もかも許さない」
「唯一の道は、『従うこと』のみ」
このような噂がいつの間にか広まり、どこからか刷られている本間照詮の緻密な肖像画は、既に「病を遠ざける」「野盗も震えあがり逃げ出す」という『魔除け』として崇められているとの話もあるほどだ。
不無の言葉は「もう一度だけ問う」という最後の通告であった。逆らえば命が危ういぞ、という。
成田氏家中の者が身震いする中、古びた肩衣を着た一人の客将がポンと膝を打った。北条氏解体により仕える拠り所を失い、成田氏に身を寄せていた多目元忠という男だった。
「不無殿、あまり脅かしてくださっては困りますじゃ。長泰殿は、分断された北条家からはみ出した某を受け入れてくれた誠によき御方じゃ。仕来や因習を大切にされる御方じゃ」
「不無不無、それで?」
「宇都宮家は破竹の勢いで関東をほぼ掌中に入れておったじゃ。だが、佐渡軍はその遥か上を行くのは分かっておるじゃ。宇都宮が鶴とすれば佐渡軍は大鷲じゃ。勝ち目はまるでないがじゃ」
「つまり、我ら佐渡軍に従う方がよい、ということですな?」
「ですじゃ」
多目元忠は、不無の言葉にしわがれた声で大きく頷き応えた。
元忠は、できれば成田氏に佐渡軍へ投降を促したかった。世情に聡い多目元忠は、宇都宮家の関東制圧の勢いを十分に把握しつつも、佐渡軍の強大さには及ばないと感じていたのだった。
「元忠殿! それはできぬ!」
「我らは宇都宮様に忠誠を誓っておるのだぞ! そう易々と寝返るのは武門の恥ぞ!!」
成田氏家中の古参の重臣達はこぞって新参者を非難した。
これにはつい最近まで流浪の将であった多目元忠は敵わぬと思い頭を振った。
意見はまとまったと見た成田長泰は、不無に向かい古式ゆかしい礼儀作法で丁重に断りを入れた。
「不無殿、我らとて佐渡軍と刃を交えたいという意志はござらぬ。ただ、事情を察して頂ければ……」
「不無不無、理解いたしましたぞ。拙僧はこれにて失礼致します」
不無は深々と礼をした。
その後、裾を払いながら去り際に一言だけ意味あり気に言葉を発した。
「この頃は『米』が高くなってきているとのこと。下総守も御油断召されぬように」
_____________________
不無が忍城を去った後、成田氏の家臣達は一斉に市や商家へと駆けこんだ。
「買え! 米を買うのじゃ!!」
「佐渡軍が我らを『兵糧攻め』にする気じゃぞ!!」
不無の放った「米」の一言は、「兵糧攻め」の警告ととらえられた。
現に、上野国金山城や近隣の出城など宇都宮軍に与する城は、佐渡軍に十重二十重に取り囲まれていた。攻めるでもなく退くでもなく、ただただ囲む。これにより孤立した城はどんどんと疲弊していっていた。
兵糧攻めをされることは、空腹により目はくぼみ肌を皺枯れ「生きながら死んでいく」地獄の苦しみを味わうことになる。
水量豊富な井戸により水が潤沢な忍城であるが、兵糧が無くなっては勝ち目はない。「なれば」、ということで米を買い漁ることに全力を上げたのだった。
「ぬっ! こんなにも値が上がっておるとは!」
「申し訳ありませぬ。近隣の方々も高く買われていってしまう為……」
成田氏が懇意にしている武蔵屋の新しい番頭は深々と頭を下げた。
事実、米の値は普段の一石一貫文の所が、二貫文、三貫文と値上がりを続けていた。
「背に腹は代えられぬ! あるだけ売ってもらおう!」
「毎度有難うございますろー」
青い衣を着た武蔵国の番頭はもう一度深々と一礼した。
______________
<天文十七年(1548年)八月 武蔵国 埼玉郡 忍城>
三か月が過ぎた。
田の稲穂が重みで垂れ下がりつつあるのにも関わらず、佐渡軍は忍城に対して何の武力を振るうことはなかった。
佐渡軍の刃は金山城や唐沢山城に向けられ、大量の米を抱えて籠城の構えを見せていた成田長泰は肩透かしを喰らったようなものだった。
「殿! 三日後には年貢の新米が城に届きまする」
「今年は日の照りが良く、川神様も大きな暴れをせず、ここ十年来に無い極めて豊作ですぞ」
「む、そうか……」
成田氏当主は豊作の喜びの報を複雑な面持ちで受けた。
「そうなると、城にある米が余りますなあ」
「その通りだ。秋には否応無しに米の値が下がる。値が下がり切る前に売る必要があろうな」
物見の報によれば、「佐渡軍の動きは東と北に向かっており、南へはまるで動きがない」とのことだった。苛烈な下野国南西部の佐渡軍と宇都宮軍との戦の嵐のような報は聞こえてきてはいたが、忍城は全くの無風と言っていい状況であった。
「ははっ! 早速備蓄されていた米を売り払って参ります!」
「一刻も早く頼むぞ!」
「ははっ!」
四方八方へと米の荷台を運ぶ兵が走る中、多目元忠は眉を顰めた。
「完全に佐渡軍の術中に完全に嵌ってしまったのう。さりとて我が言っても変わらぬことじゃろうて。…… さて、新たな雇い主を探さねばじゃなぁ……」
___________________
<天文十七年(1548年)八月 武蔵国 埼玉郡 行田八幡神社>
「おお、見事なものだな」
俺が着いたこの厳かな建物は、『行田八幡神社』というらしい。古くは源義家が奥州征伐の際に立ち寄った由緒正しい社なんだとか。木々や石畳の手入れの行き届いたその佇まいから、地域に大事にされてきたことが伝わってくる。
「水も綺麗だな。ここに花を浮かべたら綺麗だろうな」
俺は境内の石造りの手水で手を清めながら呟いた。≪花手水≫って言うんだっけな、手水に花を浮かべるのって。
「ほほう、それは雅じゃのう!」
「不無不無、真に」
環塵叔父と不無も俺の呟きに感心している。いやいや、それもうある奴で俺の発案じゃないから。
今回俺が神社へ来たのは参拝が目的ではない。
忍城を守っていた成田長泰が俺の軍の囲みに屈して投降したので、ここで待ち合わせて挨拶をする為だ。
米を高く大量に売り払い、だぶついて月を跨いで安値になったところを根こそぎ買う。米不足になった城を、年貢が入る秋の直前に封鎖して収入を無くさせて陥落させる。うむ、我ながら悪いことをするものだ。某ゲームの極悪テクニック、だな。
そんなことを思っていたら、
バシッ!
「無礼者!!」
大きな声が奥の方から響いた。なんだろう?!
俺達が駆けだして着くと険しい顔をした俺の義弟の上杉謙信が馬に乗っていた男の烏帽子を扇で撃ち落としているところだった。
「殿をお迎え降伏する身でありながら下馬せず見下ろして迎えるとは何事かっ! 恥を知れっ!!」
「……」
憮然とした表情で上杉謙信を見つめる壮年の男。多分、この男が成田氏当主の成田長泰なのだろう。
「何か申せっ! 申さねば、斬るッ!!」
「…… 我は間違ったことはしておりませぬ」
「なにぃッ?」
謙信の怒気に悪びれもせず、馬上から動かない成田長泰。ううむ、これは大変だ。
「そこまでにしておけ、謙信」
「?! …… ははっ」
名刀「山長毛」の柄に手を掛けていた謙信だったが、俺の言葉に素直に引き下がった。
すると馬上の男は俺の存在に気付き、馬上から深々と礼をして頭を上げようとしなかった。着物や馬の鞍の格式を見るに、成田氏当主の成田長泰に間違いなさそうだ。
「頭を上げよ、長泰殿」
「ははっ」
すると呼ばれた男は頭を持ち上げた。烏帽子が飛んだ激しさから頬に傷が付き蚯蚓腫れのようになっている。微動だにしない様子から、俺に降伏するという意志は間違いないようだ。
「羽茂本間照詮である。 …… 何故下馬せぬか、教えてはくれまいか?」
「…… 我が家門は名高き『源義家』公にも下馬せず迎えた由緒ある家格にて」
「だから、俺を迎えるのも下馬しなかった、か?」
「っ!」
俺の睨みに長泰はたじろいだ。少しは動く心はあるようだ。
まあ、「源義家」の名は俺でも知っている。「八幡太郎義家」と言えば武門の神様だ。剛力無双で、強弓を射れば人を何人もズボズボと突き破ったという逸話を聞いたことがある。
「意味のある因習であれば大事にするのも良かろう。だが、相手に対して失礼に当たることをするのは感心できぬな。こういう場合は下馬しておくのが礼義だと、俺は思う」
「…… 当家の習いにて……」
長泰は唇を噛んだ。どうやら投降して沙汰を待つ時に下馬して迎えるのは常識と思ってはいるようだ。だが年下の男に叱咤され面目を失っている、というところ、か。
ここは解かねばなるまい、な。
「長泰殿。成田氏には、その『下馬しなかった』という逸話はあったのだろう。当時の誰かがやって作ったことだ」
「…… はっ」
「では、『下馬して迎えた』という逸話を、お主が『今』『ここで』作ってもいいのではないか?」
「 あっ !?」
俺の言葉の衝撃に、長泰はポカンと口を開けた。
歴史? 伝統? 因習? そんなもん知るか。お互いにとって「心地よい」立ち振る舞いが礼義だ。礼義ってのは「目の前」で作るもんだ。
「…… 感服いたしました」
俺の言葉に成田氏当主はスルスルと馬を降りた。そして折り目正しく正座し、俺に正対して深々と頭を垂れた。それを見た家臣達も当主に倣った。
「互いの無礼は、これにて水に流すこととする。よいな?」
「「はっ」」
夜の帳を感じる社の上で、武蔵国の一番星が輝いた。
成田長泰と言えば、映画にもなった「のぼうの城」の舞台「忍城」に長年いたことで有名です。
本話にあった「下馬せず迎えて打擲された」という事件は、関東武者の面目を保とうとした、元々主人と一緒に下馬する習わしだった、近くの国衆である羽生氏との関係のため、謙信が成田氏の所領を欲しがった、などなど様々な説があるようです。
忍城と言えば豊臣秀吉の北条氏攻略の際、石田三成が水攻めに失敗した話、甲斐姫の活躍など有名ですが時代が合わないので。また、成田長泰の妻「白井局」が足利義輝襲撃の際に傍にいたとの話は人違いだよな、と自分は思っております(*´ω`)
礼義について、フランスの哲学者アランは「過剰に意識するのではなく、半ば無意識のうちに相手に敬意を払えるようになること」と説いています。「ダンスのように人とつきあう」という言葉もあります。成程なあと感心しながらもなかなか難しく、よく失敗している作者です。
マナー講師の謎マナーや、新一万円札は不謹慎説には首を傾げております(*´ω`)
「花手水」は最近よく聞きますが、始まりは2017年に京都の柳谷観音楊谷寺で初めて行われたとのこと。歴史というのは古そうに思えて新しいこともあるのですね。




