第二百四十話 ~長野業正~
<天文十七年(1548年)四月 越後国 魚沼郡 三国峠 >
残雪があちらこちらに残る峠道。笹と落ち葉の合間から雪解け水が流れる九十九折の道。前世では上杉謙信が幾度となく越えた関東へと続く道を、俺も同様に軍を率いている。
林泉寺で天質光育師からこってりと「喝」をいただいた後、俺は環塵叔父や義弟上杉謙信らと共に上野国へと進んでいる。もうすぐ越後国と上野国の国境である三国峠に差し掛かる筈だ。
直線距離では東側にある清水峠の方が近い。だがあちらは高低差のある山道が続く。雪解けで緩くなった土地を重い武具を背負っていくには、少し遠回りだがなだらかな三国峠を選択するのは妥当だと言える。
「……光育様に絞られましたな。義兄上」
「謙信だってそうじゃないか。『女に現を抜かしている』って」
「まあ、それは仕方ないっちゃ。誠のことじゃからな! ガハハッ!」
環塵叔父に笑われた。確かにその通りだから言い返せない。ぐぬぬ。
俺は出陣前に、天質光育師から教えをいただくことができた。更に、久しぶりに謙信と『城郭落とし』を楽しめたのは良かった。攻守交替しながら最初に攻める山内上杉家の出方を互いに何通りも出し合ってその対応策も考えた。
ザッ
「これより先は、上野国となり申す。お気を緩めぬようにお願いいたします」
「うむ。業正にとっては、久しぶりの古里への帰郷だな」
「……はっ」
武者姿の将、越後国の国主として辣腕を振るっている長野業正が俺に声を掛けた。元は「上州の黄斑」として関東に名を轟かせた勇将だ。上司の上杉憲正に箕輪城ごと切られたところを俺が全力で登用したのは十年前程。話を聞いたときは天の助けだと思った。主従の契りを交した後は、思った通りの八面六臂の活躍を見せてくれた。前世で「武田信玄の猛攻を五度防いだ名将」との評は、間違いではなかった。
「敵軍の中にはお主と縁の浅くない者もあろう。できれば戦いは避けたいが……」
「……世は乱世なれば。是非もありませぬ」
「我が軍に投降する者は罪を問わぬと文を出しておる。できる限りは救いたい」
「難しゅうございましょう」
長野業正は顔面の深い皺を更に深めた。
「魚沼の地からも暫しの別れですな」
「……早く戻れればいいがな」
この戦は、陸奥国に攻め入ってきた宇都宮軍に反撃を仕掛ける戦だ。
手始めに上野国を再び占有する山内上杉家を攻め滅ぼす。更には南に連なる宇都宮軍に臣従する勢力の制圧、下野国侵攻への足掛かり拠点の設営、東国の玄関港である品川湊を抑える。ここまでが大目標だ。
越後国魚沼郡と言えば、綾の妹が嫁いだ先が上田長尾家の首領の「上田長尾政景」だったな。「佐越の戦い」において戦となった後、この三国峠を越えて上州へと流れていったと聞いたが……
ワァァアアーッ!
矢庭に戦声が鳴り響いた。最前線の方だ。
「むっ!? 伏兵でもあったか?!」
「殿! 我が見て参ります!」
「頼んだぞ! 業正!」
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「佐渡国国主! 羽茂本間左大弁照詮殿とお見受け申す!!」
険しい表情をした壮年の武者が大声で叫んだ。草臥れた胴丸鎧に鉢金、そして右手の手首に長い縄をきつく結わえてあるのが遠くから薄っすらと見える。綱は上方のかなり奥まで続いているようだ。
「如何にも! 其方の名は!?」
俺も大声で声を返す。
前線で戦、と言うには程遠い小さな抵抗があった。男が引きいる二十余名が峠道で我が軍の行く手を阻み、結果男を残して地に倒れていた。
「長野十六槍の一人・白川五郎満勝と申す! これより先は我らが国! 兵を退かれよ!!」
長野業正の元家臣か。
命掛けで説得するつもりなのか?
「……殿、申し訳ありませぬ。白川が結わえる縄の先は多量の土砂や丸太があるらしく…… 殿にお目通りが叶えば投降するとのことでしたので……」
「謝る必要は無い、業正。たとえ俺がお主の立場でも、そうしただろう」
本当に土砂や丸太が峠道の上部に仕掛けられているとしたら厄介だ。撤去と道の修繕に一両日は足止めを喰う。それに業正の顔には白川を出来れば味方に引き入れたいという色が見える。優秀な部下だったのだろう。だが……
「我らは大義の為ここまで軍を進めてきた! 何者も我らを止めることは出来ぬ! 」
俺はきっぱりと断った。話し合いでは埒が明かないから武で制するのだ。
俺は傍に控える忍びの白貉に目配せをした。
「御返事感謝致します! 名高き佐渡の麒麟児を一目見ることができ声を聞くことができたは、冥途へのよい手土産!」
気のせいか白川は弾んだような声を発した。
断られて当然のことだ。だが白川は何かを諦めたように口元を緩ませている。つまり、死ぬ気か!?
「待て! 白川!」
「無駄に御座ります!!」
「我が軍へと降れ! 白川!!」
「……宇都宮様より『敵に下るは死罪』と国中に触れが回っております! 某が生きれば家族はおろか国に残る村人全てが連座させられまする!」
「いつその触れが出たのだ!?」
「?! 三年も前に御座ります!」
「処断された者は居るのか?!」
「居ります! 村中の者が晒し首になること! 城へ連れられて骸になり戻ってくる者! 秘薬を嗅がされ我を忘れて戦で散る者! 数多おります!!」
宇都宮軍の強さの理由がこれか。
恐怖政治で村人を脅し、従わぬ者は死罪か死罪同等の処遇。心を亡くす薬を嗅がせて狂人と化して戦わせる。急に版図を広げた絡繰りは、俺が忍びを使って調べていたことと一致する。
「白川! 我が声に応えよ! この『上州の黄斑』長野業正と共に上野国を護ろうぞ!!」
「…… 出来ませぬ! 業正様!」
白川は声を震わせた。
「どうか照詮様! そして業正様! 上野国を! 我らが国をお救いくだされ! 草葉の陰から見守っております!」
「早まるな! 白川!!」
「…… 御免!!」
ブチッ!
白川は自らの手首に結び付けた縄を引き抜いた小刀で斬り割いた!
縄はビュルルルと蛇のように上方へと駆け上がっていく!! 仕掛けが発動して丸太や岩が落ちてくる!!
……
……
カラン
小石が一つ二つ落ちてきただけだった。
「!? 何故だ! 何故落ちてこない?!」
「間に合いました!」
高く澄んだ声が峠道に響いた!
「白貉! よくやった!」
「はいっ!」
落石落木の仕掛けは間違いなくあった。だが既の所で銀髪の忍びが間に合ったのだ。話を引きのばした甲斐があった。
「こぉおおのおぉ! 戯けがあっ!!」
ガシッ!!
見れば長野業正が白川の元へと駆け寄り大きな拳を白川の頬に叩きつけていた!
「が、ガハッ!!」
「普請奉行の技をつまらぬことに使いおって! しかも死ぬだと!? そんなこと儂が許さん!!」
「業正様! お、お許しくだされ!」
吹き飛ばされた白川は縄を切った小刀を自らの首に突き立てようとした!
「ならぬ!」
バシィ!
業正の鋼のような腕が小刀を吹き飛ばした。弾かれた刃は谷間に飛び、針のように小さくなっていった。
長野業正は大きな腕で白川の両肩をガシッと掴んだ。
「生きろ! 白川!! 死を覚悟した儂とて殿に生かされた! 生きてこそ咲く花もあろう!」
「…… !」
「生きよ! 白川!!」
「ですがっ、ですがぁ!!」
「大丈夫だ白川。俺に任せろ」
泣きじゃくる白川に俺は声をかけた。
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<天文十六年(1547年)十一月 下野国 河内郡 ???>
ゴポゴポゴポ
幾何学模様の図式が描かれ、怪しげな壺から湯気が噴き出る戦国の世に似つかわしくない一室。白い襟無しの薄衣をまとった男が冷徹な笑みを浮かべていた。
「…… では三国峠の仕掛けは、落ちたのですね」
「はは。遠くから某が見た通りで御座います。これでしばし時が稼げましょう」
男は忍びの報告を聞き満足そうに頷くと、再び壺の湯気の方に目を移した。
「もう少しで完成です。ここにはたくさんの実験材料がありますからね。いいデータが取れています」
「…… 村人、ですか」
忍びは思わず呟いた後、はっと口を塞いだ。冷徹な男はギロリと忍びを睨みつけた。
「…… 民などいくらでもおるであろう。この『ホスゲン』ができれば、如何に大軍であろうとも進軍には二の足を踏むはずです」
「……ははっ」
「足尾銅山開発も、硫砒鉄からのヒ素生成も、鴉片も、河越合戦の備えも順調に行きました。優秀な鉄砲製造の工程も手に入りました。聞いたこともないような軍に負ける訳にはいきません」
白髪を撫でた男はギリリと奥歯を噛んだ。
「何故、私がこんな時代に……」
精神科医として働いていた男は敏腕として有名だった。確かに多くの患者を一目見て診断し、短い時間に多くの仕事をこなした。精神的に病んでいる患者へは厳しい指導を繰り返することで更生させた。
だが、中には人生を滅茶苦茶にされて絶望した患者もいた。それを男は「クズ」と呼んだ。
「優秀な私が、無能なクズをどう扱おうと勝手です。クズの命など有って無いもの同然」
「…… 御意」
「集められたクズの手はたくさんあります。硝田から硝石を取り出し、火薬作りを急がせなさい。敵は近くに来ていますよ」
明けましておめでとうございます(*´ω`)
大変更新が遅れていました。待っていただいて本当にありがとうございます(´;ω;`)ウゥ
地道にこつこつ進みます。




