第二百三十八話 ~「子」~
<天文十七年(1548年)三月 佐渡国 羽茂郡 羽茂>
佐渡国の中心である羽茂の城下町で、幼子が集まり噂話に花を咲かせていた。
「ねえねえ、聞いた?」
「聞いた聞いた!」
その声は雛鳥の様に明るく、その噂話に耳を攲てる父母も一様に笑顔だった。
「すてきよね!」
「うんうん、うれしいよね!」
「「照詮様に、御子ができたって!!」」
佐渡国に日ノ本随一となる程の繁栄を齎した象徴である佐渡軍当主羽茂本間照詮に、待望である子が出来る兆候が見られたのだ。佐渡国にとって一番の懸念であった後継者問題に解決の糸口が見られたことに、胸を躍らさぬ者はいなかった。
「ノンノさまか~。蝦夷国の姫さまって聞いたけど、どんな方なのかしら?」
「とっても優しい方なんだって。牛や山羊とかのお世話がとても上手なんだって~」
「そうなんだ~」
「これ見て! ノンノ様が着てらっしゃる服の文様が入った着物よ! 今羽茂の一番の流行りなんだからっ!!」
そう言った商人の娘は、モレウ(渦巻)やシク(星)、アイウシ(棘)などのアイヌ文様が刺繍された着物の袖をくるりと回した。商魂たくましいその娘の父親は、数週間前に「ノンノ姫懐妊」の一報を聞いた直後に『これは大きな商いになる』と目ざとく察して、職人を総動員してアイヌ柄の反物を増産し始めたのだった。
「ええ~! すご~い!」
「うちのお店にあるから、買いに来なよ!」
「行く行く~!」
利に聡い商人ならではの機転で、反物は飛ぶように売れていった。それは羽茂の城下町活気が充ち満ちていること、日ノ本の富が集まり裕福な人々が集まりつつあること、そして羽茂本間照詮を称える声が大きいことを如実に示していた。
佐渡ヶ島の民にとって、今年の春はいつもよりも幾分暖かい風に包まれているように感じられていた。
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<天文十七年(1548年)三月 佐渡国 羽茂郡 羽茂舘>
丸顔の土佐の若虎安芸国虎が、俺に尖った歯を見せた。
「殿。よかったがにかぁーらんか(よかったのでしょうか)? 鉄砲の技術を他国に伝えとっとも?」
宇都宮軍への出兵に向けての評定中、俺が先日武田晴信や今川義元に出兵依頼を出した礼として「鉄砲作成技術」を伝えたことに対しての疑問を投げかけたのだ。そうか、直江津で練兵をさせていた国虎には伝えてなかったな。
「確かに鉄砲は我が軍の強さの根幹を為す武器だ。今までは秘中の秘として隠していたものを、そう易々と手放していいものではない。不思議に思っても仕方がなかろう。だが、問題ないのだ」
「理由を聞いてもえいかね(いいですか)?」
「不無不無、儂が答えよう」
紫色の道具衣に九条袈裟を身に纏った不無が口を開いた。不無は国虎の直属の上司であるし、鉄砲技術の公開は元々不無の案であったからな。
「すんぐに教えとうせぇ(教えてください)」
「我が佐渡軍が鉄砲を使い始めて早十年。精強を誇るその力故、他国が欲しがっていたのは紛れもなき事実。だが、その技術は薄々気付かれつつある。ならば、早めに渡してしまった方が良いであろう」
「けんど、武田や今川が鉄砲をこじゃんと(たくさん)拵えたら、佐渡とぶっちゅう力を手に入れるんやか?」
「そうはならぬ。何故ならば」
「何故なら?」
不無はもったいぶって息を溜めた。
その間を砕いたのは俺の孔明こと宇佐美定満だった。
「他国は『火薬』を十二分に用意できないからじゃ」
「おおう? 火薬?」
「そう、火薬。詳しく言えば、火薬の原料となる『硝石』じゃ」
定満は愛用している焙烙頭巾を正しながら、安芸の虎に向けて端的に要点を伝えた。
俺は後から知ったのだが、火薬の原料となる『硝石』は、大方を大陸からの輸送に頼っていて、雨の多い日ノ本では殆ど見つからないらしい。出回っている硝石の九割以上は明国からの輸入品だ。
更に、硝石は高価だ。火薬の材料として必要であり、輸送費がかかるので当たり前だ。
しかし、その輸送を担う『海の交易』は佐渡軍が抑えている。明国南部九龍半島にある九龍湊を治める鯨波新人~元々柏崎水軍の頭領~が辣腕を振るい、生糸などと共に大量に送ってきてくれている。鉄砲を用いた戦いにおいて佐渡軍が遅れることは万が一も無い。鉄砲だけあっても弾が撃てなければ、それはただの鉄棒だ。
「他の火薬の原料である硫黄、弾の原料となる鉛は日ノ本でも調達できる。だが硝石はそうはいかぬ」
「武田や今川は、鉄砲を作る技術という貴重な贈り物を一早く伝えて感謝をしておろう。だが、両名程の器量があれば、いずれ『硝石不足』に気づかぬ筈はない」
俺も初めは「鉄砲作成技術を渡す」と聞いたときは、安芸国虎同様に驚いた。それこそ腰を抜かさんばかりに。だが、不無や定満の話を聞いているうちに合点がいった。鳴らぬ鈴には意味がない。一早く海の利を確保したことが大きな力となったな。
陸奥国で療養を続ける国主山本勘助からは「宇都宮軍に鉄砲を取られた」と報を受けているが、それを理由に大きな処罰は与えないつもりだ。
「ははっ! 流石ぜよ! これでまっこと安心して前線を張れるき!」
安芸国虎は得心がいったようで黄蘗色の着物をたくし上げ豪快に笑った。
「頼りにしてるぞ、国虎!」
「任しとおせ!」
今回の宇都宮軍征伐の為の戦は、かなり大掛かりなものになる。武田や今川だけでなく、関東近隣の大名や国人衆をも巻き込むことになる。関東の覇権を争う大戦だ。
「大きな戦となる。俺が佐渡で構えていては兵の士気にも関わろう。俺自らが戦場に出る必要があろう。側室が懐妊したことで世継ぎに関しても一つの目途がついた。レン、留守を頼むぞ」
「…… おまえさま。わたくしもついていきとうございます」
俺の正室であるレンは、艶やかな絹着物を整えて静々と頭を下げた。まあ、そう言うとは思っていた。加茂湖でノンノが懐妊してからというもの「自分も懐妊しなくては」と気が気でないからな。片時も離れたくないと思うのは当然だ。
「…… 俺が佐渡を離れるときは、『正室』であるレンが佐渡の皆を安心させてくれ。頼む」
「綾姫様もおられるではありませぬか。わたくしなどよりも……」
レンは食い下がった。
まあ、俺だってレンと一緒にいたい。だが今回は駄目だ。
「だから、綾を含めて『皆を頼む』と言っているのだ」
「!?」
「昨日、医師から聞いたのだ」」
「レン様。申し訳ありませぬ」
そう言うと綾はレンに深々と上品に礼をした。綾がレンに伝えようとしていることは明らかだった。綾は月のものが来なくなり、悪阻の症状が出た。そう、ノンノだけでなく今は亡き越後国長尾家の姫、綾にもようやく子が宿ったのだ。感涙する綾の涙につられ、昨晩は共に涙を流して喜んだ。
「何と何とっ!」
「おおっ! 綾姫様もご懐妊ですとっ!?」
「これは目出度い!」
皆が喜び驚く中、
「あ、綾姫にもっ……?! う、うちだけ……っ!?」
と言いかけて、レンははっと我に返り微笑んだ。
「っ、まあ! 何というおめでたいことでしょう! 綾姫様、おめでとうございます!!」
「ありがとうございますレン様。レン様にも早う御子が宿りますように」
レンは綾ともノンノとも仲が良い。実際、二人の懐妊を喜んでくれている。ただ一瞬、正室としての本分を忘れて村娘に戻ってしまったことを恥じて悔やんでいるのが表情に現れている。
「身重な二人に政は任せられん。俺もできるだけのことはする。だから頼む」
「畏まりました」
レンは己の立場を思い出した為か、大きな瞳を凛と輝かせた。
子ができた。
回数を交しても子が出来ない為にもしかして種無しかと思っていたが(まあ、その時はその時だと思っていた)。多分、子が出来にくい体質なのだろう。
前世だけでなく現世でも子を為すことができるとは無常の喜びだ。皆も子を喜んでくれている。
ノンノにはだいぶ駄々をこねられたが、加茂湖湖畔から羽茂舘へと身を移してもらった。俺の初子を身籠ったことで人が大挙してきて安全が保てなくなったからだ。綾も無理をしがちなので健やかな子を産み為にゆっくりさせたい。人を多く集めさせよう。悪阻で食欲はないかもしれないが、葉酸を取らせる為に枝豆や玄米なども無理なく食してもらわなくては。
さあ、後は戦だ。
「関東の地図を持てッ!」
「ははっ! これに!!」
近習の忠平が桐箱から地図を取り出し軍略机に開いた。
敵は上野国の山内上杉家、下野国の宇都宮家、武蔵国の扇谷上杉家が中心か。甲斐の武田、駿河の今川は全面的にではないが、俺達と共闘を申し出ている。常陸国の佐竹家には隣の岩城家から使者を送っているが返事はまだ来ていない。上総国の上総武田家、下総国の千葉家は宇都宮家と近いらしい。それと、北条氏の生き残りが相模国の玉縄城で徹底抗戦していると聞いた。安房国の里見家はそれを助けているらしいが……
こちらの軍も総動員だ。
越後からは「上州の黄斑」長野業正が、信濃国北部の高梨政頼と共に山内上杉への先鋒として出陣する。俺の本陣もここに属する。出羽と陸奥からは仲馬叔父と伊達晴宗が宇都宮家へ雪崩れ込む。海からは海の申し子が再び品川湊を脅かす手筈だ。
「よし、時は来た!」
ドンッ!!
俺は皆の意志を固めるため、関東の地図を強く叩いた!
「敵は宇都宮家当主宇都宮尚綱! それを頼りにする山内上杉憲政と扇谷上杉朝定だっ!! 敵対する関八州(武蔵、相模、上野、下野、上総、下総、安房、常陸)の者らは全て灰にするつもりで掛かれっ!!」
「「ははっ!!」」
アイヌ文様は作中の三つが基本となっているようで、モレウ「渦巻」は「力」、アイウシ「棘」には「魔除け」、シク「星」には「見守る」等の意味があるそうです。
硝石は硝酸カリウム(KNO3)の鉱物名です。雨が多く湿度が高い日本ではほとんど取れないそうです。硝石75%、木炭15%、硫黄10%を配合した「黒色火薬」は鉄砲発射に欠かすことができません。土、糞尿、蚕糞、鶏糞、藁、枯草などを混ぜて数年かけて発酵させることで人工的に産出する方法(古土法、硝石丘法)もありますが、残念ながら主人公は知りません。
鉄砲の玉は重くて鉄砲の筒より柔らかい鉛が使われていました。鉛は400度で溶けるため加工しやすく丸くなりやすいのも特徴です。灰吹き法にも用いられる貴重な鉱物資源でした。
一説によれば、史実「長篠の戦い」において、武田軍は織田軍と同様に鉄砲をかなりの数(300~1000丁程)揃えていたそうです。ただ織田軍が資金力を生かして高価な弾薬を大量に用意していたこと、また兵力差も2~3倍あったことが大きな戦の戦果の分かれ目となったともいわれています。また長篠の地で戦になったのは、睦平の鉛鉱山を奪い合う為だったとの説もあります。知れば知るほど歴史は奥深いですね。




