第二百三十七話 ~久保田仲馬~
<天文十六年(1547年)十二月 陸奥国 陸奥白川城 佐渡軍本陣>
「間に合ってよこうたっちゃ(よかった)!」
穏やかな表情をした壮年の将が白い歯を見せた。
真新しい戦装束を身に纏い屈託のない笑顔を見せたのは、出羽国二十万石を束ねる国主であり、羽茂本間照詮の名実共に「父」として信頼篤い久保田仲馬だった。
「久保田殿!?」
「おおう、山本勘助殿! それに留守殿でしたかな。出羽の皆と共に援軍に参ったっちゃ! 雪道のせいで遅くなって申し訳なこうた!」
憔悴しきっていた面々に、仲馬は深々と頭を垂れた。
慌てたのは病身の山本勘助と陸奥白川城城代留守景宗だった。
「な、何を仰られるやら!! 我ら既に命運尽きて、阿武隈川に身を投げようとしていた所でしたぞ」
「左様左様! 出羽の方々が来られなければ……」
勘助らは久保田仲馬、そして参陣した出羽の国人衆、砂越氏維、清水義高、寒河江広種に大いに感謝した。
それを見た三名の国人衆達は頭を掻いた。
「我ら援軍に馳せ参じるのが二度目でしてな。一度目は日和見を決め込んでおった我らに、大殿から『見誤るな』『機を見て一気呵成に行動せよ』と、大喝されましてな。二度も遅れてはなるまいと必死に参陣した次第でして」
「大殿から、『陸奥白川城へ急行せよ』との下知を頂き、全速にて馳せ参じた所で御座る」
「見れば落城寸前。間に合って良かった」
うんうんと頷いた久保田仲馬。
佐渡軍の象徴である羽茂本間照詮の正室レンの父。外戚としての最高の地位を得たとは思えない程に純朴で穏やかな男は、いつしか「仏の仲馬」と呼ばれるようになった出羽国国主は、穏やかに言った。
「よう我慢為されましたな、山本殿、留守殿。後は、我らに任せてゆるりと休まれてくだされ」
だが、次の瞬間には真顔になり怒気を放った。
「さぁ! 憎き伊達稙宗率いる宇都宮軍を、出羽の我らが引き受けましょうぞ!」
「「「応ッ!!」」」
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<天文十六年(1547年)十二月 陸奥国 陸奥白川城 郊外 宇都宮軍 幔幕>
陸奥白川城を攻め込んでいた伊達稙宗は突然の敵の増援に驚きの色を隠せなかった。
無理もなかった。相手方の複数の援軍先には抑えの兵が睨みを利かせていたのだ。援軍が来るはずがなかったのだ。
落城寸前の城へと乗り込んでいった攻め手は「すぐに落ちる」と指揮官以上に油断していた。突如現れた出羽の兵達に無防備な背後を突かれ、次々と討ち取られていった。
「ぐぬぬ! 奥州の軍勢の大方には紐を結わえたつもりが、よもや更なる軍勢がここに来ようとはッ!」
しかも新たに戦場に現れた三つの旗印は稙宗にとってに見覚えがあるものだった。
「あれは、寒河江、清水、砂越……?! おのれぇぃッ!! 我が掌中を逃れた出羽の国人衆どもが! 天童のように踏みつぶしておけばよかったわ!! しぶとく我が先を阻むとは!!」
「陸奥守様、如何いたしましょう?」
怒り心頭の伊達稙宗。振り上げた拳を虚空に振るった。
「論も無いわ! 攻め入るのみよ!! 攻め手を緩めていた東門は相手の守りも薄いはずじゃ! 一気に押し入れば留守景宗と山本勘助の首くらいは取れるわっ!」
「は、ははっ!!」
かつて奥州のほぼ全てを掌中に収めた男伊達稙宗は流石だった。威厳と低く響く声で敵の増援で揺れる自軍の統制を取り戻し、軍勢を東門の方へと移動させる手筈を着々と整えていった。
「良し! 揃ったな! 行けっ! 城を落としてこいッ!!」
その時だった!
ガチャガチャッ!!
「御注進! 御注進~~~!!!」
「むっ?」
いきり立つ稙宗の本陣へ早馬が飛び込んできたのだ。
「ええい何事かッ!?」
「そ、そ、それが……」
寒さと疲れで息を切らした伝令役。だが伊達稙宗の鬼の形相に臆することなくはっきりと言葉を伝えた。それは宇都宮軍の実質的な支配者で家中で最も権威ある者が発した文であったからに他ならない。
「小田家家中の中原将綱と申します! 陸奥守様ッ! 筆頭家老壬生綱房様からの御注進で御座います! 『今すぐお戻りくだされ』!!」
「!? なぬ!!? 今すぐ戻れじゃとっ!!? 陸奥白川城は落城寸前じゃぞッ!!?」
「甲斐の武田晴信が西より上野国へ攻め入って参りました!!」
「む……? 武田の若僧は我が軍に恐れを為して領国に引きこもっておったのではないか? 笑止! き奴が攻め入ってきたくらいで……」
「それが!」
伝令役はごくりと口に溜まった唾を飲み込んだ。
「越後からは佐渡軍の長野業正! 駿河からは今川義元! 武蔵国の品川湊には佐渡軍の船が大挙して押し寄せてきました! ここはいったんお退きくださいませっ!!」
「ぬぐっ?! 長野に今川?! そして湊までも……?」
伊達稙宗は白髪頭を掻き毟った。
稙宗は、自分達が相手を多方から圧力をかけていたと思っていた。だが実は佐渡の羽茂本間照詮がそれを上回る手を打っていたのだ。
「…… 忌々しい。忌々しいぞッ! 佐渡の小童が!!」
「陸奥守様! ……ッ!?」
伝令役の中原将綱は目を剥いた。眼前にいた男の顔がみるみる間に浅黒く醜悪な面相になり、白髪は乱れ、今にも腰の刀を抜きそうになった為だ。中原将綱は命の火が絶える予感がした。
「…… …… 陸奥守様ッ ……!」
「…… 此度は…… 」
怒りに震える伊達稙宗は眼前に聳える陸奥白川城の戦況を見た。
出羽国の軍が正門西門の手勢を屠り、城の防備はより堅牢になっていた。今更東門から突き進んでも勝てる見込みはないことは明らかだった。
稙宗は愚将ではなかった。そして、自分を頼りにする宇都宮軍筆頭家老壬生綱房に逆らうのも「今ではない」と悟っていた。老将は心を鎮めて伝令役に伝えた。
「…… 奴らの『鉄砲』を奪っただけで良しとする。何より綱房殿が『城一つの価値がある』と欲しがっていた『鉄砲』を持ち帰るのだ。軍を退いても恩賞には預かれよう」
「ははっ!!」
中原将綱は安堵の息を洩らした。激昂した伊達稙宗に討たれるかと思いきや、すんなりと兵を引いてくれるという返事だったからだ。
「『相分かった』と、綱房殿にお伝えくだされ。伝令役、ご苦労に御座った」
「は、ははッ!!」
命あっての物種と、役目を終えた小田家の若者は素早く下野国へと馬を走らせた。
そして静まり返った伊達稙宗の幔幕。
「…… さて、我らは軍を退こう。だが、このままでは相手方から追撃を受けることになろう。それは何より危ないことじゃ」
「…… 陸奥守様?」
稙宗の陪臣達は稙宗の意図していることが理解できなかった。
「東門に集めた那須の兵達に、秘薬をありったけ嗅がせよ。そして城へと突き進ませよ」
「陸奥守様ッ!?」
「それは余りにも無謀な?!」
「無駄死にさせるだけですぞっ!!?」
バンッ!!
「五月蠅ぁぁああああああいィいいいいいいいいいいッ!!!」
稙宗の鉄のような拳が床几を叩いた。余りの勢いに無垢なる白木の床几は粉微塵となった。
稙宗の怒りは消えてなどなかった。むしろ見えない土中の炎塊が煮え立つようにぐつぐつと沸き立っていたのだ。
「儂に与えられた那須の兵が弱かったから兵を退くことになったのじゃ! あ奴らがもっと精強であれば昨晩にも城を落とせていたわっ!! 儂の為に死ネッ! それがあ奴らの意味よッ!!」
「うっ……」
与えられた兵は先に宇都宮家に従った那須家の領内から集められた兵だった。稙宗はそれらを捨て駒とすると決めたのだった。
「死ね死ねッ! ハッ! 尿意が沸いてきたわっ!」
兵を死に追いやることに興奮した稙宗は幔幕構わず濁流のような尿を放った。
「ここなら下野国の定めのように尿を壺に出す面倒など無いわッ! さっさと戻り生意気な娘を孕ませて儂の気を晴らすとするわっ! ほれっ! お主らも出せ! 出さぬかッ!!」
だが、稙宗の狂気に恐れを抱いた幔幕の陪臣達のものは縮こまり、雫一滴すら出なかった。
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陸奥白川城の攻防は、宇都宮軍の敗北となった。
伊達稙宗は捨て兵を東門から突っ込ませた後に素早く陣を退いた。狂暴化した兵は必死に投降を呼びかける久保田仲馬の声に耳を傾けずに戦い続け、多くの者が討ち取られた。
陸奥国領内へ侵攻していた宇都宮軍の兵は、領内へ四方から進軍してきた軍勢への対応の為、上野国、武蔵国、相模国の備えへと向かった。だが、佐渡軍、武田軍、今川軍はそれぞれ矛先を交えることなく領内へと軍を退いた。それは予め決められていたかのようだったという。
雪解けの三月。
佐渡軍を統べる羽茂本間照詮は、陸奥国への宇都宮軍の侵攻を「重大な敵対行為」と断罪。陸路海路から軍を宇都宮領内へと進めさせたのだった。
東京都の品川を知らない人はほとんどいないと思いますが、戦国時代の「品川湊」については私もほとんど知りませんでした。
品川湊は鎌倉時代よりも昔から、西国と関東を結ぶ重要な湊であったようです。伊勢湾の大湊など品川はおおよそ30日間の航路。戦国時代は米の集積所となり、米を求める扇谷上杉氏や北条氏、上総武田氏、安房里見氏などから狙われていたとされています。西国の豪商が仕切っていたようです。
徳川家康が天下を統一し江戸が日本の中心となった江戸時代では、その重要性が増したのは言うまでもありません。
次話からは・・・




