第二百三十二話 ~山本勘助~
<天文十六年(1547年)八月 陸奥国南部 白河郡 白川城南 小屋山館砦>
山本勘助は額に汗を滲ませていた。
左目に眼帯。肌は浅黒く、片足は引き摺っており、指は何本か欠けている。渋面で、人相はお世辞と言っても良くは無い。
だが、『才をもって世を治むる』と広言している佐渡国国主羽茂本間照詮にその才覚を認められ、今では「佐渡四天王」の一人として陸奥国を治める国主。鋭く光る隻眼は物事を遥か遠くまで正しく見抜くとさえ言われ、「隻眼の智将」の名は北日本に知らぬ者がいない程だった。
その彼が、見慣れた筈の硝煙と血の匂いが立ち込める戦場で戦慄を覚えていた。照り付ける夏の日の光の中、寒気すら感じていたのだ。
「……ぬう、何故だ?」
「陸奥守様!! そろそろお退きをっ!」
大條宗家は気が気ではなかった。既に敵兵は二町(約二百m)程まで迫ってきている。
「……宇都宮軍、何故崩れぬ? もはや下がる潮時であろう。命が惜しくないのか?」
「敵が近う御座います‼ 白川城までお退きくだされッ」
山本勘助の盟友である陸奥国宮城郡を治める留守景宗の三男、大條宗家は必死に隻眼の将へ声をかけた。砦の上にいるとは言え、国主が敵の矢が届く距離にいるなどあり得ないことだったからだ。
宇都宮軍の足軽達は想像を絶する程の勢いで陸奥国へと前進を続けていた。
勘助は下野国に近い小屋山館砦に二十門ものデミカルバリン砲を据え付け、得意の砲術でそれを迎え撃った。備えは万全。敵軍は大混乱して兵を退く。これまではそうだった。
だが、違った。
宇都宮軍の兵は、砲弾で仲間が吹き飛ばされても、腕が千切れても、轟音で耳の鼓膜が破られても、矢で撃たれても槍で突かれようとも、全く退かないのだ。
「…… 何が宇都宮軍の兵をそこまで追い立てるのか。ここで命を賭す意味が無い。死兵となる理由が無いではないか」
退路を断つことで死に物狂いで戦う兵のことを死兵と言う。城内で追い詰められる、背水の陣を敷く、そうなれば刺し違えるつもりで身を賭して戦う者は恐ろしい力を発揮する。
だが、宇都宮軍は砦に攻め入ろうとしている。下がれば下野国で自分達の陣地がある。退こうと思えばいつでも退けるのだ。
(自分なら、間違いなく退く)
勘助は合点がいかなかった。砦の守りは堅く、力攻めをしても宇都宮軍は兵の数をいたずらに減らすばかり。斥候にも確認をさせているが、陽動や策を弄している様子も見られない。隻眼の智将には、いくら考えても戦いを続ける理を見つけることができなかった。
「……肉親を質とされているのか。あるいは……?」
「陸奥守様ッ!! 矢がッ!!」
宗家は叫んだ! 死にぞこないの宇都宮兵が放った矢が山本勘助に向かって飛んできたのだ!
「!?」
思慮深い山本勘助らしからぬ失態だった。考え事をし過ぎて敵の矢に気付くのが遅れてしまったのだ! 避けようとしたが間に合わない!! 矢は意志を持つかのように山本勘助を襲う!!
「陸奥守様ッ!!!」
「ふ、不覚ッ!」
グサッ!!!
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<天文十六年(1547年)九月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 御館 >
「何ィッ!? 勘助がっ!?」
文を読んだ俺は驚きを隠せなかった。
山本勘助が矢傷で動けなくなっているというのだ。
「はっ。昏睡を続けておられます」
「命は大丈夫なのかっ?!」
「それが……」
報せにきた留守顕宗は言葉を濁した。思ったより容体は悪いようだ。
奥州の抑えである伊達家当主伊達晴宗から届いた書によれば、勘助に刺さった宇都宮軍の矢には毒が塗られており、矢傷よりもその毒の影響で意識が朦朧としているという。
「毒か……」
「陸奥国南部白川城には我が父留守景宗が抑えに入り、宇都宮軍の侵攻を留めております。ですが宇都宮軍の勢いは凄まじく、隣接する甲斐の武田軍も押され気味! 我が軍も一進一退で御座います!」
「援軍が必要だな。直ぐ行こう!」
「まあ待て、照詮」
「えっ?」
俺が半ば立ち上がろうとしたところ、止めようとした者がいた。珍しく館に顔を出していた環塵叔父だ。
俺の現世の唯一の肉親は、俺の逸る気持ちを察してか、ゆっくりと話しだした。
「照詮。お主が南国から帰ってきて、どれくらいになるっちゃ?」
「えっと、二か月くらいか」
「二か月。その間、おんしゃ何を見てきたっちゃ?」
「あっ……」
環塵叔父の柔和な表情とは逆の真剣な瞳から、俺がこの二か月の間、領内を回って自分が何を考えていたのか思い出した。
佐渡の民は、『不安』だ。
主君が国を離れて数年、ようやく帰ってきて落ち着きを取り戻しつつある。俺の顔を見た農民や漁師、守りについていた兵、皆が表情を明るくした。だが、俺が去ると一様に表情が暗くなった。まだ不安なのだ。俺の存在がいつも隣に感じられる、そんな状態にはなっていない。
人の流入も大きい。佐渡は変わりつつある。
安定した治政、清酒や石鹸、畜産などの新たな産業、始まりつつある相川金銀山開発、いくらあっても足りない造船業の人手、各地の物流が集まる倉庫業、そして何より唯一の南蛮交易港としての貴重さ。昔ながらの民と同じくらい、新たに人が入りつつある。
俺がドンと構えていれば、丸く収まる。安心して仕事が出来る。何かあっても対処する。
だが、その信頼感を損なえば……
「確かに、俺が今いなくなるのは不味い、か」
「その通りです。こちらにも裁可を頂かねば」
ドン
そう言って首席文官長の新発田収蔵が置いたのは、巻物の山だった。
「こちらは新たな塩田の裁可。こちらは佐和田の年貢に関する裁可。こちらは……」
「…… 『代わりに』は、駄目だよ、な?」
「某が殿に代わりに認めるのと殿が認めるでは『重み』が遥かに違いますれば。小さなことであれば、また一時的な認可であれば某で行いますが、後々のことを鑑みれば殿が直に裁可するのが尤も明確かつ有効かと思います」
二年の間に溜まっていた書類の山はそう簡単には終わらない。それに、適当になんかは印は押せない。じっくり腰を落ち着けて認めることで、五年、いや十年の道筋が立つのだ。
しかし、陸奥国が攻め入られるようなことがあってはならない。
「だが、陸奥国を放ってはおけまい? 報告書によれば宇都宮軍は怪しげな程に精強と聞く。勘助が起き上がれぬのでは陸奥国が危ういのではないか? 俺が自ら……」
「それに、お世継ぎのことありますよ」
更にそこへ、俺の頭の上がらない人物が現れた。落ち着いた色の着物を優美に身に着た女性だ。
「多恵おばさん……」
「まだレン姫様にも綾姫様にもご懐妊の兆しは見られないのですよ。貴方様が佐渡を離れては、やや子は生まれませぬよ?」
環塵叔父の妻となった多恵おばさんだ。日戸市で俺が救い出した小島弥太郎の母。あれから十年は経ったがその美しさは変らない。
多恵おばさんの言う通り、レンと綾との間にまだ子どもが出来ている兆候は見られない。毎日のように愛し合っているのだが……
「励んではいるのです、よ」
「そうですか。子が出来るかどうかは神仏のみが知ることですからね。ですが、殿が傍にいればいずれは生まれますよ。戦場には貴方様でなくとも、他の方に行っていただいてもよろしいのでは?」
「むう」
「それに、奴らは毒を使うと言う。お主に何かあっては一大事じゃ。子が……」
「環塵叔父。俺は、俺の子だからと言って佐渡国を継がせるつもりはないぞ」
俺は血の繋がりだけの力は信じない。俺の子が無能なら、または心が貧しければ、要職に付けてるつもりは更々ない。国の治政は、その『力』がある者がすることが望ましい。
「まぁ、おんしがそう思うておるのは気づいちょった。だがな、照詮。他の者はそうは思ってはおらぬ」
「……む?」
「他の者を安心させるのは、大事じゃぞ」
そう言うと環塵叔父はニカっと笑った。
成程、皆を安心させるのも大事、か。継がせるつもりがなくとも、子がいれば皆が安心するのであればそれも領主の務めでもある、か。
「おんしには佐渡の民も、レンも綾も、それにノンノやサチも安心させる必要があるっちゃ。子が出来るまではじっくり待つっちゃ」
「事務方の方もよろしくお願い致しまするぞ」
「殿……」
皆が俺を押し留めた。使者として来た留守景宗の長男留守顕宗は俺の言葉をじっと待っている。
どうする…… 俺でなくとも陸奥国は大丈夫か……?
佐渡の民は……? 子が出来れば……
少しだけ悩んだ後、俺は決断した。
「相分かった。陸奥へは行かぬこととするぞ」
「おおっ」
「そして、俺の代わりに環塵叔父、陸奥へ行ってくれるか?」
「え。えぇっ~?」
環塵叔父は目を丸くした。
「い、いや。儂は隠居してるようなもんじゃし。仙人掌の世話や、書の仕事が……」
「はははっ! 冗談じゃ! 環塵叔父は俺の傍に居ってくれ。俺が道を間違えそうな時は声をかけてくれ」
俺は叔父にちょっと意地悪をしたくなっただけだ。
「な、なんじゃ。びっくりしたっちゃ……」
「斎藤朝信! お主を陸奥国へ遣わす!」
「はっ?! ははっ!!」
俺は陸奥国の援軍の主将として、佐渡で俺の影武者として使っていた斎藤朝信を選んだ。前世では『越後の鍾馗』と言われていた勇将だ。その力は十二分に有る筈。
「『佐渡鷹丸』に乗り、津軽海峡を越えて陸奥国へと急行せよ! 俺が行ったと錯覚させよ!」
「ははっ! で、でも殿の御印船を使って宜しいのでしょうか? 佐渡の皆が……」
「佐渡の皆には『佐渡鷹丸は改修中』とでも言っておく。俺が自ら領内を歩けば、それを疑う者もおるまい。そしてお主が船に乗り陸奥国へ行けば」
「成程、敵は『領主自ら参陣』と思う、ということですな」
「その通りだ」
俺の言葉に皆が頷いた。
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<天文十六年(1547年)九月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 御館 寝所 >
「あれ?」
寝所には綾姫だけではなく、レンもいた。今日は綾姫の番だった筈だが……?
「殿。今宵はレン様に『援軍』に来て頂きました」
「援軍……?」
心当たりは、ある。
綾姫は、その、すぐに果ててしまうのだ。
「綾だけでは殿に太刀打ちできませぬ。多恵様にも『困った時には助けを求めなさい』とご助言を頂きました故」
「照詮、いや、殿のお相手を二人でさせていただきます」
レンもその気のようだ。
確かに夜の俺は強い。一人で俺の相手するのは、二人とも大変そうだ。
「む、そう言えば……」
『甲斐の若虎』武田晴信も宇都宮軍に苦労していると言っていた。佐渡軍と武田軍、共闘して怪しい強さを発揮する宇都宮軍と戦えばいいんじゃないか?
「……よし、武田軍にも声をかけよう」
「「殿?」」
俺は目を光らせた。二人いっぺんに? 上等だ!
「本気を見せてやる。民の為にも。傷ついている勘助の為にも。皆の為にも……っ!」
「え?」
「あれ? これは、もしかして……?」
「「大変なことに……?」」
第百五十六話 ~四天王の系譜~
第百七十五話 ~刹那~
から燻っていた対宇都宮軍との戦が始まりそうです。




