第二百三十話 ~本間照詮~
第十四章「生命」開幕いたします。
<天文十六年(1547年)七月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 御館 >
暗闇の中、揺らめく炎芯。
茉莉花の濃厚で甘美な香り。真夏の夜。仄かな月明かり。
正座する俺の前には、白絹の薄い小袖だけを身に付けた女性が一人。
「レン……」
「……照詮」
戦乱の世に生命を受けて十数年。
俺は遂に、レンとの初夜を迎えていた。
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羽茂本間左大弁照詮が「南方巡視艦隊」の任を終えて佐渡に戻ってからの数か月間は、多忙を極めた。
本間照詮が佐渡国の人々から受けた歓迎ぶりは、熱烈という言葉では収まらなかった。
表向き本間照詮は、佐渡国に籠もり政務を司っていたことになっていた。だが実際は当主の信頼の厚い斎藤朝信が主君の影武者として城に務めており、無難に物事を進めていた。
だがそれも「実は照詮様は不在ではないのか」と佐渡国や越後国、出羽国などの領民達が薄々気付き始め、領民達に不安感が徐々に広まった。当主が西南の海へと旅立ったと人伝に聞いた領民達は、「遠方への船旅故に、もしや……」と危ぶむ心が芽生え始め、不安感は焦燥感へ、更には混乱へ。領内全体に初めは小さく、次第に大きく、着実に暗雲が広がり、領内を包み、蝕みかけていた。各地で言い争いや小さないざこざが増え続けていた。
だからこそ、当主本人の姿が小木の港に見えたときの領民の安心感、安堵感は計り知れないものがあった。明るい佐渡国の光が再び舞い戻ったようなものだった。
「おおおっ!! 誠に照詮様じゃ!!」
「佐渡の守り神様が戻ってこられた!!」
「これで安心じゃ…… よし! 酒じゃあ! 酒盛りじゃああっ!!」
西南の海からもたらされた南国の果実や珍品名品、そして西南の地に日ノ本の版図が広がったという土産は、領民に新たな希望の光を灯した。
照詮が次に着手したのは、不在時に留守を守っていた者達への労いだった。特に当主と正室不在の中、国を切り盛りした『綾姫』の手腕はとても大きなものがあった。長尾家という自身最大の拠り所を失った綾姫であったが、自分の働きが佐渡国や領国の為になっていることに奮起し、自らの力で自身の居場所を作ったのだった。
越後国国主長野業正、陸奥国国主山本勘助、越中国国主椎名則秋、出羽国国主久保田仲馬らは当主からの「専守防衛」「国力向上」の命をしっかりと受け止め、領国を外敵から守り続けた。二年の間に新たな版図は増えなかったものの、戦続きで疲れ果てていた民は大いに喜び、人心は落ち着きを取り戻し、田畑は実りを増し、佐渡軍の国力は他国の追随を許さない程に強固なものとなっていった。
佐渡国中東部に位置する加茂湖では、『ノンノ姫』が管理する大きな牧場が栄えていた。牛、山鯨(豚)、鶏に加え、南蛮交易で手に入れた羊や山羊などの役畜が飼育され、次第に頭数を増やしていた。初めての試みで餌や温度、湿度の管理、病気の対応など紆余曲折はあったものの、ノンノ姫の献身的な役畜の育成により、今では生産性に富んだ優良な役畜が船で日ノ本各地へと広まりつつあった。
そして照詮は、西南の海に散った者達への供養にも東奔西走した。
カモデス海でスペイン軍の火船戦術により散った髭の船長こと揚北衆の鮎川清正の親族の元へ直接訪れて謝罪の念を伝えたことは、「当主自ら!?」と周囲に大きな驚きが伝えられた。
「済まぬ。鮎川家の兄だけでなく、弟も死に追いやってしまった」
「大殿様…… 清正は、お役に立てましたでしょうか……?」
「あぁ。俺の代わりに命を投げ出してくれた。清正がおらなんだら俺は生きてはおらん。…… 感謝している」
「…… う、ウゥ……」
清正の妻は、先に亡くなっていた鮎川清長の遺児市黒丸を抱いてさめざめと泣いた。
照詮は償いとして市黒丸の後見人になることを約束すると共に、越後国岩船郡を治める鮎川家に豊富な森林資源を有効活用する『植林』の技法を懇切丁寧に伝えた。樹頂部だけを残して枝打ちをする「台杉」の技法により真っ直ぐで、雪国という厳しさにより生育は遅いが強く粘りのある木が育つようになり、以後揚北衆が取りまとめる越後国北部で製材される多くの木材は、建築、造船で大きな力を発揮することとなる。
更には約束していた天下取りへの道筋を決める「大評定」の準備、その為の各地の情勢の把握、領内の治安の確認、金銀糧秣の管理、不正や不実を行っていた者への処罰、新たな人事案……
内政を司る長谷川海太郎、新発田収蔵、辻藤左衛門信俊らの三奉行がその大半は引き受けていたものの、それらに裁可しない訳にもいかず。照詮の実務は、時には二昼夜を跨ぐこともあった。
照詮は、造船で首席技術官であるイタリア出身の船大工イゴール、その弟子である肥前国松浦党当主松浦隆信が設計している「最新艦」の設計図に食い入るようにして目を通した。戦闘能力向上、輸送能力向上を主眼とした大型船だけではなく、速さを極限にまで追い求めた極細の船体を持つ船、小さいながらも対波性に優れた万能船、居住性の向上を求めた船、海上の新兵器を搭載した特殊船など、どれも莫大な研究費用と開発費用がかかることであったが「最優先である」と二つ返事で答えたという。
小木港の開発ではポルトガル人の主席外交官ヴォルフハルト、越前国との戦いの最前線については七尾城城主の赤塚直宗、佐渡国北部相川で真田幸綱が中心となって行っている金山採掘の状況把握などなど……
照詮がようやく久しぶりに千手村に戻り叔父の環塵に会った際には、激務から解放された気の緩みからか、緊張の糸が切れたかのように倒れ込み、それから三日三晩寝込んだという。
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「照詮…… いえ、おまえさま。御無理はいけませんよ」
「すまなかったな、レン。心配をかけた。ここは少し無茶をするところだったんだ。暫くはゆっくりできる」
「…… 嬉しく思います。おまえさま」
そう言うとレンは慎ましやかに笑った。
二年の間の京での暮らしのせいか、レンの言動は大きく変わった。
昔のようにキーキーと喚き立てることが無くなり、上品で優美な振る舞いを常日頃から行うようになった。誰に関しても寛容で穏やか、こちらが気後れするくらいに嫋やかな女性に見えるようになっている。確かに正室というのはそういった振舞いが要求されることが多い。
「しかし、その『おまえさま』というのは、何だかこそばゆいな。二人の時だけは『照詮』と呼んでくれないか?」
「分かりました。 ……では、照詮?」
「何だい、レン?」
俺は優しく返事をした。
俺は今夜から臥所を共にする女性の問いに穏やかに答えようとした。
「照詮。…… 照詮は誰だっちゃ?」
「!?」
美しく花開いたレンの瞳が俺に強く強く大きな質問を投げかけた。
『俺が誰かだって?!』
俺は焦った。心の臓が急に大きく脈を打ち出した。
「…… どうして、そんなことを聞くんだ?」
「…… ウチが知ってる照詮は、泣き虫で、頼りなくて、いつもウチの後ろにいたっちゃ」
「……」
「ウチは京で色々な本を読んだっちゃ。でも、照詮のような力を出してこんなに日ノ本を動かした人はいないっちゃ」
レンの瞳に笑みは無い。真剣な問いだ。ずっと溜め込んで溜め込んできた疑問だったのだろう。
「俺は……」
俺は迷った。真実を告げていいものか。未来から転生した男だと。
「…… 俺は…… 」
俺は二度目の生命を受けた。その疑問は俺も感じていた。
だが、多分、この謎には理由がある。
…… 恐らく、一人目の本間照詮は、死んだのだろう。
遠い昔に殺したあのブタに蹴られ殴られて、齢五つの子は生命を失い、魂は空へと還ったのだ。
そこへ祈りを捧げた者がいた。「本間照詮に良い事があるように」、と。良い事とは「幸福」という意味もあれば、「仇討ち」という意味も含まれた。
故に、日ノ本に福をもたらす力と憤怒の心を宿した者の魂が、その身に漂着した。俺の魂が選ばれたのは、いや、俺の魂を選んだのは、この女性だ。レンだ。
「…… 俺は、俺だよ。本間照詮だ」
「…… そっか」
転生についてはいつか話すかもしれない。でも、今は言わなくていいはずだ。
俺の言葉にレンはほっとしたのだろう。レンの瞳から放たれていた強い力は消え失せ、表情は向日葵のような優しく華やかなものへと変わっていた。
俺はそんなレンが愛おしくなり、ポンポンと軽く頭を叩いてみた。レンはフフっと笑った。
「これから忙しくなるっちゃ。今日も疲れたっちゃね」
「あぁ、そうだな。青雲は躍り出すわ、仲馬叔父は泣きだすわ」
「「環塵は酔っぱらうわ!」」
俺はレンとアハハと笑いあった。環塵叔父の酔っぱらい具合はいつも以上だったな。日ノ本各地から集まった盛大なる式の中で、いつもながらに酔っぱらえるのは流石だった。いい意味で。
俺はレンと一緒に腹を抱えて笑いあった。初夜ということもあって少し緊張していたが、その緊張も完全にほぐれた。
男女の交わりも考えに無かった訳ではないが、焦ることはない。疲れもあるし寝ることにしよう。
「さ、今日はもう寝ましょうね。おまえさま」
「ああ、そうだな。あぁ、でも寝酒を一杯……」
ゴキュッ
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翌朝……
「白貉姉様?」
「なあに、白狛?」
白い髪をした双子の姉妹が話し合っていた。
「あの、その…… 大殿は、お酒に強い方なのかしら」
「いえ。昨晩の荒れ具合からすれば、『弱い方』よ。それも『飛び切り』に。それに……」
「それに?」
姉の忍びは妹の耳元へと手の平を近づけた。
「御酒で相当『御淫乱』になられる方よ」
「えっ?!」
妹の忍びは両の手で顔の赤らみを抑えた。
二人はレンの数少ない心を許せる共として寝所の護衛をしていた。
そして、その後の様子を聞いていた数少ない者でもある。
すると、襖の向こうから言い争いの声が二人の耳に聞こえてきた。
「馬鹿っ! すけべえぇ! ド淫乱っ!!」
「し、仕方ないだろう! 初夜だったんだからっ!!」
「やりすぎだっちゃ! 五回とかありえないっちゃ! もう立てないっちゃ~~~!!」
襖の向こうでの痴話喧嘩を聞いて二人はふふふと向かい合い、
「「新しい生命が生まれるのも、遠くないかもしれませんね」」
いたずらっぽく笑みを漏らした。
レンとの初夜を迎えました。
ということは……
内政を含めた話が多くなるやもしれません。
そして「生命」が意味するものとは。
「いのち」の語源は、「生きている内」⇒「いのち」や、「イ(息、生)」と「チ(勢い、血)」が混ざったもの、など諸説あるようです。
本章も、よろしくお願い致します。




