第二百二十六話 ~『蝶』~
<天文十六年(1547年)三月 京 御所 >
「さっさと歩け。歩かぬかっ」
「……」
頼れる者も味方もなく、罪人のように望まぬ道をとぼとぼと歩くレン。
(どこで間違えたのだろう)
レンは自分の歩んできた道を自問自答した。幼い自分と幼い照詮との思い出をなぞった。
(泣き虫だった照詮。いつも私の後ろを歩いていた照詮。
本家の奴らにいびられていた照詮。父と母が死に、折檻されてぐったりと寝てしまった照詮。私は願った。『どうか照詮に良い事があるように』、と。
…… 三日後、照詮は起きた。
そして、人が変わったように本家の奴らを取り除いた。村は栄えた。佐渡から争いが無くなった。父も母も村の人も、みんなが喜んだ。照詮は更に佐渡を、日ノ本全部を良くしようと頑張った。
だから私は、それを支えたかった。
明るく振舞った。剣術修行を一緒にやった。照詮の体を労わった。駄目なことは怒った。我儘はちょっとは控えて羽茂で照詮が帰ってくるのをひたすら待った。
私にはナーシャのような知恵も、綾のような淑やかさも、サチのような商才も、ノンノのような生き物と心を通わす力も無かった。あるのは元気さと、照詮の幼馴染という肩書だけだった。
だから、京からの報せが来た時、本当に嬉しかった。『これで照詮の役に立てる』って。京の都との繋がりは照詮には絶対必要。山奥の百姓生まれで学も品も無い私にもできることがあるって。
読み書きや習い事、礼法、それに和歌。初めは何にも分からなかった。でも、きっと役に立つ。そう思って必死に学んだ。白塗り女達に負けないように一生懸命にやった。『照詮の妻になるんだもの』『日ノ本一の妻になるんだもの』『これくらい耐えよう』、って。
……でも、全てが無駄になった。
御麿殿下は、初めは私を可愛がるかもしれない。
でも、それは『珍しい蝶を捕まえた』だけ。別の綺麗な蝶を見つけたらすぐに古い蝶は捨てられる。あんなに美しく嫋やかな目々典侍だってそうだった。綺麗な羽をもぎ取り、放っておく。最低だ、使い捨てなんて。
…… 照詮にもそんな感じがあったから、釘を刺した時があったっけ。ふふふ)
昔を思い出し、ふと笑みをもらしたレン。
しかし、その笑みも束の間だった。現実を思い出したその無垢なる瞳からは再び光る雫が滝のように流れ落ち始めた。足は止まり手は顔からくっついたように離れなくなった。
(嫌だっ! もう一歩も歩きたくない!! 佐渡に戻りたい!!)
嗚咽を洩らすレン。そんなレンの様子に苛立ちを隠せなくなった男達は声を荒げた。
「おい! いい加減にしろ! 歩けっ!!」
男達はレンを押して進ませようとした。
その時だった!
ウワアァア!!!
ガン! ドン!! バン!!! ガラガラッ!
揉み合う怒鳴り声が聞こえたかと思うと何処かで大きな建物が壊れる音がした!
レンは只ならぬ空気が万魔殿全体を包んだことを感じだ。
そしてその空気は懐かしい佐渡の匂いと似ていると悟った。
レンは歩きだした。
初めは一歩。そして、二歩、三歩。
その歩みは次第に早くなった。歩数を重ねる毎に速さが増した。ここが走ることを禁じられた廊下なぞという規則は頭から跳ね飛んだ。
レンは走った。蝶のように。羽茂の野山を照詮と駆けまわった頃のように。
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<天文十六年(1547年)三月 京 御所 建礼門~御所内>
先発した兵達が御所の門番と揉めている。事前に通達してあったが嫌がらせを受けているようだ。
「武装した者を宮中に入れることは罷りならぬ! 去れい!」
「くっ……」
腐っても御所を守る番人は、気迫はそれなりにあるようだ。俺の兵も負けてはいないが、ここは待つのが正解だ。
「武装してなければよいのだろう?」
「何ィ? …… ああっ!!?」
俺を睨みつけようとした門番がポカンと口を開けた。唖然としたろう?
金糸で刺繍された「抱き葉菊」紋をつけた直垂。布地は大陸から仕入れた最上級の生糸をふんだんに使った絹。更に銀糸で朱鷺の複雑な文様が描かれている。当然のように漆黒の引立烏帽子も被っている。完全なる武家の正装だ。蔵田のおっちゃんが成長した俺用に作っておいてくれた特注品。鮮やかな瑠璃紺色は宝石を着ているようにも錯覚する程の壮麗さだ。
同行している土佐一条房基は一条家伝来の純白の狩衣。目がギョロっとした島津日新斎も鎌倉以来の伝統を引き継ぐ「丸に十字」紋の萌黄色直垂。上杉謙信、宇佐美定満、樺山善久らも同様。不無は臨済宗の僧らしく紫色の道具衣に九条袈裟。皆、宮中参拝に不足はない出で立ちだ。
「従四位上羽茂本間左代弁照詮である。通達通り、西南の珍品名品を帝へ献上しに参内致した。帝への拝謁に上がる。門を開けよ!」
「…… 急な拝謁には時を要しまする」
「不無? 以前はそのような仕来りは無かったと思うが……」
「如何ほどか? 」
「…… 閂が古くなっております。開錠に半時は掛かりまする」
「はあ? そげんに待てぬわ!」
睨み合っても語気を荒げてもどうあっても首を縦に振らぬ門番。どうやら何かの時間を稼いでいるようだ。
胸騒ぎを感じる。このまま待てば悪いことになりそうな気がする!
俺は目の前の古びた門を見て即座に行動を始めた。
「…… では待つとしよう……」
「「殿!!」」
「と思ったが、どうもこの建礼門は御所の門としては『古すぎる』。閂もままならぬようでは不便であろう。よって、この羽茂本間左代弁照詮が責任を持って建て替えよう! 善は急げ、じゃ……」
「!?」
俺はあらん限りの声で叫んだ。
「今すぐこの建礼門の改修普請を行うっ!!」
「なっ何をっ!?」
「羽茂本間左代弁照詮が命じる! 大槌隊! この門を叩き壊せっ!!」
「「御意!!」」
ガン! ドン!!
グシャアアアアアアアアッ!!!
「あ、あ、あぁぁあああ……」
崩れ落ちる建礼門。これで下京の宮大工にいい仕事を回せると言うものだ。
「では、失礼いたす。お役目ご苦労で御座る」
腰を抜かして動けない門番を後目に、俺は礼儀正しく御所へと入った。
御所の中は大慌てだった。
突然門が崩れて何事かと人がわらわらと集まってきた。俺は彼らの意図を無視してレンのことを尋ねた。
「向日葵姫はいずこか?!」
「向日葵、姫?」
「何処におる!?」
「…… 向日葵姫様なら、典侍叙任に向かわれたかと……」
「何ィ!?」
「ヒッ!」
名も無き御所の男が怯えた。怒気が混じってしまったようだ。
東へ向かった中条景資が何者かを見つけた。
「殿! 怪しき者達を見つけ申したっ! 隠れるように建春門から出ていこうとしておりましたっ!!」
「連れてこい!」
「はっ!!」
白塗り女が十名程と男が数名。俺達を見て逃げ出そうとしていた。
「殿! この絹袋はレン様の!」
「ぬ!?」
肥えた女官が隠し持っていたのは俺がレンに贈った護身用の蛇行剣が入った袋だった。
「女! これをどこで手に入れた!」
「ヒィッ! し、知りまへん!!」
「ひ、向日葵姫が譲ってくれたんだよ」
「これ! それを言うな!」
誤魔化そうとした肥えた女。だが取巻き女の一人が命欲しさに真実を語った。いや、真実ではない。レンがこれを人に譲る筈がない。
「女共を捕らえておけ。後で問い質す」
「ははっ!」
レン…… 何処だ?
何処にいる……!?
まさかもう……?
焦る俺。額からは汗が滲む。
もしや…… 既に手遅れに……
その時だった!
「照詮!!」
俺は気づいた。俺に向かって飛んでくる蝶を。
叫んだ蝶は飛んだ。煌びやかな衣をはためかせ俺の元へとふわりと飛んできた。
…… 蝶は俺だけじゃなかったんだ。
俺は何処かで見た夢を思い出した。だがそれはすぐに忘れてしまった。
ドン!
夢ではなかった。夢にはない重さと愛おしさが現実にはあった。
「待ってた…… 待ってたよ…… 照詮!!」
「……待たせたな。レン」
レンは泣いていた。俺に会ったから泣いたんじゃない。それより前から泣いていた。目や頬を真っ赤に腫らして顔が滅茶苦茶だ。酷いことが積み重なった顔だ。
「照詮…… ウチ、ウチは……」
「大丈夫だ。大丈夫だぞ、レン」
「自分で何とかするつもりだったっちゃ…… でも、でも…… ごめんね……」
「謝ることは何もない。俺がレンに会いに来たんだ。何も言うな」
泣きじゃくるレン。俺は弱り果てたレンの体をしっかりと抱いた。
俺が思っていたよりもレンの体は華奢で小さかった。俺の背丈が伸びたのかもしれない。泣きじゃくっていたレンは俺に会えて安心したのだろうか暫くすると気を失ってしまった。
俺はレンを迎えることが出来て胸を撫で下ろした。
だがそれとは逆に、怒りの炎が沸々と煮え滾ってきた。
…… 許さん。
許さんぞ。
策謀を用いて俺とレンを引き裂こうとした者を。
多くの者を戦火に投げ込んだ輩を。
己の生まれの地位を濫用して日ノ本を乱す者を。
…… 俺の見つめる先。そこには一人の男がいた。
章題回収。
そして……




