第二百二十五話 ~震える都~
<天文十六年(1547年)三月 京 御所 >
「!? 何をするのです! 離しなさい!!」
押し入れられた部屋でレンは叫んだ。四方を囲まれて進んでいた際に、不意に引き寄せられたのだ。
そこには日頃からレンに対して嫌がらせを続けてきた女官達が、厚く白塗りした面からも分かるほど醜く汚れた表情を浮かばせて立っていた。
「向日葵。目障りやわ」
「こんな女子が殿下の傍に侍るとは世も末やわ」
「…… 好きで呼ばれてる訳ではないっちゃ」
「まあ!? なんて下劣な言葉?! お聞きあそばした? 皆様!?」
「ええ! それに貧相な体つきにさもしい髪も薄気味悪いですわ!! この女が典侍とは片腹痛いですわ。針女でも勿体ないですわ」
意地の悪い女官達はレンのやること為すこと全てを愚弄し尽くしてきた。最後の憂さ晴らしに来たということだった。
レンは今までは体面をどうにか維持する為に怒りを堪えてきていた。如何に誇りを傷つけられ詰られようとも拳や武器を使っての反撃は一切行わなかった。だがそれも今日で終わりだと気づいたレンは不敵に笑った。自分の腕をぐいと掴む太った女官の腕を容易く振り払うと、悠然と言い放った。
「ええ。ウチなんかがいていい場所じゃないっちゃ。それでも支えてきてくれた人たちの為に堪えてきたっちゃ…… でもそれも今日で終わりだったちゃ!!」
「ヒッ?! 何をするつもりであらしゃいますの!?」
「こ、これを見ても抵抗を致しますのっ?!!
レンの強行な振舞いに怯えた女達。だが、尤も痩せこけた女官が指差した先を見て、レンの瞳が、凛と燃えていた双眸の炎が明らかに揺らいだ。
「白貉! 白狛!?」
宮中にいる自分の数少ない心許せる部下。寄り添ってきてくれた二人の腹心。その双子の忍達が目を腫らし頬から血を流し縄で縛られ、男共の監視下に置かれたいた。
「二人をどうしたっちゃ!」
「フン! この二人が宮中を探りまわっていたことは知ってるんだよ。あらかじめ待ち伏せていたところにこの女達が来たから捕まえておいたのさ」
「「姫様……」」
形勢は逆転してしまった。二人はレンにとってただの部下ではない。心を許せる親友、深く絆を共にした姉妹とも言うべき存在だった。二人に更なる危害が加わる恐れを感じたレン。燃え盛るように光っていたレンの目から、光は瞬く間に消えて失せてしまった。
「ふ、二人は、わ、わたしが使いを出しました。探り回っていたのではあらしゃいませぬ」
「あ? なんて言ったんだい?!」
「ど、どうかご無礼をお許し、くださいませ……」
頭を垂れて謝罪するレン。それを見た女官達はニヤリと笑った。ずらずらとレンの周りを囲みレンの髪をグイと掴んで顔を上げさせ醜く罵った。
「はん! 最初から余所から来た卑しい女らしくしてればよかったのにさ!」
「ぐっ……」
ガスッ
「蜘蛛や百足なんかと一緒に土でも弄ってればいいんだよっ!」
「あぁっ」
バシッ
「精々、殿下と仲良くしなよ! 私達はもうここから離れるからねっ!」
「あっ……」
ベシッ!
女官達はレンを口ぎたなく罵るだけでなく顔や腹を殴る蹴るしながら部屋から出ていこうとした。
「何処かの馬鹿大名が、事もあろうか細川様を打ち破り京へ来るって言うからね。田舎者は何をするか分からないよ。ああ怖い怖い」
「!? 照詮かもっ!?」
ガン!!
口を開いたレンの顎に向かって一番肥えた女官の腕が強く当たった。勢いの余り倒れたレン。その懐から護身用の蛇行剣の入った袋が床にだらりと落ちた。
「あっ!」
「おや? 何だいこれは? へぇ、珍しいモノじゃないか。貰ってくよ」
「駄目だっちゃ! それは照詮からの!」
「……あの二人の娘がどうなってもいいんだね?」
「……」
肥えた女官に言われてレンは言い返すことが出来なくなった。白貉と白狛の命には代えられない。最愛の人から贈られた懐剣は盗られてしまった。
無力感、やるせなさ、憤り。色々な悩み、苦しみ、痛みがレンの体を蝕んだ。
「では、もうよい。二度と見まへん!」
ゲスッ
女官が最後にレンを強く蹴った為レンの態勢が崩れた。身分の低い男達はニヤニヤとしながらようやく白貉と白狛を解放した。身動きの取れないくらいに痛められた二人の姉妹。助けを求めた文は届かなかった。助けを呼ぶことは出来ていない。三人で逃げることは困難になった。
どうにもならない。
「自分で何とかする」「照詮の邪魔をしない」
そう心に決めた心が朽ちた枯れ枝のようにぽきりと折れた。レンの瞳から涙が零れた。「負けるまい」「泣くまい」と堪えてきた堰が遂に壊れた。
最初は一粒。それが二粒、三粒。
必死に堪えようとするも、涙の勢いはだんだん強くなった。はらはらと流れる涙は佐渡「大座礼の滝」のように強く儚く流れ落ちて止まらなくなった。
「向日葵姫! まだですか!? 殿下がお待ちですぞ……!」
障子の外からは魂の入らない虚ろな声が響いた。助けはない。頼りにしていた武器もない。直ぐに行かねばならない。
レンは唇を噛み嗚咽を洩らした。
「照詮、早く来て…… 助け、て……」
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<天文十六年(1547年)三月 山城国 京 下京 六角堂>
京の町は大いに騒ぎ荒れていた。
細川氏綱率いる幕府軍を破り、佐渡の従四位上羽茂本間左代弁照詮が京の町へ軍勢を率いて向かっていると言うのだ。
二条通りを挟んで北は上京、南は下京。二つに分かれた城郭都市に通じる唯一の道、室町通りをどうするか。また佐渡軍を町の中に入れるのか。
下京を分ける五つの町組、すなわち中組・西組・巽組・艮組・七町半組の五つの町組の「町衆」の代表者・有力者が町の中心である六角堂に集まり顔を見合わせていた。
「何も心配することはない。我らは左代弁殿を迎え入れるだけだ」
「正気ですか!? 細川の氏綱ぼんを破った男やで? 我らが守ってきた京を壊しよるかもしれまへんで?」
口火を切った小西四郎右衛門の言葉に、菱屋五兵衛は血相を変えた。菱屋は西洞院家と繋がりが深く、佐渡軍への悪口を吹聴し回っていた為だった。だが、
「いやいやいや、わいは左代弁はんに会おうたことはあり申すがそれはもう凛々しい御方でんがな。嘘か誠か分からんが御上と御血続きと聞くで。そんな御方が京を荒らすなど……」
「せや」
万屋市兵衛、服部九左衛門らは菱屋の言葉に同調しなかった。更に金屋源工衛門が徐に口を開いた。
「……これは確かな筋の話なんやが」
「ん?」
「左代弁はんの奥方になる女子を、こともあろうか(方仁)御殿下はんが掠め取ろうしているらしいで」
「?! ひ、ひえぇ?!」
「『軍神』『戦の申し子』と呼ばれる御方が精鋭を引き連れて来る理由はそれらしいで。これは、ゴネれば京の町は……」
「いやいやいや、それはありまへんて! 佐渡とか言う辺鄙な土地の者を下京に入れたらえらいことでっせ!」
あくまでも菱屋は反佐渡軍派だった。一向に説得に応じようとはしない。
これでは埒が明かないと、万屋市兵衛は切り札を出すことにした。
「……菱屋はんはご存知ありまへんか? 佐渡の左代弁はん、楯突いた堺の町を事も無げに焼いたらしいで」
「…… ほんまか?」
「焼かれる様子を楽し気に見ていたそうじゃ」
「……」
「聞けば昨日のうちに万里小路はんは一族郎党を引き連れて京を離れたそうじゃ。逆らう者には血も涙もない御方やで……?」
「で、では、いかがすればよいのじゃ……」
震える商人。全面降伏するとしても命の保障はない。
頼れるものは自分達だけ。一歩間違えば下京は火の海だ。
そこへ一人の男がぬっと六角堂の戸の陰から姿を現した。
「照さんにはおいらが話をつけるろー。任しておいてくれろー」
この場の雰囲気に合わない声が響いた。青い着物の胸元を大きく開けさせた狐目の男だった。
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<天文十六年(1547年)三月 山城国 京 下京 室町通り前>
「照さん! お久ですろー!!」
「ん? おおおっ! 青蜘蛛じゃないか!」
下京を抜けて御所へと急ぐ俺の前に、空海屋の番頭として黒蜘蛛に従っていた青蜘蛛が姿を現した。商人を表の顔、諜報活動を裏の顔として行ってきた忍びの一人だ。
「ここでは『青雲』で通してるろー。下京はおいらに任せてくれろー」
狐顔の青蜘蛛は万事心得ているようだった。下ごしらえを十分にしてくれたようだ。震える下京の町衆がすんなりと門を開いた理由が分かった気がした。俺のことを非常に怖がっているようだ。幼い子が俺の軍が下京を通り抜ける姿を見て泣いたほどだった。いいぞ。恐れろ、慄け。この時代の恐怖は厄除けと同義だ。
後で俺の兜と槍を厄除けに進呈しよう。祇園祭の山鉾に生かしてもらっていい。
この室町通りを抜ければ、烏丸の御所は目と鼻の先だ。
「恩に着るぞ! 黒蜘蛛は元気か?!」
「積る話は後でするろー! レン様が大変みたいだろー! 照さんは先を急いでくれろー!!」
「!? 分かった!」
俺は大きく頷くと、気慣れない着物の袖をまくり馬を走らせた。レンに何かあれば震えるどころでは済ますつもりはない。誰でもだ。
作中「大座礼の滝」は佐渡ヶ島北部の断崖絶壁から海に流れ落ちる滝です。ザレは基本的に「大ザレの滝」とカタカナですが、言葉の響きから高知県の大座礼山と同じ漢字をつけました。ザレとはザレ場(崩壊地)から来ているように思います。
落差70mもある大きな滝ですが「船からでしか正面を見ることができない」とも言われているほど辿り着くのが難しい滝のようです。1989年に旅行会社のJTB様が「日本の秘境百選」に選んだほどの絶景。一度見てみたいですね。
戦国時代の京は、上京と下京に分かれてどちらも城郭都市のようなおもむきだったようです。堀が掘られ、余所者を受け入れない。税率50%を取られながらも身の安全を保障するものがない時代、己の安全を確保するためには必要なことだったのでしょう。上京は一条革堂、下京は六角堂を中心として、有力商人「町衆」が取り仕切り命や財産だけでなく、文化や産業、伝統や祭りなどを守っていたようです。京の町の様子についてはもう少し詳しく書きたいところですが物語を進めるにあたり端折らせてもらいました;;
「近世における京都室町商人の系譜」足立政男氏著
http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/15202.pdf
「中世京都の堀について」山本正雅氏著
https://www.kyoto-arc.or.jp/News/kenkyu/02kiyou-3.pdf
などから学ばせていただきました。
いよいよ御所へ……




