第二百二十四話 ~石山御坊から京へ~
<天文十六年(1547年)三月 摂津国 東成郡 石山御坊 寺内町>
ガンガンガン
エッホ、エッホ
堀や土塁の普請が矢継ぎ早に進められる寺内町に入った俺を待っていたのは二人。
一人はよく見知った俺の義祖父となる男。もう一人は穏やかな表情の裏に狂気を宿した男だった。
「小鬼はんっ! 戦の大勝おめでとうですよって!!」
「ありがとうな、蔵田のおっさん!」
石山御坊で俺達を待っていたのは、直江津一の豪商「越後屋」の当主蔵田五郎佐だった。年の頃は老齢と言っていい頃だが、艶のあるでっぱったおでこと大きな張りのある声は健在の様子。堺の町からここへ依頼通りに糧秣や入り用の物を運び込んでくれたようだ。
そして……
「本願寺第十世法主にして石山御坊が主、本願寺証如に御座います。武功の誉高き佐渡の左大弁殿にお会いでき歓喜の極みに御座います」
「…… こちらもだ。越中安養寺御坊の(本願寺)実玄殿からは『会ったら宜しく』と言われていた」
「ははは、あの一門の変わり者と懇意と聞いたときは笑いましたぞ。なれば我とも深く縁を結んで頂けましたら、共に仏の正道浄土真宗を究めることが叶うことでしょう」
「それは遠慮しておこう。俺は真言宗なんだ」
「宗派変えなど些細なことです。……法華宗の腐れ共であれば生かしては帰さぬつもりでしたが」
「…… 嫌っておるのだな。法華宗を」
「いえなに、十数年前に山科(京)の寺町を法華の腐れ共に焼かれましてな。ここ石山の地を本山としているのですよ」
「なるほど。通りで」
ここ石山御坊の至る所で土塁と堀を拡張し続けている理由が分かった。急いで要害化を進めているのだ。乱世の世を生き抜く為に、治外法権である寺内町を広げるが為に。
俺は山科の寺町が焼かれた理由が、暴徒化した一向宗が堺まで押し寄せ本願寺弾圧の責任者だった三好長慶の父三好元長を殺し、更に京の法華衆を駆逐しようとした大乱の仕返しだったことは知っていたが、敢えてここでは触れなかった。だって、目の色がヤバいんだもの。法主の。
「二十にも満たぬ我が負ったその時の火傷の跡が未だに疼きます。あの腐れ法華門徒や比叡山延暦寺の愚物共を全て地獄の炎の中に焚べるまでは我の怒りは収まりません。左大弁殿には我と共に……」
「うん! 気持ちは分かる!! 分かるぞ!! だが京への道を急いでいてな! 今回の戦にどちらにも肩入れしなくてありがとうな!」
「左代弁殿の為人を予めに見ておれば、即座にお味方いたしたものを。さすれば……」
「いやいや! 気持ちだけで結構だ!」
「左様でしょうか? いやでも……」
本願寺証如の、ゲージの振り切れ具合がヤバい。色々な方向にヤバイ。
一向宗を味方にすれば心強いであろう。石山の地は数多いし人の出入りも多い。報酬もいらずにいくらでも戦力を出してくれるだろう。
しかし、だ。味方してもらったら最後、勢いの歯止めが効かなくなりエスカレートするに決まっている。「仏の為」と言いながら全てが敵に見えてきて、遂には京を焼き他の全ての宗派の僧を皆殺しにしかねん。そして、それが全て俺の責任になる。そら細川晴元が一向宗を見限る気持ちも少しは分かるわ。
今回、静観を決め込んでくれてよかった。両細川との戦に組んでくれたら戦力は上がったかもしれない。だが、かえって両軍の結束を生んだろう。悪手となったに違いない。
「小鬼はん! 話が弾んでいるところえろうすまへんが! 京へ急ぎまへんといかんですよって!!」
「お、おう! そうだった! 済まぬな法主! 互いに不可侵を続けていくことで頼むぞ。ではな…… っと、幼き『茶々殿』にも良しなに!」
「はて? 我の愚息をご存知とは……? あ、承知致しましたぞー」
俺は「証如の息子」との縁こそ大事にしたかった。「茶々」という名前が付いているから分かっていなかったが、そのうち呼ばれる諱は「光佐」。本願寺光佐。前世では「信長最大の敵」と呼ばれた一向宗の宗主「本願寺顕如」だ。
既に茶々殿は、京御所の公家の重鎮右大臣三条公頼の三女と婚約している。公頼はレンの義父だから、言わば茶々殿は俺の義兄弟となる。仲良くしておいて損はない。というか、仲良くしたい。今後の為に。
俺は蔵田のおっさんが用意しておいてくれた特注品を受け取ると、京への道を急いだ。
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<天文十六年(1547年)三月 京 御所 鷹の間>
「嫌です! 何故に参内せらねばならないのですか?!」
「…… 殿下の御下知に御座いますれば」
向日葵姫ことレンの居室である鷹の間には、血走った眼を光らせた十数名の公家の男達が押し寄せていた。皆、官位の低い者達である。雲の上の強者からの命令に絶対服従をしなくてはならないことが明白であった。
「嫌と言えば?」
「『手荒なことをしてもよい』と宣いあそばすれば……」
「御上(帝)からの宣旨はあらしゃいますの?」
「…… お召し替えの後、半時内にお越し頂けぬとあれば……」
「…… 否応無し、ってことだっちゃね」
レンは肩の凝る嫋やかさを投げ捨てた。「来るべき時が来た」と思った。
「青鳩の君」からの書は届いていた。危険が迫っていると。対処法はいくつか示されていた。しかしどれも実現性が低い博打のようなものだった。
「「向日葵姫様……」」
「白貉、白狛。用意するっちゃ」
「「姫様?!」」
レンは予感していた。照詮がすぐ近くに来ていると。
だが確信は無かった。ただの願望であると心折れそうにもなっていた。
長く伸びた髪を切り、典侍叙任を固辞することも考えた。
だがそれは断る理由にならないと分かった。
義父の三条公頼も何かに侵されたように典侍叙任を止めに入ることがめっきり少なくなっていた。味方はいない。孤立無援。覚悟を決める時が遂にやってきた。やってきてしまった。
「…… 然らばお待ち致します。くれぐれも軽挙を御慎みいたしませ」
「……」
書は二通。一通は左大臣一条房通。もう一通は青鳩の君へ。
物言わぬ女官らに化粧を施されている中、レンは信頼できる二人の忍びを走らせた。
「あと、は」
支度が終わったレンは、宛がわれていた豪奢な漆塗りの長櫃(蓋が開く箱)から愛用の蛇行剣を取り出すと素早く胸元にしまい込んだ。最悪の事態の時に使うことのできる自分の護り刀である。
「待たせました」
最上級の臙脂色の紅を厚く差し、重く鬱陶しい五衣(上級女官が着る装束)に袖を通した向日葵姫は、二年以上を過ごした自らの住処である鷹の間から思いを込めた一歩を踏み出し諳んじた句の一つを寂し気に詠んだ。
「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも
軒端の梅よ 春をわするな」
『吾妻鏡』に書かれていた和歌。それは、『二度と戻らぬ』という意味の悲しみの詩。レンは不退転の決意で歩みを進めたのだった。
「石山本願寺」と言えば、戦国時代に織田信長の前に立ち塞がった「石山御坊」を拠点とした一向宗。その総本山である「石山御坊」の「石山」の名は「そのまま礎石に使える大きな石が土中に多数揃っていた」(石山本願寺 wiki様より抜粋)という話ですが、いつ頃から呼ばれたかは定かではないようです。むしろ「小坂御坊」「大阪御坊」「大坂本願寺」と呼ばれていたという説もあります。本作ではなじみの深い「石山本願寺」「石山御坊」として物語を進めさせていただきます。
十世法主の本願寺証如の「山科~」の逸話は史実を元に描きました。因みに「第百三十八話 ~茅潜~」から登場している越中の本願寺実玄との血縁関係では、証如の父が円如、円如の父が実如、実如の兄が蓮誓、蓮誓の子が実玄。ということで証如から見て祖父の兄弟の子ということで、従伯父となります。
顕如との関係(従属?同盟?敵対?)は、しばらく後になることと思います。
吾妻鏡の和歌は、源実朝が暗殺された日に詠んだとされるために「禁忌の和歌」とされている歌です。レンの覚悟が伺えます。
実朝は28才で亡くなっていますが和歌の名人として知られており、
「大海の 磯もとどろに 寄する波 われてくだけて さけて散るかも」
なども有名です。「われて、くだけて、さけて、散るかも」とはダイナミックな表現ですよね。百人一首の「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」などが入った「金槐和歌集」の作者としても知られています。
いよいよ「蝶」が……




