第二百二十話 ~舎利寺の戦い(一)石~
あけましておめでとうございます\( 'ω')/!
<天文十六年(1547年) 三月 摂津国 舎利寺郊外 佐渡軍 右翼前線>
戦が始まろうとする最中。
掻盾陣を組んだ土佐国の若虎安芸国虎は釈然としない面持ちで足元に転がる変哲もない石を眺めていた。どこにでもある石。金のように価値も無く水晶のように光りもしない。目前に迫る敵の大軍を前に自分とその路傍の石が似ていると感じた国虎は、漫然たるやるせなさを感じ苛立ちを隠せなかった。
「これじゃーおらはふて石(捨て石)じゃーないがか(ではないか)!?」
「……不無。如何した? 安芸の若虎よ?」
国虎の背後から張りのある声が響いた。
飾り気のない黒衣の袈裟にきりりと整った眉。先の土佐須崎の合戦での処分保留になっている安芸国虎の後見役である不無、元能登国国主畠山義総その人であった。
安芸五千貫の領主であった国虎は、不無に不満に思っていること全てを洗いざらいぶちまけることにした。
「不無しゃん! おらは討ち死にするように仕向けられたがかぇ!?」
「不無、何故にそう思うのじゃ?」
右翼先陣を任された安芸国虎は、舎利寺方面に陣取る細川氏綱の軍を指差し、その後自軍の左翼を同様に差した。
「京の都を占領しちょる細川氏綱が率いる軍の兵はまっこと(とても)多いぜよ! 対して右翼は先陣の儂の軍の後ろに中条藤資の子の景資が一千を率おるくらい。これで右翼が相手に勝つのはいかんぜよ!!」
「不無」
「対して左翼は弾けるくらいに意気威ぜよ。鉄砲や大砲もねんごろ(全部)左翼やか。おらを打ち負かした上杉謙信の騎馬隊も左翼。これじゃーおらの軍はふて石ぜよ……」
「勝てぬ、か」
元能登国国主として辣腕を振るった男は、黒衣の袈裟をゆっくりと撫でながら答えた。
「不無不無。……そうであろうな」
「!?」
その言葉を聞いた安芸国虎は丸い目を殊更に大きく見開いた。
「大殿は明らかにおらの軍をふて石にして左翼のみで戦う腹つもりぜよッ!! ……儂は土佐の戦いでは確かに負けた。佐渡軍は強い! じゃが他の軍の奴らとぶっちゅうように(同じように)佐渡の軍が敗けた兵を矢避けとして使うとはばっさり(がっかり)いたぜよ!」
尖り歯を剥き出しにして国虎は怒りの感情を隠そうとしなかった。
その様子を見て不無は、羽茂本間照詮が多くを伝えなかった理由は「自分が説明しろ」ということだと悟った。
「不無…… もしそうだとしたらお主の怒りは尤もなことじゃ。だがな、国虎よ。佐渡軍では『先陣を務めさせてほしい』と志願する者が多いのだ。何故か知っておるか?」
「おん? 矢避けに負けた兵を使うことが多いのやないがか?!」
「違うな」
「では、あの佐渡の殿様が戦に強いきか??」
「それもある。じゃがな…… 主な理由は、『結果を出せば後のことが楽になる』からじゃ」
「……楽?」
きょとんとした国虎。不無はこれまでの戦を振り返りながら諭すように話した。
「世は乱世。これまで家柄や身分に縛られてきた世が乱れておる。故に『今、功を為せば身近な者を豊かにできる』『立身栄達できる』ということじゃ」
「……」
「功を為せばその者だけではない。妻や子や親族、郷里の者達も良い暮らしができることに繋がるのじゃ。たとえ腕が斬られようとも目玉が射抜かれようとも、佐渡の大殿は間違いなく手柄を称える御方じゃ。命を落としても後顧の憂いはない。だからこそ皆、死に出を恐れずに戦うのじゃ」
「…… おらは……」
国虎は項垂れた。
「おらのねき(近く)の豪族共は、嫌がる農民や投降した兵を矢避けとして先陣に使いおった。バタバタと農民は死んでいったぜよ…… おらはそれが嫌で掻盾を持たせたぜよ。盾があればちくたあ長く生きることがこたう…… そう思って戦ってきたがやきす……」
ザッ
「うん、だからお前に先陣を任せたのだ。国虎!」
「あん…… おおんッ!? 佐渡の大将!?」
いつの間にか近くに佐渡軍大将羽茂本間照詮がやってきていた。これから最前線となるであろう場所にである。
「と、殿ッ! 危のう御座いまするぞ!!」
「言葉足らずだったことを詫びにきたまでよ。すぐに大砲隊の指揮に戻る。大体は不無が伝えてくれたようだがな」
「佐渡の大将…… 失礼をしちゅう……」
「いや、国虎よ。お主には期待しているのだ。俺だってこんな馬鹿げた戦などしたくはない。だからこそ守りに優れたお主に右翼を任せたのだ。お主の掻盾陣は貴重な戦力だ。策は既に巡らせてある。最初さえ防げばお主が『論功行賞第一になる』と俺は見込んでいるぞ」
「えっ!? おらがッ?!」
捨て石同然に死ぬと思っていた筈が、論功行賞第一の予言。国虎にしてみれば思いがけない言葉である。
「佐渡軍は『適材適所』を肝としておる。俺がお前に右翼先陣を任せたのはその理由があるからだ」
「ほがーに期待やってもろーちょったがとは知らなかったやか。驚きちゅう……」
「お主は捨て石なぞには絶対にせぬ。お主にしか出来ぬことを任せておるのだ。頼むぞ!」
「任せとおせ(任せてください)!」
国虎の曇り顔が、晴れやかに華咲いた。そこには微塵の迷いもなかった。
「うむ!!」
満足そうに頷いた羽茂本間照詮。後は任せたと国虎と不無に目をやると大砲隊を率いる本陣へと駆けていった。
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小半時後……
舎利寺を取り巻く穏やかな平原は、血と肉と怒号が飛び交う修羅場と化した。
寅年から兎年になりましたね。
「懲罰大隊」といわれる部隊が第二次世界大戦中にあったそうです。軍紀違反をした者や囚人などを使い、嫌がる任務や、酷いのになると横一列に並ばせて地雷原を歩かせるなどの扱いを受けたとか。国虎の扱いはそれではないよ、という話です。
「立身栄達」については、「立身出世」を語句として用いようとしていました。
ですが、「立身出世」は江戸時代頃から使われ始めた言葉のようです。広く定着したのは明治維新以降。豊臣秀吉が「立身栄達」の極みとされることから、語源としてはこちらが近いかなと思い用いました。
今年もよろしくお願いします(*'ω'*)




