第二百十八話 ~表裏~
<天文十六年(1547年) 三月 摂津国 住吉郡 平野郷 杭全神社>
パン、パン
神社の本殿に対し二拍。
必勝祈願の御祈祷と一晩の逗留に深々と素直に一礼。
感謝の言葉や態度は世界の常識だ。
俺は神を信じない。
厄除け、安産、交通安全。何となく続けている祈祷というのは実質は意味のないことだ。御神籤や御守りも偽薬効果(効果がないのに効果があると思い込むことが好転を招くことがあること)の一つだと思っている。
だが、他の人が尊んでいるものを貶すのは品性に欠ける。神主さんが心を込めて必勝を祈願してくれたことに感謝しないのは不遜というものだ。
俺は御利益などは望まない。俺は俺の力を信じるのみだ。
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<天文十六年(1547年) 三月 摂津国 住吉郡 平野郷外>
揺らめく「抱き葉菊」紋と「轟襲滅進」の旗。
黒く艶光りした揃いの具足。陽光煌めく長槍の穂先。身が震えるのは余寒(立春後になお残る寒さ)か武者震いか。
本陣にて出陣の支度をしていると、平野七名家筆頭である平野家の次男、平野勘兵衛利方が手代らを連れてやってきた。
「左大弁様」
「おお利方。世話になったな!」
「いえいえ、とんでもございませぬ。…… 実は、一つご相談がありまして」
「ふむ。世話になった礼だ。大概のことは許そう」
俺の言葉に利方は目を伏せて、抑え気味な表情で静かに話し始めた。
「…… これから左大弁様の前には京から出向いてくる細川氏綱様率いる軍が立ち塞がりましょう。兵数は互角。なれども私は左大弁殿の勝利を確信しております」
「うむ」
「左大弁様は戦に勝ちましょう。ですが左大弁様は京へと先を急ぐと聞いております。後片付けに関しては手前どもの方に任せて頂いてもよろしいでしょうか?」
商人の目が鋭く怪しく光った。
戦の後には夥しい数の屍が転がる。しかも刀や鎧などの『武具』という、この時代に一番重要で高価な品物を身に纏って。
それは莫大な富の塊だ。洗って修繕し再利用すれば買い手はいくらでもつく。中には洗わずそのまま転売する奴もいるくらいだ。
「勿論だ。こちらとしても他に伝手がない。必然的にお主らしかおらぬ。此度の戦の後始末、お主らに全て任せる。如何様にでもせよ」
「…… 流石は左大弁様、お返事が早い。感謝いたしまする」
生きている奴は、身代金が取れる奴なら丁重に扱う。受け取れない奴は、売り物になるなら売りさばく。売れなければそれまでだ。
怜悧な面立ちの商人は商人特有の笑みというよりかは遥かに抑えた笑顔で礼をした。まずは狙いの一つを達成した、という所か。
だが、まだ隠していることがあるだろう?
「それともう一つなのですが……」
「丁度良かった。俺もあるのだ。利方。表向きの話は抜きだ」
有能な商人はピクッと反応し停止した。
「お主らの願いは分かっておる。戦の後は、『京の町で、平野屋の力を強くしたい』。そう思っておるな?」
「…… ははは、何を申されますか」
すました表情は崩さずに利方は笑った。だがその笑いは引き攣っていた。
「京の町の商いを仕切っているのは呉服商中島屋を取り仕切る中島四郎左衛門明延だ。中島屋が取り仕切る為に、他の商人は日ノ本最大の商いの場である京の町の利権を十分には味わうことができない」
「そ、その通りでございます…… 世情をよくご存知で……?」
「俺が氏綱との戦に勝った後は、京の都は混乱する。堺湊を焼いた俺が『次は京を燃やす』とふれ回っている者もいるらしいからな」
「…… そ、そんなことは……?」
「氏綱が敗れれば、御用商人である中島屋は失脚する。そこに今度は『細川氏綱と俺が戦えば、俺が勝つ』と見込み俺を支援したお主らが京の町を牛耳る。どうだ、いい話であろう?」
「…… 見透かされていましたか…… 」
平野利方、他の商人達も引き攣った作り笑いを崩さない。ゴクリと唾を喉へ流し込む音が聞こえた。
「武士と商人は表裏一体だ。俺は堺の天王寺屋とは今は手を組んでいない。佐渡の空海屋も、直江津の越後屋も京では小さな商いだ。そこへお主ら平野屋が俺と共に京入りすれば……」
「『中島屋に代わり、京を取り仕切るのは平野屋だ』となります、な」
戦支度を終えた俺はにやりと笑った。
「俺は先見の明がある者が好きだ。有能な人物はこれから欠かすことができん。表の顔も裏の顔も使いこなす者も『俺を裏切らぬ限り』大事にしたい。よいな?」
「…… お、お任せくだされ。決して…… 」
平野勘兵衛利方はそう言うのが精いっぱいだった。まあ、そうだろうな。
「何だ。ただの忠義の者ではなかったのですね」
「がっかりしました」
「……」
近習の忠平と弥三郎はジトっとした目で利方を見た。表と裏、いい学びになったようだな。
さて、次だ。
「細川氏綱の軍は京を出て、こちらに向かっているんだな?」
「へぇ。合戦は舎利寺付近と見込まれやす」
平野利方の手代、特に特徴の無い男洞玖羽が答えた。およそ二か月前に洞玖羽が行商をしている所を利方が見かけ、目端の利く様子から世情を探らせていたそうだ。
「加えまして、摂津の細川晴元の軍勢。榎並城を出て細川氏綱の軍勢に近づいておりやす」
「おお!? 敵同士がぶつかいおったか!?」
上杉謙信の副将、片耳の勇将樺山義久が叫んだ。
細川晴元と細川氏綱。両軍とも俺の味方とは言い難い。どちらかと言えば敵だ。敵同士がぶつかり合い力を減らしてくれればこれほど有難いことはない、か。
だが、
「いえ。両軍は対峙せず。逆に足並みを揃えてこちらの平野郷へと向かっておりやす」
「!!?」
「細川氏綱は遊佐長教、細川国慶らを将として。また細川晴元は三好政長、三好長慶らを将に据えておりやす。兵数は合わせると一万五千を数える軍勢にごぜえやす」
「!!?」
「我が軍の二倍以上、か?!」
蛇蝎のように嫌い合っていた細川氏綱、細川晴元。
前世の朧げな記憶だが、確か舎利寺付近での両軍の激突は応仁の乱以後最大の戦。被害も大きかった筈だ。
だが今回は、その両方が俺達を潰す為に向かってくる……
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<天文十六年(1547年) 三月 摂津国 舎利寺郊外>
「ヒョッヒョヒョ。まさかこのような形で手を組むとは思ってもみなかったぞえ? (戦が終われば京へ向かうぞえ)」
「…… 腹立たしい。だが致し方ない。今回だけだ(ふん。京は儂のものじゃ。誰も通さぬ!)」
同じ細川家を継ぐ者でありながら敵対を続けてきた細川晴元、細川氏綱。心とは裏腹の表向きの言葉を互いに交わしていた。
「よろしく頼むぞえ。(細川野州家の卑しい出でありながら京兆家の家督を継ぐなぞ恥ずかしいぞえ。管領職はこの晴元にこそ相応しいぞえ)」
「期待している。(ぬかせ。細川高国様の仇が。佐渡の猿を討伐した後はお主の番だ)」
京へと向かう佐渡軍を阻止することだけを妥協点として、諍いを一時的に取りやめた両軍が手を組み佐渡軍を待ち構えていた……
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<天文十六年(1547年) 三月 摂津国 住吉郡 平野郷外>
「なっ!!? うんだもしたん(大変なことになった)!」
「不無不無。細川氏綱の軍も、細川晴元の軍も、対佐渡軍の一致点で力を合わせましたか……」
「殿、如何為さりましょうや?!」
「ここは軍を退くことも……」
困った表情を見せる樺山善久、中条景資らの副将。明智光秀は撤退を進言した。自分の軍勢を倍を越える軍勢。普通に考えれば大窮地だ。俺をここへ導いた平野利方は平然としているが、微かに震え額に汗を滲ませている。想定外だったか?
「はは、これは困ったな……」
「殿!」
「左大弁様!?」
「殿ッ!?」
危険な状況だ。相手の軍は俺達よりも多い。窮地だ。
だがそれは本当か?
俺の右手は熟れた林檎を握ったように大きく広がり、そのまま口元へと運ばれた。甘い。両方の口角が上がる。笑いが止まらん。
不無、謙信、定満辺りは同様にニヤニヤしている。
「……『いがみ合う敵と仲良くする為には、同じ目的の敵を作ることだ』、としたり顔で言う奴がいた。稀代の詭弁家も生贄の羊をよく用意したものだ……」
「我々が貧しいのはあの民族がいるからだ」
「政治が良くならないのは退廃主義者達のせいだ」
そう言って目的を同じように錯覚させて衆愚をまとめ連帯を図り自分の意のままに操る。そう言った不の目的で繋がった者達らは『脆い』。
「正に『烏合の衆(ただ寄り集まっているだけの、統制の取れていない軍勢)』だ! 千載一遇の機会だ! 手間が省けたわッ!!」
「!?」
俺の言葉に皆の視線が集まった!
「一万五千? いがみ合う二軍が協力?! これまで自分達の私利私欲で動いてきた輩が仲良くできるはずがないッ! まるで統制が取れておらんであろう! むしろ一軍の時よりも力が出ぬわッ!」
「その通りで御座います!」
「不無不無、流石は殿」
「加えて、敵が多い方が明らかに多く討ち取れますからな!!」
謙信の笑いの理由はそれだった。頼もしいにも程があるわ。
「進むぞ! 二軍を打ち破り一気に京へと上るぞッ!!」
「「応ッ!!」」
方針は固まった。相手が待ち構える地へ堂々と突き進む!!
「平野屋ッ!!」
「?! ハ、ハヒィッ?!」
突然の俺の名指しに平野利方は冷静な表情を崩した。
「俺に隠していることがないか?」
「!? い、いえ!」
「そうか。ならば洞玖羽ッ! 何か知っておることはないか?」
「そうでやすねえ。あまりないですねぇ」
俺が昨日会った手代の名を呼んだ。まあ偽名だがな。
洞玖羽の言葉に長身痩躯の商人は胸に手を置き身を屈めて安堵した。
「も、もちろんですと……」
「強いて言えば、『佐渡軍が敗走した際の落ち武者狩りはお任せあれ』と、細川方と密約を結んでいるところぐらいじゃないですかい?」
ブーッ!
「もおおおおおおおおおお!!?!」
「ご苦労だった。『白狼』」
「へっ。どってことねえですぜ」
俺の笑顔に『伝説の忍』『狂狼の牙』白狼はニヒルな笑顔を返した。
「白狼? 洞玖羽では…… アッ!?」
「利方のぼっちゃん、失礼いたしやす。あっしは左大弁さんの所の忍の一人で、白狼って名のチンケな男でごぜえやす」
「白狼がチンケだったら誰がチンケじゃないんだよ。久しぶりだな。嬉しいぞ、白狼」
「ヘイッ!」
昨日会った時には全く特徴が無かったから気づかなかった。白狼が途中でチラリと彫り物を見せたから分ったようなもんだ。京の町で情報を仕入れていた俺の忍の筆頭と再会することができた!
「さて、利方?」
「…… さ、左大弁様」
「責任を取ってもらおうか?」
「……命は。どうか、どうか命ばかりは……」
青ざめた表情。歯をガチガチと鳴らし膝をガタガタと震わせている。取巻きの平野七家の者達は耐えきれずにへなへなと座り込んでしまっている。
「うん。白狼、『やれ』」
「ヘイッ!」
「!!? ヒイイイィッ!!」
ズビシュッ!!!
白狼の袖から小刀が飛び出し利方の首を薙いだ!
耐えきれぬと諦めた利方。剛腕からの鋭利な一撃が利方を襲う!
…… だが、
白狼の刃は着物の結び紐を斬っただけだった。利方の首と胴は離れてはいなかった。
「…… あ、れ?」
「平野勘兵衛利方は、死んだ。故にお主はこれから『末吉』勘兵衛利方と名乗れ」
「末…… 吉?」
涙か涎か分からない汁を拭いながら首を擦っている利方が応えた。
「お前は俺を裏切った。だが、リスク分散は投資の鉄則だ。よく分かってるじゃないか? 俺はお主のそんな抜け目のない所を気に入った。仲良くやっていこうな」
二度目は無いぞ。
「…… 末吉勘兵衛利方。拝名致しました。左大弁様へ『吉』をお届けするよう、『末』長くお付き合いさせていただきます」
「うむ」
有能敏腕な商人の震えは止まっていた。俺の言葉と自分の立ち位置を十分理解したようだ。『時代を読む力』、存分に使ってくれよ。
「見損ないましたよ。表と裏の顔を使ってたなんて」
「こわい人ですね」
最初の澄んだ目はどこへやら。末吉勘兵衛利方を見る忠平と弥三郎の目は、汚いモノを嫌々見るかのように変わっていた。
「…… どこがですか。左大弁様に比べたら……」
「ん?」
「いえいえいえ! 何でもありませぬ! 兵站は全てこの利方にお任せくださいませっ!!」
「ふっ、期待しているぞ」
三月の風が俺の背中を後押しした。
清々しい梅の香りが出陣する俺に春の訪れを伝えてくれた。
京の商人として名を挙げた中島四郎左衛門明延は、有名な豪商「茶屋四郎次郎清延」の父です。(※訂正)信濃守護小笠原長時の家臣だった清延の祖父宗延が亡くなった後、武士を廃業して京で呉服屋を営み成功していたとされています。(『茶屋系図』より)
「茶屋」の屋号は、時の将軍足利義輝が度々お茶を飲みに明延の店を訪れたことに由来するそうです。本話1547年では義輝が将軍を継いだばかりなので茶屋ではなく中島屋とさせて頂きました。
細川氏綱は、細川京兆家の養子となった細川高国の猶子となり管領職を引き継いだ人物とされています。氏綱の父尹賢は典厩家当主でしたが、元は野州家の血筋。高国の子※「晴国x」⇒「稙国〇」が早死した為、猶子となりました。※訂正
その高国が1531年の「大物崩れ」で亡くなり、高国の後を氏綱が継ぐかと思えば、高国の弟の晴国もいて、その跡目争いでまたすったもんだしていました。細川家の跡目、将軍家の跡目、管領職の跡目。権力闘争が続いていたようですね。
投資の3つの鉄則は「長期・積立・分散」と言われています。
そのうちの一つ「リスクの分散」は、「卵を一つのカゴに入れるな。全部割れた時に全て駄目になってしまう」という喩えがあるように、一つのものがダメになった時の保険となります。「資産の分散(現金、株、現物等)」「地域の分散(日本、アメリカ、アフリカ等)」「時期の分散 (タイミング)」を分けるとよいとされています。
次話から本格的に戦へ。




