第二百十一話 ~壁~
お待たせいたしました。
第十三章「蝶」
開幕いたします。
「照詮!!」
叫び声と同時に蝶が舞った。
煌びやかな着物をはためかせ俺目掛けて飛んできたのだ。
…… 蝶は俺だけじゃなかったんだ。
俺はこの戦国乱世の中で一番愛おしい蝶を両の腕でしっかりと受け止めた……
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<天文十三年(1547年) 三月 茅渟の海(和泉灘) 洋上>
目覚めるとそこには、白い波が幾重にも連なっていた。
水平線の彼方に陸地は見えず、ドウウドウウという波と風が入り混じる音が、寝ぼけ眼の俺の両の頬を通り過ぎていった。
水平線の先までの距離は、地球の半径を6400kmとして、三平方の定理を使うと…… 忘れたが、4.5kmほどだったか? 今の俺の眼前の景色は、そこまで陸地がないことを表している。
そんなことを考えながらぼんやりと潮風と揺れる船体に身を任せている俺に、二つの影が近づいてきていた。
「御目覚めですかな。左大弁殿」
「殿。紀淡海峡(紀伊と淡路島の間)を抜け申した。一両日中には堺湊へと着岸いたしましょう。ご指示を」
「あぁ」
そう言いながらも未だにはっきりと俺は目覚めてはいなかった。
一人は一条房基、もう一人は宇佐美定満、か。
「そうか。もう堺に着くか」
「…… 申し訳ござらぬ。我が土佐一条家の為に余計な手間を煩わせてしまい……」
「中将殿。それはもう聞きましたぞ。お気になされまするな」
「だが……」
公家の最上位である五摂家の一つ、名門中の名門一条家傍流の土佐一条家当主、従三位一条右近衛中将兼阿波権守房基は責任感の強さからか顔を曇らせた。
「叔父上(一条房通)には文を出しておる。それと左大弁殿の想い人である向日葵姫のことも。間に合えばよいのであるが……」
「関白殿下、ですか」
「左様です」
左大臣も兼任しているんだっけかな。一条房通という房基の叔父さんは。
左大臣と言えば、前世でいう所の内閣総理大臣みたいなモンだ。それに天皇の実質的補佐役の関白も兼任してるんだから、公家の中ではトップ中のトップだ。文が届けば一定の効果は期待できる。だが……
「あまり期待はできませぬな。公家同士の仲です。『はぐらかされて終わり』、ということもあり得ましょう」
「…… 効力があろうとなかろうとも、某はあの者達を許すことはできませぬ。そして、あの者達を解き放った我が母も……」
一条房基が手をぎゅむと強く握った。決意は固い、そう見える。
それもそうだ。
自分を虚仮にして嘲け笑った、公家の西洞院時秀と中御門宣綱が中村御所近くの土牢から脱獄したのだ。
しかも、そも手引きをしたのは房基の実の母、夕渓尼だった。
「(方仁)親王殿下の使者を土牢に閉じ込めるなどあるまじきこと!」と牢番に詰め寄り牢を開けさせただけでなく、阿呆二人が京へ戻る船まで調達する念の入れようだった。
「本来ならば死罪は免れぬところ、左大弁殿の執り成しで母は西園寺殿の治める伊予の尼寺へ一生閉じ込めておくこととなりました。某にはそれが良かったのか悪かったのか、未だに……」
「『親族殺し』は、できるだけ控えた方がよろしいでしょう。特に摂家『一条』の者がそれをすれば大いなる反感を受けましょう。日ノ本は『忠』と『孝』が強すぎます。反発は火を見るよりも明らかです」
「『一条』の名……」
「……」
「某は京で叔父上に会った際、『一条』の名を捨てまするぞ」
房基は再び強く目を光らせた。
そうなのだ。
一条房基は、その「一条」の家格を重荷と感じ、京にいる叔父へ「返納」を願いでるつもりなのだ。
詳しくは聞いてはいないが、房基は「一条」の家格の為に命を落としかけたらしい。自分らしく生きる為に、敢えて最上位である家格を捨てる。その為に土佐兵一千を連れて俺達の軍に同行しているのだ。
「誠に良い御決断と思いまする」
いつの間にか大きな影が近づいて房基の考えに同意した。
土佐家筆頭家老であり、壮年巨躯の名将、土居近江守宗珊だった。
「家名の為に生きる道もありましょう。ですが家名の為に死ぬ道を歩む必要はありませぬ」
「…… 済まぬな。近江守」
「何の何の! 儂なぞ一条の名を捨てて数十年! もう『一条家忠』の名を知る者なぞおりますまい! とうに思い残すことなぞありはしませぬ!」
そう言うと土居宗珊はカッカッカッと高らかに笑った。
ふむ、このガタイのいいおっさんは一条の出だったのか。知らなかったな。
「ただ、変わり者の叔父上が、すんなりと受け入れてくれるかは……」
「『五分五分』、といったところですか?」
俺の軍師、今孔明こと宇佐美定満が軍配を優美に動かしながら言葉を発した。土佐国国主はその通りと言うように頷いた。ふむ、関白殿下は変わり者なのか。思うようにことは進まないかもしれんな。
「殿。京では御所で一条房通殿と面談。帝に南蛮の『あれら』を献上。そして何より向日葵殿を奪還。それを邪魔するであろう京を実質的に抑えている細川氏綱らを食い止める。これは中々に骨ですぞ」
「…… だが、やらねばならん」
焙烙頭巾の問いに俺は語気を強めて答えた。自分自身を奮い立たせるように。自らの運命を切り開くために。「常識」という壁を打ち破る為に!
眠気はとうに吹き飛んだ! 改めて俺は叫んだ!!
「道は険しい! だがやり遂げてみせる! その為には皆の力が必要だ! 力を貸してくれ!!」
「承知いたしました!!」
「我ら土佐兵の力、存分にお使いください!」
「義兄上! 我らもおりますぞ!!」
「おいどんにまかせてくいやんせ! わっぜ手柄をあげなくてはならんで!!」
「「おう!!」」
「忝い! 中将殿! 謙信! 皆!!」
義弟の上杉謙信、先日失敗を許した樺山義久らもやる気十分だ。島津の長老、島津日新斎もギョロりとした目と厚い唇を緩ませている。不無、明智光秀らも皆々と声を合わせた!
「もうすぐ堺湊だ!! 皆、行くぞ! 京へ!!」
「「ははっ!!!」」
俺の見つめる先に、薄っすらと陸地が見えてきた気がする。寄港先である日ノ本一の貿易港、堺湊だろう。俺達が来るのを待ちきれない様子に、歓迎している様子に見える。
日ノ本一が何だ! 壁が何だ! 全てぶち破ってみせるぞ!
「待ってろよ、レン! 今迎えに行くからな!!」
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<天文十三年(1547年) 三月 摂津国 堺湊 天王寺屋本店 大茶庵 >
「お断り申す」
「!?」
開口一番、俺達の申し出を鰾膠もなく断りやがった!
俺と面識のある武野紹鴎、北向道陳の両茶名人は血の気が引いたように青ざめている。この茶室の持ち主、堺湊の顔役、天王寺屋を取り仕切る豪商津田宗達もヒクヒクと顔を引き攣らせながらも口を挟む様子がない。どうやら既定路線だったようだ。
「『我らの佐渡軍の下船を認めぬ』、そう聞こえましたが……?」
「くどい」
重厚な青色の直垂を優美に着飾った男が、大きな『壁』となって俺達の前に立ち塞がった。
『一歩も退かない』と、体全体から発している男……
三好筑前守長慶。
前世で「天下の副王」と呼ばれた男の鋭い眼差しが、俺を睨みつけていた。
のっけから「壁」にぶち当たりました。
三好長慶については後述いたします。
水平線はwiki様によれば、『観測者から水平線までの距離をx、観測者の海面からの目の高さをh、地球の半径をRとすると、x=√(2R+h)hで算出できる。』とあります。地上から1.5mだと約4.5kmです。船のマストに上って高さ20mとすれば約16.6kmとなります。見張り台は大事ですね。
多くの勢力とバチバチする展開が予想されます(*´ω`)
よろしくお願いいたします。




