第二百十話 ~万魔殿~
<天文十三年(1547年) 三月 山城国 京都御所 鷹の間>
夕暮れが近づく三月の京都御所。
その一角、鷹の間に半ば幽閉されていた向日葵姫ことレンの元を殿上の女性が訪れていた。
「向日葵様…… 典侍叙任の件は……?」
「…… ご期待に添えず申し訳ありませぬ(嫌だっちゃ。しつこいっちゃ)」
「そんな……」
「『涓滴岩を穿つ』と申しますが、水滴はおろか音に聞く那智の滝の激しい水流でも向日葵の心を動かすことはありません(何べん来ても、ウチの決意は変わらないっちゃ)」
レンの強い拒絶の言葉に、緩やかな性格と美貌を兼ね備えたその女性は目を潤ませた。
帝の嫡子方仁親王の三番目の典侍(側室)、目々典侍は長い睫毛に涙をいっぱいに貯めて言葉を続けた。
「この目々…… 心細い宮中で、向日葵様となら良い御親友となれると思い…… お願い申しておりますのに……」
「目々様は向日葵の知友です。それはこの先も変わりませぬ」
「で、では……」
「誰に唆されたか知りませぬが、向日葵には心に決めた人がおります。どうか御麿殿下(方仁親王)と末永く睦ましくお過ごしくださいませ」
「悲しゅう御座いまする……」
レンにとって目々典侍は唯一と言っていいほどの京都御所の話し相手だった。他の宮女らと違い、レンに対して嫌がらせをせず、歌や琴、書字礼法を共に学ぶ仲間であった。
目々典侍は、第一典侍の新大典侍、第二典侍の御伊茶典侍と違い方仁親王の子(娘)を未だに持たない。故に肩身の狭い思いをしていた。最近は親王殿下からの誘いもない。呼ばれたかと思えば「向日葵姫から『典侍になる』という約定を取ってきてやれば相手をしてやる」と言われたほどだった。
「唆された…… そうですね。そうとも言えます。ですが、『向日葵様を典侍に』と思う気持ちは本心で御座います」
「それは分かりました」
「殿下は、多少軽薄な所は確かに御座いますが…… 目々に優しくしてくれることもあります」
「…… 妻三人、子ども三人も作って、更に嫌がる女を側室に? だらしないっちゃ! フラフラしすぎだっちゃ! 照詮がそんなことしたらタダじゃおかないっちゃ……!」
「? 向日葵様?」
「え、お、おほほほっ。独り言ですよ」
向日葵姫は鮮やかな着物の袖で口を覆った。
その様子を見て、目々典侍は以前から思っていたことを向日葵姫に尋ねた。
「…… 向日葵様。向日葵様がお慕いしてらっしゃる方は、『歌を教わっている御方』なのですか?」
「はっ?」
「殿下も、中納言様も、左少弁様も向日葵様に何遍も御歌を贈りになっているのに返事をもらってないとか。ですが『歌の師範』の方には続けて贈ってらっしゃる。つまり、そういうことなのでしょうか?」
「……? いえ、『青鳩の君』は御姿も拝見しておりませぬ。お慕いもしておりませぬ」
「では何故?!」
「…… 向日葵の歌を誉めて、伸ばしてくれるからですよ」
向日葵姫は数々の師範から和歌を習った。だが、和歌師範家の二条家、冷泉家の師範からは愚弄されてやめてしまった。
そこで義父の三条公頼が当主である三条西家から師範を招いて教養を深めていたが、ある時にふとしたことから『青鳩の君』から歌を教わることとなった。『青鳩の絵』が描かれた友禅紙で丁寧に歌を教えてくれる人物に、向日葵姫は好感を持っていた。
「目々様と青鳩の君がいなければ、向日葵の心は折れていたことでしょう。感謝致しております」
そう言って向日葵姫は、目を伏せ心を込めて目々典侍に礼をした。それを見て目々典侍も嫋やかに笑った。
年の近い二人の女性。
全く違う二人だからこそ、友情が芽生えた。
宮中の一般的な美的感覚で言えば、目々典侍の方が遥かに見目麗しいことは明らかだった。
平安末期から続く名家、蹴鞠の師範家飛鳥井家出自で、当主飛鳥井雅綱の子で生まれながらの姫である目々典侍。それに比べ、美しいというよりは凛々しいと言える程精悍な顔立ちのレンは、立ち振る舞いなどでも目々典侍に全く及ばなかった。
「…… また来てもいいですか? 向日葵様?」
「もちろんですよ。目々様」
同時に微笑みを浮かべた後、互いに扇で顔を隠した。
目々典侍が鷹の間を出ていった後、気づかれぬように耳を欹てていた複数の人物も同じようにその場を後にした。
……多くの者が知らぬ間に、謎の人物が幾人も京の都に入っていた。
暗躍する影。蠢く詭謀。
万魔殿の夜は、今日も眠らなかった。
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<天文十三年(1547年) 三月 摂津国 堺湊 ??? >
「天王寺屋? よいな。佐渡軍をタダで通してはならぬぞえ?」
「…… 心得ました」
とある豪奢な屋敷の一室。ここで佐渡軍に対する密約が結ばれようとしていた。
その中心にいる人物。格式高い金と紫の直垂を着た男は、その返答を聞くと満足そうに口髭を撫でた。
「『我らが京へ攻め入る』。その尖兵として使うぞえ」
「最悪、『同じく軍を進める』でもよいぞお! 後から始末するがのお!!」
「「……」」
中心人物の隣では、粗野な肥大漢が声を荒立てた。
「憎き氏綱を京から追い出すことができれば佐渡軍は用済みじゃ。じゃが、決して気取られぬよう気を付けるぞえ?」
「佐渡軍? 羽茂本間照詮? そんな田舎者の奴らは畿内に入る道理などありはせんぞおッ!! のお? 千熊丸よおっ!」
「…… 大叔父上。某、長慶と名を変えまして御座りまする」
「チッ! 知っておるわっ! 父親に似て陰気な男じゃのお!」
「……」
長慶と名乗った男は何も言わず、紺碧(深く濃い青色)の直垂の衿を正し、深々と一礼したのみだった。
「兄上……」
「義賢、控えよ」
「はっ」
長慶の身内らしき男も同様に深々と礼をした。その様子を見て中心人物はにんまりと笑みを漏らした。
「義維殿も慶ばれよう。晴れて我らが京の都を治めることになるぞえ…… ヒョッヒョッッヒョ!」
「それもこれも佐渡の『田舎大名』のおかげですなあ! ガッハッハッ!!」
「左様左様! じゃが猿が京に上るなぞ…… 百年早いぞえ!!」
ヒョッヒョッヒョッ!
ガッハッハッ!!
二人が大きな声で笑う声が屋敷に響いた。だがそれを咎めるものは誰もいなかった。
「天王寺屋? 息子の方は納得しておるのであろうえ?」
「それが…… その、まだ……」
「お主は息子に甘いぞえ。この細川の血を引く『持之』を番頭としてやっておるのだからしっかりするぞえ。 それとも何か? 持之に店を任せた方がよいぞえ?」
「い、いや、それは……」
「なんだあ? 天王寺屋あ! まさか我らに楯突く訳じゃないだろお?」
「いやいや! そんな滅相も……」
慎重な性格の店主は、事を荒げないよう必死に弁解を続けた。
そのやり取りを見て、先ほどの長慶と名乗った男はさらりとこの場を流した。
「…… では、佐渡軍への対応は委細承知仕りました。武野紹鴎様と北向道陳様にも声をお掛けいたします。…… 堺の町を火の海にする訳にはいきませぬ! いざとなればこの長慶が! 三好の総力を挙げてでも佐渡軍を止めさせてご覧にいれます」
「む、そうだのお」
「ヒョッヒョ。気が利くぞえ!」
「精々気張るのだなあ! 千熊丸よおっ!」
「…… ははっ!」
長慶と名乗った男は、父親を殺した男達に首を垂れることを、歯を食いしばりながら耐えた。いつまで耐えればいいのか。それはもうすぐ明らかになることだった。
日ノ本随一の湊町。華やかな商いの町『堺』は、幾つもの思惑が錯綜していた……
「うる星やつら」のヒロイン、ラムちゃんの語尾「~だっちゃ」は佐渡弁だと思っていましたが、実は仙台弁由来なんだそうです(;゜Д゜) 高橋留美子さんが実際にコメントしていたようです。オドロキました。
「万魔殿」に関してはMTGプレイヤー的には「伏魔殿」(パンデモニウム)と呼びたいところですが、語感的にこちらを使わせていただきました。
「万魔殿」は、中国三大奇書の一つ「水滸伝」の冒頭部分で魔王が封印された建物とされています。また、イギリスの作家ミルトンが描いた叙情詩『失楽園』に登場する、地獄の首都パンデモニウムと同意味です。悪魔がたくさんいる場所、長じて悪事が絶えず企まれている所、といったところでしょうか。
これから待ち受ける人物達について幕間として描かせていただきました。
次回から、第十三章が始まります(/・ω・)/!




