第二百六話 ~土佐須崎の合戦(六)「利三」~
<天文十六年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 佐渡軍 明智勢 >
ドクン
ドクン
心の臓が波打っている。
これが戦場か。
血の匂い。叫び声。今も見知らぬ誰かが命を落としている。
「ギャアアアアアアアアアッ!!」
「ウオオオオオオオッ!!!」
味方は強い。土佐軍にまとまりはない。だが怖い。恐ろしい。
「……三!」
破れかぶれの突撃だ。こちらに敵の本隊はきていない。大殿(羽茂本間照詮)へ向けて多くの土佐兵らが遮二無に寄せている。
……大丈夫だ。こちらに敵は来ていない。
「利三!!」
「!」
気が付けば十兵衛様が叫んでいた。俺を美濃から救い出してくれた恩人だ。
「敵は殿(羽茂本間照詮)目掛けて寄せている! 私はそちらへ参る!」
「承知致しました!」
「其方の任は譜代長宗我部家お世継ぎの『弥三郎殿』を護ることと心得よ!」
「ははっ!!」
「其方の初陣じゃが武功は望むな! 次の機会を待てい!」
「はっ!!」
十兵衛様はそう言うと兵を率いて行ってしまわれた。
武功はお預けか。致し方ない。
侍として生まれたからには敵大将の首級を挙げて栄達の道を目指す。その為に剣の腕は磨いてきた。…… だが今は命があることを喜ぼう。
「と、利三。大丈夫であろう、や?」
「若子様。心配ありませぬ。この利三がついておりますぞ」
紫苑色の陣羽織を召された弥三郎様が震えておられる。無理もない。和子様は未だ七つにもならぬ。加えて線の細い御方じゃ。彼方からは断末魔が鳴り止まぬ。ここは落ち着かせて差し上げねば。
「若子様、彼方をご覧くだされ。本山氏の檜扇紋(宮中で使われた木扇を象った家紋)が次々に倒れております。それに対し我ら明智勢の桔梗紋(美濃土岐氏由来のキキョウを象った家紋)は多くは倒れておりませぬ。戦は我が軍が明らかに優勢でございまするぞ!」
「ウ、ウン」
「まだ何かご心配事でもありましょうや?」
「で、でも、ぼく、どこかで見られていたような、気がするんだ……」
「ははは、若子様それはきっと若子様の『戦の護り神』ですぞ! きっと!」
「だ、だといいんだけど……」
そう言うと若子様はご自分の二の腕を強く握られた。大丈夫。敵は近くには来ていな……
ギャ!!!!!!
「え?」
「ィヒひひッ、みぃづげたぁ!!!!!!」
「う、ウェッ!」
見たこともない山のような男がいつの間にか近寄っていた! 後ろには幾人もの兵も!!
男の体には刀が何本も刺さり腸が飛び出ているッ! 血がドボドボと流れている!!! 鬼のような形相だっ!! 敵だッ!!!
「ちょうそかべええぇッッッ!! 許さんゾォッ!!!」
「わっ! 若子様を護れ!!」
「「ハッ!!」」
大丈夫だ! こっちには美濃の手練れ武士が何人もいる! いくら大きくてもこんな手負いのの兵になんか……
キン! ビュン!!
ジャキィン!!!
「グハッ!」
「ギャァアッ!!」
「ウエッ!!!」
バタッ! バタバタッ!!!
…… あっという間だった。康則、小三郎、長綱。美濃から一緒だった皆が倒れてしまった。幾人かの敵兵と刺し違えたがこの熊のような男は倒せなかった。
熊のような男は俺を見ない。ただ若子様だけを見ているっ!!
「苦節四十余年…… 儂の覇道が長宗我部なぞにィ!!!」
「ヒ、ヒィ!!助けて!!!」
「この本山豊前守茂宗がぁ!!! 土佐の覇者がぁああ!! オマエら親子なぞニィいいいい!!!!」
本山茂宗!! 敵の総大将か!!!?
茂宗の刀が若子様に迫る! 駄目だ! 俺の役目はっ!!
「させん! この明智家家臣斎藤利三が相手だ!!!」
「どけぃ!!!」
「えっ……?」
ズバッ
……何かが通り抜けた。
見えなかった。
熱い。
どこか火傷したのか?
……水だ。冷やす為の水が必要だ。
ああ、何か流れている。熱い水だ。これで拭こう……
……
……
「利三! 助けてッ!!!」
「ハッ!!」
斬られた! 血が流れている! 本山に斬られた! 片目が開かない!
だがそんなことより若子様だ!! 俺の使命は若子様を護ることだ!!
「死ねぃ!! 長宗我部ぇえええええッ! 三途の川への共をせよおおおおおおおおおっ!!」
「キャアアアアアアッ!!!」
「させるかああああぁああああ!!!」
ズボォッ!!!
______________
熱い。
斬られた目と右手から血が流れ落ちる。
「ぐ、ぐはッ」
だが、やった。
体ごとぶつかった! 本山茂宗の背中から心の臓へ渾身の一突きを見舞った!
ぐにゅと生温い感触が伝わった。本山の刀がするすると地面に落ちていく。
「カハッ」と本山から生温い声が漏れた。
「吉野、川……」
「え?」
「…… 魚が、跳ねて、る…… つ、つかまえ、る…… ぞ……」
ドシャッ
倒れた。山のような男が。敵軍の総大将が。最期の言葉を残して……
「利三! 大丈夫ッ!?」
「若子様…… 御無事で何よりでございます…… ウッ!! ウオェッ!!」
ガシャッ
片膝をついてすんでの所で倒れることは防いだ。
傷が深い。立っていられない。片目が開かない。もう潰れているだろう。
右の手の筋を斬られた。もう刀は持てまい。
「利三! 血を止めるよ……」
何と優しい方だ。姫のような顔をして俺のことを案じてくださる。きっと素晴らしい将となられるであろう。
…… 刀を持てぬ俺はもう侍としての栄達は望めまい。ならば……
ガシッ
俺はまだ動く左手で若子様の布を持つ手を掴んだ。
「えっ? 利三……?」
「若子様。ご無礼……」
俺は千切れかかった右手の上に若子様の手を置いた。
そして倒れた大男~本山豊前守茂宗~の心の臓に再び刀に突き立てた。若子様の手が上になるようにして……
「利三、これは……?」
「…… 名も無きこの俺が本山茂宗を討ち取ったとあっても、誰も喜びませぬ。ウッ……」
「利三! まさか!?」
「若子様が討ち取ったとあればこそ価値があるのです! この利三、最初で最後の頼みでござる!」
「え、嘘…… そんな……」
俺は周りの兵が駆け寄ってくるのを見てあらん限りの声で叫んだっ!!
「敵将、本山豊前守茂宗ぇ!! 長宗我部家がお世継ぎ! 弥三郎様が討ち取ったぞぉぉおッ!!!!」
「「ウォオオオオオオオオオオオッ!!!」」
「「曵、曵、応ッ!! 曵、曵、応ッ!!」」
勝鬨の声が聞こえる。
若子様が着物を斬って血止めをしてくださっている。
……俺は己の役割を果たした。
その満足感を胸に、俺の意識は暗闇へと落ちていった……
斎藤利三といえば明智光秀の右腕的存在として有名な武将ですが、実際に仕えたのは後半だけで元は斎藤義龍、稲葉一鉄など主君を点々としたことはあまり知られていない事実です。
「系譜上の錯誤の可能性あり」とか「諸説あり」とかされていますが、父親らしき斉藤利賢は斎藤道三とは違う系統(守護次官の斎藤氏)と言われています。白樫城城主だった父親が本物語では命を落とし、明智光秀が斎藤利三を連れ出して出奔し佐渡軍に入った模様です。
「本能寺の変の実行犯」とされ、現代では「本能寺の変の黒幕」とも言われています。娘の一人である福は、徳川家康の孫家光の乳母となり、「春日局」となったことは広く知られています。「重罪人の子が家康の孫の乳母=家康と繋がっていた」という説は「オッ?」と思いました。
堺の豪商津田宗久と茶の湯を嗜んだり連歌会に参加するなど、かなりの教養の高い人物だったようです。本能寺の変の後、六条河原にて斬首された遺体が「龍の名手」として高名な絵師の海北友松により引き取られたことからもそれが感じられます。
総合評価 20,000 ptを越えました(´;ω;`)ウッ…
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