第二百五話 ~土佐須崎の合戦(五)「狂将」~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 土佐軍本陣 >
「あっ……」
「ああぁ……」
土佐軍本陣の将兵達は唖然としていた。佐渡上杉軍により土佐軍先陣の安芸家「三つ割剣花菱」紋最後の旗が倒されたのだ。
「と、殿……」
「安芸軍が、き、消えました、が……?」
副盟主大平隠岐守元国、本山家家臣土佐神森城主神森出雲、宇賀平兵衛らは土佐軍盟主である本山茂宗が出すはずであろう「突撃の合図」を待っていた。今か今かと槍の柄を固く握りしめていた。
だがその声は出なかった。
「ううむ。儂の見込み違いであったわ。力量を見誤るとは何たる不覚……」
そう言って俯き目を閉じ頭を振った土佐軍盟主本山豊前守茂宗。
だが、その言葉とは裏腹に見えない位置にある彼の両の口角は緩みきっていた。
(愚かなり安芸国虎! 虚勢を張り『佐渡軍を喰い止める』などと豪語しおって! 何の役にも立たぬではないか! ……これで儂を脅かす不安の種は潰えた。ゆっくりと陣を退こうかのう……)
自身の憤りを鎮めるが為に安芸軍を見放し、唯一の勝利への鍵を失った本山茂宗。彼を輔けてきたであろう八百万の神が離れていく、そのような出来事がこれから次々と起きようとは思ってもみなかった。
「豊前守殿! 此度の戦は我らの負けでござる! 傷が浅そううちに陣を退きましょう!」
「殿はこの神森出雲がお引き受け申す! 殿は一刻も早く 城へ!」
「うむ。済まぬな!」
そう言って元来た北の道を見た本山茂宗は目を疑った。
土佐軍の背後に、殺気を迸らせた一千にも達しようかという軍が本山らの退路を塞いでいたのだ!!
「なっ!?」
「佐渡軍が真後ろに!!? 奴らはどんな手を?!」
慌てふためいた本山茂宗。既に安芸軍を屠った佐渡上杉軍、正面の不無の軍は土佐軍が陣取る小高い丘を登りつつあった。
「い、いや! 佐渡軍ではないぞ!?」
「豊前守殿! 我らの退路を塞いでおる軍は『七つ片喰』紋と『割菱』紋に御座るッ!」
「な、何だとッ!? 『長宗我部』と『香宗我部』の兵が……!!?」
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<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 長宗我部軍 >
「ウオオオオオオオッ!!」
「亡き国親様の弔い合戦じゃああああああああぁぁ!!」
「本山茂宗を許すなッ!!」
「刺し違えてでもき奴らを通すな!!」
長宗我部家の宿将中島大和守親吉、久武肥後守昌源らは口々に怒号を発した!
太眉の家老衆筆頭吉田孝頼は『一領具足』の兵を率いて土佐軍背後へと急行していたのだ!
「殿…… 殿の策略、見事に御座いまする…… この吉田孝頼が! 殿の最後の策を実らせて見せますぞ!! 皆の者ぉおお!!! 『逆賊』本山茂宗を討ち取れぇぇえええい!!!」
長宗我部国親の身を捨てての策略であった。
土佐軍の背後を衝き佐渡軍に味方をすることで国親は長宗我部家の領地と家の存続を図ったのだった。長宗我部軍は亡き当主の最期の下命を守る為猛烈な勢いで本山氏大平氏の軍と激突していた!!
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<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 土佐軍本陣 >
「く、ぐっ、ぐぐぐぐぐぐぐ……」
「豊前守殿! かっ、囲まれ申した!!!」
「おのれ…… おのれおのれおのれ長宗我部国親!!! 死してなおも儂の足を引っ張るとは!!」
ベキッ!!
本山茂宗は手にしていた軍配を両手で圧し折った! 勢いで紅白の朱塗り紐が乱れ飛んだ!
土佐軍盟主は怒りで我を失い折り歯をギリギリと噛みしめた。筋力隆々たる茂宗のあまりの怒気に土佐軍本陣の誰もが言葉を発することができなくなっていた。
「ぅおぉのれぃ!!!! どいつもこいつも役立たずの屑共がぁぁッ!!」
「「……」」
「策がある者はおらんのかぁッ!? この土佐の支配者! 本山茂宗を助ける者はッ?!」
「「……」」
茂宗は幔幕の諸将を見回した。しかしどの将も暗褐色の大地を只管に見続けるだけだった。言えば己の命が危うい為だ。
その中で一人だけ深々と頭を下げて声を発した者がいた。
「…… 恐れながら、殿。この期に及んでは『降伏』する他ありませぬ……」
「…… なん、だ、と……?」
決死の覚悟で言葉を発したのは本山家家臣神森出雲だった。
「既に退路は塞がれ、正面と側面からは敵の軍勢。南は土佐の海。逃げようがありませぬ! 今ならまだ間に合いまする! 命を永らえる御決断を!!」
冷静な判断をした出雲の声に土佐軍の諸将は同調した。
「おぉぅ! そ、そうじゃな」
「佐渡の左大弁は降伏した者を悪いようにはせぬ、という話を聞いたぞ?」
「おおっ! ならば! 今なら間に合うぞッ!」
矢庭に幔幕が降伏一辺倒へと変わった。このまま死を迎えるよりかはここは生き長らえるために敵の軍門に下る。それは戦国の世ではごく自然なことだった。
「ふ…… ふふふ……」
本山茂宗は笑った。口角を引き攣らせながら、ブルブルと震えさせながら。
その表情を見て「殿が納得してくれた」と「降伏」を最初に進言した神森出雲は勘違いしてしまった。彼の命運はここで尽きた。
「で、では殿! 善は急げで御座る! 佐渡軍へこうふぅぶべええええええええらあぁああぁッッ!!!!」
ザシュッ!!
神森出雲の顔は本山茂宗の鋭い一閃により口から上と下に分かれて飛び散った。鮮血がほとばしり哀れな男の脳漿が未だ春に届かない冷たい地面を濡らした。
「…… 降伏? ここで降伏して何になる?」
「ひッ!!」
「ヒィィィィッ!!」
血に濡れた大太刀を肩に担ぎ幽鬼のように立ち上がった土佐軍総大将。
彼に「降伏」の二文字はなかった。あるのは長宗我部への憎しみと佐渡軍大将羽茂本間照詮への憤りだった。
「皆の者…… 命を捨てよ…… 『突撃』じゃ」
「ど、どちらへ……」
「…… 佐渡軍の本陣じゃあッ! 佐渡の小僧の首を獲れば一気に儂らの勝ちじゃあっ!!!」
「し、茂宗殿! それは余りにも無謀な、こ、ウガッッ!!!」
バシィッ!
刀を握った本山茂宗の拳が副盟主大平隠岐守元国の頬にめり込んだ。痩身の元国の体は宙を舞いドンと地面に叩きつけられた。
「臆病風に吹かれた者に用はないッ……! 高所から一気呵成に攻め入れば自ずと道は開ける!! 往けッ! 往くのじゃぁ!!! 往かねば後ろから叩ッ斬るぞ!!!!」
ビュン! ビュン!!
「「ひ、ヒィイイイイイイイイイイイッ」」
「「ヒエエエエエッ!!!」」
本山茂宗の抜き身の太刀が空を斬る様を見て本山軍大平軍が丘から駆け下りた!
兵達は退くは死。留まるも死。ならば敵と戦っての死を選ぶ他がなかった。
自軍の決死の突撃を満足そうに眺めた本山茂宗。既に狂気に囚われ正気を失った将はゆらりと佐渡軍深くに目を凝らした。
その目の先には戦場に相応しからぬ鮮やかな『紫苑色の点』があった。己が今最も許せぬ血筋の者。いつか目にした者の怯えた顔が茂宗にはありありと映った。
狂将は醜く顔を歪めながら涎をじゅるりと垂らした。
「ひひひッ、みぃいづけたッ!!」
本山氏家臣の神森出雲は実在武将です。
出雲は長宗我部家に攻められ水を断たれた時に、白米を使って馬を洗う様子を相手に見せて「水が豊富にある」と錯覚させ敵を退けたという逸話が残っています。残念ながらその後に攻め入られ自刃したそうです。
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