第二百三話 ~土佐須崎の合戦(三)「陣貝」~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 土佐軍本陣幔幕 >
ブォォーーン! ブオオオォオォォーン!!
見晴らしのいい小高い丘に陣取った本山豊前守茂宗率いる土佐軍本陣に、先陣の安芸国虎軍から合図の音が鳴り響いた!
「豊前守殿! 安芸国虎から『側面攻撃を催促する』陣貝ですぞ!」
「…… あぁ」
猛勇で鳴らす土佐軍盟主本山茂宗は、副盟主大平隠岐守元国の言葉に心無さげに、虚ろ気に答えた。
安芸国虎の軍が正面から敵の先陣を受け止める。そこへ本陣が敵の側面から叩く。手筈通りだった。
「佐渡軍の先陣は安芸国虎とぶつかり申した! 今こそ敵の脇腹を衝くときです!」
「殿! 今ですッ! ご指示を!!」
大平元国、宇賀平兵衛ら歴戦の諸将達が声を揃えた。
安芸軍は掻盾を巧みに用いて勇戦していた。だが上杉謙信の軍団との戦力差は明らかだった。
修練を積み、装備を整え、休息が十分な佐渡の精鋭。琉球やフィリピナスでの戦いの経験のある軍は、盾で守る戦術を取った安芸軍をじわり、じわりと崩していた。総崩れになるのも時間の問題だった。
土佐軍の将らが「突撃」の合図を今か今かと待ちわびていた。
しかし、肝心の大将から発せられた言葉は意外なものだった。
「…… まだだ」
「殿!?」
「これ以上待つと安芸軍が全滅いたしますぞッ!」
本山茂宗は敵軍先陣の上杉軍ではなく、正面に見える不無らの軍を野太い腕を掲げて指差した。
「…… 見よ。旗が揺れておる。我らが敵先陣の脇腹を衝けば、奴らが横腹を衝こうと待っておる。ここで動いてはならん。敵の思う壺じゃ」
「!!?」
「で、ではっ、国虎の軍を見殺しにせよ、と……?!」
「……そうは言って、おらん」
家臣の宇賀平兵衛の言葉を否定した本山茂宗。だがその言葉とは裏腹に、土佐七雄の大将の頭の中は既に『軍を退くこと』にしかなかった。
(安芸国虎…… 奴はもう信用できぬ。口は悪いが朴直な若虎と期待しておったが、儂の勘違いであったわ。長宗我部の間抜けと同様に儂に事を告げずに調略を受けおった。今の動きも、見せかけの戦いをしておるのかもしれぬ)
本山茂宗にとっては、土佐統一は時間の問題であった。ここで軍を退こうとも、それは変わらない。そう信じて止まなかった。
そして茂宗にとって、土佐統一後の安芸軍は『不要なもの』であった。
(消すなら今だ。『状況が変わった』といくらでも言い訳がつく。国虎には悪いが援軍は出さぬ。側面は衝かぬ。ここで消えてもらうぞッ!)
茂宗は自らの企てに都合のいい辻褄合わせの論を発した。
「……安芸国虎は勇猛果敢に敵軍の進撃を喰いとめておる。今、我らが手助けに入れば混戦となり同士討ちの可能性がでるやもしれぬ……」
「し、しかし!!」
「それに!! あ奴の力はこの程度ではない! きっと敵軍を押し返すであろう! その時こそ我らの出番よっ!!」
「あっ……」
「さ、左様ですなッ!」
「流石は我らが御大将ッ!」
「うむっ!」
実際、茂宗率いる本隊と相対する「白地に『無』」旗の軍は、上杉軍の脇腹を衝く動きを見せれば突撃してくる下知を受けていた。本山の敵軍の動きを察する力はかなりのものだった。
「ここは耐えるのじゃ。『忍』の一手じゃ!」
「応っ!」
本山茂宗の脳の中は暗く蠢いていた。
(我らの敵はまえ面の佐渡軍のみ。退路を塞ぐ軍などおらぬ。それに北西の姫野乃城では津野基高が無能の一条房基を破っている頃だろう。いずれにしても退却は容易いわ)
安芸国虎の陣からは側面攻撃を促す陣貝が繰り返し繰り返し何度も何度も鳴り響いていた。しかし、その悲痛な響きは本山茂宗の耳には入らなかった。安芸軍を見殺しにして、軍を退き、津野基高の軍と共に反撃に出る。土佐盟主の脳内は、既にその考え結論で充ち満ちていたのだ。
「我が軍の方針を伝えるッ! ……」
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<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 佐渡軍本陣幔幕 >
「「正面の敵に備え、陣を守る! 安芸軍の奮闘を待って援軍に入る!」」
二人の声が重なり合った。
声の主の一人は本山茂宗。もう一人の主は、その言葉を知らぬはずの佐渡軍盟主、羽茂本間照詮だった。
「そんな所だろう? 定満?」
「正しく、に御座います。『安芸国虎を見殺しにして後退』。如何にも本山茂宗のやりそうなことですな」
佐渡の若き盟主の目には、一度も見たこともない男の表情がくっきりと浮かび上がっていた。
「猜疑心の強さが軍の指揮に直結しているな。『一度疑えば二度と信用を置かぬ』。貧しい環境から汚く成り上がる男はそういう者が多い」
「なるほど…… 流石は殿ですな」
(人を騙しのし上がる者を前世で嫌と言うほど見てきた。そういう者は目で笑い心で人を嘲る。信を置けぬと思えばすぐに斬り捨てる。自分の利にならぬ者は打ち捨てる。なまじ地頭が冴えるから情に疎い)
かの者にとって、宇佐美定満、不無、明智光秀らの報告と、本山茂宗の生い立ちや現状を重ね合わせれば自明の理であった。敵軍、特に土佐軍盟主の動きは手に取る様に容易に察することができていたのだ。
「不無には引き続き『進軍の構え』だけさせよ。一応、『破れかぶれの突撃には備えよ』とも伝えよ」
「御意」
盟主からの命を受けた佐渡の軍師により、伝令の早馬が右翼へと駆けた。風は明らかな追い風だった。
戦況は明らかに佐渡軍が優勢となりつつあった。
「先陣は敵の安芸国虎の軍を屠りつつありますッ!」
「敵の本陣ッ! 予想通り動きはありませぬ!」
「うむっ!!」
土佐軍の本陣二千は右翼で固まったまま動かず。
越後、島津の猛勇な兵を中心とした斬り込み隊は敵軍の掻盾部隊を無力化しつつあった。先陣同士の攻防が決するのは時間の問題だった。
羽茂本間左大弁照詮はすっくと床几から立ち上がると、愛用の罅を修復した銅鑼を手に持ち合図を下した!
「本陣はゆっくりと前へ! 『龍』の軍の支援に回れッ 勝利は目の前だ!」
「ははっ!」
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最前線。
数でも質でも優る佐渡軍の先陣は、土佐軍先陣をじわりじわりと侵食していた。土佐軍が用意していた策は為らず。既に陣貝は壊され独特の重低音はその叫びを失っていた。
(雌雄を決するのは時間の問題だ)
誰しもがそう感じていたその時だった!
想像していなかった事が起きていた!
ガキッ! ガキンッ!
佐渡上杉謙信と、安芸国虎!
『龍』と『虎』の一騎打ちが始まっていたのだ!
陣貝の歴史は古く、インドでは4000年前から、平安時代には既に山伏が使っていたという逸話が残っています。神道ではスサノオノミコトが初めて吹いたという伝承があるそうです。
戦国時代には、本物語でも『剣聖』として登場している上泉信綱が伝えたという『訓閲集』に、『戦場における作法』として記述されているそうです。元々は唐の「陰陽書」を和訳したものらしいですが、軍学にも通じていた剣聖様が上泉流として工夫を加えた、のかもしれません(*´ω`)
元々は動物の骨などで戦場での合図を知らせていましたが、だんだんと法螺貝に移っていった模様。独特の重低音は「決断」を促すにはうってつけだったのでしょう。脳科学的に「重低音の音楽を聴くと決断がすぐにしやすくなる」そんな内容が先日テレビでやっていました。確かにそうかもしれませんね(゜∀゜)




