第二百一話 ~土佐須崎の合戦(一) 「紫苑」 ~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 安和 佐渡軍幔幕 >
軍議を重ねていた俺達の幔幕に、敵陣へ放っていた草から報告があった。残念な報せだ。
「長宗我部国親。討たれたか……」
「はっ!!」
光秀の調略に応じて寝返りを約束していた豪族長宗我部国親が、敵軍大将本山豊前守茂宗の手にかかったのだ。
「殿。国親殿の嫡男、弥三郎殿が明智光秀殿と一緒に参られております」
「…… 通せ」
「ははっ」
辛いことを告げねばならんな。
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紫苑色の着物に脚絆や小手を身に付けた弥三郎~後の長宗我部元親と思われる華奢な八歳の童~が、才将明智光秀に付き添われてやってきた。
「さ、左大弁様。お呼びでしょうか……?」
色白で「姫和子」と呼ばれる弥三郎。相変わらずオドオドして落ち着きのない様子だ。
「辛いことを知らせねばならん。お主の父上、長宗我部信濃守国親殿が、本山らに討たれた」
「えっ…… 誠、です、か……」
「うむ」
俺は頷いた。嘘や誤魔化しはできない。
「…… 」
予想に反して、弥三郎は声を出さなかった。体は小刻みに震えていたが、声をあげて泣かなかった。両の瞳から止めどなく涙を流しつつも、声は漏れなかった。
それは両手の平で己の口を塞いでいたからだ。
体をガクガクと揺らしながらも、咽び泣くことだけは必死に堪えたのだ。父の死を受け止めながらも、嫡子としての気概の為に嗚咽を堪えたのだ。
「……悲しいか、弥三郎」
「い、いえ……」
姫和子は震えながら否定した。
「泣いておるではないか」
「…… 泣いて、ヒッ、お、おりま、せぬ。ウッ、ウッッ……」
「なぜ泣かぬ?」
「ぼ、ぼく、が…… ぼくが、こ、これから長宗我部の、当主だ、か、ら…… ウウッ……」
かすれるような、か細い声だった。
……この子は後の長宗我部元親だ。四国の覇者だ。父を亡くしたこの童子の、俺は父親代わりにならねばならん。
俺は健気なこの童子に向け、魂を込めて強く叫んだ。
「泣け、弥三郎!」
「ふぇ!!?」
「悲しいときは泣け! 大声で泣けッ!」
「なき、泣きませ、ぬ……」
「今だけ泣け!! 旅立った父へ向けてッ! 」
驚いたような表情を見せた弥三郎。しばしの間の後、緊張し震えていたその口から、止め貯めていた水が堰を切るかの如く声が発せられた。
「……う、うぅ、ウッ、ウワアアアアアアアアァァアアアアアアアアアアアアァアアアン!!!」
皆が顔を背けた。目には涙を浮かべた。
弥三郎の慟哭は、土佐の山や海に大きく響き渡った……
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「聞け、弥三郎」
「…… はい」
落ち着きを取り戻した弥三郎に向け、俺は二つのことを約束した。
「一つ、其方の父上を弑逆した本山茂宗らを必ず討ち果たそう」
「ありがとうございまする」
「もう一つだ。長宗我部氏を『譜代扱い』とする」
「「え、ええっっ!!?」」
弥三郎だけではなく皆が声をあげて驚いた。
羽茂本間家の譜代扱いは、古くから力となってきた椎名則秋、山本勘助、久保田仲馬ら以外は越後国北の揚北衆のみだったからだ。譜代扱いとなれば絶大な信頼を寄せられ、要職や大領に就くことが約束されたようなもの。宗家や島津家ですらなっていない地位だ。誰しもがそれを望んでいることだろう。
「調略に応じた者を死なせてしまったせめてもの償いだ。弥三郎には忠平と共に俺の近習をしてもらう。……受け入れてくれるな? 弥三郎?」
「も、もったいのうございます!」
目を真っ赤に腫らした弥三郎は、紫苑色の着物の袖で瞼を擦りながら頷いた。
……もちろん、長宗我部氏だから、ということもある。
調略に応じた者を死なせてしまった後邪慳に扱えば、今後の戦略に影響が出る可能性がある。安心して佐渡軍に寝返りを進める為にも、今回の長宗我部氏は大事にせねばなるまい。異例だが今後は恩賞の一つとしていこう。
加えて、「土佐の出来人」長宗我部元親の人物の大きさは折り紙付きだ。俺の覇道の手助けになるのは間違いない。
「光秀!」
「はっ!!」
「弥三郎の守役を命ずる! 其方の家中で弥三郎の面倒を見よ」
「承知仕りました。我が家中に元服したばかりの『斎藤利三』という者がおりますので兄代わりとして世話役を勤めさせまする」
「頼んだぞ、光秀」
「ははっ!」
フワサッと光秀の薄い髪が空に靡いた。弥三郎は光秀と共に右翼の幔幕へと歩んでいった。傍には利発そうな近習が見えた。あれが斎藤利三か、聞いたことあるな。
「さて、では……」
「義兄上! 出番ですか?!」
「ああ、謙信。目にものみせてやれ」
目を爛々と輝かせた美男子、俺の義弟佐渡上杉謙信が白い歯を見せた。
意気揚々。久しぶりの実戦と聞いて血沸き肉躍っているかのようだ。
先陣を任せた「龍」の軍団。「軍神」佐渡上杉謙信率いる、修練を積んできた兵が牙を剥くときがやってきた。
「敵軍の先陣の旗印は『三つ割剣花菱』。安芸国虎の軍に御座います」
「うむ、定満。どんな男だったか? 安芸国虎は?」
「まさに『若虎』、ですな。できれば我が陣営に欲しい人物に御座います」
焙烙頭巾はうんうんと頷きながら俺の言葉に答えた。安芸国虎、知らない名だが焙烙頭巾の眼鏡に叶った男だ。できれば手に入れたい。
だが戦だ。命の保障はできん。
「謙信!」
「ははっ!!」
「先陣同士のぶつかり合いだ。派手にいっていいぞ!」
「おおおっ! 誠ですか!」
「ただ、一つだけ頼む」
「何なりと!」
俺は謙信の殺気が鈍らないように配慮しながら告げた。
「『できれば虎は殺すな』。無理はしなくていいが」
「承知っ!!」
虎を得るに龍を殺しては、後世に笑われるからな。
名馬「放生月毛」を駆り、天下の名刀「山長毛」を佩いた謙信は、颯爽と中条景資、樺山善久、新納又八郎らと共に前線へと向かった。
俺達が陣を張る安和の地から北東へ十数里、相手方が待つ須崎の地へこちらが攻め込む形だ。
左側に山、右型に海のあるやや狭い地形。
右翼は光秀。捧正義、水越宗勝らの弓鉄砲隊を護衛している。
俺の本陣は謙信たちの後詰めだ。
いよいよ戦だ。
俺は幔幕の将らを激励するために腹の底から声を発した!
「こちらは六千! 相手方は三千弱だ! 我らの軍は数でも練度でも本山らの軍を上回っている! 戦えば必ず勝てる!!」
「「応っっ!!」」
「相手は我らにつくと約束した弥三郎の父、長宗我部国親殿を討った! これは国親殿の弔い合戦でもある!!」
「「ははっ!!」」
「だが気を許すな!! 敵を侮るな! 土佐の地の安寧の為、それぞれの役割を十二分に発揮せよ!! 狙うは敵の総大将本山豊前守茂宗の首だ!!」
「「オォォォッッ!!!」」
兵の士気は高い。火器は宗勝の狙撃隊以外はほぼ使えないが、それに頼らずとも勝てるはず。
…… さて、どう出てくる? 本山茂宗?
たぶん、「こうくる」と思うが、な?
本格的な戦が始まりました。
斉藤利三については次々話で(*´ω`)
以下余談です。
令和4年2月頃は、「佐渡ヶ島を世界遺産に」という動きに対して、「強制労働があったので撤回せよ」、という話題がニュースになりました。賛否両論様々ありました。
歴史物を、さらに佐渡ヶ島を中心として扱う私ができる範囲で調べた結論として「佐渡ヶ島は世界遺産に相応しい」と私は考えます。
私は物語を書き始める前は、「佐渡ヶ島は流刑の島なんだよな」「佐渡金山は罪人達が働かせられたんだよな」と大いなる勘違いをしておりました。非常に恥じ入るばかりです。申し訳ない気持ちでいっぱいです( ノД`)時代劇の影響は大きい
まず、大前提として「世界遺産の登録の条件」を確認する必要があると思います。
世界遺産登録は、新基準 (1) - (6) の適用された物件が文化遺産とされます。
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの
以上の、どれか一つ以上に当てはまること。
更に、
・「完全性」~余計な要素が含まれていないこと (富岡製紙工場は当初10施設の登録を予定していたが、余計なものを消して4つに絞ったことで選定されたそうです)
・「真正性」~嘘偽りないこと (アステカ文明の「水晶のドクロ」とかは真っ赤な偽物;;)
を満たし、
・「保存管理が適切に行われていること」
が条件とされています。
「佐渡と世界遺産」様のサイトによりますと、
https://toki-sado.jp/wp-content/uploads/2021/03/toki_guide_2017_08.pdf
(3)鉱山の操業、鉱山集落の変遷~
(4)江戸時代の手工業な工業生産から、明治以降の時期において西洋文化を取り入れた機械化による大規模生産に至る各時代の多様な金生産技術の痕跡が、遺跡や建造物として良好に残っている
ということから、「国内推薦を受けて世界遺産登録を目指す」ということのようです。
世界的に見ればドイツの「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」やボリビアの「ポトシ銀山」など、多くの文化遺産において強制労働が行われていたようです。強制労働はあっても登録はされている。つまり、世界遺産登録において「強制労働があったかなかったか」については論点ではないようです。
佐渡金山において、第二次大戦頃に募集・斡旋として家族と共に朝鮮半島から労働しにやってきた人々がいたようですが、登録を目指す「江戸期~明治以降」という時期にズレを感じます。
江戸時代の海外人の強制労働の根拠はどこにもありません。そもそも江戸時代は鎖国状態で他国からの出入りは出島と朝鮮通信使くらいなものですから。
長々となりましたが、改めて私は「西三川砂金山」「相川鶴子金銀山」は世界遺産登録に相応しい地域であると言えると思います(*´ω`)




