第二百話 ~灰色の紫陽花~
二百話目到達!
お待たせしました(つд⊂)
<1547年 2月 モスクワ大公国 サンクト・イヴァノブルグ イヴァノブルグ島 街中>
石畳。
数年前に住民を『皆殺し』にして拓かれたという『聖イヴァノブルグ』の冷たい道。
モスクワ大公国に招かれたポルトガル王国の日ノ本国特務大使レイリッタは、吹き付ける寒風にくすんだ金髪が揺れるのをそのままに歩みを進めていた。
街の中心部には建設途中であろう大きな教会が多数の大工を飲み込んでいた。名工作であろうステンドグラスがいくつも運びこまれ、灰色の空を嘲笑うかの如く赤や青の薔薇を咲かせていた。
急ごしらえの港には、ブナやスギの材木が所狭しと並べられていた。船体を作る工法、取りつけるであろう大砲は最新式、いや、それ以上の技術をポルトガルの一団は感じた。
「これ程までに船造りが進められているとは……」
「こんな極北に、驚くべき技術があるとは」
「聞いていた以上です」
「リスボンほどでは当然ないにしても、これからますます大きくなるやも……」
同行してきたポルトガルの外交官達は目を見張った。バルト海に面した辺鄙な「この地」に、近代的な都市、港が築かれつつあるとは思いもしなかったからだ。
レイリッタは手紙を手に少し探し回っていたが、ようやく目的地の一つに辿り着いた。
「…… 着いた。ここだ」
イヴァノブルグ島の東の一角。豪奢と言えなくもないが、どこか心の通わない屋敷。そびえ立つ鉄格子のような柵に取り囲まれた屋敷。何度も見返した、くだびれた地図通りの場所に、それはあった。
不愛想な二人の門番は、異国の十数名の集団を見かけるやすぐに眉をしかめた。だが、レイリッタが見せた書状を確認すると、緩慢な動きで扉のドアノッカーを三回叩き前を開けた。
「お前達はここで待て。セシリア、ついてきてくれ」
「了解」
レイリッタは、押し開かれた屋敷の扉を剣士セシリアと二人だけで歩み入った。そこにいたのは……
複雑な刺繍が施された薄青色のファー付きサラファン(ロングドレス)を身に付け、薄茶色のしなやかな髪を肩まで伸ばした女性。そわそわとした様子が見受けられたが、レイリッタを見かけるや否や、彼女に小走りに近寄った。
「久しぶりですね、レイリッタ様」
「7年ぶり、でしょうか。美しくなられましたね、『アナスタシア様』」
手紙の主は、遠い異国、日ノ本の佐渡ヶ島で出会いモスクワ大公国まで送り届けた、『ナーシャ』ことアナスタシア・ロマナヴナだった。アーモンド型の青い瞳はその輝きが更に増したかのようにキラキラと瞬いていた。
出会った頃からナーシャの容姿は類まれであったが、十七歳となった彼女のあまりの美しさに、ポルトガルの要職にある女は思わずその立場を忘れてしまう程だった。
「…… 昔のように、『ナーシャ』と呼んでくださりませ。あの時の御恩は今も忘れてはおりません」
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食い入るように羽茂本間照詮からの手紙を読んでいたナーシャ。30分は経ったであろうことを確認したレイリッタは、旧知の貴族令嬢に声をかけることにした。
「どうだった? ハモチホンマ・ショウセン殿からの書状は?」
「…… 五通目」
「えっ?」
ナーシャは、指折り数えてそう呟いた。
「百三通送って、五通目。私の元に届いたのは、ね。私のは百十九通送って十通届いたみたい」
「…… 遠いですからね。日ノ本は」
「それにね……」
ナーシャはレイリッタを手招きすると、日本語で小さく伝えた。
「みはられテ、イルの」
「…… やはりですか。だれニですか?」
「ヨク、わからナイ」
ナーシャは細い顎を横に振った。
レイリッタは、ナーシャの細さに栄養の不足を感じ取った。御付きの近習ターニャことタチアナもピンと伸びた立ち姿は相変わらずであったが、三十を越えたであろう年齢以上の窶れ具合が感じとれた。
(苦労をしているようだ…… 助け出したいが……)
レイリッタは立場を越えた提案をした。
「…… わたしたちのフネに、のりますカ?」
「…… Нет(いいえ)」
ナーシャは再び首を振った。
「なぜですカ?」
「ワタシとターニャだけならいけるでしょう。でも、ハハがいます。ハハはビョウキです。フナたびにはたえられまセン。ハハをおいてはいけまセン」
「……」
一度決めたことは曲げない。ナーシャは母の看病を欠かしたことがなかった。一年前、慣れ親しんだモスクワから強制的にここサンクト・イヴァノブルグに移送されたときも、ターニャと二人で母を必死に助けてきた。
「それニ……」
「それに?」
「『やくそく』したから」
「やくそく?」
ナーシャは、レイリッタと会って初めて微笑んだ。近習ターニャはその様子を見て目を見張った。ここ数年、主人が笑った顔を見たことがなかったからだ。
「『むかえにいく』って、ショウセンが、やくそくしてくれた」
青紫色をした紫陽花のように慎ましやかに、ナーシャははにかんだ。
だがレイリッタは、複雑な表情でその笑顔の言葉を受け取った。
(羽茂本間照詮の軍はフィリピナスまで到達したと聞いていた。レイ王国(ヴェトナム中部の黎朝)まで軍を進めたが、それ以上は行けてはいないとの報告がある……
遠い。遠すぎるのだ。
一国の王が、マラッカを越え、インドを越え、アフリカの熱帯を越え、ここサンクト・イヴァノブルグまでの道を行くのは無理だ。到達するには半年はかかるであろう)
難しい顔をしたレイリッタの様子を見て、ナーシャはあっけらかんと告げた。
「…… まあ、『ムリカモ』、とはオモッテル」
「え?」
意外な言葉にレイリッタは驚いた。ナーシャはいつまでもナーシャではなかったようだ。
「アト三ねん、くらいかもね。王が『花嫁コンテスト』をやってるから、そのうちよばれちゃうかも」
「『王』、がですか?!」
「そう。 …… だからはやくむかえにきてホシイ、な」
レイリッタは「有り得る」と思った。
(ロマナヴナ家は元々は王に仕える家柄だったと聞く。それに加えてナーシャの美しさだ。何者かが阻害しているようだが、本人の意志とは関係なく王宮に招かれ、そのまま入宮、となることも十分に考えられる……)
「…… ねぇ、見て!」
ナーシャはターニャから教わったポルトガル語に戻して、自分の実験室をレイリッタに案内した。
「ショウセンは石鹸とか、水車小屋とか、ビールとか、そういうのを喜んでくれたでしょ? だから、ショウセンが迎えに来てくれたとき役に立てるように色々実験してるの! これは、シミを抜く薬品でしょ。これは便秘を治す粉薬。あぁ、レンとも『やくそく』していることがあるんだ。それに、これはね……」
屈託のない表情を見せたナーシャ。夢見る少女ではなくなったたはずの紫陽花の姫君の心は、やはりまだ羽茂本間照詮にあるのだった。
レイリッタは半分は優しい目で、もう半分は冷徹な目でその姿を見つめていた……
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ナーシャの為に「羽茂本間照詮から」と言って多くの金子を渡したレイリッタは、真の目的である仮造りの王宮へと足早に歩みを進めていた。
ポルトガル王国の重鎮は気持ちを入れ替え、フランネル織のスカーフで口を覆いながら数名の家来に矢継ぎ早に指示を出した。
「定期的にナーシャと連絡を取れ。動向を逐一把握せよ。日ノ本との縁を握る『カギ』となるはずだ」
「承知しました」
「モスクワ大公国の躍進は『脅威』だ。王(ジョアン3世)には『東や南ばかり見ていると、北の熊に喰われるかもしれん』と告げねばならん。お前らはここに留まれ」
「ははっ」
数名の者達が街中へと潜伏を開始した。
祖国ポルトガルの為に、王宮に行った後には更に多くの指示を出す必要があることをレイリッタは感じ取っていた。
「『日ノ本に興味がある。日ノ本に一番詳しい人物を寄越してくれ』ということで呼ばれた私だが…… 王には言葉は選ばねばならんな」
「はっ?」
「不可思議な感じがする。この国の王、そしてこのサンクト・イヴァノブルグの町並み、技術は『人ならざるものの力』すら感じる。私がかつて、日ノ本の若き王、羽茂本間照詮に感じたものに似たものを……」
レイリッタは、同じ所を感じつつも、違う所もいくつか感じていた。
虐殺を「聖戦」と称し、次々と北の地の版図を広げていく王。幼い頃から才を発揮し、自らを「聖人イヴァン」と準えて、ここを「聖イヴァンの都市」と名付けた王。畏怖と尊敬の念から「雷帝」と呼ばれる17歳の王……
「雷帝イヴァン四世か……」
レイリッタの頭上を覆う重い灰色の空は、ますます広がり続けていた。
コロナ渦で人手が足らなくなり忙しかったり、節目の二百話目で悩んだり、何やかんやでしたが復帰できました。次話から再び土佐に戻ります。待っていてくださった方々に深く御礼申し上げます。(゜´Д`゜)゜。
元々、この二百話目は主人公とナーシャの再会を描くことを作者は予定していました(*´ω`)でも予定は未定。あれよあれよと話が膨らみ続けてしまいました。レンとの再会を目指す中、果たしてナーシャとの再開は…… それに『雷帝』とは……?
「サンクトイヴァノブルグ」の位置は、本来「サンクトペテルブルグ」と呼ばれる地です。
サンクトペテルブルクは1703年、ロシア帝国皇帝ピョートル1世がスウェーデンからこの地を奪い取った際に、自らと同じ名の聖人「ペテロ(ピョートル)」から名付けた都市とされています。
この時期、黒海周辺~イスタンブール~地中海のボスポラス海峡はオスマン帝国に牛耳られていました。バルト海に面したこの町は、西洋との大事な玄関口となるでしょう。1547年頃は元々モスクワ大公国の所領となっていたようです。
本物語では、時期的に150年ほども遡っていることになります。
九ちゃん&とっぷパン様から素敵なイラストを頂きました\( 'ω')/!
初めて頂いた物語のイラストです!
レンとサチに挟まれた主人公(;゜Д゜)! 嬉しい! ありがとうございます!!!




