第百九十九話 ~須崎八幡宮の変「二」~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 須崎八幡宮 境内 >
『宇佐美駿河守定満』
土佐の名だたる豪族達はその男を遠巻きに恐る恐る眺めた。見たこともない生物を見るかのように。
羽茂本間家の勢いはこの男無しに語ることはできない。
誰が書いたか不明であるが数年前に発刊された「駿河守」という軍記書では、「この戦国の世に生まれいでし傑物」「今孔明」と激評された評判は当たるとも遠くなかった。
「羽茂本間照詮の横に、常に宇佐美定満あり」
「佐渡の山中にて羽茂本間照詮を見出し世に出した傑物」
「『佐越の戦い』において上条定憲、柿崎景家を容易く屠った」
「羽茂本間家の快進撃は当主の策略というより、むしろ焙烙頭巾の中にある神仙の如き才智によるものである」
『年の頃は五十。見たこともないような絢爛豪華な布地の陣羽織を身に纏い、手には「三つ瓶子」紋の軍配、白い焙烙頭巾を被り、あらゆるものを見通す目をもっている』。書にはそう書かれていた。 その姿はまさにその通りの出で立ちであった。
「…… では、此度の土佐七雄の御大将、本山殿は、我ら羽茂本間軍と相対する、ということですな?」
「…… 名高き定満殿の言葉とは思えませぬな」
土佐七雄筆頭本山《もとやま》家当主本山豊前守茂宗は二月の寒風の中、額に汗を幾条も垂らしながらそう答えた。
(気圧されてはならん。ここが儂の正念場じゃ)
茂宗は焦っていた。
宇佐美定満から「兵を退く代わり所領安堵」を打診された茂宗。だが条件は「土佐一条氏の下に留まること」。土佐一国、その先にある前人未到の「四国統一」を夢見る茂宗にとっては到底受け入れることができない条件だった。
「我ら土佐七雄の心は『一枚岩』のように固まっております。現に土佐一条軍は津野基高殿の姫野々城を前に尻ごみ。七雄の誰一人として土佐一条家を許すものはおりませぬ! 佐渡軍の精強さは噂には存じておりますが、ここは我ら土佐の者にお任せいただくが重畳かと存じますが?!」
「なるほどのう。『一枚岩』のう?」
宇佐美定満は本山からの言葉に意味あり気に答えた。
「三つの過ちがあるぞ。豊前守殿」
「!? 三つ?!」
宇佐美定満は節くれだった指を三本立てるた後に二本折り、これまでにない程に重々しく言葉を発した。
「一つ。土佐一条の右近衛中将殿は、古縁の鎖を断ち切った。今頃は姫野々城を攻めて落としておることでござろう。其方らの主君は土佐一条殿、これは揺るがぬ」
「そんな?!」
「あの腰抜けが、津野殿の城を落とせる訳がない!」
慌てふためく者達。定満は微動だにせず二本目の指を静かに立てた。
「二つ。土佐七雄が『一枚岩』と言っておられたが、果たして本当ですかな? 我らに靡く者が既におられますぞ?」
「なっ!!?」
「ふかしじゃ! ほがな(そんな)もんはおらんぜよ!」
「……」
『安芸の虎』と呼ばれる安芸国虎は大きく吠えた。寝返りの約定を受け入れた長宗我部国親は静かに押し黙ったままである。
「三つ。我が殿羽茂本間左大弁様は、兵を挙げるという暴挙に出た其方らに寛大な沙汰を告げた。所領安堵。一族不殺。だがそれを断ることは、族滅を意味する。分かっておるのであろうなッ?!!」
「ヒッ!!」
「うぬぅ……」
宇佐美定満の強烈な高圧交渉だった。これを断れば戦は間違いなしである。
本山茂宗は拳をわなわなと震わせた。決心が揺らぐ思いがした。だが受け入れることは到底できはしなかった。
(こっ、虚仮脅しじゃ! ここで引いては我が人生の意味があろうや?! 貧しい山深い土地の、土佐の一豪族で終わってなるものか!!)
「ぅお、恐れながら!! さ、定満殿の言葉とは思えませぬな!!」
本山は丹田に気を入れた! 己を奮い立たせ、震え声を気強い声へと変えた!
「まず、人とはすぐには変わらぬもの! 土佐一条房基は愚物のまま! 次に、我ら土佐七雄に裏切り者など居りませぬ! いたら儂が叩っ斬る! それに所領安堵はにわかに信じ難い! 以上に御座る!!」
静まり返った境内。遠くで鴎の声が微かに響いた。
「…… 愚かな道を選びましたな。致し方ありませぬ。では戦に御座る」
「のっ、臨むところ! …… ですが定満殿。このまま帰れるとお思いか? ちと甘すぎるではなかろうや?」
策略家本山茂宗はニヤリと笑った。佐渡の羽茂本間を差配する軍師として名高い定満を捕えることができれば交渉の材料となる。そう睨んだ為だった。
「虚けがっ!!」
「ッ!?」
定満は語気を荒げた!
「その方が浅知恵を働かせようものならたとえ我らを退けたとしても『朝廷や将軍家、管領家』が黙っておらぬぞ!!」
「あっ、う、そ、それは……」
「楽しみじゃのう! 正式な使者として参った儂を捕えたとあれば! 細川京兆家と懇意の儂を捕えたとあれば! 不名誉は末代までたたるぞ!!」
「う、うぐッ?!」
立身出世を目指す、権威や格式を重んじる本山茂宗にとって、それは一番の急所であった。「偏諱がもらえなくなる」「叙位されなくなる」「武官位がもらえなくなる」可能性は僅かなことでも避けたいこと。定満はそれを熟知していたのだった。
「お主のその弱く醜い心は須崎八幡の神々にはお見通しじゃぞ! 恥を知れぃ! 恥を!!」
「ぐ、ぐぐぐッ …… !」
本山は定満の言葉に明らかに揺らいだ。躊躇いだ。
それを見届けた定満は長居は無用とばかりに立ち上がった。
「ま、まて……」
「おお、そうそう」
定満はしたり顔でかねてから用意してきた言葉を発した。
「長宗我部氏の信濃守(国親)殿」
「ははっ!!」
定満は国親の目をしかと見た。
「我らの方へ付くという約定の件、頼みましたぞ?」
「はは!!」
(覚悟した者のよい目をしている)
定満はそう感じた。国親の覚悟を確認した。寝返りの件は委細承知しているようだった。
「なっっ!! 何ッ!?」
驚いたのは本山茂宗と大平元国。
(愛想笑いの国親め! 既に裏で佐渡と手を結んでおったのか!!)
臍を噛む思いで悔しがった二大将。この場にいない香宗我部も同様なことは明白だった。土佐七雄は既に二本欠けていたのだった。
だがそれだけでは終わらなかった。
「安芸氏の備後守(国虎)殿!」
定満は秀綱に聞いた通りの黄蘗色の陣羽織を纏った若武者の方を向いた。
「んあ!?」
「約束のもの、しかと受け取りました。有難うございまする」
「ん? ああ、(米のことか)。どうということはないぞ」
「ま、まさか!!!」
米一俵の所望。
これが長宗我部氏裏切りの確認後にわざわざ宇佐美定満が礼をするほどのことと、疑り深い茂宗には到底思えなかった。
(「安芸の虎」も佐渡と何か約定を取りつけておったのか! 不戦か? 寝返りか? 威勢のいいことばかり言う安芸の青二才めがッ! 面従腹背とはこのことじゃ!!)
事を為し終えた定満は既にこの地の用は無かった。
「では、これにて失礼。秀綱、行くぞ」
「は、ははっ!!」
宇佐美定満の「毒」は、本山茂宗の体の奥深くまで達していた。
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宇佐美定満が去った後だった。
「くっ! 国親! お、お、お主! 土佐七雄の気概を捨て!! 何という無様な約定を!」
本山茂宗は顔を梅花よりも頬を紅潮させ長宗我部国親を強く詰った。
「…… クックックッ」
長宗我部国親は笑った。だがその笑いはいつものおどおどした愛想笑いではない。心の底からの笑いだった。嘲笑と言ってもいいものだった。
「な、何がおかしい!? 気が触れたか?!」
「いやいやいやいや…… お主らに向けての作り笑いをもうせんでよいかと思うと…… アーッハッハッ!!! おかしゅうて堪らぬわ!!!」
「くッ?!」
揉み手もない。眉はいつもの八の字ではなく釣り上がっている。長宗我部国親は既に事を為し終えていた。
「我が軍は既に領内に巣食うお主の手の者を屠りきったわ! 我が領民は我が長宗我部の手に戻った! お主の命運も今日までじゃ!」
「痴れ者めっ! お主の娘『菊』が我がの手の内にあることを忘れたか!」
「救おうと思うたが家の為じゃ! 佐渡本間の仕打ちは惨いぞ。逆らう者は一族郎党皆殺しじゃ。『菊』には既に毒を渡しておる。武家の娘じゃ。覚悟はできておろう」
「ぬうっ!!」
国親は笑った。
国親は元服してからこの方、作り笑いだけの人生を過ごしてきた。暗君、痴れ者と呼ばれても家の復興を思い辛酸を嘗めても歯を食いしばり耐えてきた。気を失わんばかりの苦しみ。それが今日で最後と思うと心が澄み切る思いだった。
長宗我部家当主は声を張った!
「佐渡本間の国力を知らぬ田舎豪族めがッ! 土佐一国もない者が逆らうことなぞ『大波の前にした落ち葉』ほどの力もないわ! 我が長宗我部は生き残る! お主らは滅びる! それで終いじゃ!!」
「…… ふん、やってみないと分からんだろうが」
そう言ったのは安芸国虎。踵を返すと自慢の槍を手にして自分の陣へと歩みを進めた。
「ま、待て! 国虎! お主どこへ行こうとしておる!!」
「んあ? 儂の陣じゃて。長宗我部と儂の陣が佐渡軍の前線じゃろ? 儂が佐渡本間を正面から受けるんで、本陣のお主らがしっかとと脇腹を衝くぜよ?」
「そ、そう言って儂を裏切るつもりじゃろが!!」
「…… べこのかあ(馬鹿者が)」
国虎は強き者と対峙する誉れの為、自らの陣へと去っていった。
「ぐ、ぐぬぬぬ」
本山は怒りで我を忘れていた。
(今日が人生最良の日となるはずが! この阿呆国親のせいで全てが水の泡となった! 許せぬ!!)
「長宗我部の痴れ者が!! 父親と同じく我が刀の錆となれぃ!」
「ははっ! そんな錆刀で儂を斬れる者か!斬れるものなら、斬ってみよ!!」
国親は本山を笑い飛ばすと腰にかけた刀の柄に手をかけた。平山も本山の家臣らも刀を抜いた。
「ここは神社の境内じゃぞ! 血を流せば八百万の神々はお主から離れるぞ!」
「やかましいわっ! 命乞いも程々にせいっ!!」
「はっ! ならばかかってこい!! 時代を読めぬうつけ共が! この長宗我部国親ッ! 死して後世に残る長宗我部の礎となろう!!」
「ええいっ! かかれ! かかれぃ!!」
「オオッッ!!!」
数十本の白刃が国親の前に山のように連なった。国親は刃のない刀の柄をきつく握りしめ死を前にして「我が計為せり」と穏やかな表情を浮かべた。
(…… 辛かった。
媚びて笑うことがことが。意に反して頭を下げることが。蔑まされて生きることが。
…… 佐渡の羽茂本間照詮。とても義理堅い男と聞いた。
我が長宗我部が土佐七雄から離反した為、本山らの手によって当主の儂が命を落とせば、責任を感じ末代まで我が長宗我部家を守り通すはずじゃ……
儂の離反により、多くの血が流れた。村の者ら、兵達、そして本山に嫁がせた菊……
お主らを一人では決して逝かせぬぞ。儂も死出の共をするぞ……)
「さらばじゃ、弥三郎…… 強く生きよ。
儂は…… 疲れた。
作り笑いをしすぎて、笑い過ぎて、疲れ果てた、わ……」
ザシュッ
ドシュッ! ドバッッ!!
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後世において「須崎八幡宮の変」と呼ばれる出来事だった。
「長宗我部国親が『兵を収めよう』と必死の思いで本山茂宗を説得しようとしたが叶わず。刀を持たぬ丸腰の国親を本山らが一斉に斬り捨てた」と語り継がれた。
長宗我部、香宗我部が参陣しない土佐豪族の兵達は、互いの連携を取れぬままに、精強な佐渡軍と相対することとなった。




