第百九十七話 ~長宗我部国親~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 長岡郡 岡豊城 評定の間 >
神妙な面持ちで長宗我部氏の居城岡豊城に入城した明智十兵衛光秀は呆気に取られていた。
「で、では、『長宗我部氏は我ら羽茂本間と刃を交えることはせぬ』、と?」
「はいはいはいはい! もう~決して! 羽茂本間様と刃を交えることなど滅ッ相~もない!」
ペコペコと米搗き飛蝗のように首を振り続ける男。岡豊城城主にして長宗我部氏当主の長宗我部信濃守国親、その人である。
年の頃は四十から五十。長い顎鬚をたくわえ、額の深い皺がこれまでの苦労の数々を想わせる。羽茂本間の使者が着いたと聞いた瞬間にこの従順さである。揉み手を絶やさずニコニコと笑いながら羽茂本間照詮からの使者明智十兵衛光秀を歓待していた。
「…… 信濃守殿は、土佐一条の阿波権守殿(房基)の祖夫上権大納言殿(一条房家)に庇護を受けられたとか」
「正しく正しく!」
「御家再興も権大納言殿に助けられたと聞いております」
「おお! 正に正にその通りでございます! 我が長宗我部家の『七つ片喰』紋を再び掲げられたのは土佐一条権大納言様のご尽力の賜物っ! ですからこそ土佐国司家に弓を引こうとは決して! 決して思うてはおりませんでしたぞ!」
「何故に御座いまするか? 信濃守殿の此度の挙兵は?」
「それもこれも、本山(茂宗)殿の強い命によりますれば。我が娘を嫡男茂辰殿に嫁がせていただきまして強い縁故により致し方なくにございますれば断れませんで。いやはやいやはや、誠に申し訳ござらぬ」
軽薄気味にペコペコと平謝りする当主国親。体面や品格など全く気にも止めないほどの様子である。
「…… しかし、兵を収めるとしても本山殿は信濃守殿を簡単にお許しは致しますまい。如何するおつもりですかな?」
「…… はははっ、左様な些細な事など。お気を煩わせることではございませぬぞ」
現在の長宗我部氏の力はかなり小さく、土佐中部で隆盛を誇る本山氏に半ば従属を強いられていた。抜け目なく力をつけてきた本山氏は近隣の土佐吉良氏、天竺氏、横山氏をここ数年で全て攻め滅ぼし、目下の敵は土佐国司家である土佐一条氏だけであった。
「それと、隣地の豪族香宗我部氏は如何でござろう?」
「ああ、当主の秀通はビクビク震えておりましたなあ。ですが左大弁殿から『領地安堵』をお約束いただけるなら、某と同じくコロリと転びましょう。ええ、誠に!」
香宗我部氏は長宗我部氏よりも情勢は更に厳しかった。西を長宗我部氏に、東を安芸氏に挟まれ息も絶え絶え。兄の香宗我部親秀から家督を譲られた当主香宗我部右衛門尉秀通は、死地に活路を見出すつもりで本山氏が呼び掛けた土佐一条包囲網に参加していたのだった。
「なるほど、安堵いたしました。某は大役を果たしたと大殿へご報告できそうです」
「それは何よりでございますな!」
「……あぁ、それと大殿からのたっての願いでござる」
「はは~! もう何なりと! 何なりと!!」
「では…… 『信濃守(国親)殿が考案されたという[一領具足]という制度についてどのようなものか教えてくだされ』、とのことに御座います」
「いっ!!?」
「…… いかがでしょうや? 信濃守殿?」
光秀の言葉にたじろぎ、一瞬で笑顔が消え目を見開き真顔になった国親。
だが次の瞬間にはそれが嘘だったかのように口角が上がり目を細めていた。
「…… いやはやいやはや! 流石は十年足らずで日ノ本を屠ろうとされている御方……」
「?」
「この田舎豪族が秘中の秘として育て続けてきた、『一領具足』を既にご存知だったとは! その目その耳の聡いことこの上なき、ですな、はははっ。よろしゅうございます! よろしゅうございますとも!」
膝を打ち床を叩いた後、にんまりと笑った長宗我部国親。家老衆筆頭吉田孝頼を呼び寄せると、胸元深くに忍ばせていた一通の書状を託した。孝頼はそれを恭しく受け取ると、使者の光秀に滞りなく渡した。
光秀は「日頃から胸中に入れるほどの秘策なのか?!」と驚きながらもそれを受け取り、確認の言葉を続けた。
「『土佐七雄』と結びついたと思うておる本山氏は、我らの力に抗い兵を収めぬことでしょう。大きな戦となり申そう。その中で長宗我部氏は土佐一条、そして我ら羽茂本間家の方へ付く。お間違いありませぬな?」
「はははっは、もちろんで御座います! もちろんで御座いますとも!! 『我が嫡男を人質』と致しますれば決して御疑い為されませぬよう平に! 平にお執り成しをお願いいたします」
「い、いや。そこまでは申してはおりませぬ。人質など……」
「いえいえいえいえいえ! どうか! どう~か我が嫡男弥三郎を羽茂本間の左大弁殿の御傍に置かせてくださりませ!! どう~かこの通りでございます!!」
再び頭を何度も下げる国親。
すると光秀の返事を待つまでもなく、奥の間から紫苑色(キク科多年草シオンを椿の灰汁で媒染した青みがかった薄い紫色)の直垂を着た六つほどの肌白く弱弱しい男子が現れていた。
「や、弥三郎に御座います……」
「はっ、はは。 …… これは見目麗しい若子様に御座いまするな。明智十兵衛光秀に御座います」
「十兵衛殿! 嫡男の弥三郎は儂に似ず風が吹けば飛ぶよう女女しき者につき『姫若子』と揶揄する者もおりますが当家の大事な! 大~事な跡取りに御座います! 宜しく! 宜しくお願い申し上げます!!」
長宗我部家当主は、恥も外聞もなく髭を床に付けて十兵衛に頼み込んだ。さしもの十兵衛も当主の熱烈な懇願に対して否応言う機会を失っていた。
「……」
普段と違う父の様子を見て何かを悟ったのか、色白の弥三郎は心細くなった。寂しさ故に目尻の奥から熱く込み上げる物が溢れてきた。弥三郎は無性に父と離れたくない衝動に駆られた。
「父上…… ちちうぇ……」
「おうおう、情けのない奴じゃな。今生の別れでもあるまいに。どれ、こっちゃ参れ参れ」
国親は鷹揚に嫡男を呼び寄せると、その小さな体を自分の胸の中へとぎゅっと抱きしめた。
「ちちうぇ……」
「…… よいか弥三郎」
それは小さくとも意志の強い言葉だった。顔を見られぬよう弥三郎を胸に強く抱きながら低く確かな言葉だった。
「はっ……」
「佐渡の左大弁殿は日ノ本を統べる御方じゃろう。儂のことは気にするな。強く生きよ。強く生きよ…… っ!」
「…… ははっ」
小声で何事か話している様子が気になった光秀。だが国親はそれを悟られぬよう、再び笑顔に戻り揉み手を繰り返した。
「信濃守殿?」
「はははっ! こ奴めは臆したのか、この期に及んで厠へ行きたいと申しておりまする! ま~ったく、仕方のない奴にございます!」
「ち、父上っ!」
光秀はその様子を見ながら色々と思案はしたものの、当主の命と宇佐美定満、不無の両軍師のねらいに合致しているとみて承諾することとした。
「承知仕りました。弥三郎殿をお預かりいたしまする。この明智十兵衛光秀、若子様を命に替えましてもお守りいたします」
「いやいやいや、それほどの者ではござらぬ。その辺の石や草だと思うて……」
「父上っ!」
白い顔を紅く染め、蛙のように頬を膨らませた弥三郎。それを見て国親も光秀も、評定の間の皆が笑った。
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…… その三日後。
本山茂宗を大将とした『土佐七雄』の軍三千が、羽茂本間照詮率いる六千の軍と相対することとなった。
津野基高の居城姫野々城が落ちた日と同日の出来事であった……
長宗我部氏を復興し元親へ襷を渡した長宗我部国親は、正に戦国時代を生き抜いた男と言えるでしょう。
永正5年(1508年)、4歳にして本山氏などに岡豊城を攻め取られ父親が自害。土佐一条家にて養育された後、14歳の時に岡豊城へ復帰し長宗我部氏を復興させた国親。仇敵本山氏に娘を嫁がせるなど服従する姿勢を見せて安全を図り、周辺の豪族を屠りながら次第に力を付けていきました。次男を吉良家へ、三男を香宗我部氏へ養子に出し土佐に影響力を増していき、宿敵本山茂宗が弘治元年(1555年)に病死すると本山氏に対して反旗を翻してそれを大いに打ち破り、元親による土佐統一の土台を築きあげました。
「半農半兵」とも言うべき軍制である「一領具足」は元親が有名ですが、基礎は国親であると言われています。長宗我部氏は、農民に「開墾領地」の権利を与える代わりに「戦の際は真っ先に具足を着て駆けつけること」を命じるこるこの制度により、嫌々戦に参加していた農兵とは一線と隔した、土佐物語で「死生知らずの野武士なり」と称されたような士気の高い兵を運用できました。
「明智光秀と長宗我部元親との繋がりが本能寺の変の引き金だった可能性がある」という説がありますね(*´ω`) 本物語での二人の出会いは……
本山氏は史実でも土佐の一大豪族ですが、本物語ではそれよりも力を付けているようです。




