第百八十八話 ~緑閃光~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 足摺岬沖 佐渡鷹丸 船上>
「殿! 夕日が奇怪な形をしております!」
「む?」
近習の島津忠平が西の空を指差して叫んだのを聞いて、俺はその指の先を追った。
「どれどれ……」
確かに、海に沈みゆくオレンジ色をした夕日がΩ状になって沈んでいく。まるで太陽が海から顔を出しているかのような形だ。ダルマの首のようにも見える。
忠平は不安そうな顔を隠そうともせず、おどおどと俺に尋ねた。
「何かの先触れでしょうか……?」
「ふむ、これは蜃気楼の一種だろうな」
「え゛? しん、き、ろう?」
高校物理の知識だ。
「ああ。冷たい空気の層と温かい空気の層の境目を光が通るときに、光が曲がって見える虚像のことだ。黒潮から立ちのぼる温かい水蒸気とよく晴れて冷たい大気との境目に光が反射されたことで、日没時の夕日が広がって見えたのだろう」
「……」
俺の説明に、忠平はポカンと口を開けている。
…… この頃に蜃気楼と言っても一般的ではなかったか。科学的な根拠を説明しても理解してはもらえないのは当然、か。
「どれどれ…… おお! 確かに日が海から顔を出しているように見えるぞ!」
「……何とも珍しい」
「果たして凶兆か、吉兆か……」
他の者達も騒ぎ出した。
この時代の者達は迷信深い。知識を披露した所で理解には及ばぬだろうし、「恐れるな」といっても説得力がない。ならば……
「むむ! これは『大吉兆』じゃぞ!」
「! 殿! 誠でございますか!?」
「ああ! これは、かの弘法大師空海上人が虚空蔵菩薩の真言を百万回唱えた末に悟りを開いたときに見たと言われる『達磨夕日』だ! こんな目出度い夕日が凶兆のはずがない!」
「おお~!」
俺は前世で何となく覚えていた知識を組み合わせてそれらしいことを言った。
「なるほど!」とか「流石は殿!」とか皆は感心した様子。まあ、何でもいい方向に捉えることが大事だよな。熱した亀の甲羅のヒビで未来を占ってた巫女さんがいたってくらいだし。
持ち場についていた重臣達も、俺の声を聞きつけてドヤドヤとやってきた。
「なるほどっ! ならば、戦での我らの勝利間違いなし! ということですな!」
「おお! そういうことになりますな!」
「はははっ! やってやりますぞ!」
喜色満面。皆嬉しそうだ。
祝言を挙げたばかりと言うのに「戦の匂いが致します! 某も!」と遠征に無理やり参加した上杉謙信。「先陣は武門の誉れ!」と意気込む樺山善久と新納又八郎。「腕が鳴りますわい」と肩を回す中条景資。弓隊長の捧正義は愛用の弓の弦をピンと鳴らした。
俺は七日の準備期間の後、七千の兵を二百の船に乗せ禰寝湊を出立した。
京への道を急ぎたかったが、何の下準備もせずに戦支度をするなぞ愚の骨頂だ。
京の御所には「向日葵姫は佐渡にいる頃からの俺の妻である。道中の安全確保の為、軍を率いていく」という内容の文を知識人である長谷川海太郎に託した。
加えて、室町幕府の将軍足利義晴、管領細川晴元、実力者の細川氏綱、さらには堺の会合衆、石山本願寺、三好長慶らに「帝に拝謁の為に軍を率いていく。他意はない」と書状を発した。
俺としては書状以上の意味はないのだが、受け取る側が素直に「そうですか」と受け入れるかは別問題だ。想像の斜め上をいく可能性もある。曲解し敵に回る者もいるだろう。
だが、「羽化」を終えた俺にとっては何の意味もない。どいつでもかかってるくるがいい。立ち塞がるのなら殲滅するのみだ。
俺が沈みゆく夕日を目に焼き付けている中、船首の方から伝令が響いた。
「殿! 陸地と幾艘かの船が見えまする!」
「うむ。方角と形状から足摺岬沖の『沖ノ島』に間違いなかろう。待っているのは土佐一条家へ向かった先発隊の定満と、大内家へ向かっていた不無の船だろう。寄せよ」
「ははっ!!」
さて、土佐一条と大内家。どのような内情かな。
蝶となった俺を安らげる花ならよし。さもなくば……
その時、夕日の沈む姿を見ていた一堂がどよめいた。
「「おおおッ!」」
俺も夕日へと目をやった。
何と! 夕日が海へと完全に沈む瞬間に一条の強い緑の光を放ったのだ!!
「なっ!? 青(緑)の光?! 日が青色に光るなぞ!!」
「と、殿!!」
俺はその強く鮮やかに照らされた光を茫然と見つめながら呟いていた。
「緑閃光とは…… 本当に良い物を見た」
「え? 殿? ぐるりんふらす? え、え?」
忠平は目をさらにぱちくりとした。
「大吉兆、と言ったな。あれを取り消す」
「!?」
「瑞兆(幸運の先触れの極み)じゃ」
「見る者に幸せをもたらす」という極めて珍しい気象現象緑閃光がまさか見られるとは。この美しい輝きを俺は忘れることはないだろう。縁起なぞ担がない俺だが、今回だけは信じたくなったぞ。この先の幸運を。
俺は超自然の神秘の余韻を味わいながら、僅かな残光を頼りに艦長会を行う大部屋へと向かった。
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<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 足摺岬沖 佐渡鷹丸 船上 艦長会室>
コツコツコツ
ガチャ
「来たか」
「参りました」
頭を下げて入室してきたのは、土佐一条家の使者として遣わした俺の第一の知恵袋、宇佐美定満だった。
そしてその後から更に二人の姿が。
「不無不無。お揃いですな」
「失礼仕ります」
一人は外交のスペシャリストである不無(元畠山義総)だ。西南からの旅を終えた俺達が禰寝湊に向かう際、「西国の雄大内家の動向を確かめたい」と不無が直言したので行かせていたのだ。いい話が聞けるといいが。
不無の後から入ってきた男は、見かけない男だった。
年は二十歳そこそこ。緑の直垂を身に纏い、体は痩せ気味だが頑強そうだ。頭が薄く禿げあがり気味だが眼つきは鋭く隙がない。相当にできる男だろう。不無の副官だろうか? まあ後から紹介があるだろう。
「夜もとっぷりと更けた。艦長会を手短に済ますぞ」
「ははっ」
場にいるのは、第三艦隊「龍」上杉謙信、第四艦隊「兎」宇佐美定満、第七艦隊「燕」三田舞也、第八艦隊「馬」宗将盛、第十艦隊「鮫」島津尚久、あとは俺の近習の忠平と不無の副官だ。
「議題は、一、土佐一条家の動向、二、大内家の動向、三、今後の行軍じゃ」
「「ははっ!!」」
「まずは一じゃ。土佐一条家は我らの寄港と水や糧秣の支援を承知したのか? 教えてくれ。定満」
禰寝湊から京までの道は長い。七千の兵を乗せて補給無しで行くのはとてもではないが難しい。嵐や不測の事態に対する一時的な避難場所の確保も必要だ。そこで、中間地点に近い土佐一条家に協力を申し込んだのだ。
「心得ました」
焙烙頭巾はコホンと空咳をしてから言葉を進めた。
「土佐一条家。我らの寄港を承知しました」
「「おおっ」」
流石は定満だ。無事、話をまとめてきたようだ。
「不無不無。それは重畳」
「何か、条件は?」
「いえ、金銭の他には特には。ただ……」
「ただ、何だ?」
不無、謙信、尚久らの声に、定満が落ち着いて答えた。
「切れ者がおりました」
「ぬ?」
「我らの意図、規模、行程、先々のことを抜け目なく事細かに尋ねて参りました。相当の者で御座ります。力量は儂と同等やもしれませぬ」
「ほほう? 焙烙頭巾と同等とは!」
これは驚いた。宇佐美定満と肩を並べる程の知恵者が土佐にいるというのか?
「名は?」
「土居宗珊。筆頭家老で今城城主と申しておりました。」
「むぅ、やはりな」
島津尚久が唸った。坊津水軍の頭領として長くその任に就いていたので知っていたのであろう。海の上だから頭が冴えているようだ。
ん~、土居宗珊? 土居…… 土居さん……
「あ、若干聞いたことがあるな!」
「おお? 本当ですか! 殿」
「お、おう」
ゲームの知識だ。
弱小勢力の土佐一条家をまとめる老武将。中々の強さをもっていたはずだ。それと大名は……
過去に思いを馳せる俺にヒントを与えるかのように、定満は土佐の様相を語り出した。
「土佐一条家の居城、土佐中村城は堅牢。玄関口となる下田湊も『小京都』と呼ばれる名の通りに華やかに御座いました。ですが当主である従三位一条右近衛中将兼阿波権守房基は『母上の言いなり』『豪壮さが足りない』『公家に頭の上がらぬ肝の小さい男』と街中で侮られておりました」
思い出した!
土佐一条家と言えば、全武将の中で最も能力値の低い武将が大名だったはずだ。確か優秀な腹心を斬ったとか、長曾我部氏に滅亡させられた暗君だとか。そうか、そういうことか。
名門の地位につきながら、母親に頭の上がらないマザコン男。名将土居宗珊と仲違いして最後には斬った男。それが土佐一条房基なのだな。
俺は自分の中で論理をまとめた後、自信をもって定満に問いただした。
「では、当主の一条房基という男は、つまらぬ奴なのじゃな?」
「…… いえ」
え?
「はい」という答えが返ってくると思っていたら、焙烙頭巾から意外すぎる答えが返ってきたぞ。
「某から暗君の色は全く見えませんでした。御母堂様の言葉数に押され言葉少なでしたが、我らへの労い、凛とした振舞い、一つ一つの所作、某を見つめる精悍そうな瞳、どれも摂家の当主らしいものにございました」
「ふむ」
「土居宗珊も房基殿に心から臣従している様子に御座いました。さらに、殿の好物を聞き歓待の用意をする心づもりでおりました。暗君では御座いませぬ」
……俺は自分の考えが常に正しいとは思ってはいない。間違いはある。「私は失敗しない」とか、「私は間違えない」とか絶対に言わない。
だが、今回は多分合ってるだろうと思っていた。だからこそ定満の答えは意外だった。
「定満」
「ははっ」
「お主は俺の力を誰よりも早く見極めた。お主の持つ『人を見る力』は炯眼に近いものがあろう。俺はお主の力に全幅の信頼を置いておる。……だが敢えて聞くぞ」
「はっ」
「一条房基の人物像、相違ないか?」
「相違御座いませぬ」
「分かった。信じよう」
…… どういうことだ?
戦国時代最弱ステータス男のはずが、定満の眼鏡にかなった名君とは?
史実が異なっているのか? それともまさか…… 転生者か?!
「殿、いかがいたしましょうか」
「…… 問題はない。予定通り明日、下田湊に着港し土佐一条家に会いに行く。陸戦に強い謙信の第三艦隊と共に行く。皆、それでよいな?!」
「「ははっ!」」
「……それと、あの阿呆の公家二人も連れていく。櫓漕ぎで役に立ったか? 尚久?」
「いえいえ。二人で半人分の働きにも値しませんでした」
アッハッハ!
艦長会室が笑い声が響き渡った。
…… そうだな、会ってみれば分かるはずだ。頭が痛くなるか。虚けが衣を着ているか。それとも本当の名君かが。
「さて、第二の案件だが」
俺は先ほどの笑いの中表情一つ緩めなかった、不無の後ろに座る髪の薄い男が気になった。
「不無よ。この男は?」
「はは。殿と西南の海へ旅立つ直前に、拙僧の配下に招き入れた者に御座います。大内家の動向を探るため山口の町に行かせておりました」
「ほほう?」
不無が一礼して後ろに目をやると、その男は心得ましたとばかりに甲高い声をあげた。
「明智十兵衛光秀と申します」
ガタッ!
冬の高知県南西部では、運が良ければ作中に出てきた「ダルマ夕日」が見られるそうです。
ハワイで有名な「グリーンフラッシュ」は、一生に一度でも珍しいほどだとか。旅を随分としていないので、夕日が沈む空を眺めながら是非チャレンジしたいものです。
主人公は一条房基のことを一条兼定と勘違いしたようです。
一条兼定は、一条房基の嫡男で戦国土佐一条氏最後の当主。土居宗珊を殺し、長曾我部氏に領地を奪われた公家の男として、某ゲームでは惨憺たるステータスなのは有名です。
「国人領主には慕われていた」「妻の父である大友義鎮の力を借りて領地を奪還しにいった」などあるように一概に凡庸な人物だったかどうかは不明ですが、1708年頃に刊行された長宗我部氏の興亡を描いた「土佐物語」の中では、超ボンクラ当主として出ているようです。その辺が統率2、知略1の理由なのでしょうね。
麒麟の登場。舞台は土佐へ。




