第百八十五話 ~祝言~
第十二章「羽化」
開幕いたします。
<天文十三年(1547年) 一月 大隅国 肝属郡 大隅富田城 祝いの間>
祝いの席。
絢爛豪華な襖絵や燭台、金銀紅白の布、東西南北の魚介珍味、西南の海で手に入れた珊瑚や翡翠、そして酒。
大隅国は元より、薩摩国、九州北部の豊前国、四国の土佐国、各地から数多の要人、武士やら商人やらが集まりこの祝いの席に色を添える。
当の佐渡上杉謙信は、正室となる島津日新斎の末娘「はな」と夫婦となって初日の夜、すなわち初夜だ。もう少ししたら出てくるかもしれん。
「白無垢」という嫁入り衣装は、この時代には既にあった。
「あなた色に染まる」という意味で「白」を着たと俺は記憶していたが、この頃は「生まれ変わり」を意味していたようだ。今までの自分は死に、嫁ぐ家にて生まれ変わる。加えて邪気を払う、嫁ぐ家の色に染まる、そんな感じらしい。
だから三日間はずっと二人を閉じ込めて仲良くさせた後、四日目には新婦が色を付けた着物で登場。「家の色に染まりました」って寸法だ。なるほど、よくできている。
俺も長尾為景の娘「綾」との婚儀は同じことをした。
もちろん、まだ仲良くはできなかったから、二人で話をしたりカルタをしたりして過ごしたけど、な。
今の俺は、もうあの頃の俺とは違う。
年は十七となった。体躯もいつの間にか逞しくなった。
椎名則秋のように六尺(約182cm)とまではいかぬまでも、五尺七寸(約172cm)くらいはある。剣術修行も船仕事も欠かさず行ってきたから体は頑強。弥太郎には及ばぬまでも力もかなりついた。歯も強く病なし。
特にアレが「天狗かよ!」というくらいに物凄いことになっているのはナイショなのだが……
俺とレンとの祝言はもうすぐだ。きっと俺もその時に……
今日は祝いの席だ。少しくらい愉快な気持ちになっても悪くはなかろう。
主役の上杉謙信は神前式を終えて巣ごもり中につき不在。宴の最中の出席者の視線は、自然と俺に集まっている。謙信の主にして義兄、佐渡、越後、出羽、陸奥、蝦夷、越中、能登、対馬、琉球などを統べるこの俺、従四位上羽茂本間左大弁照詮へ。興味感心の視線が突き刺ささっている。
祝言とは家と家とを繋ぐ出来事。特に今回は、佐渡と島津を繋ぐ大イベントだ。少なくとも「上機嫌な様子」を皆に示す必要がある。
「殿! ささっ! 御一献!!!」
「おうっ!」
俺は俺の腹心中の腹心、「焙烙頭巾」こと宇佐美定満からの酒を佐渡切子(表面に模様を付けた佐渡製の硝子の盃)で受けた。トクトクと無色透明の佐渡の清酒が注がれる。
自ら禁じていた酒も解禁した。酒だ! 酒が飲める!
恐る恐る、切子を自らの口に近づける……
果実のような甘い香りが鼻孔を擽る。
そして、一口……
グビッ
……
「うっ……」
「殿!?」
「……」
「殿!!!?」
「…… うまい!」
「!」
「旨いな、酒は!!」
「殿~!」
この佐渡清酒は「春朱鷺」の最高級品。淡麗辛口、言うなれば上善水如。
清酒を佐渡の特産品として生み出して十年ほど。俺の成長と共に切れ味も味の深さも増してきたようだ。
「皆、ずるいぞ!」
「?? 何がで御座いましょう?」
「俺に黙ってこんなうまい酒を飲んでたなんて!」
ハッハッハ!!
皆の顔に花が咲いた。
定満はいつもの畏まった顔とはうって変わって、緩んだ表情だ。さあさあと、更に俺へ酒を勧めてくる。俺達が楽しそうにしていれば、謙信も島津の面々も安心するはずだ。
量は並並と注ぐように見えるが、実はそれほど注いではいない。深酒は判断を鈍らせる。ましてや初の酒だ。加減をするのは当然という訳か。
定満は酒を注ぎながら、震える声で俺に囁いた。誰にも聞こえない小ささで。
「いよいよ、『羽化』ですな」
「…… ああ。長かったな」
「…… …… いえ。これからが肝要に御座います」
「だな」
グビリ
今度は先ほどより深く飲んだ。ヌルリと喉、さらに胃の腑へと熱いものが入り込む。焼けるようにヒリつく。だがその爽快感は前世の比較にならないほどだった。
定満は、酒を呷る俺の姿を目を細めながら見守った。
……?
見間違いだろうか?
初老の俺の筆頭軍師の瞳から、一筋の液体が滴り落ちた。
後にも先にも定満の涙を見たのは、この時だけだった。
_____________
しばらく宴が続いた。
宵の口は大きく過ぎ、皆に酔いがほどよく回り弁舌滑らかになっていた頃。尚久などは酒の入った小甕を抱えてその辺で寝転がって鼻提灯状態だ。まあ陸の尚久に期待はしていない。
そんな中、太く耳に残る声が響いた!
「左大弁殿!」
「おお、これはこれは!」
俺の名を呼び首を垂れたのは、大きなツルツル頭に太い眉、垂れた耳朶をした人物だった。年は俺より四十程も上だが、深々と礼をした。
「日新斎殿、頭をお上げくだされ! この度は誠に良縁、おめでとう御座いまする」
「いやいや! かねてからの本願を果たすことができ、これでいつでも冥途へと旅立てまする。それもこれも左大弁殿の御威光の賜物! この日新斎、これ以上の慶福はありませぬぞ!」
「はは、何を仰いますやら! 島津の大黒柱の働きは、まだまだこれからで御座いましょうぞ! ささ、こちらへ!」
「はっ、ではでは!」
島津忠良。御年五十五歳。
今回の祝言で末娘「はな」を上杉謙信に嫁がせた舅。長子の貴久に当主の座を譲りながらも、今なお成長を続ける薩摩国の怪物だ。謙信を婿に迎え喜びも一入といったところか。
「島津の方々には謙信が留守の間、領地のことにご尽力を賜ったと聞き申した。感謝してもしきれませぬ!」
「はは、何の何の! 婿の土地を守ることで絆も深くなり申した! お安い御用ですぞ!」
豪快な笑い声。屈託のない笑顔。亡き長尾為景を彷彿とさせる大人物ぶりだ。
上杉謙信が台湾で国作りをしている間、大隅国西部の肝属郡は謙信お抱えの越後兵が治めていた。だが新参者に九州の民はそうそう靡かない。しかし、土地勘のある島津家が統治の手助けを十二分に果たしたようだ。
才のある者であれば「ここは我らが」と言って、なし崩し的に領地を奪うこともできたろう。乗っ取りも容易だったことだろう。
だが島津忠良はその上をいく傑物だ。
恩を売り、実質的な利を得て、薩摩国と大隅国に島津の影響力を増すことに成功した。乗っ取りの「の」の字も出さなかった。だからこそ気を付けねばなるまい。
「これからも島津のこと、よろしくお頼み申しますぞ!」
「何を仰る! これから日新斎殿は、謙信の義父上! ならば、この照詮の義父も同然の方ですぞ! この若輩者にどうぞよしなにお願い申す!」
「ははは、これはこれは!」
日新斎は笑う。よく笑う。
目を細めて豪快に口を開く。だが、本当の笑いかどうか注意が必要だ。
謙信の義父としての影響力は大きい。
佐渡上杉謙信は、陸戦で右に出る者はいない。佐渡軍の中でも、恐らくこの日ノ本の中でも。これから数多の戦を勝利に導くであろう俺の剣だ。日新斎に唆されて反旗でも翻されようなものなら大打撃どころの話ではない。
ならば、「俺の義父も同然」ということにしておけば角は立たない。向こうから下手な動きをする必要もなくなる。まあ、これは不無や定満の助言でもある。
ドヤドヤとさらに人が入ってきた。
「素晴らしい祝言でしたな!」
「全くじゃ!」
「はよ、ややこが産まれて欲しかもんじゃな!」
「ははは、案外、既に仕込んだやもしれませぬぞ?」
「これこれ! ないを申すか! ははは」
そう言うのは、島津家の面々。日新斎の次男島津忠将、勇将樺山善久、新納又八郎、種子島時尭らだ。当主の嫡男島津貴久は領地を守っている。当然と言えば当然か。
「これはこれは! お揃いですな! 酒も肴も十分そろえております! どうぞお寛ぎくだされ!」
「いえや(いやいや)! これ以上は!」
「左大弁殿の祝賀会! 誠に見事で御座る! こないな盛大な祝言は見たこっがありもはん!!」
「ははは! 今後ともよしなに!」
皆、上機嫌だ。樺山善久や新納又八郎には遠征からの慰労の意味も兼ねている。
俺が彼らに言葉をかける様子をじっと見つめていた島津日新斎。またニコリと笑いながら語り掛けてきた。
「そうそう、左大弁殿は狩りはお好きですかな?」
「おおう、狩りですかな。好んでおりまする」
レラを連れて何度かやってみた。正直それほど上手ではないが、気晴らしにもなるし用兵にもつながる戦国時代の趣味の一つだ。誘いとあれば断ることはない。…… 本当ならゴルフをして楽しみたいところだが、この頃にやる者もなかろう。
俺の言葉を聞くと日新斎は、頭を光らせて言葉を続けた。
「おおう、それはようござった! この辺りの森には、田を荒らす猪などおるので是非に共に狩りにでもいきましょうぞ」
「ほほう? それは『頭の黒い鶴』ではなく?」
「…… はは、それはまた、おいおいと、ですぞ」
「そうですか、そうですな!」
ハハハ! ワハハ!!
……
喰えん爺だ。
太眉爺は、狩りは趣味ではなく「軍を動かしませんか」的な使い方で言ってきた。『頭の黒い鶴』と言えば、大隅国の国主肝付河内守兼続のことだ。ストレートに言ってみたが「おいおいと」と誤魔化された。
聞けば肝付氏の軍は大隅国東部の曽於郡に居座り固く守って動いていないそうだ。聞けば日向国の伊東氏と結びつきを強めたとか? この祝いの宴にも使者を出してきていない。敵対的な態度は明らかだ。いずれ潰さねばならん、な。日新斎と、その確認をした。
こんな感じに便利に俺の軍を使われるのは本意ではない。
ま、領地を守ってもらった恩義もあるし。肝付氏を屠るのは必要だから今回は仕方がない、か。
口で笑い、目を細め、だが瞳の奥を光らせながら日新斎から注がれた酒を俺がグイと飲んだその時、
「と、殿!!」
招かれざる客が、祝言の席にやってきたのだった。




