第百八十一話 ~未踏の海~
<天文十二年(1545年)九月 呂宋国 ルソン島 マニラ港 日ノ本町 殿屋敷>
「では景家。南越は任せたぞ」
「…… 承知した」
俺の下知を受け、柿崎景家は今からマニラの地から南越の港へと向かう。
船は一隻のみ。五十名の薩摩兵と南越語通詞の黎公榮、船員を加えた僅かな手勢。それでも出さないよりは明らかに良い。
「黎の知り合いという阮淦という将はかなりの傑物のようだ。其方の武勇であればきっと阮に気に入られるであろう。十二分に働いてこい」
「…… 俺の居場所は日ノ本にはもうない。西南へ死地を探してくる」
黒衣の将は何とも言えぬ表情を見せた。
長尾家の尖兵として殺戮を繰り返してきた柿崎景家の武名は、讃美というよりは畏怖や嫌厭に近い。長尾晴景が引き起こした「佐越の戦い」においても旧揚北衆の兵を切り裂いた景家を煙たがっている者は少なくない。
前世で「上杉四天王」と呼ばれ俺との縁の深い景家を大事にしていた俺だったが、面と向かって景家を仇敵と呼ぶ者も出始めた為、さすがに庇いきれなくなっていた。
「死ぬ必要はない。だが、お主のことだ。手加減などできぬだろう」
「うむ」
「暴れてこい。三途の川の向こう岸まで!」
俺がそう言うと、景家はフッと笑って目を伏せた。覚悟はできているようだ。
俺は通詞の黎に声をかけた。
「黎よ」
「ハハッ!」
「三途の川の渡し守役を押し付けてて済まぬな。だが、お主からすれば祖国への旅とも言える。よろしく頼むぞ」
「ハハッ! 殿からの(裕)皇帝陛下と阮将軍ヘノ貢物は、必ずや気に入られることと存ジマス! 柿崎様と共に黎朝と日ノ本との懸け橋作りは、私ニお任せくださレッ!!」
骨太武人である黎公榮はドンと胸を叩いた。
黎によれば、「南越の正統なる王朝は『黎朝』だった。その地位を、明国の支援を受けた『莫朝』が奪った。その後、外国に避難していた阮淦が奮闘し、帝位と中南部を取り返した。今は中南部を治める『黎朝』と北部を治める『莫朝』とが争っている」ということらしい。
その話が本当であれば、阮淦はかなりの逸材だ。そして、景家達の戦力は莫朝との戦いで大いに役立つはずだ。
日本刀や着物、佐渡切子、琉球で取れた龍涎香、そして阮将軍が好きだというマニラ産の瓜。友誼を結べばこれから幾度となく贈られると言われれば、嫌とは言うまい。
「俺は日ノ本へ戻る。この地に戻れるのは五年後か十年後か。もっと先やもしれん。それまで生き延びてくれ。後詰めは出す。生きて、日ノ本町を保ってくれ」
「…… 善処しよう」
黒衣を身に纏い、南越の中央に位置するホイアンという大きな港町へ景家は出立した。
後ろは振り向かなかった。
俺は景家の大きな背中を目に焼き付けながら見送った。
……この賭けがどうでるか。
俺が踏めなかった南越の地への賽は、振られた。
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<天文十二年(1545年)九月 呂宋国 ルソン島 マニラ港 日ノ本町 殿屋敷>
ここ呂宋国のマニラは豊かな港町だ。
南国特有の緩やかな空気が、時が過ぎるのを忘れさせてくれる。
人口はおよそ五千から一万人といったところか。
明の泉州、ポルトガルが所有する澳門、暹羅国のアユタヤ、南越国のホイアン、南はバンデン王国(ジャワ島西岸にあったインドネシアの国)のバンテンなどとも繋がる商業都市だ。
ここマニラに、ある程度の日ノ本町はできた。殿屋敷、代官屋敷、奉行所、寺、日ノ本のものを売る商家、兵舎などなど。足掛かりとしては十分だ。
現地の多種多様な民族を束ねる呂宋国のブラカン王からは、「イスパニアからの脅威を救ってもらった」と多大な感謝をされている。加えてシャナの父であるセブ王国の族長シャリーフ・フマボン・アブデュルメジトからの熱烈なる感謝の意は語るまでもない。海外に奴隷として連れ去られようとしたのだから。
この地と日ノ本との友誼は十二分過ぎるほどだ。
俺は明日、この豊かな街を去る。
イスパニア海軍の戦いで、俺の軍の強さがまだまだ足りな過ぎることをまざまざと思い知らされた。海軍力も、航海技術も、戦略・戦術も。
「いぐの、が」
腕を白布で吊った弥太郎が俺の意を察して語りかけてきた。
「あぁ」
「本当に、付いていがなぐ、て、平気、か?」
「いつまでも弥太郎に頼ってはいられないからな。それに、その傷で日ノ本への船旅はきついだろう。シャナと一緒にこの地で養生していてくれ」
「わが、っっだ」
「弥太郎。 ……感謝している」
「水ぐさい、な」
そう言うと弥太郎は傍らで心配そうにしているシャナの髪を、空いている右手で梳いた。
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ザックとの会談の最後。思いもよらぬことが起きた。
何とイスパニア兵の一人が俺を殺そうと隠し持っていた長銃で撃ったのだ!
直撃していれば、そして当たり所が悪ければ、俺の命はこの世になかった。それを思うと自分の甘さが疎ましい。
救ってくれたのは、やはり弥太郎だった。
直近護衛の弥太郎は俺を庇い俺の盾となった。弾は弥太郎の左手を貫き風穴が開いた!
ザックの命令ではない。
イスパニア軍へ引き渡したエスターライヒという僧侶が何事か呟いた後、その男が発砲したのだ!
俺は怒った。怒りで我を忘れた!
宗三左文字を引き抜き、俺の命を狙った、弥太郎を傷つけた、卑怯な男を成敗しようとした!
だが、
ザンッ
男は斬られた。ザックに。そしてその周りの男達から。
ザックからの謝罪の言葉はあった。だが、まるで覚えてはいない。
覚えているのは、自分の愚かさへの憤りと、エスターライヒの歪な笑い顔、そして、急に降り出してきた強く熱い雨だけだった……
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「しかも、こんなものまであの金の船にあったからには、な。日ノ本に直ぐ戻らねばならん」
「ああ゛…… その『地図』、か」
「ああ、とんでもない『地図』だ」
エスターライヒを捕えて拿捕した黄金の船。キャラックのガレオンの中間の船。これだけでも西洋の技術力・海軍力を測り知ることのできる貴重な資料だ。
だが、もっと重要なものが船長室にあった。
それは……
『日ノ本の地図』だった。
最高級の羊皮紙に描かれた。金の装飾が散りばめられた。
しかも、恐ろしく精巧にできた。
「この地図の正確さ。とてもこの時代の西洋人が書けるものではない。特に平戸、長崎、博多など、九州地方は恐ろしいほど細かく描かれている。俺ですらここまでは無理だ」
「不無不無。これまで殿の地図はかなり正確で驚いておりましたが。確かに、この金地図は…… 殿の地図より、かなり詳細ですな」
「…… いるな」
「いる?」
転生者だ。日ノ本に詳しい奴だ。しかも西洋人の陣営に。
エスターライヒ、あの男か?! しかし、頭痛はなかった。別の者だ。
「本来はもっと先まで行きたかった。だが、俺は急いで戻りたい」
「おお?」
俺は唇を噛んだ。
未踏の海が残った。本来は、もっと先に進まねばならなかった。
この二年ほどの西南の地への旅は、かなり大きかった。いや、とてつもなくと言っても過言ではない。
琉球、美麗島(台湾)、香港、ルソン。景家が成功すればホイアンも。
海の要衝というべき地を押さえることができた。物資・特産品の往来の幅が何倍にも増し、資金繰りはこれまでとは比べ物にならないほど豊かになる。
そして、ポルトガルやイスパニア、後からくるイングランドやネーデルラントに先んじたことは何よりも大きい利だ! これで彼らの東南アジアへの侵攻は十年、いや二十年は遅らせられるはずだ。
もっと先に行き、利を得たかった! マラッカも、香料諸島も押さえたかった。もっと先に行けば……
だが、その時間はない。
「日ノ本へ戻り、戦力を整える! そして日ノ本を統一する!!」
「おお!?」
「一早く日ノ本の国力を上げ、イスパニアに勝つ!」
「お、おおぉ~?!」
不無は目を白黒させながら、だが心得ましたとばかりにウンウンと頷いた。
サチには先に琉球へ戻ってもらった。
今の俺は血が騒ぎ過ぎている。殺されかけたからかもしれん。生き急いでいるのかもしれん。サチと一緒にいると、絶対に自分を抑えきれない。
「西南に海に残る者達への支援は十二分に厚くせよ! 宗将盛の『馬』第八艦隊に航路を開け!」
「ハハッ!!」
「弥太郎! 呂宋の留守を頼む!!」
「わがっ、だ」
「俺は島津尚久『鮫』第十艦隊、美麗島の佐渡上杉謙信『龍」第三艦隊、琉球の宇佐美定満『兎』らを連れて、日ノ本へ戻る!」
「「承知いたしました!!」」
弥太郎、不無、シャナ、近習の忠平、水越宗勝、捧正義ら、これまで付き添ってくれた多くの家臣達が頭を垂れた。
…… 日ノ本へ戻る。
そして、レンを迎えに行く……!
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西南から吹く風は思いのほか強く、グイグイと俺を、俺達の船団を北へと送りだした。
『もう来るな』、とでも言っているのだろうか?
それとも、
『急げ』、と言っているのだろうか……?
ーーー 第十一章「西南の風」 完 ーーー
西南編、終了
舞台は再び、動乱の日ノ本へ。
京、佐渡、そして……?




