第百八十話 ~救世主~
<天文十二年(1545年)七月 呂宋国 セブ島東 カモデス海 沖合い>
「腹を切っての、自死……?!」
ザックは目を見開いた!
同様にイスパニア兵達も顔を見合わせた。
反対に俺の手勢は胃の腑に力を入れた。
「そんな事ができるはずはないッ!」
「いや、できる! 俺は何人もの腹斬りを見てきたッ! 決してハッタリではないッ!」
旧羽茂本間の悪臣達、戦に敗れた者達、そして長尾晴景……
悪行の報い、夢破れた絶念、一族を守る意志、反乱の主として責務…… 切腹には多くの意味がある。自死を重く禁じるカトリック信者には到底理解はできぬだろうが。
「故に、俺を捕まえることはできん! その後、お主らは尚久により皆殺しとなるぞ!」
「む、むぅ……」
ザックは明らかに怯んだ。
進めば死、引けば生。軍人としての義務と人としての生への渇望が錯綜している様子だ。
「…… señor・ホンマ。キミは死が怖くはないのか?」
「俺はこの世界の命を数多く奪ってきた。その責任はいつかは取らねばならん。意地汚く生にすがるつもりはない!」
「死ねば全て終わりだぞ?!」
「死は生、生は死だ。それに俺は一度死んで生まれ替わった!!」
「甦りだと!? 先にも後にも、生き返った者はSalvador(救世主)しかおらん! 」
「なら、俺は『Salvador』だ! この世を変える! 世界を救ってみせる!!」
俺が二度目の生を受けた理由が分かった。
俺がやらねば! 俺の責務だ! 壊れたこの世界を救うという!
何かが吹っ切れた気がする。
「ザック様!! ここは兵を引きましょう!」
「この御方からは異様な力を感じます! 撤退のご命令を!!」
「本国に報告を!!」
ザックの周囲の兵士達も動揺し出した。救世主の顕現を信心深い者達が感じたのだろうか?
「む…… 確かに…… では、撤」
「ザック様! かような戯言! 信じてはなりませぬぞ!」
ゴツゴツ顔の目の曇った兵士の一人がザックの言葉を遮った!
「Salvadorを名乗る不届き者ですぞ! エスターライヒ様は決して許しませぬぞ!」
「無能なtonsura(剃髪)野郎がどう思おうかは、知ったこっちゃない。これ以上の戦闘は互いに命を失うだけで、無意味だ。今は残った者達で現状を本国に持ち帰ることを優先する」
「ザック様!」
「元々、このイスラス・フィリピナス占領作戦全てが無謀で、我らに非があったのだ。それに、あそこから近づいてくる艦隊に勝てるとは思えん。俺は戦に勝って戦に負けた。エスターライヒを連れ帰り、本国に戻った際に責任を取らせる」
「ぐ、ぐぬぅ……」
ゴツゴツ男は歯軋りをした。最終決定のようだ。
ザックは俺の顔を正面に見据えた。敵意は消えている。
ザックが手を掲げると、武器を未だに構えていた兵士達は即座に直立不動の姿勢となった。
「señor・ホンマ、いや、Salvador・ホンマ。貴方の言う通り、剣を引こう。互いに生きて、責務を果たそう」
「分かってくれて助かる」
ザックは戦の時の厳つい表情から、マニラの酒場で出会った時のどこか陽気でつかみどころのない様子になった。
「Salvador・ホンマ」
「何だ?」
「…… 俺はここで貴方と刺し違えるべきだった、と悔やむかな?」
「悔やむかもしれん。だが、後々の正解になるはずだ」
ザックはそれを聞くと唇の端をニヤリと上げた。
「なるほど、信じよう」
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停戦の合意と至った。
俺はこれからのメキシコへの旅に必要であろう水と食料もあるだけ渡し、さらに船倉に確保していたハゲ面ピン髭のエスターライヒを引き渡した。
「では、確かに」
ザックは汚物を引き取るような感じで顔を顰めながら、騒がしく喚きまくる僧侶を受け取った。
「な、なぜザァ~ックがここに?! アナタは牢屋に入れたハズで、ショ?! それになぜ東夷の蛮族とハナシをしてる、の?! 戦いな、サイ!!」
「黙れ、エスターライヒ」
「黙れデスッ、テ?! 何というコトデショ、ウ!!」
ワーワー喚く僧侶。引き渡せて一安心だ。
「セブ王族の者達には謝罪を。と言っても償えるものではないが」
「その気持ちがあることが大事だ。俺も大事な将兵を失った。もう二度と戦いたくはないな」
「そう祈っている。俺も敵として貴方の前に立ちたくはない」
尚久の艦隊は俺を護るように周囲を取り囲んでいる。俺にとっての救世主は尚久様様だ。
おかげでザックの艦隊は帰り支度だ。
「では、いずれ」
「どこかで」
手も交さない。礼も互いにしない。視線だけが互いにぶつかり合う。俺達にはそれで十分だ。
「さて、これで終わり」
バン!!
…… え?
中米エルサルバドルの国名の由来は、スペイン語で救世主を表す「Salvador」とのことです。「伯剌西爾」のような漢字表記は「救世主国」です。
首都のサンサルバドルも「聖救世主」といった意味だとか。
最後の最後に……




