第百七十九話 ~死線~
お待たせしました(*´ω`)
<天文十二年(1545年)七月 呂宋国 セブ島東 カモデス海 沖合い>
四方をイスパニア兵に囲まれ、状況は控えめに言って、悪い。正確に言うと最悪だ。
このまま虜囚となりイスパニアへ連行されれば、待つのは良くて一生軟禁。悪ければ異教徒としての惨たらしい「拷問死」。
まさしく死線だ。
「さて、どうするんだ?」
ザックが俺に返答を急かす。
……突破口はある。
相手が戦力を俺の旗艦に集中したせいで、尚久率いる「鯱」艦隊は数的有利で戦えたはず。尚久は海上では敵無しの猛将。時間を稼げば援軍に来てくれるだろう。ここは拙い喋り方で少しでも時間を稼ぐか?
それに、相手の考えには『穴』がある……
「少し、質問させて、くれ。『にげろ』というのは、『離れ』て『二度と、こない』ということなのか?」
「…… その通り。あと、時間稼ぎをしても無駄だぞ」
読まれていたか。
「時間かせぎ、をしているつもり、では」
「もう一つの艦隊に向かったヘヌーコの艦隊は、数は少なくとも我が軍でも選り抜きの腕利きぞろいだ。援軍が来ると思わない方がいい。返答は急がなくてもいいがこちらも暇ではないのでね」
ザックは余裕の笑みを浮かべる。
僚艦に余程の信頼を置いているようだ。
ザザーン
波の声だけが語りかける。僅かな静寂が場を支配する。
……ダメか……?
その時、
「ピィ!」
沈黙を断ち切るかのようにレラが西の海を見て叫んだ!
俺も釣られて西を見た。目の端に映ったのは…… 複数の船影だ!
「…… それは、どうかな?!」
俺は西方から近寄ってくる「抱き葉菊紋」と「鯱」の旗を見てニヤリと笑った。
対してザックは初めて表情を崩した!
「まさか?」という様子で俺の視線の先を見つめた!
尚久の「鯱」の艦隊だ!
数的有利を生かし、イスパニア艦隊を屠ったようだ!!
「なっ!? 馬鹿なッ!!?」
「どうやら、援軍は俺に来たようだな」
「……なるほど。señor・ホンマの軍は優秀なようだ」
「Gracias(ありがとう)」
俺は大仰に礼を言う。だがまだザックは諦めてはいない。
「信じ難い。旗艦だけでなく僚艦も相応の戦力があるとは」
「ザック。お前ならもう分かっているはずだ。エスターライヒならくれてやる。互いに剣を引くべきだ」
「…… 理由を聞こうか」
ザックは額を流れる脂汗を隠そうともせずに俺に尋ねた。大方のことは気づいているようだ。
「これだけイスラス・フィリピナス(フィリピン)に対して敵対的なことをしたのだ。この地の民はイスパニアに決して靡かぬぞ」
「それは力が解決する」
「だが、その力は既に無くなっているはずだ。この艦隊戦においてそちらは砲撃をほぼしなかった。しなかったのではなくてできなかったのだろう? 火薬切れで」
「…… 無能なtonsura(剃髪)野郎が、爆発させる為に使い果たしたせいでな」
「イスパニアは新大陸に力を注いでいる。お主らがここで力を使い果たしても援軍は来ぬ。モルッカ問題を解決するためのバダホス=エルヴァス会議を経た『サラゴサ条約』において、この地はポルトガルの領土となるはずだった。だが、イスパニアが先有権を主張し、香辛料を産出しないこの地をポルトガルが重要視しなかった為にここがイスパニア領と決まったのは知っている。しかし今のお主らに拠点はなく、補給もままならない。支援してくれる者はいない。ヌエバ・エスパーニャ(メキシコ)に着く前に、骸と成り果てるぞ!」
ザックは目を皿のように見開いた。幾条もの汗が流れ落ちた。
まさか知っているとは夢にも思わなかったようだ。
「……驚いた。随分と、いや、飛んでもなく、詳しいな……」
「この地は既に地理的にも近い我ら日ノ本と友誼を結んだ。故に、ここイスラス・フィリピナスはイスパニアに決して渡しはせぬ!」
「…… ビリャロボス達もこの地を目指したが失敗に終わった。やはり、まだまだ無謀な侵攻だったか……」
「海戦力に関しても俺達が上回った。よって俺の身柄も金色の船もイスラス・フィリピナスも渡さぬ! 渡せるのはハゲ頭だけ、ということだ!」
大航海時代の知識が俺を助けてくれる。
16世紀初頭、イスパニアは香辛料を産出するモルッカ諸島を巡ってポルトガルと対立してきた。紛争解決の為の1529年のサラゴサ条約によりモルッカ諸島は既にマラッカに拠点を築いているポルトガルのものと決まったが、イスパニアは香辛料を諦めきれない。少しでもその市場のシェアを獲得しようとイスパニアはメキシコ経由でフィリピンを目指し拠点を築こうととした。その為にビリャロボス(ポルトガルに捕らえられて獄中死したイスパニアの探検家)、そしてザック達はメキシコから太平洋を横断してフィリピンまでやってきたのだ。
確かイスパニアが入植に成功したのはしばらく先。1565年頃だったはずだ。
ザックは額の汗を拭った。
「……確かに、形勢は逆転された。だが、señor・ホンマ。君の身柄を押さえれば形勢は再逆転なのではないか?」
ザックの瞳は死んではいない。
確かに、損害を考慮せずに全力で俺を捕えようとすればできなくはないだろう。
だが甲板はまだ完全には包囲されてはいない。弥太郎や柿崎景家らも残っている。そう易々とは捕まらんぞ。
「相応の被害を覚悟してのことか?」
「Claro que sí(もちろんだ)」
冷徹な軍人の顔をしたザックが真顔で答えた。
たとえ半数以上の人員を失ったとしても俺を捕えたら勝ち、ということか。
確かに、俺の身柄を押さえれば尚久は止まるだろう。イスパニア軍に捕らえられた俺が命乞いをすれば、主君の命には代えられぬと尚久は止まりザックに降伏するだろう。
「だが、それは俺を生かして捕まえることができたらの話だろう?」
「そうだ。できないとでも?」
「ザック。たとえ俺が最後の一人となったとしても、お前には俺を絶対に生きて捕まえることはできんぞ。そしてザック。その先にあるのは、お主らの死だけだ」
「根拠を聞こうか?」
「…… 日ノ本には『ハラキリ』という文化がある。聞いたことはあるか?」
「Haraquiri?」
俺は愛刀「宗三左文字」を引き抜いて、自分の腹に当てた。
「自死というやつだ。俺は捕虜にはならぬ」
ようやく嵐のような忙しさが過ぎ、若干ゆとりが戻ってきました。再開できて自分自身とても嬉しいです\( 'ω')/
「スペイン植民地下のフィリピン」(堀江 洋文氏 著)
「スペインのフィリピン群島占領と住民の抵抗」(梅原弘光氏 著)
「フィリピンの歴史」(wiki様 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2)
などから知見を頂きました。
サラゴサ条約の後にスペインがフィリピンをこそっと奪ったように学んだ覚えがあるのですが。
いくつかの文献によれば「締結時に既にフィリピンはイスパニアに帰属することが決まった」という記述と、若干年代が異なり「1542年にカール5世が領有することを宣言した」という記述もありました。今回は後者を使わせていただいております。




