第百六十七話 ~前世との決別~
<天文十二年(1544年)6月 琉球国 久米島 村主屋敷>
(この日本を、あるべき姿に戻す)
村の男達を籠絡せしめた後、女は一人暗闇でどす黒い妄執に駆られていた。
(佐渡水軍なんて、聞いたことがないよ。あんなものは日本から消えるべきだ)
(1543年に鉄砲が伝来。1560年に桶狭間の戦い。本能寺の変で信長が死んだ後、女好きの秀吉に取り入り、最後は徳川家康の正室となり天下を取るのを待てばいい)
女は悪行が災いした為か、駅のホームから何者かに押され電車に轢かれ死んだ。
(生まれ変わったと思ったら聞いたこともない田舎大名の側室。しかも世継ぎは決まっていた。このままいけばずっと日陰者の人生。だからやったさ。正室を殺し、図体のデカい世継ぎは一生寺に閉じ込めた。仕方ないだろう? 私が生きる為なんだ)
(この時代の人間なんて、馬鹿ばっかりだ。ちょっと嘘をつき、不機嫌な態度を取ればコロッと騙される。私は優れているんだ。こいつらみたいな雑魚がいくら死のうと知ったことかい)
死んだ魚のようにだらしなく涎を垂らして寝ている男達。女は首筋の龍の彫り物を指でなぞった後、男達目掛けペッとツバを吐いた。
(村主の嫁も、明日には兄と一緒に死ぬだろう。「唇の横のホクロは不貞の証!」って喚けば簡単だったよ。人なんて適当さ。ちょっとのことですーぐ動揺して騙される。何を言われようが「私はそう思う!」と連呼するだけさ)
(私を疑った男の目が細いことを見れば、「何かを企んでる目だよ!」と言う。「細い目をしてる者などいくらでもいるわ」と言われても、「屁理屈だ」「自分のことを棚に上げている」「私はこの男が信用ならない」と言う。弱い所を攻める。口で私に勝てるものかい)
(正論を言われれば、「弱者の意見を無視している」。小さいことを言われれば「常識を無視している」。現実のことを言われれば、もしものことを言えばいい。仮定のことを言われれば、現実を見ろと言えばいい。反対のことを強く言えば、簡単に言いなりさ)
(そう。このちっぽけな島の村人はぜ~んぶ私の手下。民を佐渡の奴らは攻めいることはできない。そのうち闇に紛れて船出すりゃ……)
(にしても、なんて貧相な家だい。村長の屋敷とはいえ城から比べれば掘っ立て小屋もいい所。酒は酸っぱくて不味い。こんな所に逃げ込まないといけないなんて!)
「元はと言えば『Э◇Б#※YК』が悪いんだよ!! あんなクズが自殺なんてするから!! アタシのせいにされて、挙句がこんな所に…… クソッ!」
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<天文十二年(1544年)6月 琉球国 那覇 首里城 殿中>
斥候から話を聞いた俺は愕然となった。
「…… 島民が一致団結して女を守っているとは」
「力づくで事を為せば、琉球の民は向こう十年は我らに靡きませんぞ」
「…… 十年で済めばよいが」
定満が顔を顰めた。
先の城攻めで琉球の民が佐渡水軍を見る目は厳しい。前回は戦で兵士を殺した。今回は一揆鎮圧とはいえ民を殺すことになる。ここでたとえ理由があっても派手に軍事行動を起こせば一揆と戦う時代が百年続くやもしれぬ。
俺は農民出身だから民の痛みが心に突き刺さる。民は統治者の横暴に心で涙を流し否応なく従う。だが面従腹背し続けるその歪みは、最終的に一揆という名の元に弾ける。
「我らの説得、報奨金のあること、女のしでかしたことをいくら言っても『騙さりらんどー(騙されないぞ)!』と返してくるばかりで」
「あの女のやらかしそうなことだ。『嘘偽りを言ってくるから信じるな』とでも吹聴したのであろう。しかも今回は島だからタチが悪い。情報が他所から入らん」
「では諦め…… は、しませんな」
「それはそうだ」
女は災厄の権化だ。ここで逃せば更なる悲劇が巻き起こる。
朝鮮や明に逃げ込まれでもしたら、あの手この手でこちらに多大な被害を撒き散らそうとしてくる!
「止むを得ん!! ここは汚名を被ってでも……」
「お待ちくだされ!」
声を上げた者がいた。
見れば先の琉球王、長髭の尚清だった。隣にいる日秀と顔を見合わせ頷き合っている。止めようとしているか。これ以上の琉球人の血を流させぬ、ということか。
「尚清。日秀。俺を止めることはできぬぞ」
「いえ。逆に御座います」
逆?
「ここは、我らにお任せくだされ」
「琉球の民のことは、我らが責を負います」
「…… むむ」
覚悟した者の目だ。
「我らはかの女に騙され大いなる痛手を負いました。今回で二度目! これ以上琉球を謀る女を許せはしませぬ!」
「我らが傘となりましょう。左大弁様が泥を被ることはありませぬ」
両名は拱手して俺に進言した。
「…… そうか」
「はっ!」
元国王が鎮圧に出るとなれば、琉球の民も納得する、か。
尚清も己の存在をアピールできる。名ばかりの副領主として歴史の影に消えることを防いだか。いや、打算ではなく義憤かもしれん。あの女に欺かれ失った兵達への手向けか。
彼らが佐渡水軍が叩き潰すより今後の統治はうまくいくだろう。……大きな犠牲はつくやもしれんが。
「ここは頼む。後詰めは出す」
「畏まりました!!」
「相手はそれ相応の備えをしてあるはずだ。気を付けてくれ。それと『木乃伊取りが木乃伊となる』、という言葉がある。女に騙されるなよ。捕えたら殴れ。口を開けば殴れ」
「わかやびたん(分かりました)!」
「出陣すんどー!」
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<天文十二年(1544年)6月 琉球国 那覇 首里城 殿中>
キーン
頭痛がする。俺と同じ転生者と会ったとき特有の痛みだ。ダーノ氏と会ったとき以来だ。
女はやはり不機嫌そうな顔をしていた。思っていたより年老いて見える。本来の若さが醜い思考により歪み、顔は皺くちゃ。目は釣り上がり、口は厚く山型に下がっている。
「頭が…… ガハッ!」
喋った瞬間に琉球兵に殴られた女。口を開けば殴る。いつぞやの男と同じ対応だ。
どうやら俺と同じく頭に痛みが走っているようだ。転生者同士の痛みとは分からないようだが。
「殿。戻りましてございます」
「辛い役を引き受けてくれたな。感謝するぞ」
「…… 忝う御座います」
尚清は俺に頭を下げた。しかし笑顔はない。
久米島の島民は全滅した。琉球兵にも被害がかなり出た。
中でも尚清の三男尚楊叢が村人の玉砕戦法により命を落としたことは痛ましい結果だった。長男に引き続き三男も。また女のせいで血が流れた。
捕えられていた西村織部丞時貫とその妹は何とか助けられた。しかし、惨い仕置きをされた。生きたまま土に埋められ、竹の鋸で一日に少しずつ首を切られるという「鋸挽の計」だ。死への恐怖から時貫の頬はこけ、療養に数か月はかかるだろう。
雁字搦めに縛られ、観念したかのように女は溜息をついた。
いや、だがこの女は諦めてはいなかった!
「『Э◇Б#※YК』が悪い!」
ビクッ!
「わたしゃ、何にも悪いことはしてないよ! 『Э◇Б#※YК』という馬鹿のせいでこんな所にいるんだよ! アイツが自殺なんてするからこんなことに! 大したことしてないよ! 誰でもやってることさ!! わたしゃ被害者だよ! 間違いないよ!!」
…… 『Э◇Б#※YК』は前世の俺の名だ。ということは、コイツ……
「私は500年先の未来から来た日本人だよ! 私を殺せば未来の知識が全て失われるよ!! この時代の奴らが知らない凄いことだって何でも知ってるよ! 金を得て敵を倒し王になれるよ! 考え直しな!! でなきゃ腐った牛乳を飲ませるよ!」
ウオェッ
吐き気がした。
俺はあの苦しみを思い出してしまった。あの狂った日々の記憶のせいで、俺は未だに牛乳が飲めない。
この女は、前世の俺を最も苦しめた婆だ。
低迷するプロジェクトを救済する為に出向した俺をひたすら邪魔し、使えない部下を焚きつけ反発させ、俺に腐った牛乳を飲ませ、犬の糞を食わせた女だ。
朝3時に出勤し、日付が変わるまで働き、何とか事態を好転させようとした俺をこき下ろし、罵倒し、クズ上司と結託して俺を追い込んだ鬼だ……!
「で、どうするんだい?!」
女は脂ぎった黒髪を垂らし、だぶついた頬を震わせ俺を睨みつけた。
「フ、フフフッ…… ハハハッ! 何てこった!」
俺はのそりと立ち上がった。
婆は俺が近づいても心の動揺を見せない。
「さあ、何とかお言いよ!!」
これがこの女のやり口だ。
俺がいかに前向きに、丁寧に、論理的に話しかけても、言ったことを全て否定する。こいつにとって「お言いよ!」とは「否定する」「痛めつける」ということだ。前世の俺は何もできなかった。
「そうだな。こうするぞ」
俺は腰から愛刀宗三左文字を引き抜いた。縄を切ってもらえると思った女はニヤリと笑った。
「殿! まさか、その女を許すおつもりですか?!」
「ハハッ! いいねえ。アンタ賢いよ」
女は高笑いした。
「これから産業革命が始まる! 工場だよ! それに鉄砲から大砲! 火薬に宗教革命! マリーアントワネットにナポレオン! 私は知識の泉だよ! これから織田信長が台頭してくるんだ。そして…… 」
「黙れ」
ズボッ
俺は女の右腕を刀で突き刺した。
「ギエエエエエエエエエッ!!」
女は苦痛に顔を歪ませた。腕から血が流れ出る。
「ほう。キサマのような者でも血は赤いと見えるな」
「あ、当たり前だよ! ヘモグロビンが……」
「黙れ」
グサグサッ
ようやく復讐が果たせる。
前世の俺は、直接的な報復ができなかった。明らかな嘘偽りを言われても何もできない。鬱々とした憤然が俺の心を蝕み、意識朦朧としていた俺は車を運転中にハンドル操作を誤り……
そうか。自殺と判断されたか。
似たようなものか。精神を侵された俺は廃人となっていた。仕事を辞めるか死ぬかの二択だった。もう少し人を頼り、落ち着いた時間を持てていたら……
妻と子はあの後、どうなったろうか……
「アンタはッ! 未来の知識が要らないのかい!! それを使って人を支配しようと思わないのかい!!?」
「思わん!! それにその知識はオマエが見つけた知識か?!」
「!!?」
女は初めて怯んだ。
「努力したか? 失敗したか? 悩み苦しみ藻掻いて獲得した知識か? 違うだろ! 人の叡智をオマエは盗んで使っているだけに過ぎん!」
「アッ……」
「しかもオマエは知識を『自分の為だけ』に使っている! 『世の為人の為』を思っておらん!」
「五百年先の知識だよ!」
「ハン! たかが五百年! 人の進歩を考えれば叉拏(刹那)の時よ!」
女の目がグルグル回り始めた。壊れたらしい。
「わわわ、ワタシの親戚は衆議院議員の従弟なのよ…… それにワタシは才能が凄くて…… ワタシは…… ワタシは……」
「阿呆がッ! 悪しき心を持つキサマにそれが何の意味がある! 自分のことしか考えないキサマにもうクドクドと付き合う必要はないッ!」
女は壊れた。だからと言って罪は消えない。
九州を琉球を、そして俺を傷つけた罪は未来永劫許しはしない。
俺は両腕や腹から汚れた血を流す女に最期の言葉を伝えた。
「お前を殺す。だがタダでは殺さん。時貫を殺そうとした鋸挽の計に処す」
「……」
女は答えない。口はだらんと開き、目は白目だ。
「日秀!」
「ははっ!!」
俺は化け物を封印したと名高い僧に封印の儀式を頼むことにした。
「この女、化け物と同等の邪気がある! 決してこれ以上甦り転生しないよう呪いをかけてくれ!」
「はっ! ならば金武の地が宜しいでしょう。女の骸を七日七晩かけ滅し、塩を撒き大岩を置き封印せしめましょう」
「頼むぞ!」
「命に替えましても!」
女はブタのように引きずられていった。
このブタのように、前世にいたクズがまだこの時代に存在しているかもしれんな。
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「南無大師、遍照金剛」
俺は女のせいでこの地で散った者達に向けて、この経を唱えずにはいられなかった。
俺は琉球のこの地を決して蔑ろにしないと決意した。
責任は俺にある。迷惑をかけた。血を流させてしまった。
償っても償い切れん。だが、贖罪の意は伝えられる。
「殿。これからは……」
「しばらく琉球の地を建て直す。亡くなった者達への鎮魂と、残った者達への手当。そして俺が琉球の各地を巡り顔出しさせてもらう。この美しい海と澄んだ空を治めさせてもらう為、できることをする」
「畏まりました」
焙烙頭巾が頭を下げた。
先を急ぎたい気持ちはある。これから台湾、呂宋、その先へと行かねばならん。だが、その前にやるべきことをやろう。
「南無大師、遍照金剛…… 」
俺は再び、琉球の地で散った者の為に、そして前世の自身への弔いと決別の意味を込めて、心から祈った。魂よ、安らかにと。
琉球の風は暑かった。しかし、湿り気はなく爽やかだった。
年度末の忙しさの為、更新遅れました(*´Д`*)すいません
女は龍造寺隆信の母、慶誾尼に取り憑いたと考えられます。
慶誾尼は龍造寺周家の妻でした。だが周家は馬場頼周の策謀により殺され、老将龍造寺家兼は子二人孫四人を討ち取られ、龍造寺家は苦難の道を辿ります。なぜか慶誾尼は生きています。
嫡男の龍造寺隆信を寺に押し込めたこと。その龍造寺隆信が天正12年(1584年)の「沖田畷の戦い」で島津軍に首を討たれた後に首を受け取らなかったこと。常に刀を持ち隆信を差し置いて家を差配していたこと。龍造寺家当主の母でありながら家臣の鍋島清房(鍋島直茂の父)の後妻に押し掛けたという逸話などから、諸説ありますが筆者は苦手なタイプの人だな(*´Д`*)と思っています。本物語は隆信への愛着の無さから、別の女性が産んだ子として取り扱います。「肥前の熊」はそのうち物語に登場します。
作中「鋸挽」は、信長が狙撃手・杉谷善住坊に処した計として記録が残っています。重く惨酷な計ですが、中世ヨーロッパなど戦国時代以前から行われてきた刑罰の一つです。惨酷が服を着て歩く世の中です。
世の中には人を人と思わない自己愛の強い方が存在します。皆様お気を付けください。
琉球の地固め。そして台湾へ……




