第百六十話 ~待ち受ける運命~
<天文十二年(1544年)3月 琉球国 首里城 正殿>
琉球国の第四代国王である尚清王は、大いに悩んでいた。
島津家の坊津水軍からもたらされた書状、それは「国家安寧の為、佐渡国国主従四位上羽茂本間左大弁照詮に従うように。そうすれば所領と生命は約束される。従わぬ場合は戦となる」という苛烈なものだった。
「どうしたものかのう? 日秀よ?」
「…… 従う他、ありますまい」
目を閉じ穏やかな表情をしたまま、真言宗の僧は主君に考えを述べた。
「日秀上人」は高野山で修行した後、補陀落渡海(密閉した船に乗り南方極楽浄土へ向かう捨て身行)を行った際に琉球王国金武の富花津に漂着した僧だった。辿り着いた琉球の地で仏の教えを伝え、今では琉球の民だけでなく国王である尚清王からも敬愛されていた。
「坊津水軍の者達から話を聞けば、その羽茂本間照詮という男『空海上人の生まれ変わり』と呼ばれるほどの男だそうです。多くの船を持ち、強大な力を持つも、民を安んじる者と聞き申した」
「しかし、約定を守るかのう……」
尚清王は美髯を撫でた。
嘉靖五年(1526年)父の後を継いだ尚清王は、七年前に起きた奄美での反乱を鎮圧、さらに倭寇へ防備も強化。子同士のいざこざは後を絶たないが、治政に抜かりはなかった。明国や安南、呂宋からの品を坊津水軍や博多の商人へ渡すことによる富も大きかった。
「父上、鶴千代も日秀様と同じ考えにございます」
「ふむう、お主もそう思うか」
鶴千代は尚清王の次男だった。武芸に秀で見識が高く、尚清王にとって特に気に入っている子だった。
「博多の『神屋』という商人によれば、佐渡水軍は既に島津家を臣従させたそうです。大隅国の五千の兵どもを一千の手兵のみで打ち滅ぼしたと聞きます。戦って勝ち目はありますまい」
「うむ、儂もそれは聞いた。恐るべき力よ」
「加えて兵には厳命を課し、民に指一本触れなかったと聞き及びます。この乱世の中、稀有の傑物と言えるでしょう。信に足る者と思います」
両手の拳を包み拱手を示した鶴千代。
(国が無くなる訳ではない。領土は保障されよう。ここに至っては……)
決意を固めようとした尚清王。
しかしその時だった。
「あいや! お待ちくだされ!!」
正殿に大声が轟いた!
背が高く威風堂々たる男が場の空気を一変させた!
尚清王の長子、尚禎だった!
「羽茂本間なる男! 筆舌しがたい悪人でござる!」
「な、何と!?」
「我ら危うく、国を失う所でしたぞ! 臣従すれば我ら騙され、皆殺しにされますぞ!!」
「…… 尚禎様。それは真ですかな?」
片眉を上げ訝しがった僧、日秀。
「も、も、もちろんじゃ! ここに日ノ本国の幕府からの書状があるぞ! 証人もおるぞ!!」
尚禎が目をやる先に、先ほどまで嬌声をあげていた年齢不詳の怪しげな女がいた。
女は恭しく頭を下げつつも、見えぬように唇を舌で濡らした。首筋には「龍」の入れ墨がちらりと見えた。
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<天文十二年(1544年)3月 大越国(ベトナム) 中部 ホイアン 市中>
「グエン様!」
「グエン救世将様!!」
民衆から絶大な歓声を浴びながら、ゆっくりと歩みを進める老将がいた。
大越国の国際的な大港「ホイアン」を主君である裕皇帝から任されている男。浅黒い顔に短く刈り込んだ髪、真っ白な歯と丸太のように太い腕が特徴的な勇将、阮淦だった。
「みんな! 今日も張り切って働いてくれ!!」
「へいっ!!」
「グエン様! 今朝採れたての瓜でさぁ! 食べてくだせぇ!!」
「おおっ! 瓜は儂の大好物じゃ!」
そう言うとグエンは農民から瑞々しい瓜を受け取ると、皮も剥かずにガブリと齧りついた。
「うむっ! うまい! うまいぞ!!」
「や、やった! グエン将軍がオラの瓜を! オラの瓜を食べてくださったぞー!」
「! グエン将軍がうまいと言った、その瓜! くれ! いくらでも買うぞ!」
「俺が買う!」
「いや! 俺だ! 全部買うぞ!!」
「ははっ! 皆、ほどほどにするのだぞ!」
豪快にグエン将軍が笑うと、皆の声が「ヘィッ!!」と合唱した。
グエンがここまで民衆に慕われるのには理由があった。
百年続いていた大越国の「黎王朝」は、北の明国や南のチャンパ国との争いに加えて、帝位を継いだ者の暴虐や享楽、さらに後継者争などで弱体化し、十五年ほど前に莫登庸という男に奪われてしまった。「莫朝」の誕生である。
その「莫朝」を「簒奪者だ!」と非難し、現帝である裕皇帝を助けて立ち上がった将。「黎王朝」を復権させる原動力となった大将軍、それがグエンだった。
「グエン将軍、相変わらずの人気ですな」
「おお、楊か。お主のように莫朝から黎王朝に下る者が増えればよいのだがな」
「なかなか。まだ莫朝は健在ですからな」
「うむ。明の助けを借りて北部でしつこく蔓延る黴どもめ。いつか息の根を止めてやろう!」
「…… まさに、それは、大切ですな」
グエンの言葉に、ヤンの目は怪しく光った。
「ここホイアンは明や暹羅(タイ)は元より、ポルトガルやイスパニア、それに日ノ本からの船も来る一大港じゃ。ここを富ませれば益々我が大越国の力が増すというものよ!」
「…… いかにも」
「昨晩、東の空の青白い星が強く輝いた。何かの報せかのう?」
そう言って暑い大越の空を仰いだ、老いて益々盛んなグエン。
ヤンはその勇将の背中を、湿り気を帯びた目でジトリと見つめていた。
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堺湊に着いた羽茂本間照詮は未だ知らなかった。知る由もなかった。
西南の海の先に、思いもよらぬ運命が待ち構えていることを。
幕間として、これからの話の舞台となる琉球、そしてベトナムについて触れました(*´ω`)
尚清王は琉球の当時の王。日秀は法力で大蛇を倒したという逸話もある僧。
阮淦も実在の武将です。




