第百五十八話 ~加茂湖 湖畔の花~
<天文十二年(1544年)2月 佐渡国 加茂郡 湖畔>
寒風が体に染みる二月。
俺はノンノ、そして内政トップの新発田収蔵らと共に佐渡ヶ島東部に位置する加茂湖にやってきた。
軽くなった薄の穂が風に揺れ、杉の木が賢人のように静かに直立する。
遠くを眺めると金北山に薄っすらと雪化粧が施されている。美しい佐渡の眺めだ。
「いい場所だな」
「ウン」
ノンノは俺の言葉に素っ気なく答えた。決して悪気がある訳じゃない、元々そういう言い方なのだ。
俺はこれから始まる「蛹」の間に各地へ牛、豚、羊、山羊を送る為、手狭になった羽茂牧場の代わりに水の豊富な加茂湖まで視察に来ていた。付近には漁民らしき掘っ立て小屋がいくつかある程度。無理なく広大な土地を活用できそうだ。
前世において乳牛は、一日に200ℓの水を飲むと記憶している。まぁ、戦国時代の牛はそこまで乳を出すように品種改良はされていないだろう、だが牧場に水が大量に必要なのは間違いない。湖の近くに作るのはその為だ。
餌となる草は、そこら中に生茂っているので問題ない。できれば質のよい牧草が欲しいところだ。糞尿は国仲平野に運び肥料とする。増えた役畜は東部の両津湊を用いて各地へ運ぶ。
うん、やってみようか。
「よし、牧場をここに作るぞ。収蔵、手配を頼む」
「畏まりました。では早速」
言うなり収蔵は部下達にテキパキと指示を出した。そして気を利かせたのか俺とノンノを二人だけにしてくれた。
俺は、俺をじぃーっと見つめる嫁のノンノを正面に見た。
相変わらず綺麗だ。切れ長の奥二重の瞳も、細く尖った顎も、明褐色で張りのある肌も。思わず見惚れてしまう。
「……ノンノ」
「何? ニㇱパ?」
ノンノはアイヌの姫だ。アイヌの人々は狩猟民族で、犬を狩りに連れていくことはあっても食用の畜産は行っていなかったはず。だがノンノは『俺の為』と、他の者達と一緒に慣れない仕事を快く引き受けてくれた。元から自然が大好きだったノンノは獣たちと心を通わせるように育て続け、今では役畜育成で右に出る者はいなくなっている。
「ノンノの腕を信じてる。頼めるか?」
「問題ない。今までも楽しかった」
「たくさん増やしてくれ。ここ加茂湖の牧場で育った役畜が、日ノ本を豊かにするんじゃ」
「任せて」
ノンノは大きく澄んだ黒目を俺に見せて薄っすらと微笑んだ。俺はそんなノンノが無性に愛おしくなり、ゴシゴシと頭を撫でた。黒猫を撫でているような感じだ。ノンノに尻尾はないが嬉しそうに髪を摺り寄せてくる。
「役畜の世話をする仕事は大変だ。人に休日や正月はあっても牛や羊にはない。毎日同じ仕事をせねばならん」
「人はいる。今までも交代でやってきた。レンもたまに手伝ってくれた」
「レンも?」
「そう。あの子はいい子」
意外だった。あの堪え性のない暴れん坊姫、影で色々やってくれてたんだな。
「それに、居心地いい」
「?」
「ノンノ、アイヌと倭人との間の子。どこにも居場所なかった。だから嬉しい」
…… 何となく聞いていた。
ノンノは酋長の娘とはいえ『混血の子』。肌の色や瞳の色が純粋なアイヌの人と違うとして嫌われ、辛い時期を過ごしたこともあったらしい。
「…… くだらない!」
俺は湖に向かって叫んだ!
「実にくだらない!!」
もう一度叫んだ!!
「血の混じりに嫌われる要素なぞ何もないわ! 俺はそんなこと気にしない! 気にしない世へと変えてみせるぞ!!」
「ニㇱパ……」
俺の声に鴨達が驚きバサバサと音を立てて飛んでいった。
人種差別、出生の良し悪し…… くだらない! 人は人だ! 肌の色や瞳の色でその人の価値が下がるものか! まったくもってくだらない!!
頭に血が上っていた俺はハッと我に返り、深呼吸して荒れた息を整えた。そしてノンノを見つめ直した。
「大丈夫。俺はノンノが大好きだよ」
「…… ノンノもニㇱパ、好き」
伏し目がちに照れたように笑ったノンノ。
俺はそんなノンノと軽く唇を交した後、足元にじゃれついている二匹の猫に気付いた。
というか、猫だと思ってたらヒョウだった二頭の「アム」と「シキテ」だ。それぞれアイヌ語で(爪)と(牙)という意味らしい。
二頭はグルルルと喉を鳴らしながらじゃれてくる。迫力あるなあ。
「ノンノ、生き物、好き」
「いいよな、生き物って。…… そうだ! 俺は旅路でいっぱい生き物を連れて帰ってくるよ!」
「?」
「佐渡に動物園を作るぞ」
「どうぶつ、エン?」
動物園、うん、簡単ではないだろうが面白い! 異文化交流、それに、関連する産物の行き来でさらに南方との結びつきが強くなるだろう。
見知らぬ言葉を聞いてキョロキョロと心許なさげに瞳を動かしたノンノ。俺はそんなノンノがまた愛おしくなり、両肩に触れて……
「そろそろノンノ、唇に入れ墨入れないとね」
「…… いやいや! それはやめて!」
俺はかぶりを振った! やめてやめて! あの太い唇だけは絶対やめて!!
「…… フフッ、ジョーダン!」
言うなりノンノはするりと俺の両手を抜けて、クルリと優雅に回った。すると、ノンノの足元の枯れ野がみるみるうちに花畑へと変わっていった。
俺の瞳には、湖畔で草を食む牛や羊たちと共に、笑って働く花の姿がありありと映った。
十章最終話が長くなってしまったので区切りました(*´Д`*)
現在の佐渡加茂湖にも牧場があり、牛乳、バター、ソフトクリーム、各種ナチュラルチーズなどが食べられるそうです(*´ω`) そういや食べたことない。食べてみたいです。
江戸時代の享保六年(1721年)、ベトナムから象がやってきた際には江戸の町を中心に壮絶な「象ブーム」が起きたそうです。当時の中御門天皇に謁見するために「従四位広南白象」という位階と称号を与えられたとか。
「佐渡動物園」が主人公の力を示すことになればいいのですが、果たして……?




