第百五十六話 ~四天王の系譜~
<天文十二年(1543年)12月 越中国 射水郡 富山城 城主私室>
「オギャア、オギャア!!」
「おお、よーしよし!」
越中国国主椎名則秋は、生後三か月の息子「六郎丸」を腕に抱き、久方ぶりの赤子あやしをしていた。
「フギャアアアアッ! フンギャアアアアアアア!!!」
「おお、おお! いい声で泣きよるわ! これはいい武士となるわ!」
「殿! 余り泣かせすぎないでくださいませ!」
「…… ああ、儂のことか。すまんすまん、忘れておったわ」
そう言って頭を掻いた六尺の巨漢。
則秋を叱るのは、軒猿の忍びとして則秋に付き添ってきたくノ一の紫鹿だった。
いつの間にかに互いに憎からず想うようになる間柄になっていた二人。ついぞ念願の子を授かったのだった。
「戦に敗れ、何もかも亡くしてしまっていた儂が、まさか『殿』と呼ばれるようになるとはのう……」
「いい加減に慣れてくださいまし! この子の為にも長生きしてくださらねば!」
「うむ」
則秋は柿崎景家率いる長尾家の強襲を受け、妻を殺され何人かいた子も五郎太だけを残して全て失ってしまった。その後、日戸市にて羽茂本間照詮に命を預け、ただひたすらに主君の為を思い動いてきた。
「その通りですぞ、叔父上! 我ら椎名家は越中国だけでなく能登国も任されている二国大名! これは家中においても我らだけ! 胸をお張りくだされ!」
「そうだな。勝重、この六郎丸が大成するまではお主が世継ぎじゃ。日々励むのだぞ」
「心得ましてござりまする!」
椎名則秋の甥で椎名家嫡流の椎名勝重が、主君の言葉に勢いよく返事をした。
戦乱の世において各地で大きな争いの火種を振りまいている一向宗。その一向宗の反乱が、ここ越中国と能登国にだけは一切起きていなかった。これは主君が越中国一向宗法主本願寺実玄との会談が成功したことに起因していた。
「氷見や岩瀬、輪島の湊の利益が止めどなく蔵に入ってきておりますぞ!? もう蔵に入りきらぬほどでござる!」
「能登国の神保殿や赤塚殿への支援は?」
「十分! いや、十二分に!」
「能登には元陸奥国の二階堂家や田村家、さらに先日は大隅国から禰寝という家が入っておる。引き続き支援するように手配せよ」
「畏まりました!」
能登国は国主能登畠山家を失い、さらに遊佐や長、三宅といった家臣達の家も没落。空っぽになった所に羽茂本間家により各地から集められた外様家が次々と入れられていた。それらをまとめることも椎名則秋に任せられた主命であった。
「では勝重、留守を頼むぞ」
「ははっ!」
「それでは儂は、殿の待つ佐渡へ、大評定へ向かうとするぞ」
「殿、行ってらっしゃいませ」
紫鹿は赤子を恭しく受け取ると、しずしずと頭を下げた。
「…… 紫鹿殿」
「…… はい?」
「折り入って願いがある」
「……何でございましょう?」
『忠義一徹の巨漢』は柄にもなく顔を紅に染め、これ以上ないほどの真剣な表情となった。
「某の、せ、せ、正室になってもらえぬか!?」
「…… 何をおっしゃいますやら。何度も断っていますでしょう?」
「だが!」
「私のような下賤な女は、側女扱いで十分にございますよ。さあ、行った行った!」
豊満な胸がさらに大きくなった紫鹿は、その魅力的な双丘を則秋に押し付けると、追い立てるようにして国主を佐渡へと送り出した。
「……まったく、不器用なんだから。ねー、六?」
二国大名の願いなどどこ吹く風。ゆっくりと我が子に乳を飲ませる紫鹿。
子を産んだ女は強い。正室なぞ面倒なことばかりと、以前のおっとりとした性格はどこへやら。かかあ天下まっしぐらであった。
________________
<天文十二年(1543年)12月 陸奥国 宮城郡 岩切城 評定の間>
伊達家当主伊達晴宗は、齢五十二の叔父留守景宗の居城岩切城へと足を運んでいた。陸奥国国主山本陸奥守勘助が大崎義直と大崎義宜による内乱を抑えた祝い言葉を伝える為であった。
「此度の平定、おめでとうございまする」
「これはこれは晴宗殿!」
山本勘助は留守景宗と和やかに談笑している所だった。この二人、年も近ければ考え方も近い。意気投合して共に酒を飲み合う仲だった。
「もそっと寄られよ!」
「ははっ」
同席している景宗の三人の子、嫡男留守顕宗、次男佐藤景高、三男大條宗家も、羽茂本間照詮の信頼篤く叡智名高い山本勘助を師として仰ぎ、軍略や築城術を教わっていた。そしてそれは伊達晴宗も同様であった。
「陸奥守様が我が姉を娶っていただき、心強いこと限りありませぬ。これで我が伊達家は安泰でござります」
「いやいや、こんな見た目も悪い年寄りに嫁いでいただいて申し訳ござらぬ。儂如きの軍略でよければ陸奥の皆に指南を続けさせていただきたい」
「須川の戦い」において露と散った蘆名盛氏に嫁いでいた晴宗の姉が、山本勘助に嫁いだ。明らかな政略的な婚儀であったが、独り身、そして奥州の安定を願う勘助は断りはしなかった。二人の間に子はできてはいないが、今のところ留守景宗やヤルノらと飲み歩くことは止めてはいないものの、それなりに続いているようだった。
「いやいや! 陸奥守殿の軍略の冴えは、陸奥はおろか『甲斐の虎』武田信玄も高く評しておられるとか! 天下一でござりましょう!」
「『軍神』と名高い、かの大殿左近衛中将様に勝るとも劣らぬことでしょう」
「もし、大殿と陸奥守様が争われることになられたら、どうなりましょうや?」
「おお! それは興味深い!」
酒の勢いで景宗の息子たちが隻眼の国主を持て囃す。しかし酒が胃の腑に回っていても、勘助の脳に曇りはなかった。
「滅多なことを言うではない。殿に『二心あり』と疑われるようなことがあれば、儂の命は明日には無くなるわ」
「…… も、申し訳ござらぬ」
「浅慮でありました。単に興味がありまして…… 」
「まあ、よい」
そう言うと、勘助は酒の入った盃を置き、遠くに目をやった。
「もし殿と五分の条件で戦えば、それなりに結果は出よう。だが、そうはならぬ」
「……?」
「殿は『五分の条件』にさせぬ御方じゃ。少しでも兵を増やし、武具を整え、兵の士気を高め、地の利を得る。人の和を使い、天の時を用い、戦う前に勝つことを目指される。『軍神』、いや聖人、『軍聖』とでも言うべきか」
「……! 陸奥守殿から孫子を教わったことを思い出しました。『戦うは下策、戦わずに勝つが上策』と」
景宗の三男、大條宗家がハッと顔を上げた。
「うむ。殿ならば儂が砲術が得意であることを察し、大砲や鉄砲を使えぬようにする。忍びを用いるか、奇想天外な策を用いるか。年はお若いが、大変に優れた御方じゃ。安心してついていくことがよろしい」
「陸奥守様がそこまでおっしゃられるとは!」
「我らもそれを目指しまする!」
目を輝かせた若者達。それを見た勘助は頬を緩ませ、クッと酒を呷った。
「うむ! 儂はこれから、年始の大評定で殿にお会いするため佐渡へ旅立つ。晴宗殿や景宗殿、またその方らのこと、殿へ『見込みあり』と伝えるつもりじゃ」
「なな、何と!」
「こ、光栄にござります!」
「故に、これからも儂を助けてくれ。頼むぞ!」
「ははっ!!」
礼をする一同。
そこへ、勘助の胸元から書状がひらりと落ちた。
拾った伊達晴宗。目を通すと佐渡水軍の陣立てが書かれてあった。
「なるほど、陸奥守様は第五艦隊の主となられるのでありますな」
「うむ」
「(宇佐美)出羽守様は第四艦隊ですな。今度、最上家の義守殿を養子に迎えるとか……?」
「錚々たる面々ですな。見知らぬ名もいくつかありますが」
「どれどれ、なるほど。…… ?」
人物の見立てには定評のある留守景宗は首を捻った。あるべきはずの名がない。
「陸奥守殿?」
「何でござろう?」
「何故、『上州の黄斑』と名高い、長野越後守業正様の名が御座いませんのですか?」
羽茂本間軍と言えば、宇佐美定満、山本勘助、長野業正、椎名則秋の四天王の名が轟いている。佐渡水軍はその戦力の結晶とも言うべきもの。確かにその名がないことはおかしい。
「…… あれだ」
「…… あれ、とは?」
「長野殿は、海が苦手でな」
「!!」
「上州という陸地で育ったせいかのう。越後から佐渡への船旅でも酔ってどうしようもないのじゃ」
「ははあ、なるほど!」
________
ヘクシッ!!
嫡男の長野吉業に越後国主代理を任せるためにクドクドと説教をしていた長野業正は、なぜか大きな嚏を飛ばした。
宇佐美定満、椎名則秋、山本勘助、長野業正の様子について触れました(*´ω`)
則秋さん、子どもが生まれました。
留守家を継いだ留守景宗は「奥州の巨人」伊達稙宗の兄弟です。ですが互いに仲が悪く、「洞の乱」では嫡男晴宗に与して戦いました。勘助は伊達家つながりで家が栄えそうです。ちなみに三男の大條宗家の直系の子孫には、私の大好きなサンドウィッチマンの伊達ちゃんがいます(^^♪
長野業正の子といえば「長野業盛」と記憶していましたが、実は嫡男の吉業がいたそうです。吉業は主家山内上杉氏に属していましたが、1546年に北条家との「河越城の戦い」において戦死。ですが、この世界線では業正の後を継ぎそうですね('ω')




