第百五十五話 ~『蛹』へ~
<天文十二年(1543年)12月 佐渡国 羽茂郡 羽茂湊>
一歩。
竜王丸から一歩、踏み出した。
たかが一歩。されど一歩。
戻ってきた! 佐渡へ! 羽茂へ!
湊には黒山の人だかり。禰寝氏の一族を能登へと運んだ三田舞也が一足先に俺が戻ることを知らせていた為だ。対馬国の宗将盛、肥前国松浦水軍の松浦隆信、薩摩国坊津水軍の島津尚久らを連れて、一月半の船旅を終えて佐渡へ帰ってきたのだ!
「照詮~~!!」
声が聞こえる。待ち望んでいた心休まる声だ。
その声の方を見る。華やかな着物を着たレンが走り寄ってくるのが見えた! サチ、綾、ノンノの姿も見える! 環塵叔父と杏を連れた多恵おばさんも!
「みんな~!! 帰ったぞ!!!」
俺は大きく声を張った。
半年以上にも渡る遠征。大きな戦が二つ。神経を擦り減らすことは数知れず。
フラフラの心と体。しかし、多くの者が見ている中で弱弱しい姿は見せられない。皆が心配してしまう。
「照詮~~!!」
俺の目の前まで駆け寄ってきたレン。そして抱き付いてきた。
ドンッ
レンの顔が俺の胸にすっぽりとはまった。両手を俺の背中に回してきた。このままベアハッグでもされたら息が出来なくなるが、大丈夫だろうか。
「ただいま、レン」
しかし答えはない。それどころか、俺の胸の中で小刻みに震えている。
まさか、泣いているのか?
「レン……?」
「…… 変なニオイはないっちゃ。大丈夫そうだっちゃね」
クンクンと犬のように俺の匂いを嗅ぐレン。おいおい、浮気チェックかよ。
心配すんな。以前の正座以来、命を守る為に行動は当たり前のように気を付けてきたぞ。
「あのなぁ、レン…… 」
「…… よかった。無事で…… 」
よく見れば、レンの瞳にはうっすら涙が光っている。何だ、やっぱり泣いてたのか。
強がっていたが、実は俺を心配してくれていたようだ。
俺はそんなレンが愛おしくなり、ゴシゴシと頭を撫でた。
「大丈夫だよ」
「…… おかえり、照詮」
レンの髪を撫でる。
以前は小僧と変わらないようなおかっぱ頭だったのだが、それが嘘のように艶やかに長く伸びていた。
「照詮、痩せたっちゃ。しばらくどこにも行かないでほしいっちゃ」
「…… あぁ」
俺は虚ろに返事をした。
「しばらく」、か。しばらくがいつまでか、俺は悩んでしまった。
『先んずれば人を制す』
他国が力を蓄える前に、やれるべきことをやるべきだ。少しでも早く世界を変えるべきだ。
来るべき戦の為、俺は、俺は……
「照詮!」
!?
「照詮、おんし疲れちょるぞ。まずは休め、休め」
「環塵叔父……」
声の主は環塵叔父だった。相変わらず飄々とした風体、無精髭。だが、世界の誰よりも俺を理解してくれている叔父だ。
「前も言ったじゃろ? 『がんばるな』!」
環塵叔父の声で意識がはっきりした。
こんなに疲れてたら、できることもできなくなる。休むことも仕事だ。
「…… そうだな。佐渡の米と、魚と、柿、あるかな?」
「おぉ、ばっちりじゃ! 大豊作じゃぞ!」
やった! 佐渡の美味しい米や魚が食える!
西国、南国生まれの将盛、隆信、尚久にも食わせてやろう! きっと旨くて目を回すぞ! よし! しばらくは鋭気を養うぞ!
「…… あの、照詮…… 」
「ん?」
「…… そろそろ離してほしいっちゃ。皆が見てるっちゃ…… 」
「あ゛」
忘れてた。
俺は間近で茹で蛸のように真っ赤になっているレンを見て頭を掻いた。
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<天文十二年(1543年)12月末 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 茶室>
珍しく羽茂に雪が降っている。
雪雲は北西部の山岳に阻まれることが多い為、佐渡南部の羽茂は湿気は多いがわりかし温暖だ。柔らかな雪が静かに舞い降りてくる。
ここ十日ほどは、軽く政務をこなしつつ、レン、サチ、綾、ノンノ達とのんびりと過ごしている。従妹の杏をあやしつつ、佐渡米に舌鼓を打ち、温泉に浸かった。おかげでだいぶ骨休みができた。
ガララッ
待ち人来たる、だ。
「来たか、焙烙頭巾」
「殿、お久しゅうございます」
静かに席に座ったのは、宇佐美出羽守定満。
変わらないな。いや、初めて会った時よりも貫禄が増して見える。年の頃は五十五。皺は深く数も増えているが、目の冴えは一層鋭さを増した。
「大評定前の相談、ということですな」
「うむ。あと、お主の禿げ具合の確認じゃ」
「はは」
柔和な笑みを浮かべた定満。
俺は正月を迎える前に、現状の確認と方針の決定をしようとしている。それにはこの薄ら禿げ頭を欠かすことができん。「黒小灰蝶」の発案者、宇佐美定満が。
「『芋虫』には、もう飽きましたかな?」
「ああ、十分だろう。見よ、この地図を」
俺は茶室の囲炉裏の傍に置いた地図を指差した。
北は蝦夷から、出羽、陸奥、佐渡、越後、越中、能登。西は対馬、壱岐、肥前、薩摩。日ノ本という体を覆うように、我が羽茂本間が海岸部を制していることが一目瞭然だ。
「…… 良い『殻』ができましたな」
「出来過ぎなくらいの、な」
あれから六年だ。
あの頃はまだ佐渡と越後の蒲原郡西部しかなかった。それが今では日ノ本の海岸部を大きく覆う大勢力となっている。
「宗将盛という男は?」
「対馬の元国主だ。優しい奴でな、加えて補給、輸送の手腕が素晴らしい奴だ。多分、奴に敵うやつはおらん」
「松浦隆信は?」
「色黒の水軍頭領。船造りに興味が強くてな。船大工のイゴールに会わせたら大感激して、即座に弟子入りを志願したぞ。もう七日も帰ってこんわ」
「それは重畳。それと、島津尚久とは、かの島津家の?」
「あぁ、日新斎の三男だ。陸じゃ凡庸だが海の上じゃ鯨波新人と同等、いや、それ以上かもしれん」
「何と何と。相変わらず、殿は変わったお人達を集めることがお上手で」
「あんまり貶すな」
「いえいえ、褒めておるのですよ。人たらしの才を」
言うと、定満は茶碗から茶を飲んだ。その旨さに細い目の片方を少し見開いたが、何も言わずにその椀を置いた。
茶を点てる田中与四郎はひたすら俺と定満が話に集中できるよう、話に深く入ってはこない。
「俺からの質問だ。出羽はどうだ?」
「甲乙丙丁で言えば、甲。松竹梅で言えば、松」
「おいおい、ずいぶんと自己評価が甘いんだな?」
その言葉、以前聞いたぞ。俺は嫌味を言ってニヤリと笑った。
「いえいえ。いくら厳しく付けても、それ以外つけようがありませんぞ」
「ほほう、それは治安、農政、軍事の面からか?」
「加えて発展性も、ですな。蝦夷、越後、越中、佐渡の安定により、物や人の流通がますます盛んになっております。治安の良さと治水により米は豊作、志願する兵も後を絶ちませぬ。生産性も増し土崎湊、酒田湊を中心に、出羽は富みが増え続けております」
「それは、焙烙頭巾の善政に頼るところも大きいのでは?」
「はは、国人衆達の心を掴んだだけで御座います。これなら某がいなくても出羽は大丈夫で御座る」
「ならば、俺と共に来るか。今年の『佐渡~松前間最速船会』で優勝した手腕を、見せてもらおうか」
「喜んで」
そう。今年の「佐渡収穫祭」の最速船会で優勝したのは、何と宇佐美定満率いる「出羽水軍」だった!
定満は治政だけでなく、これからの俺の狙いを理解して一歩先読み、海事にも力を入れていた。佐渡から人と船を借りて学び、独自の理論と方法を編み出していた。
特に風向きと帆の関係性を工夫したようだ。風向きが向かい風40°の間には進路を変える、風が90°~120°の間が最速なので帆の張り方を~、など数値化、言語化していた。さらに向かい風の際に細かくタッキング(艇首を風上に向けるようにしながら、風を受ける舷を他方に変える)するのか、角度を付けて一度で済ますのか、これについても理論派らしくまとめていた。目的地へ到達する時間を最短にする数式にt=D/Vcosθとかがあったはずだが、どうやらそれを紐解いたようだ。変態か。
「艦隊の再編成が必要だな」
「ほほう」
俺は与四郎から紙をもらうと、筆を持ってスラスラと書き始めた。
「艦隊・通称・提督名・得意なこと」とすると……
≪第一艦隊「鷹」 〇羽茂本間照詮 ※火力≫
≪第二艦隊「鯨」 〇鯨波新人 ※海戦≫
≪第三艦隊「龍」 〇上杉謙信 ※陸戦≫
≪第四艦隊「兎」 〇宇佐美定満 ※智力≫
≪第五艦隊「狼」 〇山本勘助 ※砲術≫
≪第六艦隊「熊」 〇椎名則秋 ※陸戦≫
≪第七艦隊「燕」 〇三田舞也 ※速度≫
≪第八艦隊「馬」 〇宗将盛 ※補給≫
≪第九艦隊「鯱」 〇松浦隆信 ※造船≫
≪第十艦隊「鮫」 〇島津尚久 ※海戦≫
「…… といった所か?」
「なるほど。微調整は必要でしょうが、分かりやすいですな」
「微調整?」
「何故、某の艦隊は『兎』ですか?」
「名前が似てるだろ?」
宇佐美と兎。似てる似てる。
「それだけですか!?」
「ああ、いやいや。日本神話に兎は『知の象徴』とあってな。それに『速さの象徴』でもある。お主にピッタリだと思ってだ」
「…… まぁ、良いでしょう」
そう言ってまた茶をすする焙烙頭巾。沈静効果のある茶のようだ、落ち着いて話せるな。
「…… それでは、『蛹』と参りますか?」
「そうだな。『蛹』と参ろう」
蛹。
外から見れば「身動きが取れない」「何もできない」という姿。
だが、中では凄まじい変身が起きている。芋虫である幼体の組織が少しづつ、かつ劇的に変化する。変化して、空を飛ぶ美しい『蝶』となる為の準備をする。
「天動説」と「地動説」、「創造論」と「進化論」のように、常識が入れ替わる。それくらいの変化を我が領地で起こす。そして、それは日ノ本全土へ……
「期間はどれほどで?」
「二年」
「その間は?」
「そうだな、『糸』の先を整えてくる」
「南方ですな?」
「そうだ」
俺の蛹の殻には「棘」がある。
蛹の間の二年間。他の大名や幕府は、動こうにも動けるものではないはずだ。鉄砲、大砲という「棘」は、俺が独占している。他国から仕入れようにも、九州南西部を押さえた俺がそれを許さない。戦いを挑んでも勝てるはずがない。せいぜい嫌がらせをしてくる程度だが、蛙の面に水だ。
「国内の力を蓄える。蓄えに蓄え、そして俺は蝶となる。幕府を倒す!」
「蟻達には仲間割れをしてもらいましょう。また、忠実な蟻達は殿に従うことでしょう」
今でも無理をすれば天下は取れる、だろう。
だが、疲弊する。疲弊した後に動くのはきつい。俺の敵は国内よりかは国外だ。それならば確実に、難なく勝てるほどの戦力を用意してから叩き潰す。そちらの方が効率がいい。
武田、織田、大内あたりは俺の大きな蟻だ。今川、北条はどう出るか? 関東で小競り合いを続けてくれるのが一番嬉しいのだが。
畿内の小さな蟻達は、互いに噛み合ってもらおう。手を出すことはない。勝った蟻を倒せば、俺が頂点に立つことになる。
「蛹の間、俺は琉球、台湾、呂宋(フィリピン)、越南(ベトナム)、暹羅(タイ)などに顔出しをしてくる。定満、付いてこい!」
「ははっ。お供いたします」
いつの間にか雪は降り止んだ。




