第百五十四話 ~島津忠将~
<天文十二年(1543年)10月 大隅国 肝属郡 禰寝湊>
「叔父上、城が消えています!!」
島津家の使者として全権を委任されて遣わされた、島津家当主島津薩摩守貴久の実弟、島津忠将。
甥の忠平が指さす方角を見上げた。かつて見た禰寝湊の鉄壁の守りとして聳え立っていた瀬脇城があった場所を見つめ、しばし呆然としていた。
「むぅ、これは……」
湊に降り立ってみれば、乱取りの後もなく、町民たちは何事もなかったかのように商いを続けている。魚を売る者、菜を売る者の声がそこかしらから聞こえる。だが、瀬脇城は崩れ落ちている。さらに岸壁には、見たこともない山のような船が何十隻も碇泊している。
忠将には、半月ほど前に聞いた「禰寝氏が消えた」という報が聞いた直後には受け止め切れなかった。俄かには信じ難かった。だが、この様子を見れば信じざるを得ない。
(やったのか、本当に。佐渡水軍だけで、禰寝清年、武名名高い伊地知重武、そして、『大隅の黒鶴』肝付兼続の軍を……?)
「おおぉーい! あにうえ~!」
忠将には、遠くから串焼きを手にした、阿呆面を隠そうともしない実弟が手を振っている姿が見えた。
「あ、尚久叔父だ! おおーい!」
無邪気に手を振り返す忠平。そんな二人の姿を見て、忠将は胃の腑だけでなく頭も痛くなった。
(…… 何という緊張感の無い。これからのことを考えれば……)
猛勇で鳴らす島津の若武者には、目指す先にある大隅富田城、かの羽茂本間照詮が待つ城が、遥か遠くに霞んで見えた。
________________
<天文十二年(1543年)10月 大隅国 肝属郡 大隅富田城 評定の間>
いよいよだ。
評定の間には十数人の男達が鎮座していた。中には弟の尚久、義弟の時尭の顔が見える。
時は来た! 意を決し、腹に力を入れる!
「島津日新斎が次男! 島津家当主島津薩摩守貴久が弟、島津忠将で御座る! 当主代理として参りました!!」
「御挨拶痛み入り申す。羽茂本間照詮で御座る」
そう言うと、奥に座る男が礼をした。
若い。
まだ元服前のようにも見える。だが、並々ならぬ気迫を感じる。相当な修羅場をくぐり抜けてきた男の目だ。だが、少し窶れても見える。生き急いでいるのかもしれぬ。
「まずは、佐渡水軍の戦勝、おめでとう御座いまする!」
「はは。大したことはしておらぬ」
!?
我が島津家が南方衆(薩摩半島南部の国人衆)の取り込みにすら苦慮している中、この男は、手兵のみで大隅国の兵を容易く退けたというのか?!
信じ難い。信じ難い強さだ。
「伊地知氏の治めていた姶羅郡を、島津家にお譲りいただけるとのお話、誠でしょうか?」
「うむ。伊地知の当主や家臣達を粉微塵に打ち砕いてしまったのでな。敵愾心の強さを危惧しておる。島津家にとっては近い土地であるから、受け入れてもらえると助かる」
「ははっ! 喜んで!」
深々と頭を下げる。
労せずして大隅国北西部の姶羅郡を手に入れることができた。貴久兄からは「貰えるものは遠慮なくもらっておけ」と言われておる。ここは問題はなかろう。
「禰寝清年の首は見ていただけたであろうか?」
「ははっ。確かに」
「うむ、そういう訳だ。嫡男の禰寝重長以下の者は降伏した為、能登国へと国替えを命じておる。あちらで家の再興をしてもらうことにしておる」
「なるほど」
欲しかったのは禰寝の地か。
無用な殺生をしないあたり、ただの人殺しではないな。冷静さはあるようだ。
「大隅国の肝付兼続、これはまだ降伏していない。だが時間の問題だ、物の数ではないわ」
「……『大隅の黒鶴』すら歯牙に欠けぬとは。恐れ入りまする」
とんでもない男だな。
「さて、これより本題に入ろうか」
凄みのある声で本間照詮が話を切り出した。身が軋む。何だ、この重圧感は?!
「我ら佐渡水軍の望みは二つだ。
一つ、島津尚久と坊津水軍を我ら佐渡水軍に貰いたい。
二つ、種子島時尭と種子島以下琉球までの地を貰いたい。
以上だ」
「…… 承服、致しかねまする」
「ほう?」
無理難題だ。
尚久は我が弟。それに島津が海へ出るには坊津水軍がないと話にならぬ。
それに、種子島時尭は我が妹「にし」の夫。他家にやる訳にはいかぬ。
琉球は我らの物ではないが、これの意味することは「琉球へ手を出すな」、あるいは「琉球は我らがもらう」と言っているのだ。南方よりの交易により我らは利を得ておる。それを捨てる訳にはいかぬ。
この二点だけは兄から固く「飲むな」と言われておる。島津家にとって、主命は絶対。当主の命に逆らうことはできぬ。
「姶羅郡は返上いたします。左近衛中将様の 肝属郡、加えて禰寝湊の領有には決して口出しいたしませぬ。ですが、その条件だけは…… 」
「飲めぬ、と申すか」
「はっ! 命に代えましても!」
眉間に皺を寄せ、キッと歯を噛みしめる。菊の門に力を入れる。何があろうと、この条件だけは飲まぬ!
「あにじゃ~、そんなこと言わなくていいぞ~? 佐渡水軍はつよいんだぞ~?」
串焼きを頬張りながら阿保な弟が何か言っておる!! お前がしっかりと断れ!
「尚久! お主、それでも島津家の男か!?」
「だって、俺っち、約束しちまったもん。照っちに『配下になる』って。…… あれ? 何でだっけ?」
「尚久ッ!!!」
だが尚久は一向に態度を改めない。それでも誉れ高い島津日新斎の三男か!?
「…… 義兄上。某も左近衛中将殿に臣従いたします」
「時尭?! お主もか?!」
種子島時尭は申し訳なさそうに頭を下げた。
何だ? 脅されておるのか?!
しかし、二人からは「決して戻らぬ」という意志を感じる。これは自発的なものだ、無理やり言わされておるのではない!
「という訳だ。二人は俺の力を間近で見て、『新しい時代』の到来を知った。既に心は俺達と共にある。島津家の考えも分かるが、諦めてはくれぬか?」
…… もっともな話だ。
当人達の心は、「もう島津へは戻らぬ」と顔に書いてある。これを覆すことは難しいだろう。
…… 消えた瀬脇城。伊地知の無双金槌隊を粉微塵に砕いた力。湊に止まっていた無数の強大な船。どれも途方もない力だ。
だが、それでもなお、儂は主命には背けぬ!
「お断り申し上げます!」
「…… 主命第一が島津家の家訓、どうやら本当のようだな」
「ははっ!」
調べているようだな。
我ら島津の家訓は「主君を救う為には進んで命を差し出せ」だ。退却するときには自分から志願して殿を務め、死してなおも追手を止める。天が落ちようと地が避けようと変わりはない!
「さて、殿。いかが致しますかな?」
「照っち。俺、どうすればいいんかな?」
「義兄者。御采配を」
皆の目が痩身の若者に注がれる。
「…… 実はのう、忠将殿」
「何でござろう?」
「俺の願いと島津家の願い、『どちらも叶える』良案があるのだが、聞いてもらえぬか?」
「なっ!!?」
無理だ!
佐渡軍は尚久と時尭を臣従させたい、我ら島津は尚久と種子島を手放せない。矛盾する!
…… それとも、何かしらの譲歩があるのか?
聞いてみるべきだ。
「お聞かせ願いまする」
「何、簡単な話だ」
そう言うと上質な羽織を纏った大国主は左の額を押さえた。
「島津家が、我が羽茂本間家に臣従すればよい」
ガタッ!
「何ですと!!?」
「簡単だろう? 島津家は羽茂本間家に臣従する。そして尚久と時尭は島津家の臣従を続ける。俺は尚久と時尭の大殿となる。ほら、どちらの願いも叶えているぞ?」
「そそ、そのような」
「…… そのような?」
詭弁、と言いかけて、額から汗が数本、垂れていることを感じた。
この男、これを断れば、島津家を消すつもりだ!!
禰寝氏を追い出したように、伊地知重武を消したように、五千の兵を骸と変えたように!
島津の家を根刮ぎ吹き飛ばすつもりだ!!!
恐ろしい男は先ほど「義兄上」と呼んだ色白の若武者の方に顔を向けた。
「ここにいる上杉謙信という義弟、無類の戦好きでな。此度の大隅国の者達との一戦に加われずに、『何故!』と地団駄を踏んでいてな。まだまだ戦い足りないようなのじゃ」
プッ
評定の間を見回す。噴き出しそうになって堪えている者が数名。噴き出した者は尚久か!? そして、「上杉謙信」と呼ばれた男は、恥ずかしそうに頬を紅潮させている。脅しか? 脅しなのか?
「そのような申し出…… 」
「主君から止められては、おらぬであろう?」
「ぬっ?!」
確かに、貴久兄から「羽茂本間家に臣従してはならぬ」との主命は受けてはおらぬ!
だが、こんな大事を儂が決めていいはずがない!
「…… も、も、申し訳ござらぬ。一度、主君の下知を仰いでも宜しいでしょうか?」
そう言うのがやっとだ。この羽茂本間照詮という男、「化け物」だ。
大きい、器が大きすぎる。島津家が他家に臣従? 考えたことすらなかった!
すると、口の端を上げて化け物は初めて笑った。
「構わぬ。暫く両名は両家に従属するものとしよう。色よい返事を待っているぞ。……だが、あまりに遅いとこちらにも考えがあるのでな」
「…… 承知、仕りました」
負けた。
完敗だ。
勝負にすらならなかった。
儂は主君の命、そして尚久と時尭を引き留めることしか考えてなかった。
だが、この男、とんでもないことを考えている。我が島津家を丸ごと飲み込むなど。
しかし、それを果たす力があることも事実だ……
「恐れながら!」
後ろから声がする?
振り返ると、そこには数えで九つの甥忠平が目をカッと見開いて声を出していた。
「…… 何であろう?」
「某! 島津家当主島津貴久が次男! 忠平で御座います!」
「ほう?」
額を押さえた手の隙間から瞳を薄気味悪く光らせた男が答えた。
「左近衛中将様! どうか御傍に置かせていただきとうございまする!」
「…… 人質を買って出る、という訳ではないようだな。俺の元で力をつけたいか?」
「ははっ!」
忠平?!
兄上には何も聞いておらぬ。忠平が自らの意志で?!
だが、この場で何か天命を感じたのかもしれぬ。島津嫡流とは言え次男。長子の虎寿丸様は大人しい御方であるが世継ぎに変わりはない。ならば自分の力を試そう、高めようということか?!
しばし動きを止め、考えているように見える羽茂本間照詮。そして徐に呟いた。
「義弘、か」
「はっ?」
「何、独り言だ。うむ、幼き中にも覇気を感じる。いいだろう、是非に近習として仕えてもらおう」
「ははっ! ありがたき幸せ!!」
深々と礼をした忠平。
「では、これにて失礼させていただきまする」
「うむ。忠将殿、是非またお会いしたい。儂は佐渡に戻らねばならぬ故、薩摩守殿、相模守殿(島津日新斎)殿によしなに。代理はこの謙信となる。」
「ははっ!」
忠平を置いて評定の間を抜ける。
すると尚久が追ってきた。
「忠将兄~、船で送ってくぞ~」
「…… 要らぬ。あと尚久、しばらく帰ってこなくてよいぞ」
「そっか~、そうするぞ」
屈託のない弟の笑顔。船の上では豹変するが、相も変わらぬ陸での凡庸さよ。
尚久の頭をコツンと小突き、持っていた串焼きを取り上げ、口に頬張る。
…… 固い。そして、西日が眩しい。
我が島津家も同様に首を垂れるべきかもしれんな。その日は近いかもしれぬ。
本編の忠平は「島津義弘」と思われます。
義弘であれば、「鬼島津」「朝鮮出兵では明・朝鮮連合軍20万を7000の兵で破った」「関ケ原での『捨て奸』で本田忠勝、井伊直政の追撃を振り切った。直政はその時の傷が元で死亡』などの逸話が鳴り響く、戦国時代を代表する猛将。果たして……?
島津貴久は1552年に「修理大夫」に、死後には贈従三位に任ぜられますが、1543年当時はまだ薩摩国の守護としても認められていません(認められたのは1545年と言われています)。そこでとってつけて薩摩守と武官位を付けています。正しい役職名が分かれば変更させていただきます(*´ω`)
九州編終了です(*'ω'*) 主人公は佐渡へ~




