第百五十話 ~坊津水軍~
<天文十二年(1543年)八月二十八日 大隅海峡(薩摩~種子島間)>
船は大隅海峡を順調に進んでいる。
あと一刻もすれば、陸地が見えると聞く。
「…… 殿、よろしかったのですか?」
「時尭が島津へ船を出したことか?」
「はっ」
海之進が俺に尋ねてきた。望遠鏡を使えば、あの距離でも何をしているかは一目瞭然だった。
「構わん」
「ですが、種子島殿が約定を違える可能性、高うございますぞ?」
「種子島家が島津家に臣従していることは聞いていた。我らに気圧されて口だけの約定を了承してしまった、という感じではある」
俺の言葉に不無がゆっくりと頷いた。
「いやはや、殿はお人が悪い」
「そうか? 悪人ならあそこで種子島の面々を斬殺しているぞ?」
「そういう訳ではござらぬよ。種子島を『種』にして、より大きな『実』を得るおつもりでしょう?」
「ん、まあそんなところだ」
俺が『種』と言った言葉を、海之進も傍仕えの藤丸も理解できなかったようで首を傾げている。『剣聖』信綱様は剣豪らしくニヤリと笑って多くを語らず、弥太郎は『分かった』というような表情だ。
そんな俺達の船団を遮るように、前に何隻かの船が見えた。
漁船か? いや、あれは関船か。なかなかの船だ。
「殿! 我らを待ち構える船団が見えます!」
「お出ましかな。信綱! 証人殿を甲板へ連れて参れ!」
「御意っ!」
さて、俺の役に立ってもらうぞ。坊津水軍よ。
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「申し上げる! 佐渡水軍とお見受けする! 何をしに参ったか、お聞かせ願いたい!!」
俺とあまり年の離れていなそうな少年が俺達に向けて大声で叫んだ。ほう、やるな。なかなかの人物のようだ。
「俺は佐渡を本拠とする羽茂本間左近衛中将照詮!」
「な、な、何!?」
「これから我が家臣! 種子島時尭に仇なす禰寝清年を討伐に行く所だ!」
「!? も、申し訳ござらぬ! しばし待たれよ!!」
さしもの少年だが、パワーワードを二つも三つも聞いて混乱したようだ。慌てて近くの者の方を振り返り確認を取っている。
一つ目は俺の名。さすがは南方交易をも手掛ける坊津水軍の者だ、キャラック船が列を為すのは佐渡水軍以外ないと見込んでの推察は見事だった。だが、俺の名を聞いたら驚いたな。総大将御自ら参陣だもんな。
二つ目は種子島時尭を「家臣」と言ったこと。種子島氏は島津家の家臣だ。鞍替えしたと聞けば「寝返ったのか」と疑心暗鬼になるのも当然だ。
三つ目は禰寝清年を討伐すること。種子島家と同様に、島津家と禰寝家は大隅国を巡って敵対している。それを佐渡水軍が討伐するというのだから、意味が分からないだろう。
関船の先頭に立つ少年、いいじゃないか。
ざんばら髪に潮で褪せた着物と風体は振るわないものの、年に似つかぬ大弓、俺の大船団に物怖じしない心根。困った時は独断で判断せずに家臣に相談できる度量の大きさ。仲間にするならああいう人材を引き抜くべきだな。
お、決まったようだな。少年がこちらを向いた。
「我は島津日新斎が三男! 島津尚久である!! 種子島時尭は我が姉『にし』の伴侶! 背信はにわかには信じがたい!」
大当たりだ。なるほど、日新斎の子か。
急に義兄が主君替えしたとは信じがたいよな。うんうん、想定通りだ。
「証拠をお見せしよう!」
俺はそう言うと、船室から出てきた証人を甲板から尚久に見えるように出した。西村織部丞時貫だ。
「ささ、時貫殿。約定について尚久殿にお伝えを」
「わ、分かり申した」
未だにドギマギしている様子だが、時貫は約定の場にいて話を直で聞いている。だからNoとは言わないはずだ。まあNoと言ったら言ったで考えはあるがな。
「某、種子島家が家臣、西村織部丞時貫で御座る! 我が種子島家が羽茂本間家へ臣従したこと、左近衛中将殿の仰られた通りに御座います!!」
「……」
坊津水軍からすぐには返事はない。
だが、しばらく経つと納得した様子で返答があった。
「相分かった! 通られませい!」
「承知した!」
「ただ、この辺りの水域は不慣れであられましょう! 道案内をさせていただきたいと存じますが、よろしいですか?!」
「かたじけない!」
まあ、道案内と言う名の監視だろうが、な。どちらにしても問題はない。面倒なら叩き潰すのみだ。
交渉はまとまった。
先ほどの尚久と言った島津の三男坊の関船が北東へ進む。どうやら禰寝氏の所まで俺達を先導するらしい。
そして何隻かは北へ向かった。ああ、島津家の居城清水城への報告だな。いいぞ、ぜひ行ってきてくれ。
「ああ、儂はとんでもないことを言ってしまったのではないだろうか……?」
「いやいや、時貫殿はしっかりと家臣の役割を果たしましたぞ。ささ、今しばらく船室でお待ちくだされ。先ほどの『カステーラ』という物を再度ご用意させていただきます故」
「おおおお!? それは是非に!!」
時貫はスキップするようにして船室へと戻っていった。ふむふむ、甘い物が好き、と。
「殿、参りますか」
「ああ、ゆっくりと、チンドン屋のように騒がしくいくぞ」
「? チンドンヤ?」
「ん、騒がしく、賑やかに、という意味だ」
「はは、殿は面白い言葉がお好きですな」
チンドン屋って、いつ頃からだ? 戦国時代には無さそうだが。
「さて、騒がしく大砲をぶっ放しながらいくか。禰寝清年がそれほど間抜けでなければいいんだがな」
「ははっ!」
島津尚久は島津日新斎の三男です。七歳にして長兄貴久と共に戦場に立ち、坊津の地を治め倭寇にも影響力を有していたようです。
長男の貴久は島津家当主、次男の忠将は分家の相州家当主、そして尚久は坊津周辺や海賊達のまとめ役、という感じのようです。本物語では、坊津水軍を治めているという設定です。
猛勇名高い「島津四兄弟」の義久、義弘、歳久、家久は貴久の子です。1543年当時は歳久まで生まれていますね。
チンドン屋さんは江戸末期、大阪の商人が寄せの為に客を集める際、そして飴を売る際に竹笛などで賑やかにやったのが起源だとか。たくさん人が集まり飴を買う人がいれば「何だ何だ」と集まる、そしてたくさん買っていくバンドワゴン効果が期待できます。




