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佐渡ヶ島から始まる戦国乱世  作者: たらい舟
第十章「蛹」

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第百四十三話 ~証拠~

<天文十二年(1543年)三月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 評定の間>



「何っ!!?」


 三田舞也(みたまいや)が差し出した書状を読んだ俺の怒りは心頭に発した!


宗家(そうけ)の当主宗晴康(そうはるやす)の奴、『()()()()()』だと!?」

「はっ。申し訳ありませぬ…… 」

「対馬のすぐ近くで船が襲われたんだぞ? それに襲撃した奴らが対馬の方へ帰ったのをおっちゃんとサチが見てる! それを()()()だと!?」

「…… 力及ばず、平にご容赦を」

「…… いやいや、義兄上は三田殿を叱責しておるのではないぞ」

「不無不無、その通り」


 使者になった第七艦隊艦長三田舞也が申し訳なさそうに頭を垂れた。それを俺の傍らで軍略を練っている義弟上杉謙信と元畠山義総の不無がとりなす。

 そこへ馴染みのダミ声が響いた。


「小鬼はん! えろうすんまへん!! この越後に人ありと言われた蔵田五郎佐のせいですよって!」

 涙か汗だか涎だか分からない様子で、越後屋店主蔵田五郎佐(くらたごろうざ)が俺に謝ったのだ。


「謝るなよ、蔵田のおっさん。おっさんのせいでもないぞ!」

「あいもいたのに、申し訳ありまへん。風が強くて一隻離れた所でしたえ」

「悪いのは『倭寇(わこう)』、そしてそれをのさばらせる奴らだ! 俺はおっさんとサチが帰ってきてくれて嬉しいぞ」

「小鬼はん……」

「照詮はん……」



 蔵田のおっさんたちは数ヶ月前、レイリッタ達ポルトガル人が持ってきた呂宋壺や香木、洋画、佐渡の清酒やビール、羽布団などを対馬~大隅(おおすみ)海峡(薩摩~種子島間)~紀伊(きい)水道(紀伊~阿波間)経由で堺湊へ持ち込んだ。南蛮の品々は茶名人武野紹鴎(たけのじょうおう)や津田宗久が店主を務める天王寺屋に絶賛され、()()()()()()()()()()()()()

 

 巨万の利益を得たおっちゃん達はその金で、米や麹、刀や武具、書画、絵画、漆器、仏像などを仕入れ、能登・越中・佐渡・越後へ向かった。その途中だった! 対馬国近くで離れた一隻が倭寇に襲われたのだ!

 船にはおっちゃんの元で商いを学んでいるサチも乗っていた。サチの身に間違いがあったらと思うと、気が気でなかった。



 本来なら、佐渡からは関門海峡を通って下関から瀬戸内海を通って堺へ行く方が早い。だか、それは出来ない。瀬戸内海を根城とする最強の村上水軍(むらかみすいぐん)がいるからだ。だからこそ安全、いや()()()()安全だった対馬~大隅(おおすみ)海峡(薩摩~種子島間)~紀伊(きい)水道(紀伊~阿波間)ルートを選んでいたのだ。

 では武装した船で艦隊を護衛しながらいけばいいと思うかもしれんが、積み荷を積めない戦闘艦を連れていけばいくほど、巨額の赤字が出る。結局の所、ギリギリのラインでやりくりするしかないのだ。


 そう、舞也は悪くない。蔵田のおっちゃんも悪くない。

 悪いのは倭寇と、対馬国を治める宗家だ。


「して、蔵田殿。どれくらいの損害が?」

「…… 数千貫文以上かもしれまへん」

「ふむう」

「三田舞也の高速第七艦隊を使って対馬国の宗氏に抗議の書状を示した。だか『証拠はあるのか』の一点張り。話にならぬわ!」


 和冦は朝鮮半島や明国の沿岸、港を荒らし回る海賊集団。交渉して交易品を運ぶこともあるが、決裂すれば武力行使、うん、パイレーツオブ東シナ海だわ。


 今回の襲撃、どうやら()()()()()()()()がある。

 おっちゃん達の船団は輸送用キャラック船が四隻。護衛の重キャラックが一隻。一応、どれも武装はしてあった。それを十隻以上の小早船で取り囲んできたのだ。不幸な遭遇戦ではない可能性が高い。


「佐渡から船で荷を運ぶとしたら、対馬国近くを通らざるを得ない。九州近くを通ればもれなく豊後水軍(ぶんごすいぐん)松浦水軍(まつらすいぐん)が挨拶してくる。いらん挨拶は避けたい」

 

 話を通すにしても、水軍相手には一筋縄ではいかぬ。


「仕方ない。護衛艦を多く随伴させやすか」

「しかし、毎回走らせるとなれば、商いの利益の方が吹き飛びますぞ?」

「では命の安全はどのように守るのです?!」

「水軍に上納金を納めて符牒(ふちょう)を得ることで、安全を確保しては?」

「馬鹿なっ! それこそ巨万の金が飛ぶわっ!」


 第二艦隊艦長「鯨波(くじらなみ)新人(あらひと)」(鯨波と名字を付けた)、辻藤(つじどう)左衛門信俊(さえもんのぶとし)、長谷川海太郎らも加わり、評定の間の議論は紛糾した。皆、よく考えてくれる。だが結論は出ない。

 

 俺は閃いた。


「…… 要は、()()に、()()()()()に、()()できればよいのだな?」

「殿っ!? そのような妙案が!」


 皆の目が一斉に集まる。


()()()()()()()!」

「「なっ!!?」」

 

 根本的な問題だ。

 群がる蟻を一々倒すのは面倒だ。だったら、巣ごと根こそぎ壊せばいい。


「対馬さえ取れば、湊を整備して拠点として付近の安全を確保できる。水や食料の補給、休息を自在に取ることも可能だ」

「なるほど、加えて関門海峡の行き来に武装艦を随行させるにも便利ですな」

 文官トップの新発田収蔵(しばたしゅうぞう)も俺の言葉に同意した。


「おおっ!」

「やりますか!!」

 戦と聞いて皆、目を爛々と輝かせた! 


「幸いなことに佐渡、能登、越中、越後、出羽、蝦夷、奥州の統治は順調だ。定満、則秋、勘助達の当面の目標は『内政重視』。俺が艦隊を率いて侵攻に力を割いても問題はない。」


 俺の言葉を頷きながら聞いていた不無が、ゆっくりと手を挙げて話し始めた。


「不無不無、上策。加えまして殿、一言だけ助言させていただきたい。」

「申してみよ、不無」

「西国の雄、大内家に『対馬を攻め取る』ことを話を通しておくことが宜しいかと。周防をはじめ、長門・石見・安芸・備後・豊前・筑前に絶大な影響力のある家で御座います」

「なるほど。では不無に大内家への使者を任せる! 五千貫文を使って、『北と西、手を組む』約定を取り付けてこい!」

「ははっ!」

「三田舞也、七番艦隊にて不無を連れて大内氏館(おほちしやかた)まで行け!  その後、対馬で待っておるぞ!」

「はっ! 汚名返上の機会を与えていただき、感謝申し上げます!」


 大内家は明国にも船を出すほどの海軍力があると聞く。いわばこれから俺の()()()()だ。今は尼子家と戦ってるんだったっけな? あー当主の大内義隆(おおうちよしたか)は、しばらくしたら(すえ)なんちゃらに首を取られたはずだから、注意を促しておこうかな?


「謙信!」

「ははっ!」

「第三番艦隊を任せる! 俺に続け!!」

「畏まりましたっ!」


「第六番艦隊は佐渡の守りに置く! 新人!」

「へぃ!」

「俺の第一、お主の第二は重量砲撃換装! 第四・第五番艦隊、資材と人員多めっ! 対馬に拠点を築くぞ! 」

「へっ! 合点でさぁ!!」


「環塵叔父、留守を任せるぞ!」

「あ~、任せろ」


「出立は明日! 皆の者、行くぞ! 対馬に羽茂本間の『抱き葉菊(だきはぎく)』の旗を立てる!!」

「「ははっっ!!」


 

 宗家め。

 歴史が何だ。何百年の統治が何だ。

 おっちゃんとサチを危険に晒し俺の野望を邪魔したこと、()()()()()償ってもらうぞ。

 


_________________


<天文十二年(1543年)三月 周防国(すおうのくに) 大内氏館(おほちしやかた) 評定の間>



 西国の名門大内家は、周防・長門・石見・安芸・備後・豊前・筑前をほぼ掌中に収め、版図を過去最大となるほどに広げていた。


 当主大内義隆は朝廷への工作が実を結び、従三位と侍従(じじゅう)大宰大弐(だざいのだいに)を許されていた。文武両道の名君。さらに李氏朝鮮には度々、そして明国へは天文八年(1539年)には刀剣・硫黄・銅を積んだ遣明船を送り出し莫大な利益をあげていた。和歌や連歌、芸能など公家文化への関心を示しすぎるきらいはあるものの、本拠地周防国は「西の京」と呼ばれるほど栄え、西国に「大内義隆」の名を知らぬ者はいないほどの大大名だった。


 

「ふむ! 佐渡の左近衛(さこんえの)中将(ちゅうじょう)によしなに!」

「ははっ!」


 大内家当主従三位(じゅさんみ)大内侍従(じじゅう)義隆(よしたか)は豪快に笑って羽茂本間照詮の願いを快諾した。

 

 義隆は宿敵尼子氏の息の根を止めるべく、尼子氏の本拠地出雲国月山富田城(がっさんとだじょう)へ出兵する所だった。その直前に日頃から贈り物のやり取りをしている北の覇者羽茂本間照詮からの使いがきた。「五千貫文」の金子は「これから対馬国を攻めるための挨拶」と「灰吹法(はいふきほう)伝授」の礼とのことだった。


 義隆にとって対馬はそれほど重要性は高くない。宗氏という朝鮮との交易の窓口を失うのは痛いが、それは羽茂本間照詮が次に担ってくれればよいことだった。


「京の都の御上の覚え目出度い左近衛(さこんえの)中将(ちゅうじょう)との友誼はさらに深まり申した! この義隆、非常に愉快な気分になり申したわ!」

「何よりで御座います」

「多大な金子、痛み入り申す。これは堺で最近出回っておる香木や壺、南蛮の絵画などの良いものを買うために使おうかのう!」

「流石は侍従殿。芸術の何たるかをご存知でおられますな」


 「センスの良さ」を褒められて、義隆は益々気を良くした。そして一人の美少年を不無に紹介、というより見せびらかした。見せびらかしたくて仕方がなかった。


「ここにおるのが養嗣子(ようしし)(家を継ぐ養子)の晴持(はるもち)で御座る! 儂の後を継ぐ英才につき、左近衛(さこんえの)中将(ちゅうじょう)へは良しなにお伝え願いますぞ! 不無殿!!」

「ははっ! 侍従(じじゅう)様の御言葉、必ずや我が主君にお伝えいたします」

「うむうむ!」


 大内晴持の母は大内義隆の姉。名門土佐一条氏の生まれで眉目秀麗、文武に秀で、さらには和歌や管弦、蹴鞠(けまり)なども見事にこなす義隆秘蔵の世継ぎだった。その世継ぎの為に国を広げよう、栄えさせようと義隆は野望に満ち充ちていた。


「ただ、気になることがある」

「何で御座りましょう?」

隆房(たかふさ)、お主に『気を付けろ』と書いておるぞ」

「ぬっ?!」


 武断派(武力をもって政治を行おうとする者)であり、これまた美しい武将陶隆房(すえたかふさ)は顔を(しか)めた。

 不無にとっては想定外だった。まさかその者がいるときに「注意しろと書いてある」ことを伝えるとは思ってはいなかった。だが、顔色を変えなかった。


「はは、それは我が主君が『羨ましがっただけ』に御座いましょう。陶殿のような戦の強い御方がいることを」

「おお、そういうことか」


 義隆は細かいことは気にせず、その言葉を信じた。

 武を任せている陶隆房は重臣。さらには衆道(しゅどう)(男色)を好む主君の昔からの想い人だった。疑うはずがなかった。

 

「毛利の奴は『慎重に』と言っておりますが、尼子家は脆弱! 体制が整う前に力押しにて一気に攻め撃ち滅ぼしましょうぞ!」

「うむ。隆房の言う通りじゃ!」


 不無は見た。大内義隆と陶隆房の目を。

 そして、主君から「危ない」と言われた理由が分かった気がした。


 今は養嗣子の為、大内家は一枚板となっている。

 だが、その大内晴持が亡くなった場合、一気に大内家が瓦解する可能性がある。不無はその鋭い洞察力で感じ取った。だが、決して表情にも言葉に出さず、心の奥底へしまい込んだ。


「不無殿、左近衛(さこんえの)中将(ちゅうじょう)にはよしなにな! 対馬国を取られた後は隣同士! これまで以上に仲良くさせていただきたい! 都の御上にも口添えをお頼み申す!」

「ははっ、お任せくだされ」


 

 佐渡国他、北の地を束ねる羽茂本間照詮に、もはや対馬国攻めを咎める勢力は無くなった。大砲と鉄砲で武装した大艦隊を率いての対馬国攻撃は目前となった。宗家は「証拠」を求めてあとは知らぬ存ぜぬを通そうとしたことが、逆に(あだ)となっていた。



 大内義隆は三万以上の大軍を率いて、尼子家一万五千が立てこもる尼子家の本拠地月山富田城を一気に攻め滅ぼそうと先を急いだ。道中、大内家に臣従する毛利元就、小早川正平、益田藤兼らもその軍に加わり、その数は四万五千にも膨れ上がった。


 だが、拙速を急いだ大内家は城攻めに苦戦。その間、糧道を尼子軍に襲われて兵站の確保に苦慮。さらに三刀屋久扶、三沢為清らの裏切りにより次第に劣勢となり、結果大内家は尼子家に大敗。さらに大内義隆が愛する養嗣子大内晴持が戦死。大内家は以降一気に勢いを失っていくことになる。

 「第一次月山富田城の戦い」と呼ばれる戦であった。

 灰吹き法は、古くは「旧約聖書」にも記述があるとされています。戦国時代、1533年頃朝鮮から伝来し、石見銀山にて用いられてたとされています。

 金銀を含んだ鉛から金銀のみを抽出する方法で、これによりこれまで手に入れることができなかった金や銀が手に入るようになり、産出量が大幅に増えたとされています。

 詳細につきましては「甲斐黄金村湯之奥金山博物館」のサイトを参照させていただきました。


 大内義隆は公家かぶれで謀反にて死亡した暗君とされることも多いですが、その前半は紛れもなく名君だったようです。

 ですが作中にあるようにして寵愛する大内晴持を失い、一気に野望を失ってしまいます。武断派の陶隆房よりも文治派の相良武任を重用するようになり、1551年には「大寧寺の変」にて謀反の刃に斃れます。「もし」「たら」ですが、晴持が死んでいなければ大内家は……


 対馬国へ出兵。結果は次話にて。


※追記 陶「晴賢」と表記していましたが、「大寧寺の変」前ですので改名前の「隆房」の方が正しかったため修正いたしました。報告していただいた方、ありがとうございましたm(_ _"m)

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― 新着の感想 ―
[良い点] ある意味倭寇の親玉みたいな大名に喧嘩売るとは…(笑) [気になる点] 殿、次は松浦党の本拠を制圧ですな
[一言] 宗「明との貿易は我らがになっておるのじゃ本間などおそるるに足らぬわ!!対馬を通る者は我らの許可をとっておらんやつは沈めるぞ!!」 本間「滅ぼすわ」 大内「やっちゃっていいよ!」 他大名…
[一言] 更新お疲れ様です。 古来からの大陸間貿易の中継地としての『自負』が歴史の浅い羽茂本間を侮り、滅びへの道へ誘う・・・・(^^;; 米軍の艦砲射撃より遡る事400年、対馬に獄炎の舞踏が舞い踊…
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