第百三十九話 ~本願寺実玄~
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<天文十一年(1542年)五月 越中国 射水郡 富山城 茶室>
俺の返答に老僧は、片眉を上げたまましばしの間硬直した。
カコン
鹿威しが閑に響いた。これは俺の発案だ。
「…… 存じて、おる?」
「ええ。ですから実玄殿に心ゆくまで寛いでいただけますよう、茶席をご用意させていただきましてございます」
「何ィ?」
「温い茶には理由があります。それに、茶の効能がそろそろ効き始めたのではないでしょうか?」
「ぬむっ!? ふざけた真似を……」
と言いかけて老僧は喉の辺りを押さえた。
効いているようだ。先ほどの『茶』が。
「実玄殿は門徒達へ大きな声で説法をしすぎて、喉をお傷めしたとお聞きいたしました」
「むっ?」
「そこで、『羅漢果』を入れた薬湯をお出しさせていただきました」
「何ぃ!!? ら、ら、ら、羅漢果ッ!?」
「ええ。『羅漢果』です」
俺はニヤリと笑う。
実玄は目を白黒させた。
「大陸の奥地にしか生えぬという! 『幻の神果』と呼ばれる! 伝説の果実じゃぞ!!?」
「ええ、かなりの金を使いました。ですが、此度の会談は金の大小には代えられませぬ」
羅漢果は前世でも「喉に利く」とされていた。中華街で見つけて舐めたことがあったがスーッとした柔らかな甘さが特徴の乾燥した果実だ。安物の偽物を掴まれそうになったり、べらぼうな値段をふっかけられたりしたが、その価値は十分にある。俺はそう見ている。
十数年に渡って苦しんでいた喉の痛みが和らいだであろう老僧はその清々しい通りを堪能している。だが、しばらくするとうって変わって厳しい表情に戻った。
「ハッ! その金があれば幾程の民を救えることか! 金で興を買うなぞ! 拝金大名のやりそうなことじゃわい!!」
「しかし、ご堪能されましたでしょう?」
「何?」
ここからは俺のターンだ。
「茶が温いのは、遠方からいらした御坊の喉の渇きを一早く潤す為。熱いお茶では一息に飲むことは難しいことでしょう」
「だが、儂は気に入らなかった」
「果たしてそれはご本心でしょうか? 本当に気に入らないのであれば、一口飲んだだけで椀を割るか茶をぶちまけるか致しましょう? 御坊は『温い』と仰られましたが『ゴクゴク』と全て飲み干し、そして『バン』と御自身の膝を手で打っただけです。どちらもしてはおられませぬ」
「…… この椀は?」
「ここにいる与四郎が『越中瀬戸焼』で作ったものです。百椀焼き、九十九椀割り、たった一つ残った椀にございます」
「なるほど、逸品な訳だ。『不割』と名付けるがよい」
「はっ」
実玄はその泥臭く田舎くさく、だが飾らぬ美しさを有した越中瀬戸焼の椀を割らなかった。いや、割れなかった。本来ならば本願を果たすために割るつもりであったろう。だが芸術を愛する老僧にはそれが出来なかった。
「人を意のままに操るとは…… 小僧、『嫌な奴』と呼ばれてはおらぬか?」
「人の評価とは、立場によって異なるもの。かのお釈迦様でも万人に好かれた訳ではございませぬ」
「ははっ。儂に向かって説法するか。賢しい奴よ」
「お褒め頂き、光栄です」
環塵叔父の受け売りだがな。
「なれば」
そう言うなり老僧は崩した足を直し、正座した。どうやら話を聞くつもりになったらしい。
本願寺実玄。本願寺の大僧正で、本来ならば直系の者にしか許されない本願寺一門に選ばれている傑物だ。ここからが本番か。
「なれば聞こう。儂はお主のいるこの富山城、言うなれば敵陣のど真ん中に僅か二名の供だけを連れてやってきた。そして横柄な態度を取った。それを何と見る?」
「我らを恐れてはおらぬ、とのご意志の表れかと」
俺の答えに老僧は腕組みをして、その通りと言うように頷いた。
「うむ。我ら一向宗には本願がある。それを邪魔だてする者は門徒をあげて血が枯れるまで抵抗するのみ。儂が一声あげれば、佐渡ヶ島の国仲平野でおきたような一揆を起きる」
「でしょうな」
「では尋ねよう。小僧よ、儂が今日ここに来たのは何の為か?!」
核心の問いだ。
「…… 死ぬ為と存じます」
これが分かっていなかったら俺は、佐渡は、俺の築いてきた努力は危うかった。
「…… 見破られていたとはな。揺さぶりが利かぬ訳じゃ」
「無理難題をして某を激昂させ、斬られるおつもりだったのでしょう?」
「その通りじゃ」
「増大する羽茂本間の動きを止めるために。本願寺の意志をまとめあげるために。人柱となる為に」
「左様」
「だが、たとえ御坊を斬ったところで、一向宗は止まりはしませぬ。御坊の意志を継いだ第二第三の指導者が現れる」
「……」
「我らは戦えば必ず勝ちます。ですが殺しても殺しても立ち向かってくる意志を相手にするのは御免被ります。無用な戦は望みませぬ」
「ふむ。降参じゃ」
そう言うと老僧はニヤっと笑った。空気が変わった。
「なるほどのう。『弘法大師の生まれ変わり』なぞと豪語する不心得者の化けの皮を剥いでやろうと意気込んで来たが。剥がされたのは儂の方じゃったな」
やけに響く声で言葉を続けた。喉が潤ったせいか最初に聞いたダミ声はいずこへといった様子だ。
汚れた黒色の袈裟や横柄な態度は、全て俺を試し陥れようとする罠だった。横に座っている則秋は怒り心頭で、危うく実玄の術中に嵌りそうだったがな。実玄は真意を隠し、俺達を陥れようとしていたのだ。
目に見えるもの、耳に聞こえるものだけが真実ではない。俺はまた何かを手に入れたのかもしれない。
「本願寺の目指すところは、何ですかな?」
「民を安んじ、真宗(浄土真宗)の教えにより日ノ本に極楽浄土を築く為よ」
「なるほど、某の願いに似ておりますな」
「ほう、意外じゃな」
老僧は目をギロッと動かした。まだ俺を試している。
「照詮殿は、このままいけば天下を取り申そう」
「はは、これは嬉しいお言葉ですな」
「そこで、一つ問いたい」
「何でも」
「天下を取るのは、何の為ですかな?」
「民の為、世を変える為だ」
即答した。
この人を人と扱わない、血で血を洗う腐り切った世を変えてやる! これは俺の本願だ!
カコン
しばしの静寂。瞳は無限とも思える時間ぶつかり合う。
「……」
!?
突然! 目の前に座った皺だらけの老僧がはらはらと泣きだした!
そして深々と俺に向かって礼をした!
「どうなされた? 実玄殿?」
「試すようなことをして申し訳ありませぬ! 貴方様こそ、この日ノ本を救う御方! 我ら越中一向は貴方様に従います!!」
「…… 感謝致す。実玄殿」
老僧は年甲斐もなくオイオイと声をあげて泣き出した。俺との会談がそれほどまでに感動的だったのか?
「…… 好いた女子の為、豊かな食に溺れる為、金銀財宝に飽く為、更には信念なく自らの支配者の為に、世の支配を願う者は多く御座いまする。だが、貴方様は違いまする!」
「…… 人は弱い。俺とて権力を手にしたら十二分に注意せねばなるまい」
「しかし、貴方様は律することができましょう。我欲を」
「勘違いするなよ、俺は神でも仏でもない。好きな女子もおれば旨い食べ物も好きだ」
レンが好きだ。磯辺焼きが好きだ。他にも好きがたくさんある。我欲だらけだ。
「ほほ、ですがそれのみで動きますまい」
「…… だな」
俺が二度目の生を受けたのは理由がある。それを果たすことが本願だ。
老僧は目に溜まった涙をゴシゴシと指で洗い落とした。干からびた顔の皺に涙が染み込んでいく。本願の為に身を粉にして働いてきたのだろうか。袈裟もこれしか持っていないのかもしれん。
「御坊に聞こう。御坊が働きかければ、加賀や越前、京の一向宗も俺の味方になってくれるか?」
「…… それは難しゅうございます」
実玄は首を振った。
「我らは願いは同じにして別の集まりに御座います。それぞれの法主に従い、それぞれで動きます。一枚板ではございませぬ」
「そうか」
そう易々と一向宗全てを味方にすることは敵わぬか。
それもそうか。この時代の一向宗の僧は僧兵。そして十世法主の本願寺証如ともなれば大大名みたいなもんだ。本願寺実玄が大物だったとしても、証如自体を動かすことは難しかろう。
「…… ですが、働きかけましょう」
「ん?」
「『左近衛中将殿は、民を安んじる者。我らの本願を阻む仏敵ではない』ことを伝えまする」
これは大きい!
味方にならずとも敵対しないのであれば戦わなくてもいい。
下っ端が加賀から能登へ突っかけることもあるかもしれんが、各地の指導者が敵対しなくてよいと言うのであれば、大きな戦には繋がる可能性は低いだろう。
「恩に着るぞ、御坊!」
「何の何の。つきましては、先ほどの茶をもう一杯、いただけますかな?」
「うむ! 与四郎、今度は熱い茶だ! うんと熱い茶にせよ!」
「ははっ」
「はは、たくさん飲まれては困りますかな?」
「喉にいいかと思ってだ! まあ、ケチる意味でもあるがな!」
「これはこれは」
チリリッ カコン
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越中国の一向宗はこの日を境に動きを変えた。
刀を鍬に。槍を鎌に。
羽茂本間の法に従い、田を耕し、四公六民の税を守り始めたのだった。
羅漢果について
中国の桂林原産のウリ科の多年生つる草の一種です。栽培が難しく、現在も生のままの輸出は固く禁じられている貴重な果実です。日本へはエキスや乾燥したもののみが入ってきているそうです。生で食べたらどんな味がするのでしょうね?
喉に利く咳に利く便秘に利くと言われ、今なお珍重されています。某海洋ゲームでは澳門の特別交易品でした(*´▽`*)高く売れたなぁ
浅学菲才の身ではありますが、日々学びながら進んでおります。
これからも精進して参りたいと思います。
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※20:42追記
新たに多くの評価をいただきました\( 'ω')/ 感謝デス!




