第百三十七話 ~越中へ~
<天文十年(1541年)十月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城>
能登国を攻め取った後の十月。
越中国の調略を行っていた真田幸綱から報告が届いた。「越中国国主神保長職が降伏に応じる」とのことだった。
越中国の勢力図は、西部は国主の神保氏、東部は守護代の国人衆椎名氏に分かれている。国主神保長職は一向宗の強い影響力から版図を勝ち取ったことを誇り俺への投降を渋っていたが、俺が八月に畠山氏を名実共に能登国から追い払ったことが大きかった。
神保氏は四面楚歌だ。
東は俺への支持を明確にした椎名氏、西は一向宗に挟まれ、南の飛騨国には飛騨国守護代三木氏がいるが勢力は小さく支援は期待できない。北にある海を使おうにも湊を俺に抑え込まれて身動きを取れない。どうにもならず甲斐信濃の武田晴信に泣きついたが袖に振られたと聞く。悪いな、俺はもう甲斐の虎とは密約を結んでいるんだ。
神保家はあらゆる要素を鑑みた結果、もう無理だと悟ったのだろう。
降伏受託は来春三月と決めた。こっちにもあっちにも準備があるからな。
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実りの秋を迎えると共に俺は以前から企画していた第一回目の「佐渡収穫祭」を取り行った。開催の狙いは国力の増強と文化の質的向上、それと余興だ。殺伐とした戦国の世、楽しみの一つもないとな。
俺は少しは上達した書の部門と和歌の部門に自信作を出品した。しかし、どちらも箸にも棒にも掛からなかった。国主と言えども芸術の前では関係ない。公正な審美眼が発揮されていて嬉しいが、若干悔しい。いつか何かの部門で優勝してみたい。
第一回目の書の部門は、環塵叔父が酒を飲みながら書いた「拓」という大きな書が選ばれた。新たな歴史を拓く俺にとっても縁起のいい字だ。そしてその「拓」はそのまま酒の題字として使われるらしい。吞兵衛の叔父は大層喜んでいたな。
絵画の部門では先日渡来してきたM字ハゲのジョルジョっていうおっさんの『佐渡の海』の絵が、和歌の部門では元畠山義総である不無が詠んだ『亡国を悼む』が選ばれた。素人の俺でも分かるくらいで、正直レベルが違い過ぎた。芸術を志す者はこぞって両名へ弟子入りを志願していた。
余興である刀剣部門や槍部門、弓部門や鉄砲部門はそれぞれ上泉信綱、保科正俊、捧正義、ヤルノが順当に優勝した。弥太郎や水越宗勝なども腕を上げてきてはいるが、まだまだ及ばないようだ。
収穫祭で一番名誉のある「佐渡~松前間最速船会」では波乱が起きた。
優勝者は何と三田綱定という無名の若者だった。優勝候補の大本命だった佐渡水軍提督「鯨の新人」は竣工したばかりの最新鋭船「軽ガレオン」で挑んだが船の設計に不具合が発覚、さらに操船技術を大きく誤り進路を外して二位に終わっていた。
「ガレオン級」はまだこの世界のどこにも存在しないはずの船型だ。俺が構想を伝えるとイタリア出身の船大工棟梁イゴールはひっくり返って驚いた。キャラック船より船首と船尾が小さく、喫水が浅いため速度が出るのが特徴で戦闘艦にはもってこいだ。だが最新鋭過ぎて造船が難しく、新人ですら扱いに慣れるのに時間が掛かるほど操船技術が必要なようだ。
今はまだ船体の小さい軽ガレオンが精いっぱいだが、徐々に大型化を目指していくぞ。
「三田よ、お主はどこの生まれか?」
「はっ。某は山内上杉氏が家臣三田政定の庶子で御座います。主家没落に加え庶子というしがらみの薄さより諸国を巡っていたところ、佐渡水軍に拾って頂きましてございます」
「うむ、そうであったか。其方のような有能な者が佐渡に来てくれていることを心強く思うぞ」
「有難き幸せにございます」
三田綱定は大柄とは言えないが知性的な目をしていて、体つきも体操選手のように俊敏そうだ。
「三田よ。其方の乗っていた船は旧式のキャラック船。なぜに他の者の船より其方の船は早かったか教えてはくれぬか?」
「はっ。我が船においては指揮系統の訓練を重視することで一早く帆の張替え、微調整を可能にしております。さらに航行する海域の波、難所、風の強さと向きをあらかじめ詳しく調べておいたためにございます」
「うむ、素晴らしい! 優勝の賞金五百貫文(約五千万円)に加え、其方を新たに創設する第七艦隊の提督に命ずる! 励んでくれ!!」
「はっ!!」
「それと、名を綱定から舞也と改めよ」
「…… は、はあ?」
すまん、個人的な趣味だ。
佐渡水軍は既に六つの艦隊に分かれ、それぞれが切磋琢磨して腕を競っている。第一艦隊は俺が率いる直属艦隊、第二艦隊は新人が提督。三田が提督になれば七つだ。
来るべき大航海時代に向けて船舶技術、操船技術の向上は不断の努力を要する。毎年優勝者が変わるくらい盛り上がってほしい。
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<天文十一年(1542年)一月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 評定の間>
「新年、明けましておめでとう」
「「おめでとうございまする」」
新年を迎え俺は十二歳となった。
先ほど、評定の間では宇佐美定満、椎名則秋、山本勘助、上泉信綱の「羽茂本間四天王」に加え、環塵叔父や主だった諸将達と挨拶をした。
「殿、今後の大方針はいかがいたしましょうか?」
四天王筆頭の宇佐美定満が尋ねてきた。
「まずは、越中だな」
「おおっ!」
「ですな」
椎名則秋、山本勘助、上泉信綱らも頷く。佐渡に近い越中国は、我が羽茂本間家が攻め取った能登国と越後国を分断している。主な輸送手段が海路なのでそれほど困りはしないが、やはり地続きでないのは気持ちが悪い。
「神保家はいかがしましょうか?」
「俺と敵対したのだ。国替えは最低限だな」
敵対した者にそのまま土地を任せはしない。これは羽茂本間のスタンダードになりつつある。敵対が酷ければ取り潰しや一族族滅も厭わないが、まあ今回神保家はアホ晴景の声に応じたのみでこちらに兵を向けてはいない。これくらいの処遇でよかろう。
「不無不無、取り潰しはしないか」
「殿!? …… この不無という僧、まさか先の能登国国主畠山義総殿では!?」
「お、定満。知っておるか?」
「…… 十年ほど前、諸国を巡った際に一度だけお会いしたことがあります。まさかここで再びお会いできようとは」
「当時は上条家の家臣の駿河守であったな。儂があの時、定満殿へ『能登に来ぬか』と言ったが断わられたのを覚えておる。今や定満殿は出羽国を統べる羽茂本間の重臣中の重臣。不無不無、儂の目に狂いはなかったか」
「…… 恐縮にございます」
なるほど、二人には縁があったんだな。俺より先に定満に声をかけるとは流石は不無よ。
定満が能登に行っていたとしたら、能登はより強固だっただろう。もっとも、義理難い焙烙頭巾のことだ、首を縦に振りはしなかったろうがな。
「殿、越中国国主神保長職からの降伏を受け入れる条件は『寛大なご処置を』と『一向宗への裁きを』の二点のみに御座います」
「ご苦労だった、真田幸綱」
「ははっ!」
頭の大きな幸綱が長い顎髭を床に付けるようにして礼をした。
幸綱には子どもが既にいるが、先月また生まれたと聞く。確か子も孫も非常に能力が高かったはずだし、真田幸村と言えば戦国後期の超絶武将だ。本当なら越中国を任せようと思っていたが、「まだ荷が重う御座います」と丁寧に断られた。配下になって月日が経っていないから国一つ任せるのはさすがに厳しいか。
「神保家は能登国と加賀国の境、羽咋郡末森城の守りにつかせる」
「加賀の一向宗と対峙させる訳ですな」
「そう、最前線だ。越中国とも近く、移動の労力はそれほどでもなかろう」
「不無不無、あそこは本来は豊かな地。神保殿の手腕を試すには絶好の地であるな」
不無や他の者も賛同した。
降伏した後は最前線。神保家にとっては試練だが、こちらも支援はするから頑張ってほしいな。
「して、越中国の抑えはどなたに?」
「お前だ、則秋」
「な!? 何と!?!」
六尺の巨漢、椎名則秋が白目を剥いた。
「そ、某は陸奥国耶麻郡(喜多方市、猪苗代町周辺)、大沼郡、会津郡の抑えに入っておりますが……?」
「そこには真田家を入れる」
「おおっ! 有難き幸せにございます!!」
真田幸綱が再び礼をした。仲のいい保科正俊と共に山内上杉家、宇都宮家との最前線で活躍してもらおう。真田家にはガンガンと働いてもらいたい、それには前線がよかろう。
「と、殿。某の陸奥国統治、不味かったでしょうか?」
「逆だ、逆。則秋、お主の統治が見事すぎて、領民が皆喜んでおったわ」
「おお!」
「お主の手腕を、より大きい越中国で発揮してもらいたいと思ってな」
「ははっ!!!」
旧蘆名家の者達は則秋の統治を受け入れ、すっかり安定したと聞く。則秋は俺が不在にしていた時にも、佐渡の留守をしっかりとまとめあげる力があった。その力を生かさない理由はない。
「それに、越中はお主の生まれ故郷じゃろう?」
「…… いかにも」
「これまでよく俺を支えてきてくれた。一族の椎名康胤と力を合わせ、越中をより富ませてくれ!」
「も、もったいのう御座います!! 日戸市にて生き恥を晒していたことが嘘のようで御座います!!!」
「…… これからも頼むぞ、則秋」
「はっ!!」
巨漢が額を床に擦り付ける。「ううっ、ううっ」とすすり泣く声が聞こえる。
則秋がかつて息子を救う為に泥水に額を擦り付けたことを思い出した。則秋のすすり泣く姿を見て俺も泣けてきた。苦労してきたもんな、俺達。
「殿、感傷に浸ることを止めはしませぬが、その先のことについてお教えいただけませぬか?」
「越中国を統治した後は、いずこへ?!」
「加賀、越前を潰して、京へと攻め上りますか!?」
「武田家と共に、勢いある北条家へ今のうちに攻め入りますか?」
「山内上杉家は? 宇都宮家は?!」
矢継ぎ早に質問が飛んできた。そうだな、俺の方針が大事だ。
「皆に伝えるぞ。越中国を手に入れた後は……」
!?
その後の一同の顔は、写真に収めたいくらいだった。
度肝を抜かれたように驚いていたぞ。
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<天文十一年(1542年)三月 越中国 射水郡 富山城 城内>
「うう、緊張いたします……」
「何を言うか。『越中国国主』となる主役のお主がたじろいでいてどうする?」
「は、はぁ」
磨き抜かれた鎧兜に家紋である「蔦」の旗印を従えた椎名則秋は、並んで進む俺の横で滅多になく気弱になっていた。
そこへ越中国東部を束ねてきた越中国守護代松倉城城主椎名康胤がカラカラと笑って言った。
「そうですぞ、伯父御! 伯父御は我が椎名家にとっての誉れです! 胸を張ってくださりませ!」
「う、うむ。康胤、儂について来るのじゃ」
「ははっ!!」
北日本を制した羽茂本間家において、ここにいる椎名則秋の名は「忠義一徹の巨漢」「名臣」「能臣」と鳴り響きつつある。今や押しも押されぬ羽茂本間四天王の一人だ。俺からの信頼が非常に厚いことから、椎名家は則秋を当主に据えた。則秋を前面に押し出し、一族の隆盛をアピールするねらいか。
この椎名康胤は年が若く多少軽そうな感じの男だが、則秋の片腕になる感じは見られる。まぁ、任せてもよかろうか。
「もうすぐ富山城の評定の間で御座います」
「そうか」
「城の内部の者共は武装を解いております。怪しい者はおりませぬ」
「仕掛けも全て調べ終えてありまさぁ。大丈夫ですぜ」
『剣聖』上泉信綱と『狂狼の牙』白狼の報告を聞いて安心した。見知らぬ城に入るのだ、備えに備えを重ねた方がいい。臆病者と詰られようが、安心には代えられない。最後に立っていた者が勝者だ。
季節は春。鶯の美しい鳴き声が聞こえる。
城の作りは質素にして玲瓏。柱からは新築の如き香りが漂う。それもそのはず、城主神保長職がこの地を平定した後に家臣の水越勝重に命じて急ピッチで作らせた城だ。本来ならこの城を本拠として越中国の支配を続けるつもりだったのだろうな。
評定の間に着くと、その男達はいた。
「…… 神保長職で御座います」
「水越勝重に御座います」
両者共に平伏し、白装束だった。
佐渡から柿と酒が届きました(*´ω`)
御礼の電話をすると「コロナでなかなか売れなくて大変だっちゃ」とのことでした。
早く落ち着いた日常に戻るといいなと思っております。
越中国は当時、作中のように神保家と椎名家が一向宗や長尾家と争っていたようです。「盤若野の戦い」において長尾為景の父能景が戦死したように越後と越中のいざこざは大きく、為景の子上杉謙信が援助する椎名氏と共に幾度となく越中の神保家、さらに能登の畠山家へと攻め入っています。
ですが、不思議と神保は簡単に滅亡しない。
そこには「仇敵武田信玄のバックアップがあった」という記録が残っています。
川中島の戦いを続ける両家は仇敵。上杉謙信が越中国を簡単に手に入れられないよう、武田信玄が裏から手を回し金を出していたという記述はなるほどなと思う所であります。武田・上杉の代理戦争だったのですね。今回は先に手を打っていたのでそうはなりませんでした(´∀`*)ウフフ
さて、越中騒乱は次回に続きます。




