第百三十六話 ~粥~
<天文十年(1541年)八月 能登国 能登郡 七尾城 城内>
俺の前に現れた二つの輿。
飢餓状態の城内にこのように丸々と太った人と猿。城主とその飼い猿に違いない。
「これはこれは。従五位下畠山左衛門佐義続様でしょうか」
俺は苛々していた。その余分な脂肪の塊を将兵に分ければ助かる命もあったろうに。それにその猿は何だ? 輿の上からこちらを睨み続けている。たかが猿だぞ?
百貫デブはゆっくりと頷いた。義続なのは間違いないようだ。
しかしどこか癪に障ったようだ。義続は『従五位下』、俺は『従四位下」で俺の方が位階が上。あぁ、そういうことか。つまらんことを気にする奴だな。
「ほっほ、位階は確かに本間殿の方が上。ですが儂は桓武平氏秩父氏流の能登畠山家八代目。家格というものが違いますぞ」
「……」
「それと、大将たるもの、もっと美しい姿をせねばなりませんぞ。そのような粗野な姿は惨めですぞ?」
お前! ふざけんなよ!?
生き死にの瀬戸際だった七尾城を助けたんだぞ? 助けてもらったらまずは『ありがとう』だろ?! どんだけ腐ってんだ?
俺はこのブタ野郎を見て決意した。悪どい計画を進めさせてもらう。
「流石は名門畠山氏の御嫡流ですな。感服致しました」
「ほほ。素直でよろしいの」
ブタは満足そうに頷いた。巨体が揺れて輿を持つものが顔を歪めた。
「逆賊から畠山を救う。これでお主は臣下としての役目を果たせたであろう? もうよいぞ、下がってよいぞ」
「いえいえ、とんでもないことでございます」
「ぬっ?」
「まだ能登国は駿河や九郎の残党どもが跳梁跋扈し落ち着きませぬ。わたくしめがそれを平らげるまで、左衛門佐様におかれましては、少しだけ北にある上ノ国というところでお待ちいただけませぬか?」
「ほほう、『神之国』に通ずる縁起の良さそうな地名じゃな」
「海が近く、自然豊かで、夏は涼しい、眺めのよい場所でございます」
「ほほ、素晴らしい! そこへ行くとするぞ!」
「つきましては手続き上のことでございますが、幕府の将軍様へ『しばらく能登を本間に任せる』と一筆書いて頂けますればと愚慮いたします。能登平定への弾みがつきますから」
「ふむ…… まあよいか。早く平定するのじゃぞ?」
そう言うとブタ野郎はさらさらと幕府へ「羽茂本間には世話になった」「しばらく能登を羽茂本間に任せる」「しばらくは上ノ国で静養する」との念書を認めた。はい、ありがとうございます。
「大切に保管させていただきまする。 ……それと、最後に一つだけ質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
「なんじゃ? まだあるのか? 儂ははようかえって砂糖を舐めたいのじゃぞ」
「そちらのご立派な猿は?」
「これ! 無礼者め! 『御霊猿様』とお呼びせぬか!」
ブタは唾を飛ばした。汚いな。
ブタ野郎はクソ猿を手元に招き入れて喋り出した。
「恐れ多くも…… 幕府の…… そして… 霊山から…… 贈り物で…… 護国の…… 元々は…… やんごとなき…… さらに……」
早口でこのサルがどんなに凄いか素晴らしいかをまくしたてた。はいはい、幕府からの贈り物ね。面倒だからほとんど聞き流したわ。
クソ猿は付近の者が涙を流しながら飲み込んでいる粥の入った椀の匂いを嗅いだ。そして「キィ!」と吠えてひっくり返した。どんだけだ。
「あーはい。もういいわ」
茶番は終わりだ。俺は愛刀「宗三左文字」を引き抜いた。気配を察した巨体の猿は俺に向かって吠えた。
「キーッ」
ズバッ!!
剣聖様に稽古をつけてもらって腕が上がった。俺は牙を剥いた御霊猿様を一刀の元に斬り捨てた!
クソ猿が臭く汚い塊と化し、輿を持っていた者たちが歓喜の表情を浮かべた。嬉しいだろうな。
「なっ?! お主無礼な!」
「いいか、ブタ野郎! 一度しか言わないから、その空っぽの頭に叩き込め」
「あがッ!?」
「貴様がこれから行く上ノ国は厳しい蝦夷だ。冬は鼻毛も凍ることを覚悟しろ!」
上ノ国は元蠣崎一族が本拠地にしていた勝山館付近のことだ。北海道の中では温暖なところだが『試される大地』であることは間違いない。
「お、お主! 嘘をついたな?! 」
「いや何も? 夏は涼しい、海が近い、正しいことしか言ってない」
メリットだけ言ってデメリットを聞かない奴が悪い。お前が愚かなだけよ。
「少しだけ北」という表現も、地球規模で見れば微々たる距離だ。
「お前の誇るその家格とやらが、北の大地で通用するか試してこい!!」
「ぐぬっ?! 我が畠山を救うと信じておったのに!」
「違うッ! 俺は一度も『畠山を救う』とは言ってない!」
「へっ?」
「俺が約束したことは『能登を救うこと』だ! 『畠山』ではない!!」
「あ…… も…… ブーッ!!」
ブタ野郎はその後暴れまわってたが、持久力も筋力もないためすぐに動けなくなった。一族と共にしょっぴかれて船で上ノ国まで直行だ。頑張れよ、しっかり働けば生き延びれよう。
カサリ
足音が聞こえた。
振り返り見れば、一人の壮年の僧がそこにいた。竹筒を杖替わりにして立ち、頬はこけ、着ている袈裟はボロボロだ。
「もし、そこなる佐渡の御仁。宜しければ拙僧にも粥を一杯、いただけませぬか?」
「…… 勿論です。畠山義総殿」
!?
「…… いつ気付いた?」
「先ほど」
「何故!?」
「汚れているものの袈裟は上物の絹。竹筒なはずなのに鉄が入ったように重さがある。そして声の張りと瞳の力強さ。一目見れば、只者ではないことは分かります」
先代の能登国国主、能登畠山七代目当主、芸術に長け、七尾城を築き、能登国の全盛期を創出した名君。俺が能登で最も恐れた男、畠山義総がそこにいた。
「…… ふふ。せめてこの『吉岡一文字』で一太刀と思うたが、到底届かなんだな」
そう言うと義総は竹筒を倒した。
カラン
音がして、中から輝き光る刀剣が見えた。仕込み杖だった。
「さて、冥途へと旅立つか。頼むぞ、若き『蝶』よ」
「…… 蝶とは?」
「『黒灰白蝶』であろう? お主が考えておることは」
……今度は俺が尋ねる番だ。
『黒灰白蝶』の策略は、俺を含め僅かな者しか知らない秘匿中の秘だ。
「…… どこから洩れましたかな?」
「いや、どこからも洩れてはおらんよ。儂が気づいただけよ、お主が利を集め羽ばたこうとしておることにな」
「…… 神才ですな。流石は能登国きっての名君」
「はは、今は何もないただの坊主頭じゃよ」
そう言うと義総は五厘刈りのような頭を撫で回した。
「その神才の御方が、何故にあのような者を世継ぎにしたのか不思議でなりませぬな」
「…… 若き蝶は、血の繋がりというものを知らぬか?」
「いえ、存じております」
「義続の母は公家の勧修寺家の娘で正室。他の子は早くに亡くなった為にあ奴しかおらなんだ。面倒をかけたな」
「なるほど」
義総に他に男子がいなかったのは知っていたが、そうか、息子の無能さには気づいていたのか。養子をとるにも名門家出身の正室が生んだ嫡男を排除する、という選択肢には至らなかったということか。
「若き蝶よ。お主のやり方を続ければ、嫌でも幕府とぶつかろう。それでよいのか?」
「元より承知の上です」
「そうか、ならばよい。 ……能登国を救って頂き感謝致す」
そう言うと義総は袈裟の袖の下をまさぐった。短刀か毒でも入っているのだろうか。
俺は咄嗟に声が出た。こいつは惜しい男だ。
「俺から頼みがある!」
「? 何じゃ?」
「正直に言おう。能登国は俺が目指す狙いの土台にもならぬ小さなところだ。それ以上のことを俺は求めている!」
「ほほ。儂が生涯をかけて守ろうとしてきたこの能登を『小さい』、か。大した小僧じゃわ」
義総は袖口から手を離さない。いつでも現世との縁を切る覚悟が垣間見える。
「だが知恵者が足らぬ!」
「むっ?」
「芸術を理解し、幕府や朝廷に顔が利き、そして七尾城のような名城を築き、俺の狙いに気付くことができるくらいの知恵者が欲しい」
「…… 儂は『敵』じゃぞ?」
「『敵だった』と俺は見ている」
俺は義総の目を正面からじっと見る。あちらも俺の瞳を見つめ返す。
「…… 能登を喰らい、七尾城を喰らい、さらに儂まで欲するか」
「俺は強欲なんでな」
「能登畠山はどうなる?」
「さぁ? 努力すれば生き延びましょう。それに義総殿の娘御が六角義賢殿に嫁いでおられるはず。血は続きましょう」
「ふふ、食えぬ男じゃ」
義総の口元が少し緩んだ。
能登畠山氏の存続は難しいだろう。だが名門六角家に嫁いだ娘は子を産み、義総の血は後世へと残るはずだ。
「ふむ、儂はもう畠山の家にも能登国にも未練はない。だが、茶器や美術、和歌など芸術への未練は残っておる。お主が儂に芸術の道を堪能させてくれるのであれば、仕えようかの」
「よろしいでしょう。佐渡には呂宋壺など多数揃っておりますから」
「おう! それは!!」
義総は袖口から手を下した。
血は消えても和歌は千年残る。芸術は永遠に残る。義総は元々当世きっての知識人だからそちらに集中すれば世に残る作品をいくつも残すであろう。
「では改めて頼む。俺は羽茂本間照詮だ。」
「儂は畠山義総…… いや。『総』なぞおこがましいな、何もない抜け殻の儂には。『無』じゃ、『不無』とでも名乗ろうか」
「『不無』か。悪くないではないか」
「不無不無。では、主従の誓いとして、粥を頂けますかな?」
「喜んで」
俺は畠山義総、いや「不無」に粥を椀に掬って手渡した。俺も弥太郎に椀をもらった。
餓死寸前の者達が急に栄養を取り過ぎて死なぬよう、少しの煮干しで出汁を取っただけの水のように薄い粥だ。
だが今の俺にはその粥が、何よりも美味しく感じられた。
サブタイトルを「不無」から「粥」に変更いたしました。
自分で何度も何度も読み返して直しているのですが、まだまだ推敲が足りませんでした(*´Д`*)ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。よろしくお願いいたします。
能登国制圧。
次なる目標へ……




