第百三十三話 ~青の洞窟~
<天文十年(1541年)四月 佐渡国 羽茂郡 小木~宿根木>
俺達が目指す「竜王洞」は佐渡国南西部小木の港から船でしばらく行った先にある、らしい。らしいというのは、前世の俺も噂は聞いていたが行ったことはなかった為だ。琴浦洞窟の一部に有名なイタリアの洞窟のように美しい場所があると。
「親分、もう少し先でさぁ」
「そうか」
佐渡水軍の『鯨の新人』が船頭役を務め、俺は少数の供と共に船旅を進めている。季節は新緑の春。潮風の冷たさは次第に温かさを帯びてきた。戦乱に明け暮れる毎日だが、今日一日くらいは休んでも構わんだろう。
「おお、あれは『龍王丸』じゃ!」
「なれば、照詮様が乗ってらっしゃるか!?」
「おおぃーい!! おぉおおーーい!!」
朝の漁を終えたであろう漁師たちが俺達の船を見つけると、嬉しそうに両手を振ってきた。俺は綾や弥太郎らと共に手を振り返す。漁師たちは皆、俺達の船が見えなくなるまで手を振ってくれた。安定した仕事がきていることを喜んでいるのだろうか。
小木から宿根木までの僅かな間だが、小比叡で作った塩を運ぶジャンク船や多くの漁船と何度も行き交った。そして皆、先ほどの漁師たちと同様に両手を振ってくれた。俺はその様子を見て心がとても休まる気がした。
佐渡は今や日ノ本一と言えるほどに安定している。
島国という攻められ難さに加えて周辺国まで支配している充実した戦力、国仲平野の稲作と北や南から集まる物の豊かさ、さらに四公六民という税率の低さと治安の良さ。住みやすさは他の国の追随を許さない。
戦乱の世に疲れた人々は安定を求めて次々と直江津や新潟津から佐渡国へ渡ってきている。漁師や農民、浪人は勿論のこと、鍛冶屋、船大工、山師など技術を持つ者も大勢渡ってきている。その為多様な文化が流入し、羽茂の町は「北の京」と呼ばれるほどまで賑やかになってきている。
俺の目指す国づくりの完成形の片鱗が今の佐渡にはある。
これを広げる。北日本を、日ノ本を、世界を。多分それが俺の……
「親分、着きやしたぜ」
「おお、あれか!?」
新人が指さす方向に岩肌と緑が続く海岸の先に、奥深い洞窟の大きな入口が見えた。
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<天文十年(1541年)四月 佐渡国 羽茂郡 宿根木 琴浦洞窟>
「綾、暗いから気を付けて歩けよ」
「は、はい」
濡れて滑りやすい洞窟内を二人でゆっくりと進む。俺は綾の手を引きながら琴浦洞窟の中を歩く。
新人や護衛の弥太郎達は遠くから俺達を見守っている。野暮はしたくないということかな。
「殿……」
「なんだ?」
「その、ここに『龍』は、いるのですか?」
「ははは! 何を言い出すかと思えば!」
「……だって、こんなに大きな洞窟ですもの」
確かに琴浦洞窟は大きい。龍が潜んでいてもなんら不思議ではない。
そもそも大地にこのような大穴を空けるには、人の手ならば百年以上の年月が必要であろう。
「『海食洞』と言ってな、潮の満ち引きにより削れたのじゃ。龍なぞおらん」
「殿は何でも知っているのですね」
そう言うとまた綾は寂し気な表情を見せた。
そろそろいいだろうか。俺は綾の気持ちを尋ねることにした。
「綾、何を心配しておる?」
「……」
「長尾家を打ち破った儂が、怖いか?」
「……いえ」
綾は首を横に振る。そして、その美しい唇からか細い声を振り絞った。
「ただ……」
「ただ?」
「…… 寂しいのです」
「寂しい、か」
「綾は佐渡へ嫁ぎました、綾の帰る場所はここです。ただ、もう一つあった帰る場所がなくなった寂しさを感じております」
実家がなくなったのだ。それも越後国を束ねる大きな一族だ。
覚悟していたとはいえ、後ろ盾を失った感じだろう。
「そして、綾は『長尾家』という肩書を失いました」
「……」
「殿に綾を大事にする理由はなくなりました……」
綾は肩がフルフルと小刻みに震える。何人もいる側室の一人にしか過ぎなくなった綾は、寵愛される理由が薄らいだと思っているようだ。
「レン様を始め、ノンノ様、サチ様と、殿の近くには多くの素敵な方がいます。レン様のお父様は殿の側近、ノンノ様は異国の姫、サチ様は越後屋という大きなお店の愛娘です。でも、綾は、綾には何もありませぬ……」
「綾……」
「あああっ、ああああああああっ!!」
琴浦の暗い洞窟に綾の悲痛な泣き声が響く。岩々にその声が反響し、その悲しみが何倍にも増して聞こえる。
「綾は! 綾は殿の役に立ちとうございます! 殿の為ならここに住む龍に喰ろうてもらいとうございます!!」
泣き崩れる綾。
美しい容姿、俺より年上、しっかりした姉のような存在。
だが実際は一人の心細い娘なのだ。
俺は泣きじゃくりうずくまる綾の手を取り、静かに立たせた。
「殿……」
「綾、お主は儂の役に立っておるぞ?」
「えっ?」
意外そうな声をあげる綾。両の手はまだ震えているが、確実に収まってきている。
俺は綾と呼吸を合わせ、落ち着かせるように静かに話した。
「越後はまだ不安定じゃ。長尾の本家は無くなったが、長尾家を心の拠り所にしている者は未だに多い。儂が今、いくら努力してもそなたの父長尾為景の勇名には遠く及ばぬ」
「……」
「故にその長尾為景の娘のお主が儂の傍にいるということは、越後の民にとって心強いことなのじゃ」
「私の存在が、越後の民にとって、心強い……?」
「そうだ」
ぱちくりと瞳を瞬きする綾。大きく澄んだ瞳が美しい。
「越後の守りに、長尾の血が残っていることの、な」
「私の中の、血……」
綾は不思議そうに自分の手首を見た。手を繋いでいるから分かる。綾の身体の中に、長年越後を守ってきた長尾の血がドクン、ドクンと脈打っていることを。俺は意味のない血筋は信じないが、本当に力のある繋がりは信じる。
「それに、そなたの存在は『本当の龍』を押さえることに繋がっておる」
「え?! 『本当の龍』?」
「虎千代、いや、上杉謙信のことだ」
「まさか。あの子にそんな才覚があるとは思えません」
「いや。あ奴こそ正真正銘の龍だ、恐ろしい才覚を秘めている。其方がいなければ、この先どう転ぶか分からん」
あ奴が俺を殺すと思えば、本当に殺されるかもしれん。それくらいの力があると感じる。「戦国時代最強」と呼ばれる者の力を。
「ふふ、話半分ほどに聞いておきますわ」
綾はようやく口元を緩ませた。吸い込まれそうになるほどふっくらとした唇だ。俺は抑えがたい衝動に駆られた。
「それと、これは本当の話なんじゃが」
「え?! 何でしょう!?」
「…… ここに龍がいたらと思うと怖くてな。そなたが共にいてくれないと来れなかったのじゃ」
「ふ、ふふっ」
綾の大きく見開いた瞳、強張った両手から力が抜けていくことを感じる。
「儂はそなたを大事にすると言った。そなたの聡明さ、思慮深さは儂にとって欠かすことができん」
「…… 嬉しい」
「それと儂はそなたを好いておる」
「…… それは、私もです」
フッ
その時、なぜか灯りが消えた。先導の新人が気を利かしたのか、それとも本当の龍が吹き消したのか分からない。
だが、それは俺達にとってとても都合がよかった。
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琴浦洞窟を抜けた先に、「竜王洞」と呼ばれる「青の洞窟」が俺達を待っていた。
日の光が静かな海に差し込むと、深く美しい青く澄んだ海が広がっていた。その透明度は海の底がくっきりと透けて見えるほどだった。
絶景だ。
まるで、大自然の美しさがここに凝縮されたようだ。
傍らの綾はずっと俺と手を繋いで恥ずかしそうに俯いている。心の憂いは晴れたようだ。
佐渡の風が俺を包み込んでくれる。俺は束の間の休息を心ゆくまで楽しむことにした。
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている有名な佐渡南西部の観光地「宿根木」。今なお昔ながらの町並み、小木民俗博物館などの歴史的価値のあるものがいくつもあります。
イタリアのカプリ島で有名な「青の洞窟」のような青色が見える洞窟として、琴浦洞窟「竜王洞」は最近人気スポットになっているそうです。画像や動画サイトでその概要を感じることができますが、是非行ってその美しさを生で味わいたい場所の一つです。




