第百二十六話 ~醜い嘘~
<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 春日山城 城主の間>
(夜が明けた。今日はいい一日になりそうだ)
越後国守護代、従五位下長尾信濃守晴景は上機嫌だった。
昨晩、弟の景虎が尊師様の下へ「教えを請い」に行った。事が決まると尊師様は大いにお喜びになり、「長尾家への更なる支援を約束する」と言ってくださった。幕府の御威光は何よりも優る。佐渡を切り取った暁には、そっくりそのまま幕府に寄進しよう。貧しい土地であるが無いよりはましであろう。
さらに、面倒に思っていた中条藤資、北条高広の両名の処分もできた。
昨晩、大きな音が響いた。佐渡の小僧が使っているという「鉄砲」とかいう虚仮脅しであろう。弓矢にも劣る武器を使っておるのが理解できん。弓矢であれば静かに狙い撃てるものを、あのような大きな音を出しては敵に守る余地を与えるという簡単なことも分からんとはな。
両名とも、父の代までは一応は幅を利かせた武士じゃ。羽茂本間軍と渡り合い、憤死しつつも大きな被害を与えたことであろう。不要な者共をぶつけ合い、数を減らす。これは「一石二鳥」という喩えにぴったりじゃ。よし、これを評定の間で皆に教えてやるとしよう。きっと皆、儂の思慮深さに驚き恐れ慄くに違いない。
(咳も止まっておる。いい兆候じゃ。比叡山に伝わるという秘薬の効き目は素晴らしいのう)
病弱な身体が憎い。
だがそれも秘薬の御蔭で治りかけておる。値は張るが効果は覿面じゃ。もっと早く知っておけばよかった。
儂の体が治れば、それは越後国にとって、いや! 日ノ本にとって極めて良いことじゃ!
…… 蒲原郡へ進軍しておられる上条様の軍は、今頃揚北衆の分からず屋共を屠ってなさるに違いない。父為景の為しえなかった越後国統一は、もう目の前じゃ。
(父は手温かった。知恵が足りなかった。命も尽きようとしていた。だから儂が当主になった。何も問題はない)
「殿。評定の刻に御座ります」
小姓が呼んだ。もうそんな時間か。楽しみを待つ時間は早く過ぎるものじゃな。
「うむ」
生やし始めた髭をなぞる。当主たる威厳、風格が身に付いてきたな。
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<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 春日山城 評定の間>
長尾晴景は上機嫌のまま評定の間に入った。
平伏して儂を出迎える一同。うむ、心地よい。
「皆の者、面を上げよ」
当主らしく威厳ある声を出す。声は小さいが分かる者には響く声。ここに集まっている者達はそれが分かる、心の優れた者達じゃ。
「…… ん?」
どうも皆、表情が硬い。いかがしたのか?
評定を進めるはずの家老直江大和守実綱はと見れば、顔は青ざめ、額に汗、体は小刻みに震えておる。風邪でもひいたか? 自らの体調すら管理できぬとは、情けのない奴じゃ。
「これ、大和守。お主が黙っていては、評定が進まぬぞ?」
「…… はっ …… ははっ …… 」
「ぬ?」
「…… そのっ …… ですが…… 」
煮え切らぬやつじゃ。こやつも用済みかのう。
「殿!!」
「ぬ、新津景資とか言ったか? なんじゃ? 」
「一大事に御座ります!!」
血相を変えて景資が怒鳴る。何を言っておるのだこ奴は?
「景資殿。何を言おうとしておられるのですかな?」
「我が長尾家は順風満帆。些少のことなぞ報告する必要はござらぬ!」
「イヒヒ、左様左様」
武川脛雄、香取義和、杉原晴俊の三名が、しゃしゃり出てきた新津景資を諫めた。うむ、その通り。この者達こそ、新しき長尾家に欠かせぬ正しき心をもった名臣じゃ。
「殿!! 昨夜、弟君の長尾景虎様が『羽茂本間家へ寝返りました』!!」
「…… はは、何を言う。景虎は儂の弟。尊師殿の教えを受け、さらに夜襲をかけたであろう?」
「いえ!! しかも中条藤資殿! 北条高広殿! 牢に繋いでいた越後屋蔵田五郎佐なども連れての出奔に御座ります!!」
「はは …… 何を …… 」
「戯言を」と言おうとしたが、場の雰囲気がおかしい。皆、無言じゃ。
…… まさか、本当なのか?!
…… 胸が、胸が苦しい!
「さらに、幕府からの使者正覚坊重盛殿が、何者かに斬殺された模様に御座います!!」
ゴ、ゴハッ!! ゴホッ!!
お、おのれ!!
このような戯言を春日山城の評定の間で抜かすとは!! 許さん!!
「…… せっ!」
「はっ! 承知仕りました!!」
「新津殿! 参られい!!」
「と、殿!! 真実に目を向けてくださ、ゴフッ!! 殿! ゴアアアアッ!!」
咳が止まらぬ! 苛々する!!
嘘じゃ! 先ほどの新津なんとかの言葉は全て「嘘」じゃ!!
「グ…… だ、だれか…… 真実を、述べ、よ…… 」
ゴホッ!! ゴホッゴホッ!
咳が止まらぬ! 苛々が止まらぬ!!
「はっ! 先ほどのことは全て戯言! 景虎様は戦果を挙げて戻られております! 中条、北条の両名は討ち死にでござる!」
「しょ、正覚坊様は、き、気分が優れずに、秘の間にて静養中に御座ります!」
心地良い声が聞こえる。
「そうじゃ、そのまま続けよ……」
「じょ、上条様の軍は、か、蒲原郡にて! て、敵軍と激突! 多大な損害を受け…… いやっ! 損害は極めて軽微!! 敵軍を、し、し、退けました!!」
「イヒヒ、佐渡国内の手の者、順調に手を伸ばしております。明日には必ず蜂起するとのことにございます」
「相馬家当主、相馬讃岐守顕胤様! 敵軍、陸奥国の山本勘助と戦い…… だ、だ、大勝利に御座ります!!」
「下野国の宇都宮尚綱様! 我らの求めに応じ…… 」
ありもしない戦果、嘘塗れの報告、忠義という名の欺瞞。
長尾家は着実に滅びへの道を一歩、また一歩と進んでいた。
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<天文十年(1541年)二月 越後国 蒲原郡 新発田城 評定の間>
…… 「嘘」じゃ!!!
荒縄で縛られた、名門越後上杉家一族の上条定憲。自慢の顎鬚を撫でることもできぬまま、為す術なく引き立てられていた。
猛将の柿崎景家、さらに上田長尾家から当主房長と嫡男政景を率いて五千ほどの兵を率いて威風堂々と進軍していたはず、だった。
だが、兵站のことを全く考えていなかった。
「輜重隊なぞ弱者が率いるもの」との当主晴景からの言葉を守り、兵糧の量は必要数を明らかに下回り、予備の槍や弓矢、防具、必要な軍事物資を運ぶ部隊は作られなかった。仕方がないため道中の町や村で取り立てを続けていくと、次第に行く先々は無人の町や村だらけとなった。
作戦も極めて稚拙だった。
先々を調べる斥候を出さず、「我らこそが支配者」とばかりに、無闇屋鱈と正面を進むだけ。敵軍がどのような陣立て、兵力、装備、士気でいるのか、土地の特徴や天気、気候などをまるで知らない軍。智将が率いる軍は、これを容易く撃退せしめた。
「縄を解け! 儂を誰だと思うておる!!」
そこへ、奥の間から次々と名のある武士達が鎧姿で入ってきた。
出羽国国人衆の寒河江広種、砂越氏維、清水義高。揚北衆の新発田綱貞、加地春綱、黒川清実、竹俣昌綱。
そして最後に入ってきたのは、焙烙頭巾を被った壮年の男、羽茂本間左近衛中将照詮から絶大な信頼を受けて出羽国の全権を委ねられている、羽茂本間四天王筆頭宇佐美出羽守定満であった。
「出羽守様。間違いござりませぬか?」
畏まって尋ねる寒河江広種の問いを受け、宇佐美定満は顎鬚の男を一瞥した。遠い過去に何故か全力で忠誠を尽くし、そして塵屑のように自分を捨てた元主君に間違いなかった。
「間違いない。上条定憲じゃ」
定満は、喜びとも悲しみとも違う、何とも言えぬ顔をして言った。安堵でも怒りでもない。強いて言えば、過去の自分を哀れ見るような表情だった。
それを聞いた城主の間の皆は歓喜した!
「いよぉぉぉおおし!!!」
「敵軍大将、捕らえたり!!」
「見たか! 長尾軍め!」
上条軍五千の兵は、圧倒的堅固に改築された新潟城、しかも佐渡砲や佐渡銃で針鼠のように武装された新潟城へ「力押し」をした。結果は五千の兵が一千を切るほどの敗北。しかも、相手の門を一つも落とせぬ超絶的な大敗北だった。
その後、討って出た宇佐美定満率いる出羽・揚北連合軍。巨人が蟻をぷちぷちと踏みつぶすが如く、逃げる長尾家の兵を薙ぎ倒していった。
「力攻めに加わった柿崎景家には全身十数か所に手傷を負わせ、昏倒したところを捕えてあります」
「そうか、大義であった」
定満にとって柿崎景家は、三分一原の戦いにおいて家臣を討ち取られ自分自身も傷をつけられた宿敵であった。多少、心に思う所はある。だが主君の命のため、ひとまず手当をして身柄を押さえてあった。
「何が『大義であった』じゃ!! 定満ごときがっ! 偉そうにッ!!」
口汚く罵った名門越後上杉一族の上条定憲。口に含んだ唾を、かつて配下だった敵軍大将に向けてペッと飛ばした。
「卑怯者めっ! 正面から戦わず、城に立て籠もりおって! 儂がお主にかけてやった恩を忘れおって!!」
「出羽守様……」
心配する新発田綱貞。彼はかつて軍議において宇佐美定満を貶したことがあった。今では立場は逆転し、初めは「運とは分からぬものだ」と思っていた。だが、出羽国の国人衆と精強な軍勢を手足のように使いこなし、さらに的確な戦略で敵軍を全く寄せ付けなかった定満の手腕は筆舌に尽くし難いほどに見事だった。「自分こそが間違っていた」ということを痛烈に感じさせられ、厚い唇をへの字に曲げていた。
「そうだな、何故であろうな。お主のような小物を主君と崇めていた自分が、今でも分からん」
「な、何ッ!?」
憤る上条定憲。定憲自慢の顎鬚は道中に毟られまばらに汚れ、頭髪は白髪交じり。戦で「正面から」とか「籠城が卑怯」とか訳の分からぬことを言い罵る。身を捩るが、厳しく食い込む荒縄はますますこの血筋だけの無能な武将を締め付けた。必死に藻掻くが、藻掻けば藻掻くほどに身動きが取れなくなっていた。
定満は怒るというよりも達観していた。
定満が定憲から受けた恩は思い当たる節がなく、逆に自分の功績を無視されたり、横取りされたりしたことしか思い浮かばなかった。
「『一所懸命』とは、何だったのか? 儂が四十年も大事にしていた繋がりとは、どんな意味があったのか。悩んでおる」
「し、知ったような口を!!」
抗う顎鬚。だが、定満にとって、定憲はもはや興味の対象ではなかった。
この男に価値があるのは、敵軍の大将という肩書のみ。過去の遺恨があると言えばあるが、それに拘ることすら恥ずかしい、自分自身を低める、そんな境地に立っていた。
「さらば、我が報われぬ半生よ……」
定満は過去の自分と完全に決別し、名君と共に生きるこれからの半生に全力を尽くすことを決意した。
「この者を牢へ。『大殿』にお見せする必要がある」
「ハッ!」
竹俣昌綱、砂越氏維が立ち、半狂乱になっている男を立ち上がらせた。
「こ、これで終わりと思うたか! 宇佐美定満!!」
上条定憲はまだ隠した策略を持っていた。いや、持っているつもりだった。
「……」
「上田長尾の房長と政景は魚沼郡へ逃げた! さらに佐渡内部は策略により食い破られるのじゃ! 残念じゃったのう!!」
引き立てられながらほくそ笑む上条定憲。
だが、
「魚沼郡は、既に椎名則秋殿が食い破っておる。上田長尾に帰る場所は既にない」
「なっっ!!?」
冷静に答えた宇佐美定満の言葉。驚愕する顎鬚。
長尾晴景と上条定憲に「全軍を率いて参軍せよ!」との命に従い魚沼郡を空にした上田長尾氏。そこを、元蘆名氏が治めていた陸奥国南部三郡を任された「忠義一徹の巨漢」椎名則秋が強襲していた!
無人の魚沼郡は、労せずして羽茂本間のものとなっていた。
そしてさらに、
「失礼いたします!」
佐渡ヶ島からきた若武者が入ってきた。
「某、佐渡国西三川城城主、真田幸綱が弟の矢沢頼綱と申す者で御座います!! 佐渡国の内乱が『予定通り鎮圧』されたことをご報告申し上げます!」
「うむ」
「な、な、何!? 『予定通り鎮圧』っ!!?」
長尾家と通じていた沢根本間氏と当主本間高秀。
寝返りを薦めた二階堂照行、田村隆顕、最上義守への策略は即座に頓挫した。声をかけた使者がその場で各家で捕らえられ、羽茂本間へ引き渡されていた為だ。三家は沢根本間氏の使者を羽茂城へ引き渡し、さらに沢根本間氏討伐を願い出た。反羽茂本間家への先頭に立つことで、羽茂本間家への忠義を示したのだ。
二階堂、田村、最上の三家の活躍と、佐渡国抑えの真田幸綱の軍略により、佐渡国内部に残っていた最後の抵抗勢力、沢根本間氏は文字通り髪の毛一本残さずに佐渡ヶ島から姿を消した。
「嘘じゃ! 嘘じゃ!!」
赤子のように駄々をこねる上条定憲。
だが、彼の妄想はもうすぐ潰える。彼の描いた「醜い夢」は、「嘘」という形になって消えていく。それは、誰の目にも明らかであった。




