百二十五話 ~再会~
<天文十年(1541年)二月末 越後国 頸城郡 直江津 春日山城 城下 五智の森>
篝火に照らされて、初春に咲く黄連の花が燃えるように赤く染まって見える。本来は白色だ。同じ物でも別の条件の下では違って見える。本来は優秀な人材が、場所によっては無駄に見えることだってある、か。まるで今の長尾家だ。
そういや、黄連は整腸作用や清熱作用があるはずだったな。ふと、俺は山歩きの最中に前世の父から教えられたことを思い出していた。
「殿!」
森の草を眺めていた俺に羽茂本間四天王の一人、「上州の黄斑」長野業正が声をかけてきた。
「何事かっ!?」
「春日山城の方角から喚声が聞こえたとの事に御座います!!」
「来たか!!」
俺は耳を澄ます。僅かだが、聞こえる! 声が!
「誠に『龍』は来るでしょうか?」
「来る!」
俺は確信を持って言った。
白狼はまだ戻ってきていない。文も言伝も何もない。
だが、あの「龍」なら動く。動かぬ筈がない! 必ずや俺の元に馳せ参じる筈だっ!!
「敵の喚声! 大きくなってきておりますっ!!」
「うむそうだな」
「…… 大丈夫にござるか?」
不安に駆られたのか、ゴツゴツした元信濃国の武人、槍隊隊長保科正俊が俺に声をかけてきた。敵の夜襲。しかも敵軍居城のお膝元。平然とのんびりと構えている俺が不思議でならないようだ。
「大丈夫だ!」
俺は夜襲の軍勢の声を聞き確信を深めた。
「…… 理由を尋ねても?」
いつも言葉の短い正俊。未だに訝しがっている。
「声に殺気がない」
「ほっ?」
「それと、夜襲なのに大声をあげている。まるで『ここにいるぞ』と言わんばかりだ」
「…… 罠では?」
「今の長尾家に罠をかけるほどの知恵者はおらん。いるとすれば直江実綱くらいだが、奴はそんな派手な策はとらん。やるとすればもっと、陰湿な奴だ」
そう、裏で物事を動かすような、な。
「…… 合点がいきました。流石『軍神』と名高い殿でござる」
無骨な武人はようやく頭を垂れた。保科正俊、飲み込みが早い。そちらこそ流石「槍弾正」だ。
そこへ、息を切らした斥候が飛び込んできたっ!
「敵軍! 近づいてきます! 先頭は『月毛馬』に乗った武将!」
「『龍』だ! 報告ご苦労!!」
心が躍る!
月毛馬は、今年俺が景虎へ新年祝いに贈った馬だ! 月夜に光る薄黄白色の馬! 「越後の龍」に絶対似合うと思って贈った馬だ!
役者はそろった! いよいよだ!!
「鉄砲隊、用意!」
「ハッ!!」
俺の命令を聞いた鉄砲指南役のヤルノが答えた!
それなりの出迎えをせねばならん。敵軍のアホ共を騙す為にもそれなりに、な。
「整イマシタッ!!」
「仰角45度! 三連射! 決して当てるなよ!」
「ハッ!!」
決して当たらぬ角度。当ててはならん。あれは「夜襲」という名の「投降」だ!
さあ来い! 龍! おっさん! 信じている! 待っているぞ!!
俺は補修した半割れの銅鑼に願いを込めて叩いた!
ジャーン! ジャーン!!
「テェッ!!」
ガガーン!! ガガガーン!! ガガガガーン!!!
漆黒の夜の虚空へ向けて、数百挺の銃から凄まじい銃声が響いた!!
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固唾を飲んで待つ俺。一分一秒が酷く長く感じられる。だが待つ。待たねばならん。
そして……
誘導されて来た軍の先頭にいたのは…… 月毛馬に乗った「龍」だ!!
来た! 遂に!!
「義兄上!!」
「おおッ! 景虎!! 待っていたぞ!!」
「龍」はひらりと馬から飛び降りると、転げ落ちるようにして俺の元へ駆けてきた! 亡き長尾為景の四男長尾景虎、俺より一歳年上、姉の「綾姫」を娶った為に義弟となった『上杉謙信』だ!!
「越後の龍」は、しばらく見ないうちに体躯も凛々しさも一段と増していた!
「遅れまして申し訳ありませぬ! 某、自らの手勢! 加えまして中条藤資殿! 北条高広殿! 高梨政頼殿の身内と手の者を率いて馳せ参じました!! どうか羽茂本間軍の末席に加えさせてくださりませ!!!」
両手を地面につけて懇願する龍。
俺は地に汚れたその手をガシっと掴んだ!
「勿論だ!! 景虎! お主が来ることを首を長くして待っておったぞ!!」
龍が地を這うのは似合わない! 地面を這う龍は蛇だ。龍は龍らしく空を駆けてもらいたい!
「景虎! 共に駆けよう!! お主が配下になってくれればこれほど心強いことはない!!
「ありがとうございます! 義兄上! これよりは『殿』と呼ばせていただきます!」
嬉しい!
戦国時代最強と呼ばれる伝説の「軍神」が配下になったんだ!!
「それと、殿。『景虎』という名のことで御座りますが……」
何かを言おうとしていた景虎。だが、その言葉を聞くことを中断しなくてはならなくなった。
遅れてきた者達の列から、よろよろと歩き出でて来た者がいたからだ。
見間違いかと思った。
ひどく窶れた老人だ。だが、あの出っ張ったおでこは決して忘れられん!
「お、おっさん!! 蔵田のおっさん!!!」
俺は思わず叫んだ! そして走り出した!
「小鬼、はん……?」
家中の者に肩を貸してもらいながら、弱弱しく歩く男。だが、俺の姿を見た途端、口を大きく開けて叫んだ! 馴染みのダミ声だ!!
「小鬼はん!!」
闇の中から現れたのは、直江津の豪商、越後屋当主蔵田五郎佐だった!!
「おっさん!! 生きてたか!!!」
「小鬼はんや!!」
もつれるようにして俺に向かって走り出した蔵田五郎佐。恰幅の良かった体はやせ細り、白髪交じりだった髪は真っ白になっていた。艶々としていた頬はこけ落ち、肌はガサガサだ。よほど酷い目に遭っていたことが想像できる。目から零れる涙が次々と干からびた肌に染み込んでいくかのようだ。
「おっさん!!」
「嬉しいよって! 長い間生きてきて、こんなに嬉しいことはないよって!!」
俺も心配していた恩人を見つけ涙が止まらなかった! 全力で駆ける! おっさんが生きていた! 生きてまた会えた! アッとよろめくおっさんを必死に抱きかかえた!!
ボロボロになってはいたが、おっさんに再び会うことができた俺は涙を堪えきれなかった!!
「おっさん! 蔵田のおっさん!!」
「もう駄目やと思うとったよって…… でんも、景虎はんが『照詮はんに会わせてやる』と言ってくれよってな…… ゴホッ!」
「おっさん! もういい! 喋るな! 休め!!」
牢の中で飯らしい飯も食わせてもらっていなかったのだろう。その体での夜間の行軍だ。相当堪えている。しばらく静養させてやらねば。
俺は衛生兵を呼んで「蔵田のおっさんの看病に全力を尽くしてくれ!」と伝えた。おっさんはよろよろとしながらも笑顔で天幕の方へと連れていかれた。
良かった! 蔵田のおっさんを救い出すことができた!! 安堵の涙が両の頬を伝う。
涙を流す俺を心配したのか、空から大鷹のレラが舞い降りてきた。「ピィ?」と鳴く。鷹などの猛禽類、実は夜目がかなり効くようだ。
「大丈夫だ」
俺は涙を拭いながらレラに言った。
「涙は悲しいときにだけ流れるもんじゃない。嬉しいときにも出るんだよ」
教えるようにレラに語り掛けた。賢いレラは「ピィ!」と言うように応えた。
そんな俺にさらに声をかける者がいた。
「「左近衛中将様!」」
次に現れたのは、歴戦の将が二名。どちらもよく見知った顔だ。
「おお!! 中条殿! 北条殿!!」
春日山城の評定の間で、三分一原の戦の場で、何度も会った中条藤資と北条高広だ! 俺が声をかけると、二名の武将は申し訳なさそうに膝を折り、森の地面に額を擦り付けるようにして平伏した。
「何をしておられる! お顔をお上げくだされ!」
「申し訳ござらぬ! 混乱する長尾家を止めることができ申さなんだ!!」
「『為景殿の懐刀』とまで呼ばれながらの為体。お笑いくだされ」
二名の将は、長尾家が誤った方向へ動くのを止めようと必死に動いたのだろう。俺との融和を進め、反目を止めようと全力に動いていたと聞く。だがアホの晴景にはそれを受け入れる度量がなかった。それどころか二名はもうすぐお家取り潰しの上、一族郎党打ち首直前だったのだ。
「お二方の力量はよく存じております。どうか我が軍に加わり、御力をお貸しくだされ」
それを聞いた老将中条藤資、壮年の将北条高広は流れ落ちる涙をそのままに「ははっ」と快諾した。
為景旗下では両翼とも呼ばれた二名の将。一族や家中の者も猛者揃い。これを虐げるとか意味が分からない。
佐渡で保護している高梨政頼の妻がいたので、「無事である」ことを伝えた。緊張のあまり唇を食いしばりながら俺の話を聞いていた正室お宮の方はそれを聞くとほっとしたのか、ガクンと膝からその場に崩れ落ちそうになった。卒倒してしまったようだ。
母が崩れ落ちる所を見た娘の絹が「ああっ!」と叫んだ所へ、一人の若武者がさっと進み出てお宮の方を受け止めた。中条藤資の息子の中条景資だった。母であるお宮の方を受け止めてくれたことに礼を言う絹。いえいえという景資。お、この二人、中々お似合いじゃないかな?
篝火の炎に照らされた一場面にほっこりとしていた俺。
そんな俺を見てそろそろいいかというように、「越後の龍」が話しかけてきた。
「殿。・・・某、名がありませぬ」
「…… えっ?」
「『長尾』の家名は捨て申した。某はもう長尾では御座らん」
一族を見限って、敵対する陣営へと渡ったのだ。「長尾」という名はもう使わない、ということらしい。
「…… そうか」
「それと『景虎』という名も捨て申す。これは某の意にそぐわず、上条定憲が烏帽子役に付いた名で御座います」
「ああ、あの顎鬚か」
長尾晴景が俺達に反目した後、支持した越後上杉家一族の上条定憲。名門ぶった選民思想の嫌らしい性根の奴だ。そんな奴が烏帽子役、つまり後見役になった名は使いたくない。そりゃ誰だってそうだ。
「故に『名無し』に御座います。どうか殿! 名をつけてくださりませ!」
「むっ……」
急に名を付けろと言われた。これは責任重大だ。
この才気煥発、眉目秀麗、知勇兼備、伝説の武将にどんな名を付ければいいのだ!? 史実であれば、あの「上杉謙信」だぞ!!? 滅多やたらな名はつけられん!
んー、宮本武蔵…… 聖徳太子…… 福沢諭吉…… どれもピンとこない。
ウーンと唸る俺を見かけて羽茂本間四天王の一人が心配して声をかけてきた。
「殿、お悩みですか?」
「ん? うむ」
護衛役の「剣聖」上泉信綱だった。投降の列に混じり我らに害を為す怪しい者がいないか気を張り詰めていたが、どうやら大丈夫のようだ。少し気を緩めたのか話す余裕ができたとみえる。
そういや、剣聖様に刀を預けていたな。あれは何だっけ……
!!
「信綱! あれを持ってきてくれ!」
「あれ、と申しますと、あの刀に御座いますな?」
「そう、あれだ!」
畏まりました、というように一礼すると、剣聖様は本陣の中から一振りの刀を持ってきた。
俺はその刀を鞘から引き抜いた。山鳥の羽の毛の如き美しい波紋。数多ある備前刀の中でも名刀中の名刀。山内上杉家の家宝の名刀「山長毛」だ! 俺は波紋を確かめると刀を鞘に収めた。そしてその空前絶後の名刀を「名無しの龍」に手渡すことにした。
「こ、これは山長毛!?」
「そうだ。お主が持つに相応しい」
「し、し、しかし、これは山内上杉家の! 関東管領職の!」
驚く龍。だが決めた。俺が考え付くこの「人物」に相応しい名はこれしか浮かばなかった。これ以上の名はない!
「『名無しの龍』よ、これよりお主の名を『上杉謙信』とする!!」
「!!」
「『軍神』『上杉謙信』よ! 我が配下となり、共に世界を巡ろうぞ!」
「はは!!」
ピカッ
!?
見間違いだろうか?
「上杉謙信」と名付けて承諾した「龍」の体が一瞬、青白く光った気がした!? その輝きはすぐに消えてしまったが。
「上杉とは。まさかの名字でござる。山内でしょうか? 扇谷でしょうか? 越後でしょうか?」
「…… 佐渡だ」
「何とっ!?」
「お主は『佐渡上杉家』を名乗れ!」
「は、ははっ! 畏まりました!!」
両手で山長毛を押し戴きながら、「上杉謙信」は俺に深々と礼をした!
そして意志が通じ合ったかのように、その場にいた長野業正らの俺の将兵、中条藤資らの越後国の将兵、そして蔵田のおっさんたち牢に繋がれていた者達。皆が俺に向かって礼をした。
森の木々、動物たち、黄連の花すらも俺を励ましてくれる、認めてくれる! そんな気がした初春の夜だった。




