第百二十三話 ~ 龍 ~
<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 港>
直江津の港に着いた俺達を待っていたのは、直江津の民の熱烈な歓迎だった。
「本間様! お待ちしておりましたっ!」
「どうか我らを御救いください!!」
長尾家の役人共は春日山城に引っ込んでしまっているようだ。長尾水軍の惨敗を聞き、一早く逃げ込んだという訳か。たったの一か月の間にあのアホ晴景、どんだけの悪事を働いたんだ!?
俺が重キャラック「龍王丸」から姿を見せると、その声は最高潮に達した!
「本間様ッ! 羽茂本間照詮様!!」
「長尾家の連中を、越後から追い出してください!!」
「我らに救いの手を御差し伸べください!!!」
……長尾家の人気の無さったらないわ。
声を張り上げ、必死に手を伸ばし、俺を呼び叫ぶ黒山の人だかり。人に押されて港の岸壁から落ちる者までいる始末だ。相当やらかしたな、長尾晴景。
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<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 商家>
「此度の羽茂本間家への背信! 誠に申し訳ございませんでしたっ!!」
「申し訳ございませんでしたっ!!」
蔵田のおっさんの一族、蔵田清左衛門尉を筆頭に、青苧座、米座、油座、魚座、材木座など主だった座の頭領達が集まり、俺へ必死の謝罪をした。
「代替わりによる長尾家からの猛烈な追い込みに屈してしまいました!」
「重税を課せられ、首を括るしかないと諦めておりました!」
「逆らえば殴られ蹴られ! 命を落とした者も大勢います!!」
「我らは長尾家への助力を幾度となく断り申した! ですが……」
「……よい。その方らの苦しみ、儂は十分に理解しておるつもりだ」
晴景の手下に脅されて已む無く、その辺は承知している。長尾家は先代の為景の代まで広い懐で越後をほぼ手中に収めた大きな氏族だ。個々の商人達では立ち向かうことはできないのは仕方ない。しかし長尾家に臣従していた商人達の心は、長尾家からは完全に乖離した。
「して、今後はどのようにするつもりか?」
「こ、これからは羽茂本間様に精一杯尽くす所存でございます!」
「長尾家を越後から追い出してくださりませ!」
「あの家はもう駄目にございます!」
商人達は両手を合わせて俺を拝み倒している。皆、涙目になり鼻水を啜っている。
晴景は専制政治で越後を治めようとしたが大失敗だったようだな。同業者組合である座は大きな力を持っている。前世の農協や漁協などの組合みたいなものだ。武器は持たずとも影響力は及ぼすことができる。為景は利の汁を吸いつつも、相手の言い分も上手に捌き、うまく折り合いをつけてやっていた。それをただ踏襲すればよかったものを。
「……相分かった。長尾家の討伐、引き受けた。助力を頼むぞ」
「!! ありがとうございます!!」
「これで我らは助かります!!」
「どうか城に連れていかれた娘達を御救いください!」
ん?
「娘達、とはどういうことだ?」
「はい! 長尾家の兵どもが、町衆の娘をさらっていっておりやす!」
「あっしの娘も!!」
「惨い目に遭っていなければよいのですが……」
…… 何て事をしてやがるんだ! 晴景の奴!!
民への暴行、弾圧、重税、町娘の略奪。略奪された娘達の行く末は、恐らく……
統治者の振舞いではない!! まるで山賊か何かだ!! 俺は胸がカーッと熱くなる感覚を覚えた!!
「『全て』と約束はできぬ。だが! 全力で事に当たろう! 我が魂に誓って!!」
俺は自分の小さな左胸に右の拳を置いた。世を正すことは、俺のできる唯一の正義だ!
「ありがとうごぜえやす!!」
「できましたら我が一族の旗頭、蔵田五郎佐もお願いいたします! …… ですが、五郎佐は春日山城の奥深くに幽閉されておると聞きます。難しいかもしれませぬ」
蔵田清左衛門尉は首を振る。
「ぐぬう」
正直、これから攻める城の内部にいる商人や娘達を奪還すること、これは至難の業だ。
戦えば、恐らくは勝てる。だが助けるべき人々は助からぬ。
砲撃すれば、その下敷きになるやもしれぬ。力攻めで攻め入れば、攻め破ったとしても城内部に残る兵に命を断たれる。話し合いでどうにかなる相手とは到底思えない。むしろ「蔵田のおっさんと娘達を解放しろ」と言ったら「人質の価値あり」と見なされて逆に危うい。あの晴景のことだ。俺が苦しむと思えば自分の母や兄弟であっても問題なく殺すことだろう。
…… 兄弟?
晴景の兄弟。もしかしたら…… いけるか?!
…… しかし、どうであろう? だが、あの麒麟児であれば覚えているであろう……
…… 賭けてみるしかない!!
「蔵田清左衛門尉! 春日山城近くの『森を一つ』貰えるか?!」
「はっ! それくらい容易い御用です!」
蔵田のおっさんに似たおじさんは、これまた似た出っ張ったおでこをつるりと撫で回した。蔵田の家の家系なのだろうか?
もう一人だ。俺の忍びに難題を解決してもらわねばならん!
「白狼!」
「ヘイッ!」
「頼みがある」
「ヘイヘイ。敵軍の真ん中に飛び込むこと以外なら」
「いや、それだ」
「ヘヘッ! 相変わらず面白れぇ御方だ!」
伝説の忍びは鼻柱を親指で拭い、渋い横顔でニヤリと笑った。
「殿! これから如何為さりますか?」
軍監役の長野業正が尋ねてきた。
「『城郭落とし』の再現をする!」
「はっ!?」
「城の手前まで大砲を進めつつ、森で『木こり』をする!」
「ええっ!?」
「そして待つのだ! 待てば『龍』が手に入るぞ!!」
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<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 春日山城 評定の間>
「ええい! 何たるだらしなさだ!!」
長尾家当主従五位下長尾信濃守晴景は朱色の酒杯を投げ捨てた!
当主の威厳を見せようと、苦手な酒を昼間から呷っていた中に飛んできた『長尾水軍敗退』の報。機嫌を損ねるのは無理もなかった。
「香取義和! お主、『先陣を任せれば佐渡水軍を倒すことなぞ造作もない』と言っておったな! どういうことじゃ!?」
か細い声で激怒する主君。だが、主君に名指しで非難された若者は平然としていた。
「はっ。あと一歩の所で猛烈な風にあおられ、手痛い反撃に遭いまして御座います。無念に御座いました。ですがご安心くだされ! 我が采配にて、佐渡水軍には凄まじい刃を突き立て、その力を半分! いや八割は削りまして御座ります!!」
「何? 誠か?!」
「はっ。命に代えましても」
堂々とした立ち振る舞いと爽やかな弁舌。とても嘘をついているようには見えない。
しかし、大ウソであった。この香取という男、勇ましく船に乗ったものの佐渡水軍の異常なまでの戦力に股間を濡らし、率いた長尾水軍に「主命である! 全軍突撃じゃ!」という命を下したのちに小舟にて直江津まで逃げ帰った小心者だった。
「それは済まなかった。奮戦大義であったぞ」
「ははっ!」
香取義和は恭しく頭を下げた。悪びる気持ちは全くなかった。
「杉原晴俊! 佐渡内の調略は!?」
「イヒヒッ。順調でござる。直江津に来ている佐渡軍は、前面の我ら、後面からは沢根本間に挟まれましょうぞ!」
「奴らは帰る家を無くした、ということじゃな?」
「その通りで御座います!!」
策略に優れたという触れ込みの男は太鼓腹を鳴らし、ありもしない作戦を平然と伝えた。
この長尾家の評定の間には、よい報告しか上がってこなかった。何故なら、『事実』という悪い報告をする者は、遠くへ追いやられた為である。
「殿ッ!!」
「ん? 何じゃ?」
声を出したのは、赤燕とサチを取り逃がした両角義達という男だった。
「羽茂本間軍、春日山城城下の『五智の森』に入り、木を切り倒しております!」
「「なに!?」」
返答した人物は主君晴景に加えて、もう一人いた。
「木を切り倒し、梯子や破城槌を作っておりました! 『明日には十分な数が揃う』と申しておりました! 城攻めに使うものかと!」
「何を申すか! 我が春日山城に攻め入れる者なぞおらぬ! 下がれ!!」
「ですがっ!」
「ええい! この者を捕えよ! 地下牢にぶち込めぃ!」
「ははっ!!」
「と、殿!!」
哀れな義達は、入れば二度と出られぬと噂される牢へと連れていかれることとなった。
ハーッ、ハーッと息を切らす長尾晴景。
青ざめた顔をした家老職の直江実綱は、主君の気分を害さぬよう計算しつつ自分の考えを伝えた。
「殿。しかし『万が一』のことも御座います。その破城槌なぞ、壊せばすぐ使い物にならなくなり申す。組みあがらぬうちに叩き壊すことも良しかと愚慮いたします」
「ふむ。そうだな」
伸ばし始めた髭を撫で、主君の威厳を出そうとする晴景。と、その時に!
「お待ちくだされ!!」
末席より、高く響く声がした! 「虎千代」の幼名から、上条定憲に元服の烏帽子役をしてもらった晴景の弟、長尾景虎だった!
「ぬ。何じゃ、景虎」
「その梯子や破城槌作りは『罠』に御座います!!」
「ほほ。何を申すか」
「梯子や破城槌を壊しにいけば、他方より攻め入られます!!」
「ぐぬっ!? 戦のいろはも分からぬ小僧が何を言うか!」
「殿の弟君とは言え、評定の間を乱すことは許されませぬぞ!」
「お控えくだれ!」
景虎必死の発言は、長尾家当主晴景や晴景お気に入りの有象無象から反論された。
「ですが、誠に御座います! このままでは春日山城は落ち、長尾家は斃れます!」
「何を申すか! 景虎、その方、何故に敵の『罠』と言っておる?」
「ぬ、そ、それは……」
景虎は口籠った。「実際に戦ってやられたことがある」とは言えないからだ。
「はは。景虎殿の御考えは、単なる思い付きでしたか」
「ち、違うっ! だ、だが、このままでは長尾家は!!」
若き龍の心は揺れていた。
義兄であり個人的な友誼のある本間照詮と、本家である長尾家の存続。「武士として」「義を重んじる」ことを優先させた龍は、悩みながらも長尾家存続を第一に考えていた。だが、その思いは実の兄によって踏みにじられる。
「しつこいのう」
当主晴景はますます不機嫌になった。
「長尾家は儂の代になりますます栄えておる! 揚北の連中も、佐渡の糞餓鬼も、皆儂の前に生首となるのじゃ!」
「兄上!! 現実を見てくだされ!!」
「兄ではない! 『殿』と呼べ! 景虎!」
どこまでいっても兄弟の心は交わらなかった。むしろ離れていくばかりだった。
そこへ、不気味な声が重く圧し掛かるように響いた。
「…… 晴景殿。そこなる見目麗しい若者は?」
「そ、尊師殿! これはお恥ずかしい所を!」
淫靡な匂いを漂わせた巨躯の僧が、奥の間からユラリと現れた。先ほどまで越後の若い娘を慰み者にしていた怪僧、幕府からの使者正覚坊重盛だった。
「我が弟の景虎という未熟者に御座います!」
「…… ほほう」
ニタリと笑った僧は、美しい若武者姿の景虎を見て、舌なめずりをした。
「…… よろしければ拙僧自ら、『教え』を施すことが可能でありますが …… よろしいですかな?」
「は、ははーっ! 是非に!!」
「ほほ、結構結構。相変わらず長尾家の幕府への忠義は美しい。拙僧は美しい者が大好きです」
……そのやり取りが意図することは明白だった。
身内の者の処遇よりも、家の存続を大事にする。それは戦国の大名として正しい。だが、これまで必死に長尾家の存続を第一に考えてきた若き龍にとってその選択は耐え得ることができないことだった。長尾景虎は急に、自分の努力が酷く意味のないことに気づいた。気づいてしまった。
若き龍は決断した。
決断した後は早かった。元々ある天賦の才には磨きがかかり、閃きの力は神仙の如き領域に達していた!
「…… 御坊の教え、よろしくお願いいたします」
「おうおう、愛い奴よ。儂に全てを委ねればよろしいぞ」
怪僧は眉目秀麗な景虎を見て、その先にある歓びに股間を膨らませた。
景虎は言葉を続けた。
「…… 殿。羽茂本間へ夜襲を掛けましょう。某にお任せくだされ」
「ほほう? よいぞ、御坊の教えの後で出来るのであればな」
才気煥発の若将は主君の目を見ずに、床のみを凝視して言葉を続けた。
「つきましては、蟄居中の中条藤資、北条高広を御貸しくだされ。使い道のない者共ですが、矢を防ぐ盾程度には使えるかと」
「はは。それはよき使い道ですな!」
「矢避けとは、名案!」
評定衆の者共は膝を叩いた。蟄居中とは言え先代の為景から重責を任されていた将達だ。いつどこで爆発するか分からぬ者達が、ここでいなくなってくれれば清々する。
「戦は数が大事。牢にいる民草なども突っ込ませまする」
「よいぞ。十二分に使えい。無駄飯を食わせるのも惜しい奴らじゃ」
「…… これまでの御庇護。心より感謝申し上げます」
長尾景虎は深々と礼をした。自らの額を冷たい床にひたすらに擦り付けた。それを見て当主晴景は満足そうにうんうんと頷いた。
しかし、若き龍は主君になど頭を下げているつもりは毛頭なかった。
礼をしたのは、南北朝時代の将長尾景恒から始まる越後長尾家の偉大なる先祖の霊達にだった。




