第百二十一話 ~回生~
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<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 春日山城 評定の間>
「皆の者、大義である」
青白い顔と血走らせた眼で集まった諸将を出迎えた長尾家当主従五位下長尾信濃守晴景。『大義である』とは言っているが、何の温かみも労いも感じない。言葉だけが真夜中を彷徨った。
集まった人物の中で、名の知れた将と言えば家老職の直江実綱のみ。他は晴景のお気に入りの若い武士がほとんど。一番末席には、元服したばかりの弟の長尾景虎がいた。
「羽茂本間からの返事について。武川脛雄、委細申し述べよ」
主君と同い年の三十三歳という若さながら、長尾家の命運を実質的に差配する直江実綱が命じた。
「ははっ」
返事をしたのは君主晴景お気に入りの若い近習。主君の信頼を後ろ盾に、家格や年齢が上の者にも横柄な態度をとっているキツネ顔の男、それが武川脛雄である。今回の件では高梨政頼の目付け役を務めていた。
「奥の間に通されたのは政頼のみ。しばらくの後に政頼の大きな叫び声が上がり申した。その後、長野業正を名乗る武将から『無礼千万な長尾家の言い分、受け入れ難し。佐渡か越後、どちらかが燃えて無くなるまで戦を致す。今より佐渡、出羽、陸奥の全ての戦力を長尾家に向ける。なお使者が慇懃無礼であったため監禁する』との内容で御座りました」
「相違ないか?」
「相違御座らぬ」
武川脛雄は口を尖らせた。名の知れた北信濃国人領主を呼び捨てにすることに何の躊躇いもない。敬意も敬愛の念も何もなかった。
「羽茂本間め。まさか戦を受けて立つとは!」
「島の田舎猿め!」
評定の間にいた面々は喚きたてた。彼らは何の実績も実力もない、有象無象の太鼓持ちばかりである。
「既に、直江津の港も柏崎の港も羽茂本間との繋がりを断った。これで奴らの金の動きは止まったというのに。愚かな者共じゃ」
「誠に! 殿のおっしゃる通りでございます!」
「殿の軍略、流石でござりまする!!」
「神才の前には、凡人はひれ伏すのみで御座います!!」
晴景の言葉に有象無象は一斉にヨイショの嵐である。暗愚の主君は気を良くした。
「既に堅物の柿崎景家を上条様、上田長尾殿と共に揚北へ出陣させておる。脳の足りぬ奴ではあるが戦は強い。上条様の鬼才の元で、犬のように働けばそれでよい」
「ですな!」
「あのような野蛮な者! いっそ討ち死にすればよろしいでしょうに!」
「殿! 柿崎亡き者になった暁には、この香取義和を先陣に!!」
「何を申すか! 我こそ!」
若武者達は調子づいて騒ぎ立てる。さらに声をあげる者がいた。
「佐渡国内の内乱の楔は、順調で御座ります」
「ほほう。流石は策略に長けた晴俊よ」
だらしなく腹の出た、策略家こと杉原晴俊。イヒヒと小さな目をさらに細めて笑いながら、主君に報告を続けた。
「以前から繋がっていた佐渡国内の沢根本間氏の本間高秀。至る所に種を撒いております。佐渡国内に国替えされてきた最上家、二階堂家、田村家にも内乱を呼び掛けております。首尾は上々で御座います」
「ふふ。悪政を強いてきた報いを受けるがよい! 羽茂本間照詮め!」
主君が抑揚のない声で笑う。それに同調して「ワハハ」と大きな笑いが起きた。
目の下に作った大きな隈が痛々しい長尾晴景。暗愚の将には、彼が最も忌み嫌う者の苦しむ姿を想像することこそが、何よりの薬となっていた。
家老直江実綱は皆と同じように笑顔を見せつつも、背筋は寒々と凍っていた。
(これが豪壮で鳴らした長尾家の、春日山城評定の間の姿か!? まるで安居酒屋の若者の乱痴気騒ぎではないか!)
若き家老はさらに首を振った。
(正直、越後の港封鎖など羽茂本間には効きはしない。奴らは既に出羽や能登の港を支配しておる。苦しくなるのはむしろ我が長尾家の方じゃ。だがそれを指摘した北条殿は蟄居同然となった)
笑いはまだ続いている。作り笑いを続けながら額に汗を流す。
(沢根本間への工作、恐らく、というより間違いなく羽茂本間に漏れておる。儂が佐渡へ送った間者は全て殺された。佐渡ヶ島、入るのは容易そうに見えるが、情報に関しては途方もなく鉄壁の島じゃ。調略なぞ無謀な仕掛け…… それを分かっておらぬ)
作り笑いを続けてきた頬が悲鳴を上げて、ピクピクと引き攣ってきた。
(だが、若様は上機嫌じゃ。機嫌を損ねては、儂とて中条殿、北条殿、高梨殿のように蚊帳の外になってしまう。それは避けねば……)
様々な思惑が錯綜する闇の中、部屋の奥の方から呪詛のように気味悪い声が聞こえてきた。
「…… 晴景殿。それで、噂に聞く越後屋の美しい娘は、捕えましたかな?」
「はっ!? いえ、尊師殿! 誠に申し訳ござりませぬ。残念ながら……」
「…… 取り逃がして、しまいましたか?」
「ははっ……」
フゥーッ
大きく示威的な溜め息が聞こえた。
この場を取り仕切る筈の従五位下長尾信濃守晴景を呼び捨てにする人物。黒い衣を着た大きな体躯、でこぼこした無毛の頭部。室町幕府、足利家の使者として比叡山から派遣されてきた、正覚坊重盛という僧侶であった。
「何とも長尾家の力の無いことですな。この為体は、幕府に報告せねばなりませぬな」
「しょ、正覚坊重盛殿! それだけはご勘弁を!」
ゴホゴホ
体の弱い晴景が咳き込みながら体を二つに折り曲げる。主君のその姿を見て、一同もすぐに深々と額を床に擦り付ける。そんな評定の間の面々の姿を見て、怪僧はヌラリと笑った。
「致し方ありませぬな。……では、代わりに越後の生娘を五人ほど。ご用意いただけますかな?」
「は、はは! 明日にでも必ず!」
「…… 明日?」
「い、いえ! 今すぐにご用意いたします!!」
「…… 長尾家の方々の幕府への忠義、誠に美しいものです。周辺国に『引き続き長尾家と連携する』よう、働きかけることにいたしましょう」
「よ、よろしくお願い申しあげます!」
頭を垂れる越後守護代。それを見て満足そうに色欲の権化は目を細めた。
……闇の中故に見えなかった。
一人だけ頭を垂れなかった人物がいたことを。
評定の間の誰も気づかなかった。
瞳を憤怒の炎で燃やし、唇から血を滴り落とす、才気煥発の『龍』がいたことを。
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<天文十年(1541年)二月 佐渡国 羽茂郡 小木港 埠頭>
羽茂本間包囲網?
とんだ「ザル網」だ!! マグロすらすり抜けるぞ!?
俺は佐渡国内の兵力を率いて小木の港へ来ていた。その数四千。数は十分とは言えないが、剣聖の教えを受けた、一騎当千の精鋭部隊だ。改良を加えた佐渡銃、佐渡砲も十二分な数を持ってきた。出し惜しみはしない。春日山城を『灰』にするつもりで戦力を投入する。
「ザル網」に関する備えも万全だ。
佐渡国内の反乱の兆し。これはもう九割方、鎮圧が終わっている。
「鉱山のカナリア」が鳴いた。
佐渡国北西部で泳がせておいた沢根本間氏が動いた。奴らが長尾家と繋がっているのは見え見えだった。これが調略とは片腹痛い。
沢根本間が、最上義守、二階堂照行、田村隆顕に接触するのを、俺が見逃す筈がなかろう。監視の目が行き届きやすい佐渡国内に国替えで連れてきたんだ。まあ、三家には『踏み絵』だ。少しでも反乱に同調しようものなら、容赦なく「根切り」にする。さて、どうなるかな?
佐渡国内の調略対応は、西三川城を任せた真田幸綱に任せよう。『六文銭』の力を見せてもらおうか。沢根本間の者共には、悪いが髪の毛一本残さずに佐渡国内から消えてもらうぞ。
蒲原郡と揚北の方は、出羽国を任せた「俺の孔明」が対応してくれる。
既に加地春綱、黒川清実、竹俣昌綱といった元揚北衆、さらに寒河江広種、砂越氏維、清水義高ら出羽の国人衆達と共に軍を率いて新潟城に向かっていると聞く。
相手は上条定憲と柿崎景家、元主君と手傷を負わされた因縁の将だ。燃えない訳がない。頼むぞ焙烙頭巾よ。
そして椎名則秋、山本勘助が……
出撃を前に策謀を巡らせる俺。
そんな俺の元へ、三つの影が近づいてきた。
「旦那。旦那の大切な方をお連れしやしたぜ」
「照詮坊や。待たせたね」
白狼と赤燕ばあさんだ。ということは……
「照詮、はん……?」
「!! サチ!!」
サチだ!
髪の毛は短くなっていた。逃げる際に切ったのだろうか。以前からほっそりしていたが、心労が災いしたのかさらに細く見える。白菊のような肌は心配になるほどに透き通って見える。
「サチ! 無事だったか!!」
「……照詮はん。あいは、あいは……」
泣きそうになるサチ。生き死にの瀬戸際を味わったのだろう。目に涙を浮かべ、今にも倒れそうだ。俺は人目を憚らずにサチを抱きしめた。
「照詮はん。あい、家も、髪も、のうなってしもうた…… 照詮はんには相応しゅうない女子になってしもうた……」
「何を言うか!」
俺は強く否定した。彼女の痛みがほんの少しでも和らげとばかりに抱きしめた。
サチは泣き出した。泣きながらサチは、ゆっくりと自分の胸元から何かを取り出した。彼女が取り出した物は…… 俺が贈った珊瑚の花飾りだった。生き死にの狭間でも、俺のことを想って肌身離さず持っていたのか。物など放り出していいものを…… 俺はその手をギュっと強く握りしめた。
「越後屋の娘だからじゃない! 俺はサチだから気に入ったんだ! 髪なんて気にするなッ!!」
「…… 照詮はん ……」
俺の胸の中で泣きじゃくるサチ。俺はそんなサチが愛おしくて仕方なかった。
「それに…… その、なんだ」
「?」
「ショートカット、いや、短い髪も似合うておるぞ?」
「……まあ」
髪の長いことが美しいと言われる時代。美人の条件には髪の長さは重要な地位を占める。だが、そんなことは断じて関係ない! サチはサチだ!
涙で長い睫毛を濡らしながら、サチは白百合のように笑った。ようやく笑ってくれたサチの美しい髪を撫でながら、俺はサチをさらに強く抱きしめた。
白狼、赤燕、長野業正、上泉信綱、弥太郎、保科正俊、ヤルノ、ヴォルフハルトなどに囲まれながら、俺は一時の安らぎを感じた。よかった。本当に無事でいてくれてよかった!
空を飛んでいた大鷲のレラは俺の傍まで降りてきて「ピィーーッ」と高く鳴いた。小姓の藤丸だけは「報告、報告っと」と何やらメモを取っている。お前、レンの手下か!?
いつまでもこうしていたいが、俺にはやらねばならぬことがある。
「サチ。すまない。俺は直江津に向かう」
「…… あい。いってらっしゃいな」
「赤燕ばあさん。サチを頼む」
「はいよ、照詮坊や。気を付けていくんだよ」
サチは俺にとってこの世で最も安全な場所、羽茂城で休んでもらう。レンだって今のサチには優しくするはずだ。綾は、まあ問題なかろう。ノンノは分からん。だが俺の決めたことだから従ってくれるはずだ。
「憂いは全て無くなった!!」
俺は気持ちを戦闘態勢に切り替えた。
大きく息を吸う。そして全軍の一人ひとりに伝わるように大きく叫んだッ!
「佐渡の総力を、長尾家にぶつける!」
「応っ!」
「目指すは敵軍居城! 春日山城を強襲するッ!!」
「応っ!!」
「乗り込めーーーッ!!」
「おおおおおおおおおおおおおっ!!!」
俺の合図と共に、佐渡軍精鋭四千が西洋型帆船「キャラック」二十隻、漕ぎ手が漕いで進む出足の速い櫂船仕立ての「佐渡船」四十隻、そして俺の旗艦である重キャラック「龍王丸」に乗り込んだ。
ダラダラやるつもりはない! 一気にカタを付けてやる!!
「第七十七話 ~粒粒辛苦~」で撒いておいた種が実を結びました。いや、芽を出した、というべきでしょうか?
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