第百二十話 ~起死~
<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 越後屋本店付近>
長尾家御家人、両角義達は当主長尾晴景、家老直江実綱の命に従って越後屋の屋敷を取り囲んでいた。義達は皆と同様に、若様直々のお出ましとあればさしもの越後屋も心変わりをして対羽茂本間へと向かうだろうと考えていた。だが、まったく予想していなかった下知が下った。
「越後屋の者共を捕えろ!」
越後屋は直江津の町では知らぬ者がいないほどの名店。近隣国はおろか京の都にも影響力を及ぼす大商家。それを潰すというのか!? 罪状は? その先の影響を考えてのことなのか!?
しかし一介の御家人である義達には否応がない。多くの侍たちが土足で店内に押し入っていくのを見守るしかなかった。
「義達! お主は裏手に回れ! 逃げる者がいるやもしれぬ! 少しでも抵抗があるなら斬っても構わぬ!!」
「はっ!」
年下の上役に命ぜられ急ぎ裏手門の方へ駆ける義達。手には愛用の刀。商家の者を手にかけるなど気が進まぬが、命令とあれば已むを得ん。
意を決した中年の侍は角を曲がった。この先を行けば裏門だ。商家の者、特に「直江津一の華」と呼ばれる蔵田五郎佐の孫娘が逃げているかもしれん。
が、そこにいたのは汚らしい身形をした老婆と、ざんばら髪のこれまた汚らしい餓鬼が一人。物乞いだろうか?
「おい、婆さん! 越後屋の者達がここから出ていかなかったか?」
義達は尋ねた。
すると老婆は餓鬼に寄り掛かるようにしながら、フルフルと指を震わせて港の方角を指さした。
「あちらか!」
駆ければ追いつけるかもしれぬ。捕まえれば恩賞に預かれる。
代替わりにより、長尾家は揺らいでいる。これまで功のあった者が要職を外され、晴景様子飼いの者が中枢を担い出した。特に先代為景殿の「懐刀」と呼ばれた中条藤資様は蟄居同然と聞く。儂のように家格も低くうだつの上がらぬ者には好機じゃ。
「よし!」
心躍らせて駆けようとする義達。そんな義達を遮るように老婆は黙って両手を御椀のような形で差し出した。物乞いか?
「そんな暇はない! 殺されぬだけでも感謝せよ!」
汚い手を払いのけるようにして、義達は誰もいない方角へと駆けだしていった。
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<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 隠れ家>
乞食に身を扮したサチはまだ震えていた。あまりの急すぎる出来事。店を後にして見知らぬ老婆の助けを借りてどうにか民家に辿り着いていた。
「あ、あの、御婆はんは……?」
「おうおう。もう声が出せるとは大した女子よのう」
そう言うと老婆は自身の顔を布で擦り出した。すると、みるみるうちに爛れ汚れた皮膚は跡形もなく落ちていった! 妖の術!?
「あたしゃ『赤燕』というもんさね。安心しておくれ。アンタの味方さね」
「……本当に?」
「ああ、本当さね」
サチはまだ心を許してはいなかった。見ず知らずの人をすぐ信用してはいけない。商家の鉄則だ。でも、どことなく穏やかで品があり、よく見れば目尻の小皺などとても愛らしい人だ。老婆が手を動かすたびに、髪の毛の汚れも手足の爛れも瞬く間に落ちていった。
「アンタの曾爺さんには、世話になったからねぇ。あの人によく似たアンタを助けられてとても嬉しいよ」
「……そうなんや?」
「済まなかったねぇ。逃げ出す為とは言え、大事にしていた髪をバッサリと切ってしまって。あの場を切り抜ける為には仕方がなかったんじゃの」
「ううん。平気。……ちょっと驚いてもうたけど」
「……いい子やね」
そう言うと赤燕はサチのざんばらな髪を撫でた。そして、どこからか取り出した櫛で梳くと、泥で汚した髪を丁寧に拭き始めた。サチが元の綺麗さを取り戻した後には、備え付けの箪笥の中から市井でよく見る小袖を取り出した。着替えるらしい。
「この後はどないなるん?」
「そうさね。そのうちここに白狼の坊やが来るから、そこから佐渡に行きましょうね」
「えっ!?」
「おや、言ってなかったかいね? あたしゃ佐渡の照詮坊やの忍びだよ?」
「照詮はんの!!?」
サチは胸元に忍ばせた珊瑚の花飾りをギュっと抱きしめた。
変装、医術に長けた赤燕の機転によって、サチはほどなく佐渡へと保護されることとなる。
『越後屋当主蔵田五郎佐が長尾晴景によって春日山城内の館に閉じ込められた』ことは、直江津の民に知れ渡った。直江津の町を発展させた功績ある大商人ということで、とりあえずは地獄の沙汰を逃れた。
だが、長尾家の主君の不興を買った罪により、『その命は風前の灯』と囁かれていた。
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<天文十年(1541年)二月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 評定の間>
「久しいな。政頼殿」
「出羽守様、いや、左近衛中将様でしたな。大変失礼仕りました」
俺の言葉を受け、平伏したのは長尾家の使者信濃国北部の国人衆の高梨政頼だった。三分一原の戦いでは左翼を務めた俺とは逆の右翼を任され奮戦した。筋の通った素晴らしい武人だ。長尾家からの公式な書状を胸に使者として送り出されてきた。以前に送られてきたあの胸糞悪い書状の返答を催促するものであろう。
高梨政頼は張り詰めた表情をしている。忍びが仕入れてきた情報の通りなら否応なしにこの役を任されたとみえる。少し探りを入れてから進めるとするか。
「確か政頼殿の御母上は亡き信濃守殿(為景)の妹君でしたな」
「はっ」
「故に長尾家とは近く、北信濃の小笠原殿や村上殿からは遠いとか」
「……ご存知のようで」
「先代の信濃守殿からは信頼篤く、厚遇されておられましたな。代替わりによって今は外されていると聞き及びます。心中お察し申し上げますぞ」
「…… 申し訳ありませぬ。お話を進めさせて頂いても宜しゅうございますか?」
高梨政頼は俺の話を打ち切り、新主君晴景からの話を切り出そうとしてきた。
「いや、話さぬでよい」
「はっ!?」
「話すと御身とてただで済むまい。こちらとて覚悟はあるぞ」
「……武家の習いにて。覚悟は出来ております」
清々しいほどに落ち着き払っている。死をも覚悟している者の目だ。余程の決心をしてこの役を受けているのだろう。
「では聞こう」
「はっ」
襟を正し、大きく息を吸い込んだ壮年の武士。意を決して書状を読み始めた。
「羽茂本間は我が長尾家に対して敵対的な行動を取り続け、我らを脅かす存在である! 我等に何の断りもなく出羽国や陸奥国を攻め取り、数々の長尾家の宝を奪い、果てはまた海賊を用いて越後の海を荒らし回ったこと、断じて許しがたい! 臣従を受け入れるならばよし。さもなくば周辺国一同、武をもって佐渡の地を焼け野原にする所存である! 返答を即刻に求めるものである!!」
明確な宣戦布告状だ。固唾を飲んで俺を見つめる評定の間の面々、そして高梨政頼。
「よろしい。ならば戦だ」
俺は冷静に答えた。後世に残る「佐越の戦い」はこの時から始まった。
そして、この使者を黙っては返せない。こちらには何の落ち度もない。斬られても文句は言えない内容だ。黙って返せば「腰抜け」と言われるやもしれぬ。
だが、この男は救ってやらねばならぬ。
「……ところで、高梨殿には同じ信濃の岩井成能殿の娘を正室にしておりましたな」
「はっ!? はは!」
「今は娘御を大層可愛がっておられるとか。御息災かな?」
「……」
顔をしかめる高梨政頼。どうやら白狼達が調べていることは本当のようだ。
「この度のこの汚れ役を引き受けねば、捕らえられた妻と娘を殺される、か」
「…… 役目のため! 決して脅された訳ではござらぬ!」
「安心せよ。ここには儂の手の者しかおらぬ」
「くっ……」
そう言うと政頼は涙を流し始めた。
「聞いてくだされ! 左近衛中将様!!」
「うむ」
「代替わりにより、長尾家は愚茶愚茶にござる!! 北条殿! 中条殿! そして儂のような古参の将は人質を取られて無理難題を強いられております! 代わりに入ったのは若様子飼いの若輩者ばかりの無法者共!! 奴らは民も商家も踏みにじっております! このままでは長尾家は! 長尾家が!!」
号泣する政頼。
あまりの熱の入った訴えに俺も家臣達も涙を流さずにはいられなかった。
「安心せよ政頼殿。我らに任されよ」
「し、しかし!」
「政頼殿にはここで監禁されたことにする。表向きはな」
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長尾家に「羽茂本間照詮、激昂して使者の高梨政頼を捕えた後、全軍に戦の号令をかけた」と伝わったのは、使者が海を越えて戻ったその日の未明だった。
当主長尾晴景は夜更けにも拘わらず諸将を集め、急遽評定を行うことにした。




