第百十九話 ~羽茂本間包囲網~
お待たせしました。
第九章「佐越の戦い」開幕いたします。
<天文十年(1541年)二月 越後国 頸城郡 直江津 越後屋本店>
「何度来ても同じですよってッ!」
越後屋当代の蔵田五郎佐は大声で叫んだ。先月から続けてこれで四度目だ。
代替わりをした長尾家の当主となった晴景様から「羽茂本間との取引を全て中止せよ」との急命が下った。何たる無法や!
商人は信用第一! 付き合っていた相手との縁を「はい、切ります」とは、いくら長尾様の命とてできへん!! しかも、よりによって小鬼はんと! ありえへんありえへん!! あのように信の通った方を、裏切ることなぞ絶対にできへん!!
「越後屋蔵田五郎佐。直江津商人の顔役として甘くしてきたが、今日という今日は見逃さんぞ?」
「長尾家に逆らうと、越後に居場所が無くなるぞ?」
柄の悪い役人が脅してくる。何だ? どうしてこうなった! 長尾家!?
「直江津の商人を舐めるな!」
「越後商人を無視して、越後の国を治めようとするのは道理が通りまへん!」
手代や番頭達も加勢する。そうや。間違いを正してこその越後商人や!
「どう言われようとも、直江津に人ありと言われたこの蔵田五郎佐! たとえ若様がお見えになられても、返事は変わりまへん! お引き取り願いますよって!!」
直江津の名のある商家には長尾家の手が入った。皆、羽茂本間とはいい付き合いをさせてもらっていた為に突っぱねた。だが一人、また一人と長尾家に従いよって…… アカン! 直江津商人の気概を失うとる! アカンもんはアカンのや! こないなことをしてたら長尾家とてただでは済まん筈やのに……
「若! 五郎佐の奴、首を縦に振りませんぜ!?」
一人の細面の若侍が後ろを振り返った。
「…… 『若』は、やめろ。安武。儂は長尾家『当主』じゃ」
言われた先にいたのは……
「若はん! どないなってますやら! 直江津の皆はカンカンですよって!!」
「『若』、ではない!」
顔を苧漢頭巾(切妻屋根形の頭巾)で覆った男。多くの護衛を従えた目つきの怪しい男。か細い声を精いっぱいに張った狂気の君主。乱世の奸雄長尾為景から後を継いだ越後国守護代職、従五位下長尾信濃守晴景だった。
「晴景、様……」
「蔵田五郎佐。其の方、儂の命令に従えぬと申すか……?」
ゾクッッ
直江津の港を束ねる老商人は気味悪いほどにネトついた悪寒を感じた。
(これが若様!?)
五年ほど前に御用の為に出向いた際は、「線の細い嫡男様やなぁ」と思うておったがまだ知性と理性を感じた。だが、今ではどうだ?! まるで死刑前の罪人や! ここまで危うくなっていたとは!!
「当家は長尾家の御用商人(武家が最も懇意にしている商家。特権が許される代わりに物資等の調達に携わる)! 応援させてもろうております!」
五郎佐は額の汗を拭った。
「しかし今回の令には従えまへん! 羽茂本間とは仲良うしとったやんかっ!? 今からでも遅くありまへん! 仲良うしてくだされますよって!」
「は、羽茂……本間ッ!?!?」
急に晴景様がブルブルと震えだした!?
「…… どないしました?」
「…… す……」
「は?」
「…… 殺す! 羽茂本間ころすっ!!」
晴景様が地面に目を見開き、唸るように声を振り絞った!
アカン!! 狂いよった!!
「皆、にげえや! 皆を! サチを逃がせ!!」
「越後屋の者共を捕えろ…… 一人残らずだ」
狂気の君主は下卑た子飼いの侍達に告げた。
「へい! 『直江津一の華』もですね?」
「一人残らずと言ったはずだ!」
声は小さい。だが意志ははっきりしていた。
蔵田五郎佐の孫娘サチは「直江津一の華」と称えられるほどに、純白のユリのように美しく成長していた。絹のように艶やかな長い黒髪は、来るべき婚礼への準備と巷で評判になっていた。その娘を「捕らえろ」という言葉には「乱暴してもいい」という意味も含まれている。部下達はそう判断した。
「オラッ! 長尾家御当主様の御下知だ! 観念しろぃ!」
「ひ、ひぃぃ!!」
手代や番頭達は顔を歪めた。
蔵田五郎佐は今もなお地面に向かってブツブツと呟く長尾家新当主をまじまじと見つめていた。そして……
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「た、大変です! 長尾家の者達が襲ってきます!!」
「エエッ!!」
「何だって!!?」
手代の足助が血相を変えて飛び込んできた!
サチは身の周りの世話をする女中達と奥の間にいた。本間照詮からもらった珊瑚の花飾りを椿油を染み込ませた絹布で大事そうに磨いていたときだった。
一報を聞いたサチは目を大きく見開いた!
だが、驚いている場合ではない。次の瞬間には思考を巡らせ始めた。「何故」と聞いている時間はない。既に屋敷は取り囲まれているかもしれない。でも、逃げるなら今しかない!
「この場を離れなあきまへん! 皆、すぐに出立しますえ!」
「お姫様! しかし何か準備を……」
「そないな暇はあらしまへん!」
(いつもゆったりとした口調のお姫様が?)
(それほどまでに大変なのかしら? まさか……?)
まごつく女中達の姿を見たサチは自分の身は自分で守るしかないと決めた。胸に照詮からもらった花飾りのみを抱き、裏手門の方へと駆けだした!
駆けだしたサチ。だが、その先を待っていたのは酷く汚らしい姿をした老婆だった。
「どいとくれやす! 先を急ぐさかい!」
「…… 可哀そうに。だが、こうするしかないんだよ……許しておくれ」
そう呟いた老婆は、胸元から鋭い刃物を取り出した……
「ひぃ!!?」
「諦めるんだよ……」
老婆はサチの首元へ刃を突き立てた……
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<天文十年(1541年)二月 越後国 蒲原郡 新発田城 城主館>
新発田城城主、新発田綱貞は斥候の報告を聞いて厚い唇をブルブルと震わせた。
「な、長尾家の大軍がこちらに向かっておるだと……!?」
「はっ! その数、およそ五千!!」
「ご、ご、五千……!!」
「先陣の旗紋は『九曜』の黒揃え!! 『柿崎景家』の軍に間違いありませぬ!!」
「か、か、柿崎……!!?」
まさかこの寒空の中を攻め入ってくるとは!! しかも柿崎景家!? 「長尾家の阿修羅」と準えられる猛将ではないか!!
色部殿や加地殿といった面々は羽茂本間殿に任されている出羽国や陸奥国の統治に出向いておる! 揚北衆で残っておるのは儂を含め黒田秀忠殿など僅か。となると……!
「急ぎ佐渡の羽茂本間様へ使いを出せ! また出羽国の宇佐美殿にも!! 揚北の地を守る為、何としてでも時間を稼ぐぞ!! 戦支度を始めよ!!」
「ハッ!!」
越後国北部の蒲原郡、そして阿賀野川北の揚北の地が戦火に見舞われようとしていた……
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<天文十年(1541年)二月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 評定の間>
船旅を終えて居城の評定の間へ駆け込んだ俺を待っていたのは、途方もないほどに悪い話ばかりだった。
留守を守っていた長野業正、辻藤左衛門信俊らが血相を変えて報告してくる。
「直江津や柏崎の港の商家が、長尾家から『羽茂本間との取引を禁ずる』との令が発せられました! 両港は一切使えません!」
「越後屋が取り潰しになりました!! 蔵田五郎佐は最後まで長尾家に従わなかったそうです!」
クソッ! 何だって!?
御用商人を取り潰すとか! いくら俺に親しいとはいえそこまでやるか?! アホすぎるだろ!!
「蔵田のおっさんは!? サチは無事なのかッ!!?」
「そ、それが、全く分からず……」
「な……!?」
この時代の取り潰しだ。良くて牢屋、悪くて……
俺は頭を振った。悪い考えをしても無駄だ。先を見据えて動かねば!
「白狼を呼べッ!!!」
「ハッ!」
「ほとんどの越後の商家が我らと縁を切りました。柏崎屋が長尾家の新たな御用商人となったようです」
日戸市で出会った、あのヘビのような顔をした柏崎屋がか。奴の高笑いが聞こえてきそうだ。
さらに悪い報告が続く。
「両港の空海屋の店も潰され、赤泊と小木へ逃げてきております! いかがしましょう!?」
「長尾家、上田長尾家、上条家の軍が蒲原郡西部へ向かっております! 先陣は柿崎景家! 新潟城と新潟三津(新潟港、蒲原港、沼垂津)を抑え、揚北へ攻め入ることが狙いかと! 」
「佐渡国内から『羽茂本間の圧政から逃れる為に戦う!』との動きがあり申す! 委細調べております!」
「越中の神保家、能登の畠山家、上野の山内上杉家、下野の宇都宮家から『宣戦布告状』が届き申した! 『羽茂本間包囲網』と称しておるようで御座います!!」
「あ、足利将軍家から『長尾家に仕えるように』との御内書が……!!」
「長尾家からの使いの者が来ております! 高梨政頼と申す者です! お会いになられますか!?」
「……」
俺は眉間に力を入れたまま目を閉じ、腕を組んだ。そして、ゆっくりと頭を垂れた。
「殿!」
「殿!! お気を確かに!!」
皆が俺を心配した。これほどまでの報告に俺が動けなくなったと思ったようだ。俺は答えない。
シンと静まり返った評定の間。
空白の刻が永遠のように流れる。珍しく降る佐渡の雪の音すら聞こえるような静けさだ。
だが、それを易々と打ち破った者がいた。
環塵叔父だった。
「ま、何とかする。そうじゃろ? 照詮」
飄々とした叔父の声。
「……だな」
応えるように、俺はゆっくりと頭を擡げた。
そして、これから始まる「佐越の戦い」をじっくりと思い描いた後に、俺は瞳をカッと見開いた!
港の封鎖。懇意の商人の安否。国内の反乱の動き。多数の家からの宣戦布告。そして蒲原郡への戦の足音……
課題、難題、降りかかる火の粉。
「佐越の戦い」は大きな波乱含みの幕開けです。
ここからの怒濤の巻き返しにご期待くださいませ(*´ω`)




