第百十五話 ~一期一会~
下書きしていたものが予約暴発してしまいました。申し訳ありません( ノД`)シクシク…
イ〇テQで「佐渡ヶ島が出る」と知って、「それまでには新しい話をあげよう」と意気込んでいたのですが、間に合わず><
新しく書き直しました。よろしくお願いいたします。
<天文十年(1541年)一月 摂津国和泉国 堺港 寺>
「う、うぅぅ……」
田中与四郎は涙を堪えながら、簡素な墓石を磨いていた。
堺の町を襲った流行り病により、父に続いて祖父も失ってしまった。厳しかったけれども商売のいろはを教えてくれた父と祖父。その大事な肉親の弔いに、葬式はおろか僧侶に経を読んでもらう金すらない。残された妹と二人で、どのように生きていけばよいのだろう?
家業の貸倉庫業も右肩下がり。店の金に手を付けることはできず、新年を迎えても正月らしいこともまるでできていない。愛想をつかされて奉公人が一人、また一人と辞めていった。六尺という恵まれた体躯だが、商家育ち故に武芸の覚えもない。
涙がぽとり、またぽとりと零れ落ち、次第に地面を大きく濡らしていった。そんな時だった。
「もし、そこの方?」
蹲る与四郎に声をかける者がいた。
両の目から涙を流しながら与四郎が声の方を向くと、そこにいたのは十くらいの童子だった。小ざっぱりとしたよい身形をしている。近くには親御らしき壮年の男と下男が数人。荷駄を運んでいるようだ。旅商人の者達だろうか?
「そこの方、どうなされましたか?」
「……いえ。何でもありませぬ」
与四郎は恥ずかしい所を見られたと顔を拭った。旅の方々にすら心配されるとは情けない。
しかし、その童子はさらに声をかけてきた。
「ですが、ただならぬご様子。ここで通りがかったのも何かの縁。お話していただけませぬか?」
「…… はは。では……」
与四郎は、目の前の左額に傷のある童子の持つ不思議な魅力に引き寄せられるように、つらつらと身の上話を話し始めた。童子はうんうんと頷き、聞き終わると語り掛けてきた。
「悪いことは重なるものじゃ。どうであろう。ここにいる環塵叔父は生臭は酷いが徳のある真言宗の僧じゃ。経を読ませてはもらえぬか?」
「『生臭』、は余計じゃ」
「おお? 商家の方ではなかったのですか?」
「はは。世を忍ぶ仮の姿、という奴じゃな」
「訳あり、ということですか。ですがもし、読んで頂けるのであればよい供養となります!」
与四郎が頭を下げると、柔和な様子を見せていた僧と言われた男が墓前に立った。確かに見てくれはそれほど徳のあるようには思えない。だが、墓石に向かって一礼すると瞬時に雰囲気が変わり、太くよく響く声で経を読み始めた!
「唵 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉……」
「おおぉぉぉ……」
寺の隅々までも清まっていくような、実に見事な経だ。
周囲の通行人や参拝人の足が止まり、次に両手が重なった。その場にいる者が次々と「ありがたや、ありがたや」と手を合わせて拝みだした。与四郎も当然、その一人だった。
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御坊の読経が終わった。
「何と御礼を言ってよいやら。父と祖父によい供養ができ申した」
ありがたいことだ。これで前を向いて進んでいける気がする。与四郎は心の底から礼を言った。
それを聞くと童子と僧は微笑んだ。そしてさらに、
「非常にお困りとのこと。些少ではありますが、お手伝いをさせてくだされ」
と、下男に何事か命じた。下男が取り出したのは……ズシリと重さのある袋?!
「いえいえいえ!! とんでもないことで御座います!」
中に入っているのは、多分金子だろう。経まで読んでいただき、さらに金子など。私には返すあてなどまるでない! 猛烈に断りを入れた。しかし、
「いや、これから先を急ぐのでな。これくらいしかできぬことを許されよ」
童子はそう言うと、無理やりにずしりと重い袋を私に握らせた。
「…… ありがとうございます。この御恩は必ず返します!」
「何。大したことはしておらぬ。忘れてくれていい」
「とんでもない! せめてお名前だけでも!」
「いや。名乗るほどでもない。それに、もう会うこともなかろう。恩は誰かに返してやってくれい」
そう言うと、童子一行は先に行こうとした。
「…… 何故に、でございますか」
「何故?」
与四郎には納得がいかなかった。
「何故に、見ず知らずの私に、このような厚遇をしてくださったのですか?」
「ん。通りがかった、としか言いようがないな。それと…… 『一期一会』、だな」
「『いちご、いちえ』……?」
「人との出会いを大切にして、できる限りのことをする、といった所、かな。ではな」
不思議な童子達は立ち去ってしまった。
与四郎は、しばし呆然と立ち尽くしていた。
……私は夢を見ていたのか?
それか、聖人様が現実に現れたというのか?
しかし、手元にはズシリと重い袋がある。そして、不思議な言葉を残していった。
「一期一会、か……」
与四郎は、今までの心の中にあったもやもやとしていた漠然としたものが、一気に晴れた気がした。その時、
ゴーーーン、ゴーーーン
申刻を知らせる寺の鐘が鳴った。
「しまった。師匠と会う約束をしていたのだった!」
与四郎は慌てて駆けだした。
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<天文十年(1541年)一月 摂津国和泉国 堺港 邸宅>
「……これがお持ちした『呂宋壺』でございます」
「おお!!! 何と見事なッ!!!」
「これは…… そして……」
邸宅の中からは複数の声が聞こえる。師匠が誰かと話しているのだろうか?
「師匠! 宗易が参りました!」
「おお! ちょうどよい所へ」
「宗易」は私の茶名である。
部屋へ入ると、茶の湯の師匠である武野紹鴎様と北向道陳様、さらに津田宗及など同門の門弟達。そして……
「おおッ? エエッ!?」
そこにいたのは、先ほど聖人の化身と思うた童子と御坊、そして下男だった。
「はは。世は狭いのう」
笑いかけてきた童子。
「何じゃ? 宗易。知り合いか?」
「はっ!!」
不思議なこともあるものだ。もう二度と会わないと思った方とまたお会いできるとは。
「宗易。この御方は年はお若いが非常に優れた御方であるぞ」
「ここに居られる御方は、佐渡国に本拠を構えておられる羽茂本間出羽守照詮様じゃ。」
「!? 昨年に北を制したと風の噂に聞いた?!」
若いと聞いていたが、これほどまでに! 私が会ったのは大人物じゃった!!
「…… 先日、参内した際に『左近衛中将』を御上から賜りまして……」
「何と! これは失礼をば!」
師匠二人が深く陳謝した。これも通常は有り得ない!
師匠武野紹鴎様は唯の茶人ではない。若狭武田氏の御生まれで、今では引退されているもののかつては堺に大きな店を構えた豪商。古典や連歌に長け、朝廷からは因幡守に叙された大人物。そして茶人としては「天下三名壺」として名高い「松嶋の壺」をお持ちの天下の名人! その御方に頭を下げさせる童子とは!?
「どうでしょう、左近衛中将様?」
「そうだな。この者をお願いしたい」
何かの話がまとまったようだ。
「どういうことで御座いましょう?」
「喜べ、宗易。お主、『茶人』として佐渡の地へ行くことができるぞ」
「えっ!?」
話が見えない。
「何のことで御座いましょう?」
「うむ。儂が以前よりお主に目をかけてきたのは存じておろう。若いながらに茶の湯の精神というものを深く理解している、と常日頃より褒めて参った」
「はい」
「だが、家業がうまくゆかず金が続かず、ここも辞めようと考えていたであろう」
「ははっ。申し訳ありませぬ。今日はその暇乞いに……」
師匠が膝を叩いた。
「そこへ、この左近衛中将様が『茶道に長けた者を紹介してほしい』と仰ってな。お主を紹介したら『是非に』と仰って頂いたのだ」
「何と!!」
茶道は私の生きがいとなっていた。続けることができるのは何より有難い!
「『千利休』という者が欲しい、と頼まれたのだが、『そんな者はいない』と断った所でな」
「は、はあ」
「呂宋壺などの茶器も多数お持ちと聞く御方じゃ。津田の天王寺屋よ、取引を頼むぞ」
「はは。心得てございます」
!!?
呂宋壺は一つ百貫文(一千万円)すると聞くが、それをいくつも!? 何という財力じゃ!
「では、頼むぞ。宗易」
「よろしくお願いいたします。本名は田中与四郎と申します」
「よろしくな。与四郎。『一期一会』のつもりであったが、「二会」にも「三会」にもなりそうじゃな」
「……真に」
「おお? 何ですかな? その『一期一会』という言葉は?」
そこからさらに話に花が咲いた。
そうだな。小さな倉庫業など辞めてしまおう。妹と二人、佐渡へ行くことにしよう。
茶の湯を極めることに一生を捧げることができるのであれば、これに勝ることはない。
……そういえば、先ほど「千利休」と言ってたな。
「千」は、私の祖父の苗字であるが…… まさかな。まぁ関係はないだろう。
茶の湯は、当時の嗜みとして非常に重要でした。
本名「田中与四郎」の「千利休」は晩年での名乗りであり、ほとんどは作中の「宗易」で通したようです。「宗易」の名は有名なので、主人公はもしかしたら聞いたことがあるかもしれません。
六尺を越える体であったことは、鎧が残っているために間違いがないようです。
商人、茶人であった千利休は、豊臣秀吉に三千石で召し抱えられ、武士のように扱われていたため鎧が現存しているそうです。利休の名は、「わび茶」を完成させた「茶聖」としてあまりにも有名です。
秀吉を迎え入れるために、庭の朝顔の花を切り落とし、不審に思った秀吉が茶室に入ると一輪だけ朝顔が生けてあり、一輪ゆえに際立てられた朝顔の美しさに秀吉は深く感動した、という逸話が残っています。
偶然でも心を尽くしたもてなしを大切にしたようです。そして、見栄を嫌いました。
ある日利休は、親しい茶人の家にふらっと寄ったときに、庭が手入れされていてその場にあった柚子で柚子味噌を出してもてなしてくれたことをとても喜びました。しかし、その後に当時日持ちしなかった高級品の蒲鉾が出てきた際に、準備を整えたうえで素知らぬ態度でもてなしてきたように見せかけたことにその主人の見栄を感じてがっかりして、その場を去ったと記述されています。
今回の主人公は偶然出会いましたが、これが千利休と知って経や金子を渡したと知ったら、やはり佐渡行きを断ったことでしょう。
晩年は天下を取った秀吉と対立(様々な説あり)して、切腹させられました。私は秀吉の成金趣味と反りが合わなかった、そして「偉そうだ」と思われたことが大きな原因かなと思っております。
冒頭、与四郎が墓石を磨くという記述があります。
ですが、当時墓石という供養は一般的ではなく、火葬と土葬が半々くらいで、それも死者を埋めて石を一つおいて終わり、ということも珍しくなかったようです。今のような墓石ができ始めたのは江戸時代に檀家制度が入ってからとか。作中では商家ということで簡素な石が置いてある、程度に考えてくださればと思います。




