第百十四話 ~拝謁と将棋~
<天文十年(1541年)一月 京 京都御所 渡り廊下>
「くはああああああぁあ~~」
だりぃ!!
「拝謁」だの「勅命を奉じて賊討に赴く」だの、なんやねん!
そんなんこねくり回してる暇があったら、素振りの一回でも畑の雑草抜きでもしてた方がよっぽど有用だわ!
そのくせ館はボロボロ。床は穴だらけ。着物に継ぎはぎこそ無いものの、くたびれたものばかり。俺だけ光り輝く「抱き葉菊」直垂着てるのが恥ずかしいわっ!!
宮中に参内しての御礼は終わった。
出羽国、陸奥国、そして蝦夷を平定したことにより、「従四位下」の位階と「左近衛中将」の武官位をもらった。まあちり紙くらいの効力はあるだろう。参内するには官位が必要とかで、護衛の弥太郎も「従五位下」と「佐渡守」をもらった。「従五位下小島佐渡守弥太郎」の誕生だ。おめでとう、というべきかな? 妙恵おばさんは喜びそうだ。
「照詮。もう少し我慢はできんのか?」
「無理無理。だるすぎて」
「……おれ゛も、づがれだ……」
環塵叔父は呆れ顔だ。一応、帝に直接会う時はそれなりにしてたさ。後から面倒になるからな。でもいつまでもは無理無理。三人だけの移動中くらいは許してくれよ。
帝はやつれ気味ではあったが、環陣叔父の言う通り、声の張りや態度といい、傑物なのは感じた。清廉潔白ってのもあながち嘘じゃなかろう。そして俺のことを「義弟」と呼んだ。環塵叔父の言ってた順徳院うんぬんは本当だったんだな。
肩書の御礼に三千貫文を「気持ちです!」と言って渡すのは大変だったが、まあ感謝はしてもらえただろう。
あー、格式だのしきたりだの家柄だの。どうでもいいわ!
えーと、「紫宸殿」を出て、朱塗りの柱を抜けて、「諸大夫の間」の「桜の間」に戻って、「御車寄」っていう玄関を通って?
……早く宿に帰って味噌汁飲みたいわ。
そんな俺達が来るのを見計らったかのように、公家が数人、渡り廊下で止まっていた。目の前まで来たら道を譲るのかな、と思いきや恭しく礼をしてきた。どうやら俺達を待ちかねていたらしい。
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<天文九年(1541年)一月 京 京都御所 御学問所>
連れてこられたのは、サロンと言った感じの場所だった。そして俺達を連れてきたのは、三条何とかという公家のようだ。どうやら、俺と話をしたいらしい。
「まぁ、まずは囲碁でもどうでしょう?」
と言われたので、ちょっとやってみることにした。
囲碁は、うん。ルールは知ってる。ヒカ〇のGO!は全部読んだ。でもそれくらいだ。
数手差したら「ド素人」ってのがバレた。コテンパンに負けた。何この三条公頼っていう人! 強すぎない?
「ほほっ。この手の場合は、ここに石を置けばよろしいかと。次の狙いはここです」
「おーなるほど」
「いやいや、先にこちらに布石を打つのがよろしいかと」
「いや、その一手は温い。大桂馬として……」
何やら公家のおじさんたちが集まってきた。どうやら自分達の領分に囲碁下手な子どもが混ざってきたのが嬉しいようで、手取り足取り教えてくださっている。何だ、皆いい人達じゃないか。俺は素直に教えに従った。まぁ、交流ってこういうものよね。
しばらくして辺りを見回したら、
「おお? 将棋を指してる!」
七・八人くらいの人が将棋盤を囲んで勝負に熱中している。
将棋は好きだ。そして、強かった。小学校の頃は学校で敵なしだった。
だが、本当に強い人には付いていけなかった。ネット対戦でも上には上がいてそう簡単には勝てない。まぁ、ある程度の知識はあるし、詰将棋は今でも好きだけど。
「あぁ、あれは難しいですぞ。取った駒を使えるようになった、新しい遊戯でおじゃる」
「え? 将棋は取った駒が使えるもんだろ?」
あれ?
そういや、昔の中将棋とか小将棋とかは持ち駒再使用ができないルールだったっけ。なるほど、この時期にルールが変わったんだな。本将棋の黎明期といった所か。
どれ、対局を見せてもらうかな。
ふむふむ、いきなり中飛車ね。
えっ? 右の銀が金の上に上がる?
えッッ!!? さらに左の銀が上がった!! これってもしや……
「無敵囲い!!?」
よく小学生が差す、初心者丸出しの戦法じゃん!! 本気なの!?
だが周りの公家たちは、
「ほほう、流石」
「これは手ごわい」
とか感心してるんですけど!!
次に左右の桂馬が上がって5三の地点を狙ってる。
んーと、ボクシングで例えるなら…… 両手をぐるぐる回して前に進む、駄々っ子パンチ? 小学生以下の打ち方だ。
この程度のレベルなら無双できるわ。
「この将棋、やらせてほしい」
「いやいや。囲碁であの程度の手筋の者には、難しすぎるでおじゃるよ?」
「まあまあ、そう言わず」
俺は早速本将棋で公家のおじさんたちと勝負を始めた。
7六歩からの7五歩。早石田戦法だ。急戦で一気に相手と差を付ける。
「おお?! そんな指し手が?」
「…… なんと! 飛車が三筋に!!」
「角交換からの・・・両取り!」
「ああ、もう終わってしまった……」
「対局、ありがとうございました」
うん。やはり本将棋の戦法とかはまるで開発されていない。対策とかも全然分かっていないようだ。
そんな俺の強さに感心したのか、一人の公家が俺に声をかけてきた。
「どれ、麿にやらせていただこう」
「!? 親王殿下!?」
やってきたのは二十歳そこそこの面長で切れ長の目をした公家のお兄さん。まあ、この場にいるんだから位は高いんだろうな。だが囲碁や将棋に身分も糸瓜もないわ。実力勝負だ!
「よろしくお願いします!」
……
早石田と美濃囲いで万全の勝利。
目を丸くした若い公家。
「…… この戦法、何という名じゃ?」
「えっと、石田、いや、『羽茂流三間飛車』です」
石田検校先生、すいません。「誰?」ってなるので、羽茂流にさせてください。
「この囲いは?」
「あー、美濃、いや、『佐渡囲い』です!!」
「なるほど、島ならではの堅さを感じるのう」
うん。美濃とか今の俺には関係ないもん。「佐渡囲い」で通させてもらう。口八丁手八丁だ。
俺の「羽茂流三間飛車」と「佐渡囲い」に公家達は大騒ぎしている。
「何という強さじゃ!! 初めて本将棋を行う者とは思えぬ!」
「強いっ! 麿も真似てみねば!」
「先読みの力に加え、攻めと守りの妙手! 天賦の才を感じるわ!」
すいません、すいません。
奨励会の「し」の字にも引っ掛からないド凡才です。
まあ、石田流三間飛車対策には棒金が定番。そしてその棒金への対策も定跡として研究されている。しばらくは大丈夫だな。
そんなことを考えていた俺の背後から、ぬっと声をかけてきた者がいた。
「ほほっ。囲碁は幼子でも将棋は壮年か。面白い。麿と手合わせ願おう」
「な、内大臣様!」
さっきの三条公頼と名乗ったおじさんが勝負を仕掛けてきた。さっきの囲碁ではまるで歯が立たなかった。相当頭が切れる人なのだろう。本気で行くか。
「よろしくお願いします」
俺は早石田を止め、手堅く居飛車穴熊で戦うことにした。
駒組みが進む中、対局相手の内大臣が話しかけてきた。
「出羽守殿、いや、左近衛中将殿か。宮中はどうお感じになられましたかな?」
「思ったより快適だ。皆親切だしな」
「ほほっ。流石は尊き御血筋を引いてらっしゃる御方」
「いや。それは関係ない」
「ふふふ。関係ありますぞよ。特にこの界隈では『血筋こそが全て』でおじゃりますからな」
バシッ!
強い角の打ち込み!
手ごわい。本将棋の黎明期にここまで強い人がいるとは。
「俺は血筋には頼らん」
「ならば、何を持って戦いまするかな?」
「……『力』だっ!」
バシッ!!
俺は相手陣内に「歩」を打ち込んだ。
「なるほど…… ですが、まだまだ御力は弱い。三好、六角、尼子、大内。畿内や西国の雄には到底及ばぬことでしょう」
三条公頼は歩を無視して端攻めを続行してくる。
「だが、大きくなる! 俺も、この歩のようになっ!!」
バシッ!!
歩が成った。『と金』だ。一番弱い「歩」でも、手筋を使えば「金」となるのだ。
「…… なるほど。『金』ですな」
「『と金の遅早』。一見遅いように見えても、と金の攻めは手ごわい」
「…… 心に染み渡りますな。で、その先は何を見ておられますかな?」
ギラリと光る老獪な公家の瞳。公家に武力はない。だが、幾百年にも渡る年月の重さがある。
内大臣の言葉、これは将棋のことのみではない。俺の道の先を問うておるのだ。答えを誤れば死が待っている気がする。だが! 俺は決して曲げはしない!
「『世界』、だな」
「…… 何と!?」
と金が足掛かりとなり、三条公頼の玉をどんどん隅に追いやる。逃げ場は狭い。
老獪な公家は、俺の玉を見ながら話しかけた。
「その玉の囲いのように、じっくりと固めて攻める、ですかな? 力を蓄え、安全圏から攻める。ある意味『卑怯』と見る者もおりませぬかな?」
「思わば思え。俺は俺の道を行く。たとえどんな障害があろうともな」
淡々と三条の玉を追う。俺の玉は分厚く金銀で守られ決して破られはしない。必勝だ。
そして遂に、相手玉を仕留めた。
「王手ッ!」
「ふふっ。参りました」
「うん。ありがとうございました」
互いに礼をする。この一局は、一局以上の価値があったように感じる。むしろ、このために京へ上ってきたかのようだ。
「何と! 内大臣様までも!!」
「二十九連勝で負けなしの!」
おや。このおっさん、そんなに勝ってたのか。
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<天文十年(1541年)一月 京 京都御所 ? >
「内大臣様、いかがでしたか?」
「……まだまだ、でおじゃるな」
「でしょうな」
内大臣三条公頼は、派閥の者達を囲んで密やかな会議をしていた。
「にしても、恐ろしいと聞いていた羽茂本間ですが、どうしてどうして。息子は聡明そうで可愛いものですな」
「……少納言殿。あれが、羽茂本間照詮本人でおじゃります」
「……!? 何と!?」
どうやら勘違いをしていた者がいるようだな。
無理もあるまい。先ほどの他愛もない小僧が、出羽や陸奥を束ねる「北の覇者」なのだからな。
「間違いはなかろう。底知れぬ力を感じる童子であった」
「確かに。恐ろしいほどの才でしたな」
頷く他にない。
将棋の腕だけではない。むしろ、その強さの奥底にあるものこそが恐ろしさの本質か。
「家格や血筋、上下関係など微塵にも気にしておらぬ。我ら公家にとっては相容れぬ者じゃ」
そう言って首を振った三条公頼。
だが、羨ましくはある。身分や格式に捕らわれず、自由に動き回ることのできる者が。
「ならば…… いかがいたしまするか?」
消す、か。
「いや。泳がせよう…… しかし、惜しいな」
「何がですかな?」
「麿にもう一人、姫がおったらな」
一人は細川、一人は武田。見込んだ者に嫁がせた。
あの羽茂本間照詮。恐ろしい男になるやもしれぬ。もう一手あれば、と思うと口惜しい。
「内大臣様。『猶子』という手もありますぞ」
「ぬ、そうでおじゃるな」
細川晴元に娘を嫁がせる際には、六角家の猶子として嫁がせた。そうじゃな。どこかによい娘がおれば……
ヘクションッ!
……遠くで嚏が聞こえたような気がした。
将棋の「取った駒を使える」という独自ルールが始まった起源には、いくつかの説があるようです。
・11世紀には、もうそのルールがあったという説。
・13世紀からあったという説。
・15世紀には詰将棋が発案されていて、詰将棋に持ち駒がないとは考えにくい為、あったという説。
・江戸時代の11代大橋宗桂が「後奈良天皇が小将棋から醉象の駒を除かせ、現在の将棋の形ができた」と書いてあったため、これが起源とする説。
本物語では「御奈良天皇が発案した」という説に乗っ取って進めて参ります。
紀元前のインドで「チャトランガ」というゲームから始まったとされるチェスなどのボードゲーム。「取った駒を使える」というものは珍しいようです。
「捕虜を取ったら使えるのが当たり前」「勝負がなかなかつかない」など様々な理由があったようです。
その難しさ、奥深さ故に「人にはAIが勝てない」と言われてきた将棋ですが、最近はAIの台頭が目覚ましいですね。藤井二冠の活躍や「叡王戦」の開催、プログラミング的な思考の育成、さらにネット観戦との相性の良さなどから、さらに将棋は注目されているようです。




