第百十三話 ~年始の思惑~
<天文九年(1541年)一月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城 大広間>
「新年、明けましておめでとう御座います」
「「おめでとう御座います!!」」
「うむ。目出度い」
落ち着いた新年会だ。戦続きだったが、北日本制覇という偉業を成し遂げたのだ。少しくらい派手に開いても文句は言われまい。
俺の隣には実質正室のレン、その次に長尾為景の娘で側室の綾、さらにアイヌの姫ノンノと続く。弥太郎はこんな時も、いや、こんな時だからか護衛をしてくれている。
参加者の顔ぶれは豪華だ。
出羽国からは先ほど最初の挨拶役を務めた「俺の孔明」こと宇佐美定満、陸奥国南部からは「忠義一徹の巨漢」椎名則秋、陸奥国北部からは「風林火山」山本勘助、蝦夷国南部からは「実質舅」「仏の」久保田仲馬、そして越後北部を任せた「上州の黄斑」長野業正。俺の信頼篤い国を担う五人の家老職達も副官に国を任せて駆けつけてくれた。
揚北衆からはまとめ役の髭おじさん色部勝長と、義理兄の勇将加地春綱。出羽国からはまんじゅう顔の寒河江広種、陸奥国からは伊達家家臣でネズミ顔の牧野宗興、さらに越後の長尾家からはぽっちゃりおじさんこと『為景の懐刀』中条藤資。為景はちと風邪を拗らせていると言うが、あの人のことだ。きっと大丈夫だろう。
「北日本海制覇」までは道半ばだが、各地の豪商達からは壮大な付け届けが贈られてきている。北の幸は俺の手を通さない限り真珠一粒、昆布一枚すら通らない。その為のご機嫌伺いか知らんが金一千貫文とかじゃんじゃん届く。悪どいことをしていたら賄賂をいかに貰おうとも容赦なくとり潰すけどな。
越後屋の蔵田のおっさんからは、いつもの豪奢な着物に加えてこれまた見事な銅鑼が届いた。嬉しいな。
朝廷や将軍足利家、武田家、織田家、今川家、などからも文が届いた。遠くは三好家、尼子家、毛利家、大内家などからも。これは結構マークされているかもしれん。
だが、畿内や中国、九州などの人々からすれば、「なんや、辺鄙な北で暴れておる小僧がいるようじゃ」くらいだろう。例えばこの時期に「九州を統一した」と言う大名がいた所で「凄いな」止まりだ。実際に京へ上るには遠すぎる。
まして「未開人が住む場所」扱いとも言われる「蝦夷」と蔑称される地方だ。実際の利益、国力からすればまだまだ小さく見られているに違いない。まだまだクロシジミは蝶とはならん。
年始の俺からの提案として、「佐渡~松前間最速船会」を皆に伝えた。佐渡の小木港から蝦夷の松前まで、誰が船で早く辿り着けるか競うものだ。優勝者には金一封に加え、船長・船員・船大工ごと羽茂本間で召し抱える特典付きだ。
我が羽茂本間が狙うのは『世界』だ。切磋琢磨させることで船舶建造技術と操船技術の向上を狙うぞ。
ついでに槍、刀、鉄砲、弓なんかも同様に競わせよう。優秀な人材を発掘するのに有効であろう。絵画、書画、米の品質、刀鍛冶などの「芸術職人部門」もあってもいいな。これは審査員が固定されるとインチキの温床になるから、名前を隠して出品させ、毎年審査員を変える。武士・職人・町民から三人ずつ審査員を選ばせるなどして公平性を確保しよう。
財務係の新発田収蔵がうまくやり繰りしてくれているから、財政はかなりの余裕がある。このような競技会を開くのには金がかかるが「よろしいでしょう」と許可はもらえた。新年会の参加者からも好評だ。「某も参加しようか」と意気込んでいる者もいる。俺も何かで参加してみようかな。
新年会は続く。
皆から一献ずつ挨拶を交していく最中、長野業正が頭を下げてきた。
「殿、御耳に入れたい事が御座います。」
「おや? なんだろう?」
「昨秋、甲斐国国主武田左京大夫晴信が信濃国佐久郡を攻め、さらに諏訪郡、小県郡にも侵攻し制圧いたしました。余波を受けて信濃の国人衆は散り散りになり申した」
「ふむ。それは聞いておる。」
甲斐の虎、瞬く間に信濃南部を制圧。村上氏への侵攻も近いと聞く。流石にやりおるな。
「その国人衆の中で『羽茂本間に仕官したい』と頼ってきた者がおります。御目通りをお許し願えますでしょうか?」
「ほう、いいぞ。何と言う名だ?」
「真田幸綱と申す者と、保科正俊という者でござる。」
「!! 真田!? 保科!? すぐに会おう! 呼んで参れ!」
呼ばれて来た二人共に年の頃は三十ほどであろうか。真田幸綱は長い口髭と顎鬚に加え、大きな額が特徴的。保科正俊は、これぞ「野武士」と言った感じのゴツゴツと骨ばった男だ。
二人は俺に対して恭しく礼をすると胸を張った。うむ。どちらも清々しいまでに落ち着き払っている。
「某、真田幸綱と申します。主家海野家が武田家に敗れ、故郷を失いましてございます。どこへ行こうかと悩みましたが、隆盛この上ない羽茂本間家ならば快く受け入れてくださると思い、我が一族を引き連れて仕官願いに参りましてございます。」
「某は保科正俊。ぜひ御力添えさせてくださりませ……」
『攻め弾正』に『槍弾正』じゃないか!
どっちも武田信玄配下の有力武将だったはずだ。
「真田と言えば、『六文銭』を用いておるか?」
「! ご存知でしたとは、いやはや、驚きました。いかにも、三途の川の渡し賃『六連銭』を象った紋こそ我等が家紋で御座います。」
「保科殿は、確か槍が得意だったと存じておるが」
「!! 何と…… 何故にご存知でしょうか?」
「ん、んー、前々からお主らの勇名を聞き及んでおってな。召し抱えるにはどうしたものかと悩んでおった所だったのだ」
「おお! 何と光栄な!!」
「有難い……」
有力な武将が向こうから寄せてくる。「寄らば大樹の陰」だ。勢力が大きくなればいいこともあるもんだな。人材不足の中、有難いのはむしろこちらの方だ。
「真田殿には一族と共に西三川城に住んでもらいたい。保科殿には城下にて槍部隊の隊長を引き受けてもらえるか?」
「!! 我らのような新参者を… 有難き幸せ!」
「槍隊長とは望む所。是非に……」
仲馬が蝦夷に行って城主不在となっていた西三川を任せる人材を探していた。それに弥彦が亡くなって槍隊隊長が空席となっていた。どちらも助かるな。
これから朝廷への挨拶の為に京の都に上らねばならん。すっかり引きこもりで隠居しているつもりの環塵叔父にも付き合ってもらおう。
その後は能登国を取る。名君から暗君への「代替わり」によって、国はガタガタ。取るのは容易い。いや、あちらの方から「助けてください」と言ってもらった方が問題は少なかろう。
陸奥国南部の反抗勢力、相馬家も潰す。さらに……
相川で有力な金鉱が見つかったという報告が来ている。遂に来たか、佐渡金山! 鉱山開発、宿場町の建設、運搬道の整備など忙しくなりそうだ。
山本勘助からは「旧南部領内陸部に有力な鉄や銅を産出する鉱山を見つけた」と報告ももらった。これ、釜石鉱山じゃないか? 鉄や銅の産出が大幅に増えるかもしれん。
堺にいると聞く北向道陳、武野紹鴎には、南蛮交易で手に入れたアレを見せよう。きっとうまくいくはずだ。
足利の将軍家からも「挨拶に来て欲しい」とか「義晴の『晴』の字を使ってもよい」とかお達しが来ているが……
将軍家? 足利? 知らんな!!
誰が沈むだけの泥舟のご機嫌伺いなどするかっ! 血筋だけの能無しの最たる者共じゃないか! 民が苦しんでいるのを顧みず、第十二代将軍足利義晴と管領の細川晴元とが権力争いしているとか。何という無能だ。「物忌みだ」とか「あー頭痛が痛いわー 白い白馬から落馬したわー」とか何とか言っておこう。
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<天文九年(1541年)一月 越後国 柏崎 上条城 城主秘室>
柏崎にたった一つだけ取り残された城。
先の「三分一原の戦い」において大敗を喫し、謹慎と言う名の死を待つだけのはずの男。長い顎鬚を撫でる上条播磨守定憲の主城である。その城の中二階にある城主以外が知らない秘密の部屋に暗躍する影が二つあった。
一人は、城主である上条定憲。そしてもう一人は、面覆いをした細面の男。
時折咳き込むこの若者は、決してここにいてはいけない男である。だが、その男はある野望の為に敢えてこの上条定憲と手を組むことを決めたのだった。
「…… 若殿。よろしいのですな?」
「…… うむ。乗りかかった舟じゃ。」
青白い顔を覆いで隠し、目だけは血走らせた若者。妄執、粘着質、執着心、狂気。そのような表現が適切に感じられるほどだった。
「若殿が動けば、上田長尾、神保、高梨、山内上杉は動きましょう。かの目障りな小僧を仕留めること、十二分に可能となりましょうぞ」
「さらには武田や今川、北条などとも手を組む。将軍様にも文を出す。き奴の髪の毛一本、この世には残しはせんぞ!!」
二人は笑った。定憲は低く、そしてもう一人は錯乱したかのように。
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<天文九年(1541年)一月 京 ???>
パチリ
「あいや、それは待たれよ!」
「いやいや。『待った』は無しでおじゃる。帝の御達しですぞ?」
宮中では、帝が考案した『本将棋』という将棋が盛んにおこなわれていた。今までの『小将棋』と違い『取った駒を使うことができる』という斬新な発想の遊戯に、公家達は夢中だった。
「しかし、かの羽茂本間照詮。近々に参内するようでおじゃるな」
「あのような山猿! 宮中が土臭くならぬか?」
「まあまあ。帝の御血縁と聞くぞ。付け届けも欠かさぬ者。良しなに迎え入れるべきでは?」
「どうであろうな。出方次第じゃな」
扇子で口元を隠しながら、密かに牙を研ぐ優美な公卿。清華家の一つ、三条家の内大臣の三条公頼であった。二人の娘を持ち、一人は室町幕府管領職細川晴元の正室。もう一人は甲斐の虎武田晴信の継室。朝廷で絶大な影響力を誇る公家の一人。
「使える駒であれば、使う。だが、使えぬ駒は……」
パチリ
「!? 内大臣様? 宜しいのですか? 飛車のただ取りですぞ?」
「ふふ。取りましたな。さすれば、ほれ、この通り」
「ああ゛っ!?」
魔境の如き権謀術数渦巻く宮中が、羽茂本間照詮を待ち構えていた。
真田幸綱は、永禄5年(1562年)頃に「真田幸隆」に改名する前の名です。
真田信綱、真田昌幸の父であり、真田信之、真田信繁(真田幸村)の祖父にあたります。




