第百五話 ~洞の乱~
<天文九年(1540年)七月 陸奥国 桑折西山城 城下>
「ぬかったわ……」
黒漆の具足には折れた矢が何本も突き刺さったまま。付き添う家臣は二十数名。羽州奥州において十郡に渡る大きな洞(血縁の共同体)を作った「奥州の巨人」こと伊達稙宗は、一層濃くなった白髪頭を掻きむしった。
「天の助けと地の利を生かした戦いであったが、ここまでの敗戦となるとは……」
雨の季節、見知った土地、忍びの牙、洞の者達の力。
それらを全て用いて尚も、あの佐渡の小僧には勝てなかった。
だが、まだだ。
血の縁は消えぬ。奥州には儂の血を分けた者達が大勢おる。儂の命令は絶対じゃ。今は力を蓄えればよい。力が貯まった後に再び攻めてくれよう。次こそはより強大な力を用いて。跡取りに出した子、生まれた子達を使って……
「殿ーーー!」
遠くから声が聞こえる。城の方からか。
馬を走らせ、犬のように駆けて来るのは……(小梁川)宗朝か。出迎えが遅いぞ。
儂の敗走は聞き及んでいるはずじゃ。城の守りを任せた晴宗は何をやっておるのじゃ!? あ奴の鈍さは極めてけしからん! 「家中の意見をまとめる為」など言い訳ばかりじゃ。もう勘弁ならぬぞ!
「殿っ!」
「宗朝! 出迎えが遅いぞ! 晴宗はどうした! なぜ城下まで出迎えにこん!?」
「そ、そ、それが! 殿っ! 一大事で御座います!!」
「何っ!?」
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<天文九年(1540年)七月 陸奥国 桑折西山城 城門前>
主君が帰ってきたというのに城の正門が堅く閉ざされたままだ。もしや宗朝が言っていたことは本当なのか!?
「お主らっ! 何をしておる!」
稙宗は首に青筋を立て、顔を赤く染めて怒鳴った。
「儂が! 陸奥国守護職の! 従四位下伊達左京大夫稙宗が帰ってきたのだぞ! 門を開けよ!」
だが、門は開かない。その代わりに、門の上に乗った櫓の格子窓から複数の人影が映った。嫡男の晴宗に加え、中野宗時、桑折景長、牧野宗興など。対稙宗の急先鋒的な武将達だった。
「晴宗! お主、何を考えておる!」
「…… 父上。父上が率いた伊達家の二千五百の兵、如何為されましたか?」
「はっ! 佐渡の小僧にやられたわ! だが、それがどうした!」
「…… 米沢の城は?」
「知らぬ! 大方落ちたわっ!」
兵の数や城の一つ二つなど問題ではない。儂さえ健在なら伊達家は建て直せる。主君の命令こそ戦国の世の全てだっ!
伊達稙宗の言葉を聞いた男達は、確信したように頷き合った。
「はよう、門を開けよ! 宗時! 景長! 主君の令じゃぞ!」
「大殿、申し訳ありませぬ。我らの主君は『晴宗様』に御座います」
「主君の言葉には逆らえませぬ、門は開くことができませぬ」
!? こ、こ、こやつら!
「晴宗! 儂を謀ったか!?」
「父上、父上のやり方では伊達家は立ち行きませぬ。伊達家のことは某にお任せくださり、御隠居くださりませ」
「晴宗! 晴宗!! 伊達家の主君は、『儂』じゃぞ!!」
「…… 命までとは申しませぬ、これ以上の問答は不要に御座る」
白髪頭を振り乱して慌てる父の姿を見た伊達晴宗、その瞳が薄っすらと光った。これが奥州の巨人と呼ばれた者の姿か。血縁を広げに広げたが挙句の結果が、この有様だ。なれば、儂にもっと愛情を注いでくだされば…… 晴宗は口惜しくてならなかった。
「親不孝者! 簒奪者めっ! お主! 育ててもらった恩を忘れたか!」
「親父殿……『代替わり』に御座る! 家中の者は皆、某に賛同いたしました! 伊達家『当主』として命ずる! 伊達稙宗! 伊達家領内からの『追放』を命ずる!」
「晴宗ーーーーーーーーー!!!」
断腸の思いで伝えた別離の言葉。涙混じりの『追放』の言葉。だが、稙宗にとっては、守護職から単なる爺になり下がるという受け入れ難い物だった。
「儂は諦めん! 絶対に諦めんぞっ! 必ずや返り咲いてみせるぞ!!」
「…… 親父殿。この場で御命を頂くことは避けたい。だが、余りにも駄々をこねるのであれば、こちらにも覚悟がありますぞ」
「クッ……」
そこへ、稙宗の忠実な家臣小梁川宗朝が頭を垂れて忠言した。
「殿、若はご乱心の様子。ここは相馬家に身を寄せ、時を待ちましょうぞ!」
「何ッ!? 儂に伊達の地を離れよと申すか!?」
「ですが、このままでは!!」
蘆名家には羽茂本間の追撃が入っていると聞いている。恐らく持つまい。二階堂、田村あたりは小さい。大崎、葛西は理由を付けて参戦せなんだ。小僧と裏取引があったやもしれん。南部の軍も宇佐美定満に破られたと聞いた。頼れるのは相馬の顕胤しかないか。
「是非もなし! 頼れる婿の元へ身を寄せるぞ! 晴宗! このままでは終わらんぞ!!」
「……」
稙宗は小梁川宗朝の他、僅かな手勢のみを引き連れて相馬領へ身を寄せることとなった。しかし、相馬領とて敗北により大打撃を被った。おいそれと兵を挙げることは出来はしない。そして、相馬顕胤に稙宗を有難がる理由は、もうどこにもなかった……
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照詮の軍は蘆名家に襲い掛かり、嫡男と主力軍を失った領地を激しく攻撃した。蘆名家には頼れる援軍は最早なく、北は羽茂本間軍、西からは上田長尾軍からの挟撃に遭い、見見うちに居城の黒川城まで押しやられた。
蘆名家当主の蘆名盛舜は、祝言を挙げたばかりの嫡男盛氏の戦死に我を忘れ、羽茂本間の度重なる降伏勧告にも決して応じず、最期には城を枕に一族諸共に壊滅させられた。桓武平氏縁の三浦氏から興った蘆名家は、ここに戦国の歴史から姿を消した。
最上家の最上義守は、逃げ込んだ山形城を十重二十重に囲まれ、命運尽きたことを悟った。この期に及んでは、戦国の世の習いの通り腹を切り、一族と将兵の助命を嘆願するべく決心をした。
だが、突如羽茂本間家から「全面降伏するなら命を助ける」との文が届いた。室町幕府から羽州探題職を任された名門最上家を消しては、後の出羽国統治に支障が出ると考えられたという説もある。または、米沢城や蘆名家の黒川城を攻め入ったことで力が尽きてしまったとの見方もある。
いずれにせよ、最上義守は降伏の道を選んだ。仇敵である寒河江氏の冷たい目線を浴びながらも、最上一族は佐渡ヶ島の国仲平野へと転封させられた。出羽国での影響力の及ばない、そして監視の目が行き届きやすい地元に置いたという説が有力である。
伊達稙宗の洞の者達も、血の繋がりよりも明日の命を選んだ。
蘆名家の最期を聞くと「反抗しては、一族郎党皆殺しに遭う」と恐れ慄き、二階堂、大崎、田村、葛西、留守などの家は我先にと羽茂本間家に臣従の約を取り付け、嫡男や愛娘を人質に差し出してその証とした。
「代替わり」により伊達晴宗が当主となった伊達家もその例に外れなかった。密約通りに「家系存続」と「領地保証」、加えて「黒組の解散」を約として、羽茂本間家に臣従を申し入れ了承された。さらに生まれたばかりの嫡男鶴千代丸を人質として差し出そうとしたが、照詮は「岩城家との約定(嫡男を岩城家の世継ぎとする約束)があろう」と丁重に断った。恩義を感じた晴宗は、羽茂本間家に対して毎年馬百頭を贈ることと、羽茂本間家に仇為す家には厳しく対処することを固く誓った。
今回の大戦の影響により、伊達稙宗の求心力の低下は決定的なものとなった。逆に、出羽国に続き陸奥国においても、羽茂本間出羽守照詮の影響力は否応なしにも増したのだった。
「天文の乱」、もしくは「洞の乱」と呼ばれる伊達家の御家騒動が、史実より二年ほど早く発生しました。
史実では、稙宗と晴宗の戦いは周囲の国人衆を巻き込み以後六年ほどに渡ったそうです。本来は稙宗の息子時宗丸を上杉定実の養子として出す際のひと悶着がさらにあったのですが、作中では定実がデミカルバリン砲の直撃を受けて戦死しているため、起きませんでした(*´ω`)
出羽国、陸奥国の大部分を手に入れた主人公。その先にあるものは……




