8.「行けばわかるって言ってたし」
やわらぎはじめた朝日に照らされた町のなかをイクサは歩いていた。
肩には、乾いた風に青色の毛皮をそよがせるナナンが乗っている。
もう狙うものもないから隠れる必要もない、とお墨付きをもらったナナンは陽の光を浴びながらにぎやかな町並みを眺めている。ときおり楽しそうにちいさく「キュワキュキュー」と鳴いているけれど、本日のイクサの仕事はナナンの散歩ではない。
町長の家を出てほどなく、見えて来たのは煉瓦を積み上げて作られたどっしりとした建物。高さこそ町長の家にかなわないが、増築に増築を重ねたのであろう歪な造りは目を引いた。近づいて見上げれば、あちらこちらから突き出たパイプがぷしゅうと蒸気を吐く音が耳に届く。
「ここか。郵便屋」
ごちゃごちゃした建物の一番シンプルな箇所、入口に立ったイクサはランタナに渡された手紙に記された絵と目の前の建物にぶら下がる看板の絵を見比べた。
丸い木の看板に描かれているのは、ウズラ(クウェイル)の絵。そのしたに記された文字は『チロック総合支所』とある。
「そういや、この町の名前チロックだったっけか」
町の名前をくちにすることなどないイクサは、久々に目にしたその名をくちのなかで転がして首をかしげた。日頃は誰もが夕焼けの町、としか言わないため、忘れがちになってしまう。
総合支所ということは、どこかに大本があるのだろう。町を出たことのないイクサには知りようもないことだが。
「こんなところで赤ん坊の世話なんて、どういうことなんだろうな」
「キュワー?」
郵便と赤ん坊。関連性がわからない。
ぼやいたイクサに相槌をうつように、ナナンが鳴く。
「まあ、行けばわかるって言ってたし。行くか」
手元の手紙をポケットにくしゃりと入れ、イクサは馴染みのない重厚な扉を押し開けた。
途端に、規則正しい機械音とそれに負けじと鋭く飛ばされるひとの声が耳を打つ。
「はい、これ次の便に乗せる分の配達物一覧表! もう出る? あと一分!? ちょっと待って、誰か走って届けて!」
「うわ、誰だこれ分類したの! 隣町と違う町のと混ざってるとか、どういうことだよ! 全部やり直し!」
「はい、次のかた。郵便ですか? え、代筆? すみません、うちでは代筆はやってなくて。建物奥の階段を上がってもらって、右に曲がって二階分上がってまた曲がったら一階分降りてもらって……」
見るからに忙しいひとばかりが、カウンターの向こうに並んでいる。
ばたばたと動き回る職員たちの後ろでは、何かの機械がシュコー、シュコーと蒸気を鳴らしながら押印を押し続けるのが見えた。
郵便屋の建物は増築された部署も含めれば相当な広さがありそうで、そのなかのどこに行けばいいのかイクサにはさっぱりわからない。また猫語りをはじめられてはたまらない、と詳しく聞かずに町長の家を出たことが悔やまれる。
「……あー、忙しそうだな」
行って、ランタナから預かった手紙を誰かしらに見せればすぐわかるだろう、と思っていたイクサはどうしたものか、と立ち止まった。
けれどすぐに、背後から入ってきた紳士が「ちょっと失礼」とイクサの横をすり抜けていって、邪魔にならないよう移動するはめになる。
あちらに行けば並んだ列の婦人に横入りするつもりと勘違いされてじろりとにらまれ、こちらに行けば荷物を抱えて視界が狭くなった老人にぶつかられる。
どうにか壁際に移動して「さて、どうしたもんか」とつぶやいたとき。
「んっぎゃああぁぁーーーん!」
郵便屋の建物を揺るがすような赤ん坊の声が響き渡った。
ぴたりと静かになった郵便屋のなかで、赤ん坊の声と押印機の音だけがやけに大きく聞こえる。
「ぎゃああん、あああぁぁん!」
「ごめんなさい、ちょっと失礼します!」
火が付いたように泣く、とはこのことか。イクサが元気な泣き声に感心していると、窓口の向こうに座っていた女性のひとりが立ち上がった。
慌てた様子で茶色いポニーテイルをひるがえして駆けていく彼女を追って、イクサも郵便屋の奥へと進んでいく。
歪な階段に、無理やりつけたような廊下。上がったり下がったり、扉を開けた先にまたすぐ扉があったりと、まるで迷路のような建物のなかを半ば走るように進む女性のあとをついていく。
「ナオ!」
そう叫ぶように言った彼女がいくつめかの扉を開けた途端。
「ああああーーーーん! ああーーーーん!」
赤ん坊の泣き声がいっそう大きくなり、イクサの耳に飛び込んできた。
茶髪の女性はあわてて部屋のなかへ駆けこんで、泣きじゃくる赤ん坊を抱え上げる。
「ああ、ごめんなさいね。さみしかったわね。ひとりぼっちにしてごめんなさい」
赤ん坊に謝る彼女の向こう、イクサが立っているのとはまた別の扉からひょい、と顔を出した黒髪の若い女性が済まなそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、リサ。赤ん坊を見てるって言ったのに、ちょっと上司に呼ばれちゃって」
「ううん、いいの。あたしこそ、ごめんなさい。あなたがやさしいからって頼ってしまって。仕事中に赤ん坊を見ようなんて、やっぱり無理だったのよ」
同僚に謝られた茶髪の女性は、赤ん坊をあやしながら謝罪をくちにする。その間も泣き止まない赤ん坊を見つめてつぶやく女性の目が、じわじわと光を失くし暗くなっていく。
イクサは見ていられなくて、ひとつほほをかいて開きっぱなしの扉をノックした。
こんこん、軽い音にふたりの女性がはっと顔をあげる。
戸惑いの表情を向けられたイクサはなんと言ったものか、と思いながらくちを開いた。
「あー、町長から任されて来た何でも屋だ。その赤ん坊の世話、引き受ける」
「え……」
ポケットから出したランタナから預かった手紙をひらりと宙に躍らせながら言えば、茶髪の女性の目がじわりとうるむ。
「仕事しながら赤ん坊の世話、大変なんだろ? 手伝いに来た」
格別愛想よくしたわけでもない。いつも通りに頼まれた仕事をはじめようとイクサがくちにした宣言を聞いて、女性はぽつりと雫をこぼしたのだった。




