1.「まあ一応、何でも屋っていやあそうなんじゃないかな」
「イクサ、というのはあなたですか」
ひと仕事を終えて昼下がりの町を歩いていた少年、イクサはそんな呼び声を耳にした。
丁寧なのに、どこか不遜な声。
ーーー俺と同じ名前のやつもいるんだなあ。
周囲には大勢のひとが行き交い、通りには活気があふれている。そんななか、自分が呼び止められているとは思わずに、イクサは立ち止まることなく通り過ぎかける。
「何でも屋イクサではないのですか?」
声とともに背後から肩をつかまれて、イクサはのろのろと振り向き半開きのまぶたを上下させた。
「えーと……誰だっけ?」
自慢ではないがイクサはひとの顔を覚えるのが苦手だ。苦手というか、覚える気がない。「イクサはひとの顔に興味ないからね」とは昔なじみの言だ。
そのため振り向いた先に立っていた見知らぬ若い男を見上げたイクサは、付き合いの浅い知人かな、と警戒心のかけらもなく首をかしげた。
苛立ったような様子を見せたのは男のほうだった。
「私とあなたは初対面です。そのように腑抜けた体たらくで、あなた本当に何でも屋として生計を立てているのですか?」
秀麗な顔を歪めて見下ろしてくる男の視線にさらされて、イクサは内心でめんどくせえやつが来たなあ、と思う。
きれいに撫でつけられた銀髪はつややかで、その下の顔は造作の美しさだけでなく清潔感のあるきれいな肌をしている。
身にまとうシャツには当然のようにのりが効いていて、ぱりっとしたベストの胸ポケットから伸びる鎖には錆びどころか一点の曇りもない。
細身でありながら軽く見上げるほどの立派な体躯も、必要な栄養を必要な時期に補給できたのだとうかがえる。
明らかに自分とは身分の違う男に、イクサはしぶしぶ向き直る。
「まあ一応、頼まれた仕事と引き換えに金もらって生活してっから、何でも屋っていやあそうなんじゃないかなあ」
「一応……? かなあ……?」
イクサのあやふやな返事に、男の声が低くなる。
イクサはやべ、怒らせたかと思ったが男は眉間を押さえて息を吐くと、元の澄ました顔に戻って踵を返した。
「付いてきなさい。私の主人があなたを呼んでいます」
冷たい目でそれだけ言うと、男はイクサに背を向けて歩き出す。
かつん、かつんと硬い音を響かせる男の編み上げブーツは、かかとがすり減るなんてことはないのだろう。
「あー……めんどくせえ……」
このままこっそり帰ったらだめだろうか、と思ったのが伝わったわけではあるまいに、男がちらりとイクサを振り向いた。
切れ長の目と視線が合ってしまい、イクサは仕方なくその背を追いかける。
面倒ではあるが、男の主人とやらは仕事の依頼をしてくるのだろう。金をもらうには働かなくてはならない。たいへん面倒だが。
ほどなくして辿り着いたのは、町の中心部に位置する商店街。なかでも富裕層向けの店舗が並ぶ界隈だ。
背丈ほどもある大きな一枚硝子の向こうに飾られている品々は、どれも手間暇かけて作られた高級品ばかりだと手に取らずともわかる。
服が擦り切れて継ぎ接ぎもできなくなるまで使い倒すイクサとは縁のない、きらびやかな世界。
男はその真ん中を堂々と進む。
仕方なしに、イクサも居心地悪く背中を丸めながら男に続く。
男は建ち並ぶ店のなかでもひときわ背の高い建物に向かい、ためらうことなく戸を開けた。
「あんた、そこ町長の家じゃ……」
男を追う足を止めて、イクサは目の前の建物を見上げる。
レンガを積み上げて作られた建物は、町の一等地に広く場所を取っていた。所々に排気用ダクトが生えているのが見えるあたり、建物のなかにはお高い蒸気機関がたっぷり詰め込まれているのだろう。いまも、真っ白い蒸気が噴きあがったところだ。
それよりも特徴的なのは、建物の中央に高くそびえる塔だ。塔のてっぺんには巨大な時計が据え付けられており、剥き出しの歯車がせわしなく回っている。
町のどこからでも見えるこの時計塔が町長の家だということは、物心ついたばかりの子どもであっても知っている事実であった。
「さすがに町長の屋敷は知っているようで、安心しました。私の主人とは、町長そのひとです」
「町長……」
つぶやいたイクサは、町長の姿を思い浮かべようとして失敗した。
町長といえば、町をまとめる富裕層。
同じ町に暮らしていようが、イクサのような貧乏人には縁のない相手だ。それゆえ、見たことがなくとも仕方ない。
「町長が俺に何の用だ?」
「行けばわかります。お待たせしているのだから、急ぎなさい」
男はそれだけ言って、建物のなかへと進んでしまう。
待たせるも何も呼びつけたのはそっちだろう、という反論をした場合の面倒を考えて、イクサは仕方なく屋敷に足を踏み入れた。
屋敷のなかはあちらを見ればきらびやか、こちらを見れば手の込んだ彫刻が施されている。
極めつけは自動昇降機だ。蒸気で動いているらしいその箱は、男とイクサをまとめて一気に建物の上階まで連れて行く。
「はあー。こんな高いとこまで、あっという間だ」
自動昇降機を降りた先の廊下で、窓の外に目を向けてイクサが感嘆の声をもらした。
先を行く男は肩越しにちらりと振り向いただけで何も言わず、さっさと進んでいく。
優雅な足運びだが長さがあるため、男の歩みは速い。あっという間に置いていかれそうになり、イクサは仕方なくのろのろと歩みを進めた。
「入りなさい」
進んだ先では、男が数ある扉のひとつを開けてイクサを促している。
重厚な扉はいかにも威厳を感じさせて『えらいひと』が苦手なイクサの足取りを重くさせる。
町長といえば、贅沢をし尽くして不健康に太った男だろうか。それとも、ひとに命令し慣れてふんぞりかえった野郎だろうか。あるいは、悪巧みに長けた狸親父だろうか。
いずれにしろ、喜んで会いたい相手ではない。
ちらりと横目で男を見たイクサは「ちょっと用事を思い出して……」と言おうとしていたことばを飲み込んだ。
男は、イクサが断ることなど微塵も考えていない、というような顔をしていた。
加えて、ここで脱走したとして。
相手はイクサの名前を知っていた。仕事もバレている。
寝床はいくらでも捨てられるが、イクサには捨てられない弱みがあった。
「……はあ」
ため息をついたイクサは、一層もたもたとした足取りながらも開かれた扉の向こうへと進む。
毛足の長い絨毯が足に絡んで歩きづらい。柔らかそうな絨毯に寝転んだら、きっとイクサの寝床よりもよっぽど気持ちがいいだろう。
もったいねえな、と思いながらイクサは一歩一歩前に進む。
ほどなくして、部屋の奥に置かれた重厚な机が見えてきた。使い込まれて飴色になった机は広い部屋にあってもずいぶん大きく見えて、イクサの粗末な部屋に置いたならば半分以上を占めるほどだ。その前に、机が重すぎてぼろアパートの床が抜けるだろうが。
巨大な机の向こうには、ひとの背丈ほどもある背もたれを持つ椅子があった。
入り口に背を向ける形になっているため、座っているひとの姿は見えない。
「エリスアレスさま、連れてまいりました」
扉のそばに立ったままの男がそう言うと、椅子がきぃ、とかすかに鳴った。
背もたれがくるりと回り、座っている人物の姿が見える。
「ようこそ、何でも屋イクサ! わたしが町長のエリスアレスよ!」
すっくと立ち上がった少女が胸を張って言うのを、イクサはぽかんと眺めていた。




